2009
05.27

落合尚之版『罪と罰』第五巻を読む(坂本綾乃)⑤

日本文学特論Ⅱ, 落合尚之版『罪と罰』について

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載5)
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落合尚之版『罪と罰』第五巻を読む(坂本綾乃)⑤
落合尚之『罪と罰』を読む⑤
 「自己犠牲」


落合尚之版『罪と罰』を読む⑤    「自己犠牲」
坂本綾乃

 
 首藤魁の言葉、「外に出て世界に触れてみろ、地獄こそが快楽だ」に導かれるように弥勒は計画を実行に移し、外に出て自身の手で世界に触れる。彼がそこで感じたものは、生臭くヌルヌルとしたものだった。
 長い眠りから目覚めた弥勒は、偶然目にしたニュースで狙いが当たりすぎて、ミーコとヤクザが共に捕まったことを知る。再び自分の計画の浅さを思い、いっそのこと捕まってしまった方が楽ではないかと言う考えがよぎるが、姉嘉乃が「人殺しの家族」だと言って一生後ろ指を差されることになる。それ以前に、入院代を自分で払わなければ、結果として姉に連絡が行くこととなり、せっかく手に入れた「金」が自分の手元に無く使えないことで、「計画」が水の泡になったことを感じていた。弥勒が様々な思いを巡らせている中で、同じ病室の飴屋が酒を落とす。このアルコール中毒で入院している飴屋の話に弥勒は引き込まれていく。
 兎にも角にも、弥勒が相当なシスコンであることが分かる、立派な父親の死の後で母親と自分を自身を顧みずに支えてくれた姉はやはり彼にとって母親以上に大切な存在であることが、所々でうかがえる。
 五巻で新たに登場する飴屋菊夫と英知香、二人もまた常識では計ることが出来ない関係であることが、飴屋が弥勒に語る話から見えてくる。教師と教え子が結婚する話は、実際私の周りでもあるのだが、教師と教え子と言った関係の下で結婚したと聞くと妙な噂が立ったりする。立場的なことを抜いた上でも、飴屋とエチカの関係がいかに常軌を外れているものであるかと読者は感じるのではないだろうか・・・。 
 弥勒は飴屋に対して「何故生き残った? 死ねばよかったのに―! いっそのこと俺が殺してやろうか」と思うが、フラッシュバックしたのは鉈を持った自分の血にまみれた両手とリサの姿だった。弥勒はその光景に自分の中にある「人殺し」の姿を実感する。ここで気になったのが、そのよぎった光景の中で思い浮かんだのがリサであったのかということだ。そもそもの「計画」の目的人物であったヒカルではなく、何故リサを無意識下に思い浮かべたのだろうか、やはり弥勒にとってヒカルだけでなくその場に偶然現れたリサまでも手に掛けたことをどこかで後悔していたのではないだろうか? 弥勒にとって、「計画」の中におけるヒカルを殺すことは害虫駆除でしかなかったのだが、ある種関係の無かったリサを殺してしまったことが、弥勒を追い詰めているように思える。現実での殺人事件においてよく被疑者が「一人殺すも二人殺すも同じこと」などと言うことがあるが、それは無差別殺人において言えることでしかなく、計画的な殺人においてはそう言えないように私は思うのだ。殺人と言った罪の上では同じことかもしれないが、その間には大きな壁があると思う。
 退院後に喧嘩別れ? した矢住賢道と弥勒は再会するが、この矢住もまた曲者だ。弥勒が向き合おうとしなかった自身の本当の姿に対してズケズケとものを言ってくるのだ。人としての一線を越えてしまった弥勒は自分の孤独と向き合わなければならず、自らの命を絶とう考える。だが、そのシーンでの自分の死に対して怯えを見せる弥勒の表情から、彼が本来いかに弱くもろい人間であるかもうかがうことが出来る。その弱さゆえ、人にすがりたくなる。そんな弥勒が直面するのは飴屋の死だった。弥勒が自殺すると思った飴屋は自分を顧みずに助けようとし、車に轢かれ命を落とす。霊安室で、話の中で聞いていたエチカと対面し(実際は夢うつつの中で目にしている)自己犠牲の姿を飴屋とエチカの違った立場から知ることとなる。様々な自己犠牲の形を目にした弥勒は巻の最後で、「これからの闘いを闘い抜くための力が必要だ、例え一人で立つのがやっとの崖の上でも―しがみついてでも生きてやる…! それが生命の真実だ、闘え―!!」と自分の周りにいる人を利用し生き抜こうと決心する。
やはり弥勒は自分が思うほど強くなく、一人では生きることができない人間であると感じてしまった。彼がこれからどのようして現実と立ち向かっていくか気になる。

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