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林芙美子の文学(連載99)林芙美子の『浮雲』について(97)


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レストラン・カフェ「おのみち芙美子」マスターの小森敏博さんと。尾道にて(2009.11.14)

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林芙美子の文学(連載99)
林芙美子の『浮雲』について(97)

(初出「D文学通信」1303号・2009年11月17日)
清水正


 何度も指摘するようだが、林芙美子は場面を構成する
一つひとつの物を丁寧に生き生きと描写することで、人物の
外的相貌はもとより、内面の光景をも鮮明に映し出すことに
成功している。

ここから続き


2009年11月13日(金曜)
林芙美子は細部をきちんと書いてくれるので、まるで映画を観ているよ
うに、人物の背景が鮮明に具体的に見える。三坪と言えば畳六畳の広さ、
そこに古い畳二畳が敷かれ、ゆき子は鍋釜、七輪、闇米、炭、炬燵などを
買い集める。〈金気臭い新しいニュームの鍋〉と書かれれば、すぐに鍋の
金気臭さが匂ってくるし、〈熱い飯に生玉子〉とくれば、子供のころ食べ
た卵飯の味が鮮やかに蘇って来る。

 何度も指摘するようだが、林芙美子は場面を構成する一つのひとつの物
を丁寧に生き生きと描写することで、人物の外的相貌はもとより、内面の
光景をも鮮明に映し出すことに成功している。敗戦直後の日本人にとって
〈白米の飯〉がどれほど有り難く、贅沢なものであったか。それを久しぶ
りにたらふく食べることのできたゆき子の満足感を、読者もまた共に味わ
うことができる。

林芙美子は食慾だけでは満たされないゆき子の女としての生理(性的欲
求)を的確に描いている。雨のように心に降りかかってくる〈淋しい感
情〉を持て余して、ゆき子は漠然と蒲団の縫い目を数えたり、荒く削った
木の壁をみつめたりしている。さりげない描写だが、ゆき子の孤独な姿は
鮮明に映し出されている。「ローソクの灯が壁板の隙間風にゆらゆらとゆ
れて、時々消えかける」という描写は、まさに現実世界の隙間風に吹かれ
て、命の火が消え入りそうになっているゆき子の衰弱し頽廃した人生その
ものの隠喩となって、読者の胸にひしひしと伝わってくる。

畳二畳を敷いただけの三坪の物置小屋でも、最低の暮らしはできる。現
に、ゆき子は〈小さい幸福らしいもの〉を感じてはいる。しかし、その
〈小さい幸福〉は、明日の生活を何一つ保証しない。ゆき子は物置小屋に
落ちついて、再び富岡に逢いたいという衝動に駆られる。ゆき子にとって
富岡は、なくてはならない存在と化している。いくら富岡に拒まれ、逃げ
られても、ゆき子は富岡を諦めることができない。

2009年11月17日

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