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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載36)
「中村一郎」空中散歩について
五十嵐綾野
ラジオドラマ「中村一郎」は1959年(昭和34年)に製作された。寺山修司が、シナリオ作家として活躍し始めるきっかけとなった作品である。
ラジオドラマは聴覚を対象としている。それにもかかわらず、いきいきとした効果音や音楽は鮮やかに視覚にうったえてくる力がある。「中村一郎」という作品は、冒頭で中村一郎が突然空を歩く場面から始まっている。誰ひとりとして気味悪く思わないようだ。やがて、中村一郎の名は全国に広がっていくようになる。
始めは、空を歩くという奇妙な光景は、市民にとって一つの事件であった。宣伝やデモではないかと騒がれ迷惑に思われていた。それが、いつの間にか人気者としてメディアの的になり、企業は自社の商品を身につけるよう強要するようになる。
空を歩く中村一郎は立派な広告塔になる。どんな看板もチラシも彼にはかなわない。中村一郎の身につけたものは「イチローカラー」や「イチローライン」と名付けられ大流行を生み出す。町に流れる流行歌は「イチロー狂想曲」でる。
市民の話題も、中村一郎の話で持ちきりである。それは、江戸川乱歩の怪人二十面相の「お天気の話をするかのように怪人二十面相の話をする」という噂話の広がり方と似ているところがある。本人とは無関係に「第二次空中歩行」の計画へと、どんどん進んでいってしまうのだった。どうしたら空を歩けるようになるかという問題より、どうしたら有名になれるかという問題になっている。
中村一郎はなぜ空を歩くようになったのだろうか。彼はどちらかと言えば冴えないタイプである。猫背でくたびれた印象だ。事実、彼は歩きたくて歩いたわけではない。失恋をして、ビルの高層から身を投げた。その試みは失敗し、結果大空を歩く羽目になったのだ。
つまり、突然奇跡が起きてしまったということになる。地上世界にいても地獄であり、空中世界にいても地獄である。そこには天国と地獄の関係性がない。突然、空を歩くことになってしまった中村一郎にとっては嬉しくない奇跡である。有名人になった途端に、失恋相手の女性が戻ってくるのも心から喜べるものではない。
天国を想像するときは空を見上げ、地獄を想像するときは下を見る。地上にいる人から見れば、空中を漂う中村一郎の世界は天国だ。憧れを持つこともある。空から地上を見降ろしたらどんな世界が見えるのか気になるものだ。天国があって地獄があるという相互関係は、どちら側に存在しても天国と地獄があることには変わらないということになる。天国だけがあるということはありえない。
寺山は「さかさま」が好きである。著書にも「さかさま」というタイトルがつけられた作品が多く存在している。裏表で一つであるように「さかさま」はひっくり返しても「さかさま」なのである。
失恋の苦しみと空中散歩の苦しみはどちらが大きいだろうか。中村一郎は最後に「幸福は平凡な毎日の中にしかないんだよ」と言いながら姿を消す。中村一郎は「空中散歩が出来る人」として生きていくこともできたはずである。ところが、彼は何の変哲もない普通の市民として生きていくことを選んだのである。有名や英雄になることを拒んだのだった。
中村一郎が「空中散歩が出来る人」として生きていったらどうなったか。悲しい結末になるかもしれない。流行というものはいつか廃れるものである。入れ替わり立ち替わり、新しい英雄が生まれていくものである。空中散歩ではなく空中を走りまわったり、踊ったりする人も出てくる可能性がある。
この作品は「中村一郎は実は、あなたのなかにもいるし、わたしでもあるのです。」と言う語り手の言葉によって終わる。これこそ寺山のメッセージではないだろうか。
2009年11月25日
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