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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載33)
境界線の存在
五十嵐 綾野
寺山修司には自我がない。だから寺山の中に境界線を探しても、それは絶対見つからない。寺山は生涯、境界線の無用さについて考え続けていたと思われる。例えば、寺山の短歌を思い浮かべてみる。そこには、どれも寺山でありながら、寺山ではない無数の「私」が存在している。
生きている母親を「亡き母」、逆に生きているかのように歌われている「亡き父」、いるはずのない「おとうと」といったものだ。自我などという殻はなく、変幻自在に姿を変えている寺山がいる。自我ですら時には他人であるという思想を貫き通すには、境界線は邪魔になる。
自分と他者の境目を越えて表現をすることを得意とした人間が、いつまでも俳句や短歌の世界に閉じこもっているわけがない。徐々に、境界線のないものへと表現のスタイルを変えていったことにもそれがあらわれている。
演劇や映画といった後期の活動は、海外で大きな評価を得ている。上演されると、現地の新聞で大きく取り上げられ、著名人からの絶賛を受けるなど日本では考えられないような人気ぶりであった。もちろん、すべて日本語での上演であった。言葉も国籍もやすやすと越えられたのだが、日本ではそれが上手くいかなかった。
「日本ではまだ早すぎた」「前衛すぎる」というような言葉は理由にならない。寺山の演劇はもともと、海外の影響をかなり受けている。だから、その演劇が海外で評価を得ることは当たり前なのかもしれない。
寺山のように境界線を考えないという演劇のスタイルが、それまでの日本における演劇の見方に合わなかったというのが一番の理由だろう。日本人はそれほど開放的ではない。寺山は役者と観客の間にさえ境界線を作ることを好まなかった。寺山や役者がどんなに境界線をなくす工夫をしても、観客が一線を引いたら何もならない。表現の半分を観客に作らせるという思いも、むなしさに変わる。観客は「観客」という殻から決して出ようとせず、ぬくぬくとした「安全地帯」から出ようとしなかった。
寺山は、このような「安全地帯」や境界線の中に閉じこもることに対して厳しく非難をしている。自ら境界線を作ってしまうことが、どれだけつまらないことかを繰り返し説いた。もどかしくて仕方なかったのだろう。出来ることは、出来るうちにする。これは、彼の生き方そのものだ。
やがて、寺山は劇場の外へと飛び出していく。市街劇の始まりである。1975年に市街劇「ノック」が上演される。観客が同時多発のゲリラ劇を求めて街をさまよい歩くというもので、いままでの演劇とは全く逆の作りである。寺山はついに、観客から劇に歩み寄らせるという、強硬手段を取ったのだった。最終手段と言ってもいいかもしれない。
ところが、市街全体を劇場化する試みは失敗に終わった。一般市民から抗議が殺到したのである。突然、なんの断りもなく劇が始まるということは、関係のない市民にとって迷惑行為でしかない。観客はチケットを買った時点で、虚構の世界に入っている。劇場は虚構を楽しむだけの施設でしかない。寺山が思っている以上に、観客は劇場を日常性から切り離していたのである。
「劇が生まれたとき、はじめて劇場が出現したと言うべきだ」と寺山は言う。劇場と観客、現実と虚構という境界線を越えようと作られた市街劇。出会いの偶然性を重視した寺山の戦略である。しかしながら、劇とは違った別の何かになるという皮肉の結果となった。
市街劇は、個々で動いているので、何がどうなったのかはわからない。はっきりしているのは「仕掛け人・寺山修司」だけである。寺山の知らないところで、どんどん独り歩きを始めているようだ。実験的な試みならば、成功か失敗かは誰にもわからない。許可なく市街で突然劇を始めたらどうなるかということは容易に想像できることだ。すべてが曖昧であるということは、もはや演劇というカテゴリーからも逸脱しているのではないかと思うのである。
2009年11月11日
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