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林芙美子の文学(連載101)林芙美子の『浮雲』について(99)
「喫茶 芙美子」小森敏博・マリ子夫妻 尾道にて(2009.11.14)
林芙美子の文学(連載101)
林芙美子の『浮雲』について(99)
(初出「D文学通信」1305号・2009年11月19日)
清水正
ゆき子と若い外国人は紛れもなく〈ゆきずりの二人〉
であるが、この日の夕刻、砂漠の街新宿で運命的な
出会いをはたした。おそらく外国人の内にも〈淋しい砂漠〉
があり、不断にオアシスを求めていたのであろう。
あるいは単なる性的衝動に身をまかせたいという二人の
願いが偶然一致しただけかもしれない。
2009年11月15日(日曜)
ゆき子は目的のない気持ちで、新宿へ出てみた。夕方で寒い風が吹い
ていた。露店もあらかた店をしまった新宿は、淋しい砂漠の街のようなと
ころであった。いかにも用事あり気に歩いてはみたが、少しも心は満たさ
れはしなかった。静岡へ戻ってみようかとも考えないではなかったが、せ
っかく、あの小舎を得られたのだから、あの小舎から、自分の人生が始ま
ってゆくのもいいのではないかと、ゆき子はそんなことを考えて、伊勢丹
のところまで歩いて来ると、背の高い外国人に呼びとめられた。どこへ行
くのかと聞かれたが、とっさのことだったので、ゆき子は笑って立ち停っ
ていた。外国人はゆき子と並んで歩きだした。ゆき子は大胆になっていた。
外国人は早口で喋りかけて来たが、ゆき子は黙って、外国人に躯を寄せて
歩くきりだった。運命が、少しずつどこかへ向けて進行していっているよ
うな気がした。お互いの衝動が、このゆきずりの二人の心のなかに一種の
生気をもたらして来る 。(237 ~ 238〈十九〉)
ゆき子は夕方、〈目的のない気持ち〉で〈淋しい砂漠の街〉新宿を歩く。
富岡からは何の連絡もない。食慾だけでは満足できない、性の欲求を感じ
て淋しい気持ちになっていたゆき子は、若い外国人に声を掛けられる。外
国人はゆき子に「どこへ行くのか」と聞かれる。「いかにも用事あり気に
歩いては」いても、ゆき子の所在無さ、行く当てのない気持ちはその歩き
方にも自然と反映するもので、若い外国人の欲求を微妙に挑発していたの
であろう。
ゆき子は、その背の高い外国人に声を掛けられて笑って立ち止まる。こ
のゆき子の〈笑い〉は外国人の欲求に対するOKのサインである。外国人
はゆき子と並んで歩きだす。ゆき子は大胆な気持ちになってくる。外国人
はよくしゃべり、ゆき子は黙って躯を寄せて歩く。言葉がよく通じない二
人が、同じ欲求を感じながら身を寄せて〈淋しい砂漠の街〉を歩いている。
この光景から浮上してくるのは、ダラットで富岡がニウと躯を重ねている
場面である。男と女が同じ〈衝動〉(欲求)をお互いに感じ合えば、言葉
の違いや人種の違いを越えて結びつくことが出来る。
ゆき子と若い外国人は紛れもなく〈ゆきずりの二人〉であるが、この日
の夕刻、砂漠の街新宿で運命的な出会いをはたした。おそらく外国人の内
にも〈淋しい砂漠〉があり、不断にオアシスを求めていたのであろう。あ
るいは単なる性的衝動に身をまかせたいという二人の願いが偶然一致した
だけかもしれない。
外国人はときどき背をかがめるようにして、ゆき子の顎に手を触れて
早口にしゃべった。ゆき子はダラットで安南人と話した、仏蘭西語や英語
のミックスされた言葉を使っていた生活を、いま急に呼びさまされたよう
な気がして、少しずつ片言でしゃべった。
「目的もなく歩いているのよ」
「それは好都合だ。私もいま、目的もなく歩いていたのだ」
二人はいつの間にか腕を組んで歩いていた。おかしくもないのに、ゆ
き子は声をたてて酔ったように笑ってばかりいた。
ゆき子は外国人と腕を組んで新宿駅に行き、珍しい外人専用車の省線
の電車に乗せて貰った。ゆき子は晴れがましい気持ちで、小さくなって、
自分の道づれに寄り添っていた。 (23 〈十九〉)
〈目的もなく歩いていた〉一人の女と一人の男が出会った。ゆき子はお
