2009
05.13

落合尚之版『罪と罰』を読む②③(坂本綾乃)

日本文学特論Ⅱ, 落合尚之版『罪と罰』について

「日本文学特論Ⅱ」(日芸大学院講座)坂本綾乃(連載2・3)
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「日本文学特論Ⅱ」課題
落合尚之版『罪と罰』を読む②③(坂本綾乃)


坂本綾乃
落合尚之版『罪と罰』を読む②

一巻で心の中にあったものが、現実感を持って形を結び、「真夏の太陽が見守るこの部屋で、僕はこの女を殺すだろう」と弥勒の中でヒカルに対してはっきりとした殺意が生まれた。
二巻は、その生まれた殺意に対して葛藤するところから始まる。激しさを増すせみの鳴き声と、陽炎で揺らぐ足元のカットが、弥勒の心の揺れ具合を伝えてくる。
日常において「殺したい」など口にすることはあるが、実際には口にするだけで「殺す」ことまで想像はまずしないだろう。弥勒は、ヒカルを殺し得た瞬間を想像するだけで吐き気を催してしまうが無理もない、いやそれが普通の反応だろう。「出来る、出来ないの問題じゃない、やらないんだ」と自問していくシーンは、外面から内面へと徐々に問いかけが深まっていく。
害虫を駆除することは世のためであり、それによって救われる命があるのだとすれば、確かに駆除すべきなのかもしれない。だがここで弥勒が指す害虫とは人間であり、つまり人間を殺すことは犯罪になる。法が定められている世の中で、それを犯すことは出来ない。例え犯したとしてもその背負うべきリスクの重さは計り知ることができない。そもそも私怨ではなく、あくまで弥勒の良心に過ぎない害虫駆除をなぜ思い立ったといえば、結局のところ「金」なのだ。弥勒にとって、何よりも救いたい存在は姉、嘉乃だ。母が願う「立派な」人間にするために金で身を売ろうとしている姉を救うには、弥勒自身が一人で身を立てる金が必要だと、自分の欲のために金が必要なわけではないと、そしてたどり着いた答えは「やる、やらないの問題じゃないんだ、出来るか、出来ないか。自分に資格があるのならば、出来るはずだ」と自分の揺れていた心に結論を出す。この結論は、母が望む「立派な」人間にはなれないことをどこかで分かっているようにも思われるが、あえて堅くふたを閉じているのは間違いないだろう。
 ヒカルが手元に現金を持っている時で、確実に狙える機会が弥勒の中で一つに絞られる。それは、ヤクザとヒカルの間に立って金を運ぶ人物ミーコに出会う時だ。だが、ミーコの存在をヒカルに伝えるや彼女のとった行動は早く、ヒカルに繋がる道は途切れてしまった。いや、途切れてしまったかのように見えた。目的を失ってしまった弥勒に対して再度ヒカルへと続く道を作ったのは、ヒカルと引き合わせたきっかけを作ったリサだった。
思わぬ形で弥勒が放った言葉が、リサが封じこめていた自分の感情と向き合い、自由になろうとする意思を持たせた。リサにとって自分を押し殺していながら耐えている、援助交際という現状から救い出してくれる人物、それが弥勒だったのだ。たった一度だけ会った弥勒に対して、すがってくるリサ。彼女が弥勒に対して抱いた感情は一見恋愛感情のようにも見て取れる。思い込みの激しいと言うか、馬鹿正直と言うかリサはヒカルと比べるとあまりにも幼く見える。その幼さに、ヒカルは付け入ったのだろう。そして弥勒も…。弥勒は自分があの時、実際何を思っていたか伝えようとするも、向き合った自分の本心がヒカルと変わらぬことを知る。ヒカルは弥勒が見ないようにしてきた影の部分を代弁しているようにも取れる。馬場光。彼女はヒカルという名のとおり、人間が持つ心の表と裏それぞれを照らし出している。
舞い込んできた好機を生かすべく弥勒の取った行動は早い。頭の中で様々にシュミレーションされていたとはいえ、短期間で出来うる限りの完全犯罪を作り上げた弥勒はヒカルを殺すことに成功する。だが、彼が描き出した完全犯罪はもろくもリサの出現によって崩壊してしまう。思いがけない形で、ヒカルの死体を見たリサの中で弥勒は「自分を救い出してくれた救い主」となった。弥勒が描き出した計画の中にリサは勝手に上がってくる。弥勒にとってこの計画は誰にも汚されたくない崇高なものであって、リサは邪魔者以外のなんでもない。弥勒は、リサに対しても鉈を握ることになる。
第三巻では計画を実行した弥勒が直面する現実、そこがどう描かれるかが楽しみだ。
坂本綾乃
落合尚之版『罪と罰』を読む③

