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林芙美子の文学(連載142)林芙美子の『浮雲』について(140)
『清水正・ドストエフスキー論全集』第一巻~第四巻
『清水正・宮沢賢治論全集』第一巻
林芙美子の文学(連載142)
林芙美子の『浮雲』について(140)
(初出「D文学通信」1346号・2009年12月30日)
清水正
富岡が焼きそばを頼み、一拍置いて酒を頼んだ時、
ゆき子は〈にやにや笑い〉をしながら、〈プラスチックの
緑色のハンドバック〉から〈外国煙草〉を出して富岡に
一本とらせる。この〈にやにや笑い〉は何を意味する
のか。
〈二十三〉を読む
渋谷へ出て、ガード下の中華料理へ二人は這入った。練炭ストーブの
そばの椅子に、差し向いに腰をかけた。青い炎が、蓮の穴からぽっぽっと
息を噴きあげている。客もない、がらんとした部屋の隅に、よれよれの白
い上着を着た給仕女が、三人ばかり立っていた。
ゆき子は、練炭火鉢の上に手をかざしながら、雨に濡れたマフラを金
網の上に干した。(255 〈二十三〉)
〈二十二〉は富岡とゆき子がひたすら雨の中を歩き続けるシーンに終始
した。テキストをゆっくり読んでいくと、こちらの方もまた冷たい雨に降
られながら、彼ら二人の思いに限りなく同化して行くような感じになって
くる。これは作者にも言えることだろう。作者は、富岡とゆき子の歩行に
添ってペンを運ぶ。どうしようもない虚無と絶望を抱えた富岡、その後を
ついて歩くゆき子が、内心どのような思いを抱いていたのか、作者は短い
会話や、彼らの眼差しが捕らえた光景、さらに沈黙を通して描いている。
読者は、彼らの発する言葉や見る風景を、その都度耳にし、眼にしながら、
歩調を合わせて歩むことによって、彼らの虚無や淋しさを共有する。
こういった読みを続けていると、富岡とゆき子がようやく渋谷にたどり
着き、ガード下の中華料理店へ這入って練炭ストーブのそばに腰掛けた時
には、彼らと同様にホッとする。冷えた躯の感覚があるから「青い炎が、
蓮の穴からぽっぽっと息を噴きあげている」ことに体感的な喜びを感じる。
林芙美子はこういった描写が実にうまい。売れる当てのない思い荷を背負
って何キロもひたすら歩き回った経験がなければ、こういったリアリティ
のある描写はできない。極端な言い方をすれば、富岡の〈虚無〉とか〈絶
望〉とか言ったところで、この練炭ストーブの〈青い炎〉にはかなわない。
「蓮の穴からぽっぽっと息を噴きあげている」この〈青い炎〉のリアリテ
ィの前に、富岡の虚無や絶望がどれほどのリアリティを持ちえると言うの
だろうか。
林芙美子の眼差しの確かさは、この練炭ストーブの〈青い炎〉をきちん
と描いていることにある。〈がらんとした部屋〉に、事業に失敗した惨め
な男と、パンパンに身を堕した淋しい女が這入って来ても、そこにはぽっ
ぽっと息を噴きあげている練炭ストーブが存在しているのだ。〈がらんと
した部屋〉に置かれた〈練炭ストーブ〉は、どんなに酷い状況下に置かれ
ても人間にはそこを生き抜く逞しさも備わっているのだという隠喩として
も存在している。少なくとも、ゆき子には敗戦後の混乱を身一つで生き抜
く覚悟が備わっている。雨で濡れたマフラは練炭火鉢の金網の上に干せば
いいように、ゆき子の躯の冷えも、淋しさも、〈練炭火鉢〉にかざせばい
いという覚悟ができている。
給仕女に注文を聞かれて、富岡は焼きそばを頼んだ。
「それから、酒を一本つけてくれないかね」
ゆき子は、にやにや笑いながら、プラスチックの緑色のハンドバッグ
から、外国煙草を出して、富岡に一本取らせた。
「私たちって、行く処がないみたいね……」
「うん……」
美味そうに煙草を吸いながら、富岡は、雨のなかをさまよい歩いて、
ひどく疲れが出ていた。速達を出したものの、別に話し合わなければなら
ない理由も、いまはない。 (255 〈二十三〉)
富岡が焼きそばを頼み、一拍置いて酒を頼んだ時、ゆき子は〈にやにや
笑い〉をしながら、〈プラスチックの緑色のハンドバック〉から〈外国煙
草〉を出して富岡に一本とらせる。この〈にやにや笑い〉は何を意味する
のか。店に入っていきなり焼きそばを頼んだ富岡を笑い、外国煙草を持っ
た自分の優越を何気なく誇示した結果なのか。酒よりも先に焼きそばを注
文した富岡は、雨のなかを長いこと歩いて腹をすかしていたのか。ゆき子
は、ダンディをかこっていた富岡が、庶民が好む〈焼きそば〉を真先に注
文したその滑稽を、可愛いと思ってにやにや笑いをしたのか。
〈焼きそば〉を頼む富岡と〈プラスチックの緑色のハンドバッグ〉から
〈外国煙草〉を取り出すゆき子、前者は事業に失敗して金のやりくりに四
苦八苦している惨めな男、後者は逞しく新たな道へと踏み込んだ女である。
もし、この場面を映画にするなら、富岡の〈焼きそば〉とゆき子の〈ハン
ドバッグ〉〈外国煙草〉をアップにして映し出しておく必要があろう。
富岡はゆき子の〈にやにや笑い〉に気づいていたのだろうか。富岡はゆ
き子に出された〈外国煙草〉を一本とって美味そうに吸っている。この煙
草はゆき子がジョオに貰ったものであるのかもしれない。が、富岡はそん
なことにはまったく頓着していない。富岡にはすでにプライドのかけらも
残されていない。ゆき子が高価なハンドバッグや外国煙草をどこでどのよ
うに手に入れたかなど関心の外にある。
富岡にとって問題なのは自分のことであってゆき子のことではない。富
岡は、自分と係わっている相手に対して想像力を十分に働かせることので
きない男である。相手の悲しみや苦しみに関して鈍感な人間とはいるもの
で、こういった人間はとにかく自分を中心にしてしか考えられない。日本
に引き揚げてくる時に、丸三年間も深い関係を取り結んだゆき子に結婚の
約束をし、それを反故にすることが相手をどれだけ傷つけるかということ
に関して、富岡の想像力は中途半端にしか働いていない。富岡は目先の欲
望に溺れ、十全な責任を取らずに逃げることしか考えない。卑劣で狡い、
自分勝手な男が富岡である。
2009年12月30日
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