2009
05.07

落合尚之版マンガ『罪と罰』の感想(第二回)

清水正ゼミ(「文芸研究Ⅰ」), 落合尚之版『罪と罰』について

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落合尚之版マンガ『罪と罰』の感想(第二回)
清水正ゼミの課題
今回は沢辺遥奈さんのレポートを紹介します。
落合尚之版『罪と罰』
不朽の名作が現代の問題作として登場
読者、問うに落ちず語るに落ちる


落合尚之版『罪と罰』
不朽の名作が現代の問題作として登場
読者、問うに落ちず語るに落ちる


沢辺遥奈

かの有名なロシアの小説家、ドストエフスキーの代表作である『罪と罰』は大学生ともなれば読んではいなくとも名前とあらすじくらいは知っていよう。舞台は十九世紀の酷暑のペテルブルグ。主人公は戸棚のような小部屋で鬱々と暮らす一人の青年だ。
十九世紀ともなれば、二十世紀を生き二十一世紀を過ごす私達にとっては随分と昔のことのように思える。それ故、堅苦しく小難しい本だと思って実際に読んだことがある学生は少ないだろう。とかく言う私も、この清水教授のゼミに入らなければ一生『罪と罰』を読む機会はなかったはずだ。日頃二、三人の作家に傾倒している私にとって、何百年も前の異国の物語はなかなか手が出せないのだ。
今回、落合氏が描いた漫画『罪と罰』を読んだわけなのだが、舞台は変わって現代の日本に書き換えられていたのだから驚きだ。ドストエフスキーが生きた時代を描くと思っていたのだが、それでは面白みの欠片もないということだろう。二番…いやそれ以上に煎じたお茶ではやはりやっていけない。自己を示すスパイスを利かせなければいけないようだ。まぁ、実際にお茶にスパイスを加えたら不味くなるだろうけど。
話を戻そう。主人公である青年が大学をドロップアウトしたひきこもりであることは原作そのままだが、高利貸しの老婆が援交グーループの支配者である女子高生にと為り代わっていたのは大きな変化だ。だが、この設定にしたことによって物語はより混濁したように私は思える。
漫画というものは物語を文章として頭でとらえる小説とは違って文と絵、頭よりもむしろ視覚が優先されるのではないだろうか、と私は考える。小説は頭の中で無意識に考え自己のイメージが描かれ物語が進む。漫画はそのイメージを否定し考えさせない、故に視覚から頭に入りやすい。漫画はイメージしやすいから読みやすいと言う人が多いが、それは他のあらゆる情景を否定して固定観念に捕らわれるのと同じでしかないというのに、文章が廃れ行くのは哀しいものだ。
正直、私は漫画が好きではない。この漫画に関して言えば嫌いと言っていい。端的に感想を言えば「人間のドロドロした感情になんて興味はないが、援交なんてものは忌諱そのもので触れるべきではない。男女の関係など吐き気がするだけで読みづらいし、原作で重要とされる部分が薄い感がある」つまり、人間のドロドロした感情や重要なページは印象に残らず、見たくもない場面こそが吐き気がするほど印象が強い。思い返してみても、やはりそういったシーンが多い気がしてしまう。意味の無い読み方だと言う事なかれ、私は漫画の短所に引っ掛かり、そして混濁してしまったのだ。
とは言っても、漫画の主人公である青年の思考や行動は終始興味深いものだった。例えば女子高生を殺すと計画した当初、その女子高生を「空き缶」に置き換えたことだ。まさか空き缶ですら生きていると人工物にまでアニムズムを唱えたわけではあるまい。空き缶は無生物であり自ら動くことはないが人間は生物だ。襲われれば逃げもするし抵抗だってする。得物を振り上げてどう動くかなんて、相手の思考回路が他人の自分が分かる筈もない。想定外の反撃だって命が係っていたら分からない。なのに、最初青年は頭の中で何度も女子高生を殺したのだ。
「インテリが頭で考えたものなんて結局この程度のことさ。結局お前は肚を据えて向き合うことが出来なかったんだ。お前自身の中のドロドロとしたものと自分自身の欲望を――正面から受け止める度胸がなかった。人殺しの心理なんて後ろ暗いものを背伸びして書きたがるくせに自分の中の暗い欲望にはフタをして目を逸らせてる。その欺瞞を捨てない限りお前は何も書けやしないだろうな。」
青年は思い出せなかったのだろうか、青年の性質を決定付けた男の言葉を。女子高生と男の姿が重なった時があったというのに思い返さなかったのだろうか、電話口で聞かされた恐ろしく適切に語られた自己を。事実、青年は想定外に発生した目撃者を殺し、最大の目的であった金は使えず、苦悩に押し潰されそうな日々を過ごしている。青年の起こした事件は書けない頭で練った計画故に現実を見失い、贖われるはずの流血は逆に大きな罪になったのだ。私はそう考える。
原作を少しかじった程度(青年が母から手紙を読み終える所まで)の私だが、なるほど確かに重複している。だが、漫画の中で描かれる物語は原作の時間を無視して交差している。例えば、原作の序盤で出てくる酒盛りに居た酔っ払いは、漫画の中ではやはり酔いどれに違いはないが出てくるのは青年が人を殺した後だ。他にも沢山の細やかながらも大きな原作との違いがある。この差異が今後、漫画の『罪と罰』にどのような影響を与えるかは実に気になるところである。個人的に漫画は嫌いだが比較するとなると随分面白い。こういった所が落合氏の読者を引き付ける技なのだとしたら恐れ入ったものだ。

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