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「文芸批評論」卒業生課題レポート(平成21年度)
「文芸批評論」講義の後、江古田の居酒屋で。穴澤さんと菊池さん。
テキスト『悪霊』の解体と再構築についての考察
映画学科4年 菊池 舞子
ドストエフスキーの『悪霊』と、清水正先生の著作『ウラ読みドストエフスキー』を読んだ。これから私の考察による、批評家・清水正のテキストの解体と再構築について思うところを述べたいと思う。
まず『悪霊』だが、随所に込められたタブーの要素を表面上読み取ることは他の一般の読者と同様に、私もできたことと思う。ニコライの罪の告白によるところの少女マトリョーシャへの性的虐待行為や、ステパンから生徒ニコライに対する異様な信頼とそれに伴う行動(ホモセクシャルな匂い)、シャートフ夫妻に代表される神の存在を信じる者たちの無残な死によって表される神の存在否定など、『悪霊』にはテキストの表層部分だけでも十分感じ取ることができる文学作品の“面白さ”が溢れている。
“面白さ”というのは人それぞれ、読者それぞれ様々あるが、『悪霊』は文学作品における物語のドラマ性や、事件の意外性、登場人物たちのキャラクターやその相関図など、ただの読み物として一言でいえば「エンターテイメント性」というところでも十分すぎる満腹感を読者に与えてくれる作品である。
しかし、清水正はこの作品の読者を、そのような一時の読書体験に留まらせておかない。テキストのもっと奥深くに眠らされている、さらに興味深いエンターテイメントの世界に気付かせる。いや、気付かせるだけに留まらず、その世界のもっと深く深くへと読者をとらえて引き込んでいくのだ。
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