2009
03.12

『清水正・ドストエフスキー論全集』第4巻

『清水正・ドストエフスキー論全集』関係

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『清水正・ドストエフスキー論全集』第4巻は四月に発売
付録の栞は
近藤承神子… 「るうじん」のこと
校條剛……… 清水宴会
此経啓助……続・「あちら側」のドストエフスキー論
下原敏彦……伝説は終わらない
五十嵐綾野…清水先生は熱い
浅沼璞………山脈への覚悟
下原俊彦氏の文章を紹介する。


伝説は終わらない
下原敏彦
 08年11月22日土曜日、この日、朝から我が家の電話が何回も鳴った。既に還暦を過ぎた夫婦二人だけの家。普段、電話はあまりない。それが、この日の朝に限って、たてつづけに五人の人がかけてきた。男性二名、女性三名である。振り込め詐欺でもマルチ商法でもない。全員、よく知っている人たちだった。男性の一人は、近県の市役所に勤める中年の市職員。もう一人は都下の老人施設で働く若い介護士。女性の一人は、八十歳を越えた元書道の大家というご婦人。あと二人は、中年の主婦。
 電話をかけてきた人は、全員池袋の芸術劇場小会議室で偶数月に開いている「ドストエーフスキイ全作品を読む会」の参加者だった。彼らの要件は、たいてい開催日の確認である。が、この日は、そのことではなかった。彼らは、異口同音に
「今日、ドストエーフスキイの会の例会がありますか ? 」と、たずねた。
 この日、夕方六時からドストエーフスキイの会が開催する例会があった。が、電話をかけてきた人たちは、ほとんどこの例会に出席しない人たちだった。
「ええ、ありますが・・・」
電話のたびに私は、曖昧に返事した。質問の意図がよくわからなかった。
 すると、皆は、ハンで押したようにこう確認した。
「報告者は、清水正さんですよね ? 」
「そうですよ。『罪と罰』のマンガ論を報告するそうです」私は答えた。
 とたん皆は、勇んだ口調で
「今日の例会には、行きます !」と、参加を告げて受話器をおいた。
 電話をかけてきた人たちは、直接には清水正氏を知らない。にもかかわらず、わざわざ電話で確認して参加の意志を伝えてきたのはなぜか。本全集をはじめ、これまで刊行された膨大な氏のドストエフスキー論を目にしているからか、読んできたせいからかも知れない。が、一口で単にファンだからと括れないものがある。ある面そこには、実際的なものだけではない何かがある気がした。たとえば、もっと他の超自然的なものに突き動かされての行為からか。伝説からではない生身の清水正を見たい。清水氏の話を直接に聴きたい。受話器の向こうにそんな熱い神秘的欲求を強く感じたのである。
 清水氏報告への期待は、彼ら読書会参加者だけではなかった。ドストエーフスキイの会の会員たちのあいだでも、注目された。氏を知る人も、知らない人も、その話術や風貌に思いを馳せた。(昔、氏はラスコーリニコフ風、スタヴローギン的がもっぱらの風評だった)「清水正氏、来たる!」は、時を待たず、口コミや連絡メールで話題になっていた。
 ドストエーフスキイの会は発足してから四十年になる。高度成長、バブル、そして平成の大不況。会は時代の荒波にもまれながら続いてきた。例会では、研究者はじめ多くの市民の報告があった。今日、空前のドストエフスキーブームといわれる。が、例会においても何度か隆盛があった。それだけに、「ドストエーフスキイの会」の例会に関わった人たち(大げさに言えば、日本中のドストエフスキー好きの人たち)にとって会存続の四十年の歳月には、様々な思い出がある。会場を沸かせた故埴谷雄高氏、ソ連崩壊時後の光景を伝えた故江川卓氏講演、最後まで研究者と市民の融和を訴えつづけた故新谷敬三郎氏。彼らの報告は、伝説となって、直接に聴いた人たちの記憶のなかにキラ星のように輝いている。が、それらは、もはや伝説の域をでない。現在の会員にとっては、遠い過去にあった輝かしい出来事。そう記されているのを目にするのみである。
 明治、大正、昭和、そして平成。この時代の流れの中で幾多のドストエフスキー伝説をみた、きいた。例えば萩原朔太郎の叫び、小林秀雄の論評などなど。だがしかし、伝説は、常に時とともにかび臭い古本の中で忘れられていく運命にある。現在、亀山郁夫氏がうち立てた新訳『カラマーゾフの兄弟』100万部のベストセラー。この輝かしい記録もやがては伝説として語られ、そしてしだいに忘却の彼方に失せていくに違いない。
 去りゆく数々のドストエフスキー伝説。そのなかにおいて清水正伝説は、異彩を放っている。いまなお褪せることのない輝きを見せている。その光は、常に新しい読者の道を照らしつづけきた。冒頭に書いた例会をめぐるエピソード。「清水正氏、来たる !」に胸躍らせた人たちからの電話。それが今尚、清水伝説健在なりを、教えている。
 これまでに語り尽くされた感もある清水伝説。すべては三十九年前のあの日あの時からはじまった。一九七○年六月十日午後六時、所は新宿・東京厚生年金会館。ドストエーフスキイの会が開いた第九回例会だった。報告者は、清水正氏。まだ大学生だった。氏は、やせ細った長身長髪の容姿と報告した「『罪と罰』と私」で、満席の参加者の度肝を抜いた。残念なことに私はまだドストエフスキーと邂逅していなかった。それ故、その場面を目撃することができなかった。伝説の発端を記録し紹介したのは、会場にいた近藤承神子氏だった。近藤氏はそのときの会場の雰囲気を端的に捉え会の会報に傍聴記として発表した。「会報No.10」に掲載された「第九回例会印象記」がそれである。
「…会衆の神経はそれらに触れてピリピリ震えている。彼の大変な〈居直り〉にたまりかねた会員の一人が、とうとう中断を申し入れ、司会者をあわてさせた。…」
 報告者清水氏と、参加者の張りつめたスリリングな様子が伝わってくる感想だ。この傍聴記が、その後、伝説となってドストエフスキー読者たちに語り継がれていくことになった。そうして、その伝説は、時を経るごとに一層の神秘的輝きを醸し出していく。なぜ、清水正伝説は、現在として生きつづけているのか。その原動力は、氏の尽きないドストエフスキー評論にある。本全集をはじめ、氏がドストエフスキー論を刊行するたびに伝説は、更に新しい伝説となって語り継がれていくのである。まさに終わりなき伝説である。
 あれから三十九年。清水氏は、変わることなくドストエフスキー論をつづけている。そうして、その記念碑たる『ドストエフスキー全集』10巻刊行に挑戦している。これこそまさに新たなる伝説の創造である。その意味で清水正氏は、ドストエフスキー伝説をつくりつづける男といえる。氏の伝説は終わらない。
 先日、清水氏から、氏の伝説をつくった人。傍聴記を書いた近藤承神子氏に久しぶりに会ったと聞いた。不意に会ってみたくなって電話したのだという。近藤氏は、あのあと例会とも会とも縁遠くなっていた。むろん私は、近藤氏を知らない。
「定年退職していたが、元気にしていたよ」
清水氏は、しみじみした口調でそうつぶやいた。
「そうですか、よかったですね」
私は、そう答えるしかなかった。が、二人の間になにかあたたかなものを感じた。

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