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林芙美子の文学(連載51)林芙美子の『浮雲』について(49)


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林芙美子の文学(連載51)
林芙美子の『浮雲』について(49)

(初出「D文学通信」1255号・2009年09月30日)
清水正


わたしは昭和二十四年二月生まれであるから、
敗戦直後の焼け野原の東京を実際に見る機会はなかったが、
テレビのニュースやドキュメンタリー番組や映画の映像を通して、
その無残な姿を知ることはできた。
林芙美子がゆき子の眼差しを通して描いた
敗戦一年後の新宿の光景は、映像に匹敵する、
あるいはそれ以上のリアリテイに満ちている。

ここから続き

富岡と別れたゆき子は、ホームの柱に凭れ、電車から吐き出される人や、
乗り込む人の波をみつめている。作者は限りなく、ゆき子の思いに重なり、
ゆき子の眼差しで人々を眺めている。戦争に疲労困憊した〈栄養のない
顔〉が、犇めきあってゆき子の周囲を流れていく。富岡もまた、この〈栄
養のない顔〉の一人に過ぎないが、ゆき子は富岡だけにはこだわり続ける。
その情熱だけは辛うじて保っている。

ゆき子は目的もなかった。
鷺の宮へ戻ったところで、別に、誰もゆき子を待ってくれる人もない。
静岡へこのまま戻ってみようかとも考えたが、東京を去るには、やはり東
京に強く心が残っている。その執着は、初めて富岡に逢ってみて、形の違
うものになって来ていたが、ゆき子は、一応、富岡に会えた事は嬉しかっ
た。それにしても、ゆき子もまた、このままでは、富岡の重荷になるだけ
だと、心の中にひそかに承知しているところもあるのだ。まず、この群衆
の生活のなかに、自分も這入って入って、働く道を求めなければならない
のだと思い、ふっと、品川の駅で見たダンスホールを思い出していた。何
と云う事もなく、ダンサアになってみようかと思った。
(215 〈十五〉)

ゆき子に目的があったとすれば、日本での富岡との新しい生活であった
はずだが、いざ富岡に逢ってみれば、その見通しが甘かったことを認めざ
るを得ない。富岡は妻のある身で、しかも両親を抱えている。富岡がゆき
子と一緒になるということは、彼らを冷酷に捨てて来なければならない。
ゆき子との約束を守るということは、言わば何の罪もない家族を裏切るこ
とにもなる。富岡の内的葛藤、懊悩は読者の想像を越えたものとしてあっ
たと言えよう。ゆき子は自分のことで精一杯、富岡の立場など親身になっ
て考えることはできず、執拗に追い回し、わがままを言い、脅し文句を口
にして〈一時のがれ〉に過ぎない富岡の口約束(保証)を得て、一人寂し
くホームに佇む。

冷静さを取り戻したゆき子は「このままでは、富岡の重荷になるだけ
だ」と思い、働き口を探さねばならないと考える。ゆき子は品川の駅で見
た〈ダンスホール〉を思い出し、唐突にも〈ダンサア〉になってみようか
と思う。林芙美子は敗戦後まもない東京の廃墟の中に、安普請のアパート
やホテルが雨後の茸のように林立しはじめたこと、華やかな〈ダンスホー
ル〉まで出来ていることをさりげなく報告している。

林芙美子というリアリズム作家の眼差しは、人間はどこにいても、どん
な目にあっても、人間である限りは、自らの欲望に忠実であることをきち
んと捕らえている。戦争に負けて、食うものも満足に食えずに〈栄養のな
い顔〉をして街を流れていく人間たちも、男と女の営みだけは忘れない。
故国に引き上げてきたゆき子の頭にあったのは〈敗戦の事実〉の重みとい
うよりは、電報をいくら打っても返事をよこさなかった富岡の事であった。
ゆき子のような女にあっては、国家の一大事である〈戦争〉や〈敗戦〉よ
りも、惚れた男の動向のほうが気になるのである。

