悲劇のヒロインにふさわしいチェリン
ジュンサンは頭脳明晰でクール、少し拗ねたようなところが魅力となっている。ジュンサンの魅力にまず虜になったのがオ・チェリン(パク・ソルミ)である。チェリンはユジンと違って自己主張が強い。自分の思ったことはすぐ口に出すし、そのことで相手が傷つくことを少しも恐れない。チェリンは自分の美貌に自信があり、どんな男も自分の魅力にまいっていると思っている。ジュンサンが科学高校から転校して来ると、一方的に〈つきあう〉ことを宣言する。この時点では、チェリンはユジンとジュンサンの密かな〈繋がり〉に気づいていない。否、気づいていても、チェリンのような女性はそのことに知らんぷりを決め込む達人なのである。
ユジンとジュンサンは何回かのデートを続けるうちにお互いにひかれあう仲となる。観客の誰もが、二人の運命的な出会いと結びつきを確信する。が、二人の純愛だけではドラマは成立しない。二人の愛と結びつきに、第三者の介入があって初めてドラマはハラハラドキドキの展開を開始する。このドラマにおいて、第三者は〈悪役〉ではない。ユジンの幼なじみでクラス委員のサンヒョクがユジンとジュンサンの間に柔らかな感じで介入する役目を負うことになる。先に指摘したようにサンヒョクは〈体制〉そのものと言っていい。サンヒョクは両親や友達を大切にする好青年である。彼こそは古き良き儒教的家族主義の継承者である。学校においてはクラス委員を務める優等生で、強いて言えばどこにも欠点を見いだせないことが欠点であるような青年である。サンヒョクはユジンを好いている。ユジンもまたサンヒョクを好いている。しかしこの好感は恋や愛とは違う。ユジンの心を丸掴みにしたのはジュンサンである。
ユジンは自分の思いをストレートに表現しない。そこに叙情が生まれ、二人の関係性に濃密度を加えることになる。激情型のチェリンはすぐにジュンサンに自分の気持ちを伝えるが、その余りにも一方的、傲慢な接近はジュンサンの反感を買うだけに終わる。チェリンは○×式の感情で相手に接する。チェリンは相手を支配しようとし、それに失敗すると怒りまくる。ユジンはチェリンとは対照的で、よく言えば柔軟性に富み、悪く言えば曖昧で思わせぶりである。チェリンには嫉妬や憎悪の感情がつきまとい、ユジンには余韻のある叙情が漂っている。
このドラマの一つの見どころとしてチェリンの激しい性格とユジンの柔軟な性格の絡みがある。このドラマで激情型のチェリンは柔軟型のユジンに勝利を収めることができなかった。ジュンサンも、そして十年後に現れたイ・ミニョン(ぺ・ヨンジュン)もチェリンはユジンに奪われてしまう。まさにチェリンこそが悲劇的な女性に相応しいと言えよう。
もしチェリンがユジンの〈柔軟性〉と〈曖昧性〉の欺瞞を鋭く暴き出すような批評とイロニーの刃を備えていたなら、このドラマの主役の座をかち得たことであろう。