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林芙美子の文学(連載112)林芙美子の『浮雲』について(110)
「喫茶 芙美子」 尾道にて(2009.11.14)
林芙美子の文学(連載112)
林芙美子の『浮雲』について(110)
(初出「D文学通信」1316号・2009年11月30日)
清水正
ロジオンは最終的な〈復活〉へ踏み越えていくために、最初の
〈踏み越え〉(殺人)を行った。この行為はロジオンの意志を超
えて、ある神秘的な力が作用していた。ロジオンの〈踏み越え〉、
殺人から復活へと至るその〈踏み越え〉には悪魔と神の共同の
意志が働いていたようにしか思えないところがある。まさにヨブ
への試みがそうであったようにである。ゆき子が買い求めて来
た〈新しいローソク〉には何ら宗教的次元での意味はない。ゆき
子は富岡に再生してもらいたいなどという思いはない。
2009年11月26日(木曜)
富岡は、少しばかりの金の工面もして来ていた。もそもそと内ポケッ
トをさぐって、ハトロンの封筒包みになった金を出して、投げ出すように、
炬燵の上へ置いた。
「少しなンだけど、君が困ってやしないかと思ってね……」
ゆき子は、そのハトロンの包みを見て、別に動じた様子もなく、
「私、日本へ戻って、このごろ、いろんな事が少しずつ
判って来たのよ。本当に日本が戦争に敗けてしまったことも判ったのよ。
これが現実だと思ったら、このごろ、富岡さんを恨む気もしなくなったわ
……」
ゆき子は七輪に炭をついで、するめを焼きながら言った。焼いたする
めを皿に小さく裂きながら、自分の指さきに、きらきら光るような安易な
幸福を感じていた。人生はうまくゆくものだといった、そんな目の先の幸
福がするめの匂いのなかにこもっているようで、ゆき子は肚のなかでくす
くす笑っている。私は、うまく暮してるけど、いったい、あなたはどうな
のよ……。泥鰌のように泡を噴いてるじゃないの? ゆき子はそんな気持
ちだった。 (242 〈二十〉)
富岡が用意してきた〈少しばかりの金〉の金額を作者は明かさない。家
を売って、親にも妻にも内緒でどうにかこうにか都合をつけた金であるこ
とは確かで、富岡がゆき子に彼なりの誠実を示す証となっている。が、ゆ
き子は、炬燵の上に投げ出すように置かれた封筒包みに動じることはない。
ゆき子の富岡を見くだす眼差しがそんなことで解消するはずもない。ゆき
子は、すでにジョオと係わって、富岡一人を責めるわけにはいかない現実
を認識しはじめている。日本が戦争に負けたという現実を、日本人の一人
一人がきちんと受け止めなければならない。敗戦直後に自ら命を絶つこと
で責任をとった者があり、裁判にかけられ戦犯として処刑された者がある。
が、大半の日本人は〈大東亜戦争〉の実態を知らず、知らされず、敗戦の
どさくさを、生き延びるためだけに懸命だった。
東京大空襲で死者は十万、被災者百万、被災家屋は二十七万とも言わ
れる。その廃墟と化した東京に富岡は極楽のダラットから引き揚げてきた
のだ。幸い、富岡は家族を失わずにすんだ。しかし、敗戦の現実を肌で受
け止めた富岡は、家族を捨ててゆき子と一緒になるわけにもいかなかった
のだ。もし富岡がゆき子と結婚すれば、その方がはるかに勝手な仕業とい
うことになろう。そういった敗戦の現実がゆき子の視野に入ってきて、富
岡一人を責めることはできないという考えに落ちついたということである。
ゆき子の言う〈現実〉には、五日前ジョオと関係を結んだという事もと
うぜん含まれている。ジョオは敵国の兵士であり、そういった男と肌を合
わせることなど戦争中には想像だに許されなかったことである。が、男と
女の関係を、人種や宗教、思想の違いで裁断することはできない。ゆき子
は〈砂漠の街〉新宿でジョオに声をかけられた。ゆき子の〈淋しさ〉とジ
ョオの〈淋しさ〉が砂漠の風に吹かれて微かに響きあったのである。故国
を遠く離れて日本に駐留する若い兵士が、手っとり早く日本の女たちを求
める事も自然な成り行きということになろう。
ゆき子をめぐって、敗戦国の富岡が戦勝国の男を相手に決闘することも
できない。影の薄い、逞しさを失った男の惨めな姿は、ひとり富岡のみで
はない。当時の男たちは富岡と五十歩百歩のところで哀れな姿を臆面もな
く晒していた。否、敗戦後六十数年たった今日の男たちもまた富岡兼吾を
例外なく鏡像としている。
ゆき子は七輪に炭をついで、するめを焼き、焼けたするめを小さく裂き
ながら、その裂く指さきに〈きらきら光るような安易な幸福〉を感じる。
〈七輪〉〈炭〉〈するめ〉敗戦後に生まれた者にとっては懐かしいもので
ある。当時、するめ、さんまなどはすべて七輪に炭におこして焼いていた。
書いているだけで、さんまやするめの匂いが鼻孔を刺激する。母親の姿が
思い浮かぶ。貧しくても、七輪の炭火や焼きするめなどには、家庭のしみ
じみとした温もりや幸せが感じられる。林芙美子はするめを裂く指さきに
「きらきら光るような安易な幸福を感じていた」と書いているが、わたし
はこういった描写に体感的に同調してしまう。母親のするめを裂く、細い
白い指さきが瞼に浮かび、目頭が熱くなってくる。
「人生はうまくゆくものだといった、そんな目の先の幸福がするめの匂
いのなかにこもっているようで、ゆき子は肚のなかでくすくす笑ってい
る」・・外国人相手の娼婦まがいの仕事で暮らしているゆき子が幸せを感
じていたとするなら、そんなものは〈安易な幸福〉に違いないが、しかし
その〈安易な幸福〉が〈きらきら光る〉ようなものであったことも確かな
のである。ゆき子は何もかも承知の上で、〈安易な幸福〉〈目の先の幸
福〉がするめの匂いのなかにこもっているように感じて、肚のなかでくす
くす笑っているのである。敵国の男の大陸的な豊穣さに包まれて〈うまく
暮してる〉ゆき子の眼に、うちひしがれて坐っている富岡は泡を噴いてい
る泥鰌にしか見えない。女とは所詮残酷なものだが、敗残者に対する内的
眼差しの容赦のなさはここに見られる通りのものである。
2009年11月30日
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