ゆき子はタイピストであったが、追い詰められた地点でふとよぎった新
しい職業が〈ダンサア〉である。当時のダンスホールの〈ダンサア〉たち
は、ダンスを踊っているだけで生活の糧を十分に稼げたのであろうか。場
末のホールによっては、〈ダンサア〉は性的欲望にかられた酔客たちのい
やらしい眼差しや卑猥な言葉やお触りを許容する、いわば接客業の一種も
兼ねていた可能性もある。このとき、ゆき子が〈ダンサア〉に関してどの
ような具体的なイメージを抱いていたのかは分からないが、少なくとも彼
女はここで一瞬、自分の躯全体を使って金を稼ごうとしたことは確かであ
る。

ゆき子にとって〈ダンサア〉から〈淫売婦〉までの距離はそう遠くはな
かったであろう。が、林芙美子は「華やかな音楽の流れのなかに、化粧を
した変った自分の姿を置いてみるのだけれども、現在の自分の姿からは、
そうした職業は実感としては不可能のような気がした」と書いて、ゆき子
を現実の地獄へ突き落とすような真似はしなかった。ゆき子は、一応、富
岡に逢えたことを嬉しく思っており、嘘つきで、狡くて、優柔不断な富岡
への期待を未だ捨て去ってはいない。ゆき子は、愚かな女ぶりを徹底して
晒している。林芙美子はこの愚かな女を見捨てず、最後の最後まで描き尽
くした。

2009年9月21日(月曜)
作者が見捨てないゆき子を、批評が見捨てるわけにはいかない。わたし
もまた執拗に徹底してゆき子の姿を追っていくことにしよう。

富岡から、ほんのわずかな小遣いを貰っていたので、ゆき子は新宿へ
出てみた。何年ぶりかで見る新宿は、相変らずの雑沓だった。知った顔は
一人もないのが、ゆき子には他郷を歩いているような気がした。新型の自
動車が走り、しわしわした寒い歩道を、群衆は着ぶくれして歩いている。
硝子のない巨きな建物の前へ来ると、ああここが三越だったのだと、ゆき
子は高いビルを見上げた。ビルにそって右へ曲ると、いくつもの小路のな
かに、地べたに店を拡げている露店市が、ぎっしりと並んでいた。鰯を石
油鑵から掴み出して売っている。小さい硝子箱には飴もある。ピラミッド
のように積み上げた蜜柑を売る店、ゴム靴屋、一ぱい五円の冷凍烏賊を並
べている店、どんな路地の中にも、そうした露店市が路上にあふれていた。
荒涼とした焼跡の瓦礫には、汚ない子供がかたまって煙草を吸っていた。
(215 ~216 〈十五〉)

ゆき子が富岡から貰った〈わずかな小遣い〉が具体的にいくらなのか記
されていない。が、〈ほんのわずかな小遣い〉と書かれたことで、その金
額がゆき子の思いにほど遠いものであったことが分かる。ゆき子の期待は、
富岡の気持ち、肉体、金額のすべてにおいて裏切られた。ゆき子は、富岡
の新しい〈伴侶〉として迎えられたのではない。ゆき子は束の間の逢瀬の
代償として〈ほんのわずかな小遣い〉を与えられる〈愛人〉に過ぎない。
しかも〈愛人〉とは言っても、富岡にとっては〈招かれざる愛人〉でしか
ない。ゆき子は、富岡のそんなに白けた気持ちを全身で感じながら、〈ほ
んのわずかな小遣い〉を拒むこともできない。このとき、ゆき子の心の底
に沈殿した悔しい思いを感じ取っておかないと、彼女が富岡にたいして、
見るも無残な、執拗な追っ掛けを繰り返した謎は解けない。