かしくもないのに「声をたてて酔ったように笑ってばかりいた」と作者は
書いている。この酔ったような笑いの中にどのような思いがこめられてい
るのか。この時、ゆき子の中で富岡はまったく存在していなかったのであ
ろうか。男だけが浮気するのではない。女は犠牲者のような顔をして、平
気で男を裏切ったりもする。第一、浮気する女がいなければ、どんな男も
浮気することはできない。ゆき子は富岡を執拗に求め続けるが、しかし他
の男を完璧に拒むわけではない。現に、今、ゆき子は若い外国人の男と腕
を組んで歩きながら、晴れがましい気持ちにすらなっている。
林芙美子は女の性的欲求を、男のそれと同等に描いている。ゆき子は成
熟した女であり、性的絶頂を知っている女である。食慾が満たされただけ
では満足できない女である。富岡によって欲求が満たされなければ、他の
男によってそれを満たす他はない。今、ゆき子は自分と同じように〈目的
もなく歩いていた〉外国人と出会って、酔ったように笑い続ける。ゆき子
は、自分が平気で他の男とも関係できる存在であることに、復讐と裏切り
の快感を覚えていたのかもしれない。
サイゴンの街を想い出して、その昔に戻ったような気がしないでもない。
・・ゆき子は、自分のみすぼらしい小舎へ、その外国人を連れて帰った。
小舎の天井にとどくような、背の高い外国人は、火のない炬燵に、不器用
に長い膝を入れて、四囲を珍しそうに眺めている。ローソクの灯にゆらぐ、
淡い明るさのなかで、ゆき子は七輪に火を起し始めた。煙がもうもうと渦
をなして、小舎の中へ立ちこめたので、ゆき子は天窓を差して、「ウイン
ドウ・ゲット・アップ」と外国人に命じた。外国人は気軽に、天窓を明け
てくれた。煙は束ねた煙を、天窓へ勢よく吸いあげていった。 (23 〈十
九〉)
ここでゆき子は、偶然新宿の街で出会った外国人と、ダラットでの極楽
の日々を再現しようとしたのかもしれない。むろん、ゆき子は、その再現
のドラマがあくまでも仮のものであることを知っている。が、ゆき子の
〈淋しい砂漠〉のような心が、外国人の欲求を受入れ、躯を一つに重ねる
ことで、束の間の幻想を味わってみたいと思ったとしても誰も彼女を責め
ることはできない。
2009年11月16日(月曜)
ゆき子は三坪ほどの〈みすぼらしい小舎〉に外国人を連れて帰る。外国
人は〈火のない炬燵〉に不器用に長い膝を入れて、四囲を珍しそうに眺め
る。林芙美子がどこまで自覚的に描写したかは別にして、この〈火のない
炬燵〉が置いてある〈みすぼらしい小舎〉はゆき子の性的欲求が満たされ
ていない状態を示していると同時に、ゆき子における〈母胎〉が生産性の
ないものであることを端的に示している。性的欲求は、〈火のない炬燵〉
に火を起こせば満たされるが、生産性のない貧弱な母胎は生来的なもので
手のほどこしようがない。
さらに、問題なのはゆき子における〈母性〉の貧弱性である。母国から
遠く離れて日本に駐留する若い外国人兵士が求めているのは性的欲求ばか
りではない。この外国人は異国の女ゆき子に〈母性〉を求めていたとも言
えるが、背の高い彼は天井を突き抜けんばかりだし、長い膝は無理に折ら
なければ〈火のない炬燵〉に入れることもできない。いずれにせよ、ここ
に引用した場面は、ゆき子と外国人の性的次元でのサイズの不調和と、ゆ
き子の〈母性〉の貧弱さが露呈している。彼らは束の間、性的関係を取り
結べとしても、それが永続性のないものであることは明白である。
ゆき子は〈七輪〉に火を起し始めるが、煙がもうもうと渦をなして小舎
の中に立ちこめる。〈小舎〉(象徴的レベルでは膣や母胎)を急激に温め、
熱くしようとしても、予期せぬ障害が生ずる。ゆき子は外国人に命じて天
窓を開けさせ、首尾よく束ねた煙を吐きださせる。〈十九〉はここで幕を
降ろしている。普通に考えれば、この後、ゆき子が外国人と性的関係を結
んだことは明白だが、林芙美子は彼らの濡れ場を具体的に描くことはなか
った。
2009年11月19日
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