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林芙美子の文学(連載143)林芙美子の『浮雲』について(141)
『清水正・ドストエフスキー論全集』第四巻(右)
私家版限定五十部・装丁とあとがきが全集版と異なっている
林芙美子の文学(連載143)
林芙美子の『浮雲』について(141)
(初出「D文学通信」1347号・2009年12月31日)
清水正
ゆき子は「私たちって、行く処がないみたいね」と呟く。
二人は〈行く処がない〉という共通の思いを抱いて、今、
ガード下の中華料理店で向き合わせに腰を掛けている。
ゆき子は「私たちって、行く処がないみたいね」と呟く。二人は〈行く
処がない〉という共通の思いを抱いて、今、ガード下の中華料理店で向き
合わせに腰を掛けている。このゆき子のセリフでふと脳裡に浮かんだのは
ロジオンがソーニャに向かって発した言葉である。ロジオンは非凡人の思
想に憑かれ、悪魔の誘惑に唆されたかのように二人の女の頭上に斧を降り
降ろした。ソーニャは一家の犠牲になって淫売婦に身を堕とさざるを得な
かった。ロジオンはソーニャに向かって「お前もやっぱり、踏み越えたん
だよ……踏み越えることができたんだよ。お前は自分で自分に手をくだし
た。お前は一つの生命を滅ぼしたんだ……(略)ぼくらふたりはいっしょ
に同じ道を行くべきなんだ! 行こうよ!」と言った。殺人者ロジオンの
言葉は、娼婦ソーニャの胸にどのように響いたことであろうか。
ロジオンはソーニャの指示に従って警察署に自首した。ロジオンの〈踏
み越え〉のドラマは〈殺人〉から始まり、〈ソーニャへの告白〉〈大地へ
の接吻〉〈警察署への出頭〉そして最終的には〈復活〉へと至った。作者
ドストエフスキーはエピローグにおいて、一人の殺人者と一人の娼婦が愛
によって復活したのだと断言した。ロジオンとソーニャにはキリストへの
道(信仰による新たな生活)が用意されていたのである。ところが、ゆき
子と富岡には文字通りの意味で〈行く処〉がない。強いて言えば〈心中〉
だが、富岡はゆき子を死の道づれにするほどの情熱がない。ゆき子もまた
パンパンという生き方に足を踏み込んでしまっており、富岡との心中など
思いをつかない。富岡は死を不断に考えながらおめおめと生き延びていく
男であり、ゆき子はどんな状況下に追い込まれても、逞しく生きるエネル
ギーを残している。
「何時、引越しですか?」
「家族のものは引越しちゃったよ。今度の正月は、がらんとした空家で
おくるンだ……」
「あら、一人で?」
「細君は残るだろう……」
「なあンだ、おのろけね……」
ゆき子は、子供のように、がっかりしてみせた。やがて酒が運ばれて
きた。(255 〈二十三〉)
この場面を見るかぎり、もはやゆき子は富岡の細君にそれほど嫉妬を感
じていない。作者は「子供のように、がっかりしてみせた」と書いている。
〈みせた〉とは、すでに演技である。ゆき子は、〈がらんとした空家〉で
富岡が邦子と一緒に過ごそうと、初めて邦子と会った時のような激しい嫉
妬にかられることはない。ゆき子にしたって、小舎でジョオに抱かれてい
るのだ。ゆき子にしてみれば、今更、自分だけが富岡に嫉妬を覚えるのも
おかしいという気持ちもあったに違いない。
運ばれてきた酒を飲んで、富岡とゆき子の心にどのような変化が生じる
のか。この二人は酒を飲みはじめると人格が変わり、日常の気分からすぐ
に逸脱する傾向を持っている。富岡のように弱い男は酒の勢いを借りなけ
れば、冒険心を起こすことはできない。ゆき子は富岡のそういった性格の
弱さも、ずるさも十分に知った上で関係を続けている。
「加野の住所が判ったンだよ。逢ってみるかい?」
「あら、住所が判ったの? どこにいらっしゃるの?」
富岡は小さい、メモを出して、ぱらぱらとめくりながら、自分の名刺
の裏に、加野の住所を鉛筆で書いて、ゆき子に渡した。
「あら、小田原にいらっしゃるの?」
「おふくろといっしょだそうだ。まだ、独りでいるらしいね」
ゆき子はらんらんと光った眼で、富岡の意地の悪さに反撥してみせた。
そのくせ胸の奥では、仏印で別れたままの加野へ対して、逢いたさ、なつ
かしさが燃え上って来た。 (255 ~256 〈二十二〉)
二人の間で調和的な恋愛関係が続けば、待っているのは退屈だけである。
恋愛はいつも危機的な状況下にあって初めて刺激的である。二人の関係の
調和にひび割れを起こす第三者の登場があって、男と女のドラマは生き生
きとダイナミックに展開されることになる。ダラットでの富岡とゆき子の
関係に刺激的役割を果たしたのが加野である。富岡はゆき子と自分の関係
にスパイスとしての加野が加わることを意識下において歓迎していた。加
野をそういったスパイス役として尊重していたのは富岡だけではない、ゆ
き子もまた加野をしたたかに利用することを憚らなかった。
三角関係に焦点を絞れば、富岡、ゆき子、加野ばかりではなく、富岡、
ニウ、ゆき子の関係も前者に劣らず興味深い。しかし、作者は読者の注意
が拡散するのを恐れてか、後者に関してはほとんど具体的に触れることは
なかった。否、前者の関係ですら、加野が富岡に刀で切りかかるという修
羅場を現在進行形のかたちで描くことはなかった。ただし、加野の性格は、
彼が山林から事務所に戻ってきた当日、初めて会ったゆき子に慾情し、部
屋で酔って暴れた、あの日一日の描写だけでも十分だと言えないこともな
い。
今、なぜ富岡は加野のことを話題にするのか。富岡は今、ゆき子と二人
だけで話さなければならないことを話す覚悟ができていないからである。
妻の邦子と別れることのできない富岡が、ゆき子に話せることと言えば別
れ話の他にはない。約束を反故にした富岡が、ゆき子に慰謝料をどれだけ
どのような形で支払うか、それ位の話しか富岡には残されていない。しか
し、富岡は初めて訪れたゆき子の小舎で微妙な心の変化を味わった。ゆき
子が富岡以外の男と関係したことで、富岡に再びゆき子に対する執着が生
じた。今度は富岡がゆき子を追うことになった。富岡がゆき子と別れるの
ではなく、再び関係を続けようと思ったからこそ、性懲りもなくスパイス
役の加野のことを持ち出して、ゆき子の心に揺さぶりをかけたのである。
2009年12月31日
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