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林芙美子の文学(連載135)林芙美子の『浮雲』について(133)
林芙美子の文学(連載135)
林芙美子の『浮雲』について(133)
(初出「D文学通信」1339号・2009年12月23日)
清水正
富岡はゆき子の欲求を拒んで、決定的な別れを果たそうと
していながら、ゆき子に逢いたいなどという手紙を出してしま
う。ゆき子は富岡の存在を忘れてまったく新しい生活を始め
ようとするが、突然の富岡の訪問によって再び心を乱される。
富岡は、御所の道に添って歩いた。ゆき子も黙って、富岡と並んで歩い
ている。
「仏印はよかったね……」
「あら、貴方もそう思っていらっしたの……。私も、い
まね、仏印の事を考えていたのよ。なつかしいわア……。あんなところ夢
ね。私達、夢を見ていたのよ。そうなのね……。夢を見てたンだわ。・・
・でも、夢にしても、貴方に逢ったンだから、不思議だわ……」
「あんな事もあったのかと、時々、思うだけのものさ……」
「あの時は、貴方だって、私だっていい人間だった
わ。自然な人間まる出しでね……」 「うん、それでも、本当の幸福じゃ
なかったのかも知れないね。そうじゃアないのかなア。いまね、この御所
を見ていて、急に、何だか、現在の方が幸せのような気がしたンだ。・・
やぶれたものの哀れさは、美しい。そう考えないかい? いまは、この建
物も、何に使われているのか知らないが、昔は御所だったンだよ、そのな
ごりが、そこここに残っていてさ。何となく、しみじみとするね」
ゆき子は、御所の土壁の塀を呆んやり見上げた。淡い土壁の匂いがし
た。富岡が感傷的になっているほどには、その気持ちについてはゆけなか
ったけれども、やっぱり、ゆき子にも、ものの哀れは感じられる。雨が降
って寒かったせいか、四囲の景色が、ひどく印象的だった。御所の横の、
広い道路を、ハイカラな、コバルト色の自動車がしゅんしゅんと走って行
った。
富岡は、自分の淋しさを咬む気持ちであった。何一つ、押しつける事
なく、この女に自然な死の道づれになって貰いたい気持ちだった。
今日まで生きて来て、何も彼も、国とともに喪失してしまっていると
言う感情は、背筋が冷い、この冬の雨のような侘しさだった。孤独な国の、
一人々々は、釘づけになっているようなものだと考える。いかなる戦争も、
やぶれてこそ、愛しく哀れでもあると思えた。やぶれた敗者の魂には、人
知れず、昔のファンタジーを呼びとめる何かがあるように、そのファンタ
ジーは、時々は、誰にも反省をうながすものであろう。・・富岡は、何も
考えていないような、単純な女の生活のファイトを羨みながらも、ひそか
に、その女の、平易な心の流れに不服なものを感じるのだった。女自身は、
何も欠乏してはいないのだと、富岡は、ふっと、自分のそばに、寄り添っ
て歩いているゆき子を見降した。怖ろしい事には、この女に限らず、どの
女も、長い戦争の苦しみを、通って来た痕跡を、少しもとどめていないと
いう妙な発見だった。 (253 ~254〈二十二〉)
二人してダラットでの楽園の日々を思い出して懐かしがっている。ゆき
子は、富岡とのダラットでの悦楽の日々を忘れることができなかったから
こそ、富岡に執着した。富岡はゆき子に執拗に追い回されて、仕方なく肉
体関係を復活させるが、妻と別れてゆき子と一緒に暮らす気はさらさらな
かった。富岡の心が微妙に変化したのは、ゆき子の小舎を訪ねて、ゆき子
が華麗に変貌した姿を見てからである。
富岡はダラットでもそうであったように、もう一人の男の出現によって
妙な情熱に駆られる傾向がある。〈大きな真白な枕〉と〈ラジオ〉をゆき
子にプレゼントした外国人の存在が出現したことによって、富岡はすぐに
帰るところで帰らず、泊まっていこうという欲求さえ起こした。この欲求
は、侮辱と怒りを感じたゆき子に激しく拒まれ実現しなかったが、翌日、
富岡はすぐに速達を出して、ゆき子と逢いたい気持ちを伝えた。ゆき子は
富岡の要請を拒まず、約束に三十分遅れて四谷見付の駅について富岡に声
をかける。
富岡はゆき子の欲求を拒んで、決定的な別れを果たそうとしていながら、
ゆき子に逢いたいなどという手紙を出してしまう。ゆき子は富岡の存在を
忘れてまったく新しい生活を始めようとするが、突然の富岡の訪問によっ
て再び心を乱される。
感心するのは、林芙美子が富岡とゆき子の関係に作者の特権を振りかざ
して、その舞台に幕を降ろさないことである。執拗なのはゆき子ではなく、
作者林芙美子である。男と女がこんなにも執拗に、その関係を続けていく
ことができるのか。富岡はゆき子の執拗な追っ掛けにうんざりしていたの
だし、ゆき子はジョオと関係を結ぶことによって富岡から一歩も二歩も距
離を置けたはずなのである。こんな二人が、なぜ依然として関係を続ける
ことができるのか。なぜ、作者はゆき子の〈淋しい砂漠〉の世界に現れた
ジョオとの関係を詳細に描かないのか。ゆき子とジョオの濡れ場を具体的
に描けば、おそらく読者のゆき子に対する印象もだいぶ違ったものになっ
たことだろう。大陸的な豊穣さを持ったジョオに、ゆき子が情熱的にかか
わり合えば、二ヵ月余りで故郷に帰るジョオとの、日本における関係もか
なり濃密なものに変わったであろうし、二人してジョオの故郷に帰るとい
う可能性すら出てきたであろう。
しかし、すでに見ての通り、ゆき子は誠実で情熱的な独身者の加野より
も、若くて優しいジョオよりも、皮肉屋で毒舌家で、嘘つきで恰好つけで、
しかも決断力のない、惨めで図々しい卑劣な男富岡に誰よりも惹かれてい
るのである。ゆき子は、雨がしぽしぽ降り続ける、寒い年末の夕暮れ時に、
事業に失敗して、未来を喪失した哀れな男の後ろ姿を見ながら、水溜りの
道を引き返そうという気持ちを起こすこともなく、黙って付いていく。
この雨のなかをひたすら黙って歩いていく二人の姿を十分も二十分も追
跡して行けば、こういった〈愛〉もあるのだと思わざるを得ない。うざっ
たいほど執拗に追ったり追われたり、激しく罵ったり、暴れたりしながら
情交をかわし、離れたり付いたりを性懲りもなく繰り返す、そんな憎しみ
だか愛だか判別できないような、男と女の関係もあるのだということ、作
者林芙美子が描いているのは、そういった男と女の格闘の現場であり、こ
の舞台には微塵のきれいごとも許されていない。
2009年12月23日
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