わずかな金を得て、ゆき子は何年かぶりに新宿に出る。ゆき子が日本を
発って仏印のダラットに着いたのは昭和十八年十月である。富岡は敗戦後
すぐの昭和二十一年五月に海防(ハイフォン)を発って日本に帰国してい
る。ゆき子が帰国した年月は正確に書かれていないが、おそらく富岡の帰
国より半年遅れの昭和二十一年の冬である。つまり、ゆき子は敗戦を間に
挟んだ新宿の街に三年振りで足を踏み入れたことになる。東京大空襲によ
って街の大半は廃墟と化したが、敗戦後の日本人は逞しい生活力を発揮し
てわずか一年余りで凄まじい復興をはたしつつあった。

わたしは昭和二十四年二月生まれであるから、敗戦直後の焼け野原の東
京を実際に見る機会はなかったが、テレビのニュースやドキュメンタリー
番組や映画の映像を通して、その無残な姿を知ることはできた。林芙美子
がゆき子の眼差しを通して描いた敗戦一年後の新宿の光景は、映像に匹敵
する、あるいはそれ以上のリアリテイに満ちている。

新宿の街をどうしようもない孤独を抱えてゆっくり彷徨い歩くゆき子の
眼差しが捕らえた、新型の自動車、しわしわした寒い歩道、着ぶくれして
歩く群衆、硝子のない巨きな建物、路地ぎっしりと並んだ露店市(ゆき子
は好奇の眼差しで、露店の〈鰯〉〈飴〉〈蜜柑〉〈ゴム靴〉〈冷凍烏賊〉
などを見ている)、煙草を吸っている子供の浮浪者たち……。林芙美子は
まさにゆき子の両眼をカメラに見立てて、新宿の街の諸相をマクロ、ミク
ロで映し取っている。

読者はゆき子と共に、敗戦後の活気あふれる新宿の街を歩き、露店商た
ちの威勢のいい客寄せの言葉を耳にし、所狭しと並べられ積み上げられた
売り物の臭いを嗅ぎ、着膨れした群衆の波に押され、立ち止まり、家族を
失って浮浪者となった悲惨な子供たちの姿を眼にする。

〈荒涼とした焼跡の瓦礫〉にたむろして煙草を吸っている子供の浮浪者
に、おそらくゆき子は我が身を重ねていただろう。が、林芙美子は子供た
ちの内部の荒涼とした世界に一歩も踏み込んで行かない。同じく、ゆき子
の内部世界にもドストエフスキー的な垂直的な踏み込みはしない。新宿の
〈荒涼とした焼跡〉の光景の中に、ゆき子はその孤独な姿をぽつんと晒し
ているだけである。

ゆき子は、一山二拾円の蜜柑を買って、瓦礫の山へ登り、そこへ腰を
かけて、蜜柑をむいて食べた。旧弊で煩瑣なものは、みんなぶちこわされ
て、一種の革命のあとのような、爽涼な気がゆき子の孤独を慰めてくれた。
何処よりも居心地のよさを感じて、酸っぱい蜜柑の袋をそこいらへ吐き散
らした。
こうした形の革命は、容赦なく人の心を改革するものなのか、流れの
ように歩いている群衆の顔が、ゆき子にはみんな肉親のようになつかしか
った。
(216 〈十五〉)

男も女も老人も子供も、等しく敗戦を体験した者である以上は、荒涼と
した焼跡に積み残された〈瓦礫〉のようなものである。その意味で、シケ
モクを口にする浮浪者の子供も、着膨れして流れるようにして歩いている
群衆の一人ひとりも、みんな〈肉親〉のようなものには違いない。

ゆき子は〈革命〉によって全ての既存のものが瓦解した世界のただ中に
あって爽涼な風に吹かれている。ゆき子は旧弊なものが破壊された瓦礫の
山に登って、そこが何処よりも居心地のいい場所だと感じる。ゆき子は
「こうした形の革命は、容赦なく人の心を改革するものなのか」とも思う
が、しかし皮肉なことに、ダラットでの富岡との〈過去〉を精算すること
のできないゆき子は依然として〈革命〉以前の状態にとどまっている。

2009年9月30日

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