寺山修司・関係

五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載⑤)

%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%80.jpg
五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載⑤)
寺山修司の音を読む
五十嵐 綾野


寺山修司の音を読む
五十嵐 綾野

寺山修司のラジオドラマを聞いた。面白いとか面白くないという感想を言う前に、聞き取れない言葉が多く困ってしまった。ラジオドラマ作品は、30分から1時間ぐらいの長さである。それほど長いわけではないが、まとめて一度にたくさん聞こうとすると、集中するのが大変だ。
ラジオドラマは耳で聞くしか方法がない。目で見るセリフと耳で聞くセリフは全く違う。そして、効果音。もちろん、すべての作品に方言が使用されているわけではないが、私のリスニング力が足りないせいか非常に苦労する。今聞いたセリフを反芻しているうちに、話はどんどん進んでしまう。もう一度聞き直せばいいのだが、いちいち時間がかかるうえ、先へ進めなくなってなんだか面倒くさくなってくる。
例えば、「中村一郎」のようにユーモアのある風刺作品は面白く聞くことができる。空を自由に歩くという男を表現するにはラジオならではの手法だ。寺山は日常に非日常をポンッと投げ入れることを得意としていたが、ラジオではそれがよく出ている。犬神伝説を基にした「犬神歩き」を何度も聞いていると、どうしようもなく怖くなってくる。祈祷師による犬神落としをする場面は、日本の古い習わしの不条理さを考えさせられる。現代では信じられないような話である。タブーとも言える呪術的世界のテーマを、これほどまで表現してしまう寺山は何か憑いているのかもしれない。
寺山がラジオドラマを制作していたのは、1960年前後から数年間である。その後は、天井桟敷を設立したこともあり、本格的に演劇活動を行うようになる。ラジオドラマはいくつかの賞を受賞しているが、あまり注目されてこなかったようだ。ラジオという電波によるメディアは、映画などに比べたら接する機会が少ない。
ラジオドラマ作品「恐山」、「犬神歩き」、「山姥」。これらは、寺山の得意とする土着的なものがテーマになっている。彼が恐山を初めて訪れたのは、1962年・26歳の頃である。これらの作品は全て、恐山を訪れた後に出来たものだ。恐山が寺山にインスピレーションを与えたのではない。少年時代に体験した地獄を振り切るように、東京へ出てきた。近代化された都市においても、やはり始終うごめく生と死の交流を表現するには、恐山という独特の磁場が必要であった。
方言で語られるセリフや詩は、一方的に流れるCDプレーヤーで聞くとファンタジーともリアリズムとも言い切れない異世界に簡単に引き込む力がある。このラジオドラマをラジオから直接に生で聞いていた人はどう思ったのだろうか。自分にも何か憑依してしまうのではないかと思った。
寺山自身の、しゃべり方を思い浮かべてみる。元気はつらつとした感じではない。陰気ではない。口数は少なくなさそうだ。ぼーっと聞いていると、呪文のように聞こえてくる。何かに自分は呪われていて、そのせいで孤独なのだというように。口調はそうであっても、身振り手振りや目は人懐こいような光を放っていた。誰とでもすぐ、親しくなれるのではないかという印象である。この人が本当に、土俗的な陰鬱とした世界を表現しているのかとも感じた。
私が初めて寺山の声を聞いたのは、映画「田園に死す」の短歌を朗読する場面だ。最初、それが寺山の声だとは思わなかった。短歌の世界観にぴったりだと妙に感心したりして、恥ずかしい。世界観がどうのこうのではない。本人である。青森訛りの俳優がしゃべっているのだろうと、とんでもない勘違いであった。寺山の声を知ってからは、詩、俳句、短歌を読む時には必ず寺山の声がするようになった。元気よく短歌を朗読しても、寺山の良さは伝わらない気がする。明るい作品もどこか影がある。ぼそぼそと低い声でしゃべると、北国特有の空の色が浮かんでくるようである。寺山と音。まだまだこれからも探していきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です