韓国ソウルで『冬のソナタ』を読む

韓国ソウルで『冬のソナタ』を読む(3)

純愛の力
 ユジンやジュンサンに伝統的な因習、慣習、秩序を乗り越えていこう、という気持ちはない。彼らは体制に対して特に賛成もしないし反抗もしない。彼らが唯一、興味があるのは相手の気持ちである。ユジンはジュンサンが好きだし、ジュンサンはユジンが好きである。しかし、二人は自分の気持ちをストレートに伝えることはない。遅刻して、学校の塀を乗り越えさせる場面や、二人して並木道を歩く、そういったなにげない場面を通して、二人の純愛は育まれていく。何か気恥ずかしい思いさえする純愛であるが、それを徹底させることで観客を納得させてしまう力がある。
 
韓国と北朝鮮の緊張関係は依然として続いているが、もはや熱い政治的季節は終わってしまったかのようだ。政治的次元での正義など誰も信じてなどいないだろう。そしてさらに、現代人は宗教的次元での正義も信じてはいないように思える。崇高な理想を実現しようとして、結局、人類は愚かな戦いを繰り返してきた。現代人は情報社会の中で、即座に世界で起きている様々な情報を入手することができる。多くのことが相対化され、絶対的な真実や正義の概念が崩れてしまった。いったい、何を信じて生きていったらいいのだろうか。
 宮崎駿は『天空の城ラピュタ』や漫画版『風の谷のナウシカ』において〈愛〉の幻想を徹底的に破壊つくした。そのことを宮崎駿ファンの多くが見逃しがちであるが、『天空の城ラピュタ』のシータとパズーが世界破滅の呪言を二人して唱えてしまったことを忘れてはならない。シータとパズーの二人の〈愛〉は〈幻想〉でしかなかった。つまり現代においては、〈愛〉すら信ずるに値するものではなくなったのだ。にもかかわらず、『冬のソナタ』の純愛に多くの観客が夢中になるのはどういうことであろうか。
 愛すら幻想であることを知った上での熱中であろうか。要するに人は、何らかの〈幻想〉なしにき生きてはいけないということであろうか。
 『冬のソナタ』の〈純愛〉は、〈過去〉の想起であり、決して〈現在〉を舞台にしているようには思えない。『冬のソナタ』を見て、多くの人は郷愁に誘われる。自分にもまたユジンとジュンサンのような〈純愛〉があったのだと思い、自分の過去の体験と重ね合わせることで感動し涙するのだ。日本の多くのご婦人方がツァーで韓国に押し寄せるのも、〈現在〉の愛を求めてのことではない。彼女たちは、それが〈幻想〉あり、〈過去〉の出来事であり、求めても決して手に入ることのない〈純愛〉であることを知っている。知っていながら、せめてジュンサン役のぺ・ヨンジュンに会いたいと思うのだ。なんともせつなく滑稽な事態である。
 上(理想)を見るのはよそう。しかし下(絶望)に落ち込むこともない。目の前に存在する、一人の他者をきちんと愛せたら、それでいいではないか。『冬のソナタ』を見ていると、ユジンもジュンサンも〈理想〉や〈絶望〉とは無縁な存在に見える。彼らは社会に対して何の不平不満も持っていない。否、そんなことはありえないはずだが、そういったことを彼らはドラマの中で前面に押し出すことはない。ユジンの父親はすでに死んでいて、彼女は母親の手によって育てられた。ジュンサンもまた、父の存在が不明で、ピアニストの母親によって育てられた。つまり、彼らは等しく父不在の家庭に育てられた。従って
、彼らの最大の問題は不在の〈父〉を探すことにある。
 〈父〉とは単に家族の一員としての父親のことのみを指しているのではない。この〈父〉はやはり、人生の指針を示すことのできる指導的役割を担った存在の隠喩でもある。現代において〈正義〉と〈真理〉を体現する〈父〉の存在は失われている。かつては存在したはずだが、いつの間にか行方不明となってしまった〈父〉を探すこと、それがユジンとジュンサンに与えられた使命だとすれば、このドラマもそれなりに深みをおびたものになろう。が、全編を見おわって、このドラマにこういった壮大深遠なテーマが隠されていたようには思えない。
 ユジン、ジュンサン、サンヒョクといった三人の主人公格の中で、両親が健在なのはサンヒョクのみである。サンヒョクの父親は数学の大学教授キム・ジヌで、ジュンサンが彼を訪ねてきた時、この青年が自分と何らかの関係を持った存在であることを直観する。観客には、キム・ジヌが実はジュンサンの父親ではないかと思わせて話を進めていく。こういった思わせぶりな話の進め方はメロドラマの常套戦略である。
 ユジンの父親チョン・ヒョンスは、実はジュンサンの母親カン・ミヒとも関係があり、ジュンサンはチョン・ヒョンスの子供でもあったことがドラマの最後の方で明らかになる。つまりユジンとジュンサンは父親を共にする兄弟であったということになる。日本語で〈兄弟〉と書くと兄と弟のようで変な感じがするが、要するにユジンとジュンサンは母親を異にする双子のような存在であったということになる。
 この二人が〈不在の父〉の謎を解くために、純愛メロドラマの渦の中に投げ込まれたといってもいい。
 チョン・ヒョンスはどういう男だったのか。ユジンの母とジュンサンの母を同時に愛したこの男は、結局何の責任もとらないままに病死する。彼の子供二人(ユジンとジュンサン)は〈母〉の存在に委ねられる。〈父〉が不在となった時、子供は〈母〉に委ねられるのだ。〈母〉に委ねられたユジンはいつも〈バス〉に乗り遅れまいと走り続け、遅刻の常習犯となる。ユジンは正面切って〈母〉に反抗する子供ではない。ジュンサンは不在の父の謎を解こうとして彷徨っている。母のカン・ミヒは息子に父の正体を隠しつづける。ジュンサンは母を信頼せず、反抗し続ける。二人の関係はいつもギクシャクし、二人ともに孤独である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です