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清水正の遠藤周作論(7)「信仰と母」
遠藤周作は「ひとつの小説ができるまでの忘備ノート」(「三田文学」二〇〇一年十一月)の中で〈私の祈り〉と題して「主よ、母があなたを信じましたので、私も母に賭けます」(一九八二年二月二十五日)と書いている。この言葉に遠藤周作の信仰のすべてが現れているように思う。遠藤周作の小説家としての仕事、それはだぶだぶの洋服を自分の体に合った和服に仕立て直すという信仰上の問題でもあったが、要するに母が信じた神に賭けたということにつきる。遠藤周作にとって母は神との出会いを用意してくれた仲介者であるが、同時にそれ以上の存在でもあった。
わたしはこの遠藤周作の〈祈り〉の言葉を聞いて、すぐに『罪と罰』の最後の場面を想起した。二人の女の頭上に斧を振り下ろして殺害したラスコーリニコフは、シベリアに流されてまでも〈罪〉(грех)の意識に襲われることがなかった。しかしこのラスコーリニコフに復活の曙光に輝く瞬間が訪れる。早朝六時、川の岸辺に労役に出掛けたラスコーリニコフは丸太の上に腰を下ろして、荒涼とした広い川面を眺めている。そこへ不意にソーニャが音もなく現れ、並んで腰をかける。しばらくして、突然ラスコーリニコフはソーニャの足元に身を投げ、泣きながら彼女の両膝を抱える。ソーニャはその場からはね起き、激しく怯えながらラスコーリニコフの顔を見つめる。ソーニャはすぐにすべてを理解する「彼は私を愛している、限りなく愛している」と。作者は「二人を復活させたのは愛だった」と書いている。
この日の夜、一つの考えがラスコーリニコフの頭をかすめる「今や、ソーニャの信念はわたしの信念となっていいはずではないか? 少なくとも彼女の感情、彼女の願望は……」と。作者ドストエフスキーは「しかし、ここにはすでに新しい物語が始まっている。それは、一人の人間が徐々に更生していく物語、彼が徐々に生まれ変わり、一つの世界から別の世界へと徐々に移っていき、これまで全く知ることのできなかった新しい現実を知るようになる物語である」云々と書いて『罪と罰』の幕を下ろした。
遠藤周作は母から与えられた〈だぶだぶの洋服〉を〈自分の体に合った和服〉に仕立て直す〈仕事〉を通して〈新しい現実〉を知る努力をし続けたのではなかったろうか。
今、ここで遠藤周作の信仰を『罪と罰』に則して詳細に検証するつもりはない。ただ、ラスコーリニコフがソーニャへの愛を通して信仰の道へと踏み込んで行ったように、遠藤周作は母への愛を通して〈キリスト者〉への道を決意したことだけは確かに思える。