警察だけでなく、むしろ警察よりもずっとたちの悪い存在である奴らにも追われなければならない現実だった。白紙に戻った計画がリサによって突然復活したのだ。実行までに時間はなく、弥勒自身が描いた完全犯罪はボロボロの穴だらけであった事にいまさらながらも気付く。奴らに対してシラをきり通すことに耐え切れないと想像を巡らせる弥勒にとっては、明美が叩くノックの音にも怯えてしまうほどに神経は衰弱していた。事情を知るはずもない明美の発言はあまりにも的を射すぎていて不気味すぎる。目的はあくまでヒカルの殺害、完全犯罪の元に弥勒はリサに対して鉈を振り下ろす。ヒカルの殺害シーン同様にカットはアップが多い。脳天をかち割られたリサを、弥勒は恐る恐る振り返り見る。ヒカルの殺害時のように、見下ろしていない弥勒に安心感を抱いた。やはり、弥勒にとってリサの殺害は、想定外の出来事だったことが窺えるからだ。
 リサを殺害後、弥勒は計画の進行中であることを自分に言い聞かせ、段取りを思い返して結びつくものを回収する。ヒカルを殺害した時は動転していたがゆえに動いていなかった頭が、冷静さを取り戻し回転していく。そんな弥勒が直面するのは鏡に映った自身の顔だ。自分でも驚くほどの顔に客観的な感想を述べる弥勒は再び、迫ってくる恐怖に打ち勝つために自問自答をし冷静さを保つ。部屋を後にするその瞬間までの、弥勒の計画は邪魔が入ったもののいわば完璧だった。だが、空きっぱなしになっている玄関の鍵を見るや、本能と感情が分離し始める。
 帰ってくるなり何の片付けもせずに寝こけてしまったとあるが、弥勒が思っている以上に心身的負担はあったのだろう。明美から告げられる「出頭命令」、何よりも怖れる警察からの呼び出し。そもそも、何もしていなくても町で警察官に声をかけられるとどこか身構えてしまうのは、私だけではないだろう。まして、弥勒はそれこそ極刑を免れないであろう罪を犯したばかり。普段ならば気にも留めない人の視線が刺さってくる、まさに疑心暗鬼を生じていると言えよう。
「理性が俺を見放したのか!? これは何かの罰なのか!?」警察署の前まで来てついにピークに達した弥勒は家に戻ろうとするも、警察官に声をかけられ覚悟を決める。
弥勒が眠っている間に、警察は迅速に動き出していた。そこで明かされたのはヒカルの両親の存在だった。一巻のヒカルとリサとの馴れ初めのシーンでリサがヒカルの両親について何かを物語ろうとしていることからも推測することは出来たが、やはり社会的にも影響力のある人間であった。弥勒はヒカルの両親のことまで調べ上げていたかは定かではないが、そんな人間の娘が殺された上に売春組織に絡んでいたことまでをマスコミにかぎつけられたとしたら、それこそ捜査の進展が警察の威信に関わる問題となってくることは明白だ。
ずっと前に盗難届を出していた自転車がこのタイミングで帰ってきた。明美から何も知らされていなかった弥勒は、担当した警察官目加田に絡む。そこに現れたのは、あの事件の特捜の警察官数名だった。その場は何とか収まりかけたかのように見えたが、石和の一言に弥勒は再度突っかかるも、ねじ伏せられ、気付いてしまう。自分がもう誰とも分かり合えないと言うことに…。母さえも、計画を実行してまでも救いたかった姉でさえも、本当の自分を見せることは出来ない。なぜなら、弥勒の手は血で汚れてしまったのだから。弥勒を残して反転した見開きのページが弥勒の孤独をさらに煽る。
押さえ込んできたたがが外れた弥勒は、自首を決心した矢先に、警察の捜査の進展具合を偶然耳にして耐え切れずに意識を失った。精神的にボロボロになった弥勒はオンボロ自転車をひいて警察署を後にする。弥勒の態度を怪しいと疑う目加田の前に現れた男こそ、弥勒を追い詰めていくであろう、検事の五位だ。皮肉にも弥勒の佳作受賞作を知っていて、ましてや弥勒の作品のファンであると言う五位。彼が原作で言うならポルフィーリであろう。
目加田が弥勒の名字を「サバキ」と読み間違えることが弥勒が裁かれるべき罪を犯していることを暗示しているのだろうか?
警察署を後にした弥勒は、偶然いや必然的にヒカルと関りのあったヤクザの男を見かける。自分は
ぎりぎりの状態で弥勒が取った行動は、奪った金を隠すこと。警察、自分宛の局留め、そしてミーコへと三つに分けて投函した。この投函した金によってヤクザとミーコに警察の意識が向いていく。
次巻ではいよいよ弥勒の過去が描かれる、弥勒の幼少期に何があったのか、一巻で弥勒に笑いかけた男の正体がついに明かされるだろう。

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