マンガ論

マンガ論【学生の声】

【マンガ論第4回目。「チーコ」に続き、つげ義春の作品を取りあげる。今回は「海辺の叙景」をテキストに授業が展開された。一コマ一コマをじっくり解体し、再構築する。そして、最後にタイトル「海辺の叙景」について改めて考える、という形で授業は進んだ。なお、「海辺の叙景」の授業は今回のみ。】
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出席者85名中16名
自分で読んだ後、授業を聞いた後、本当に見方が変わってきます。すごいなあ。(福井朋之・文芸学科1年)
つげ作品は以前に読んでいましたが、ここまで深い意味があるとは思いませんでした。海辺を“かいへん”というよむのは怪変という意味もあるからでしょうか?(土谷麻人・デザイン学科3年)
まったく思いもしなかった話の読み方でびっくりしました。特に主人公が死んでいたというのは想像もしていませんでした。(茂木愛由未・文芸学科2年)
今回の作品はチーコよりもよりしずかに進み、なかなかシュールなおわりかたをしていてどんな読み方ができるのかとたのしみにしておりました。しかし遺影・岩の父・海の母・魚の子供のかいしゃくは本当におどろきました。たのしかったです。(飯田佐絵子・デザイン学科3年)
今回の話に限っては、深く読みようがないと、正直思っていました。まさか、青年が死んでいたとは驚きました。(丸山貴子・文芸学科6年)
遺影の話にはかなり驚きました。最後のシーンで女が傘まで奪っているのも印象的でした。(鶴見愛・文芸学科1年)
最後のページを見て、なんとなくあの男が死ぬような気はしていたけど、まさか遺影があったとは…。驚きでした。あの男は何故女が履いていたパンツを履いていたんですかねえ。(中西樹・放送学科1年)
ボート小屋の遺影の発見は驚愕した。最初に読んだときに、最後の場面がとっても、どんよ〜りして、こわいなあとなにかの暗示かなと思ったが、やっぱり…。チーコより不気味に思えた。


今日は新しいマンガを読みました。無声音なコマが多く、言われると気付くけれど、自身ではなかなか発見しづらいものだなあ、と感じました。(河原木咲・映画学科1年)
釣り上げられる魚と土左衛門の話の強烈な印象を受けた後、ラストを読むとひっそりと伝わる何かの不気味さ。男の死によって三つのことがつながった時マンガの深さを味わった。(長谷山真理子・映画学科1年)
今回の作品は何だか深い作品だと思いました。先生の仰った通り、「死」という裏設定にはハッと気付かされました。考えてみれば、最後のクロールのシーン、後ろの波と形が似ていてそのまま男も海に呑まれて消えてしまいそうだと思いました。(髙井らら・文芸学科1年)
マンガ論がどんな雰囲気か見てみたくて出ました! おもしろかったです!(榛葉あすみ・文芸学科1年)
遺影! 気付かなかった! 確かに遺影に見える… そしてこれを読むと、無性に四国(シコク)に逝きたくなる…(森一樹・文芸学科1年)
母胎回帰とか青年が実はすでに死亡しているとか魚が青年とか女景とか本当に奥の深いマンガだなと思いました。そんなことに気付ける先生がすごいと思います。全く読みとれませんでした。(東真己子・演劇学科2年)
にぎやかな海の場面でも主人公と女の顔しか出ていなくてさびしくて不気味な印象を受けた。淡々と描かれているようでも、遺影や母胎回帰が隠されているのには驚いた。(永島糧・放送1年)
先生の解説を聞いているとよく、ゲーテの「世界は万物のメタファーだ」という言葉を思い出します。僕は映像コースの学生なので、将来的には「言葉(セリフ)による直接理解を求めるもの」より、「視覚(映像)による間接理解を求めるもの」を造っていきたいと思っています。そういう意味で、つげ義春さんのマンガはとても勉強になります。次回も楽しみにしています。(竹内隆志・映画学科1年)

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