ホーム > 「ZED」を観る > 「ZED」を観る(連載⑤)





「ZED」を観る(連載⑤)


2006_0105_120146-CIMG8995.JPG

「ZED」のガイドブックより

ここをクリックする  「清水正の本」 「清水正の著作一覧」 

  「ZED」を観る(連載⑤)

清水正
(初出「D文学通信」1202号・2009年08月09日)
「Souvenir Program」を読む(その③)


プログラムに印刷された「躍動する詩の中へ─」には次のように書かれ
ている。

ここから続き

  銅と真鍮でできた複雑なアストロラーベ(天体観測儀)。
想像上の宇宙に埋もれ、さまざまな声と影とが棲むその世界で、
孤独な主人公Zed(ゼッド)は、成長と発見の旅に出る。
天と地の狭間で宙吊りになっているこの謎に満ちた世界をさまよううちに、
ゼッドは、偉大なる女神ニュイやシャーマン、スフィンクス、サテュロスなど、
奇想天外で躍動感に満ちたさまざまなキャラクターに遭遇する。

全身白の衣装を身にまとい、ピエロにも似た
この詮索好きなキャラクターは、一体何者なのだろう。
彼は、私であり、あなたである。
ゼッドは、鏡をかざして私たちの本当の姿をそこに映し出し、
人間のあらゆる側面と。人間がもつすべての知恵と愚かさとを、
すべての強さと弱さという形で表現する。

人間の経験の神髄を謳い上げるこの叙情的な冒険物語の中で、
以前は調和のなかった二つの世界が、ゼッドを通じて、再び一つになるの
 だ。

変化を引き起こす西風が、二つの世界の間を吹き抜けた時、
私たちの心の奥深くで声がいざなう・・「友よ、生きることを恐れるな」
 と。

ゼッドの存在性格の端的で的を射たすばらしい説明である。
このガイド自体が一つの輝く〈詩〉(Poem)になっている。この文章を書い
たひとは、おそらくショー「ZED」の内容(コンセプト)をよく把握した
演出家であり、批評家である。

 詩と批評は厚さのない一枚の紙の裏と表の関係にある。
 詩を理解しない批評はないし、批評を理解しない詩もない。

  「シルク・ドゥ・ソレイユ シアター東京」の劇場内部は宇宙そのもので
はない。それは古のサーカス小屋を彷彿とさせる、ある種の懐かしさを感じ
させる壮大な空間であるが、しかし同時に二千席を越える巨大な観客席を擁
する高度な科学技術を駆使した近代建築物であることも確かである。

  初めて劇場内に足を踏み入れて、まず驚かされるのは天井に吊るされた巨
大な球形(地球儀)である。この〈地球儀〉が異様なオーラを発しているの
は、それが非日常を越えて日常(自然)を逸脱しているように感じられるか
らであろうか。観客席(わたしが座ったのはレギュラーでGATE3・Jブ
ロック・17列92番)から眺める〈地球儀〉はその球体の下部をさらして
いるだけで、球体全部をさらしてはいない。

  わたしはすぐに、この〈地球儀〉は空中に浮かぶ〈物体〉ではなく天井か
ら吊るされている、ショー「ZED」のために作られた一つの大きな仕掛け
物と認識した。高度な科学技術を駆使して、今、この劇場に据えつけられた
巨大な半球体の仕掛け物を、半自然的なものとして感じるからこその異様な
オーラなのである。

  二十一世紀における今日の大半の観客は、科学技術に信頼を置いている。
巨大な〈地球儀〉がせり出した中央の地上舞台の真上に吊り下げられていて
も、その落下の恐怖感をまざまざと感じる観客はいない。いてもごく少数で
あろう。もし、この〈地球儀〉に落下の危険性を感じながらショーを観れば、
この〈地球儀〉そのものがサーカス的なハラハラドキドキの最大の効果を発
揮することになろう。

  最初の一行目に「銅と真鍮でできた複雑なアストロラーベ(天体観測儀
)」とある。いきなり魔術の種明かしをされたような衝撃を受ける。人間は
得体の知れないものに不安を感ずる。わたしが、何の先入観もなく劇場に足
を踏み入れ、まず驚いたのは巨大な半球体であった。いったいこれは何なの
か。浮かんでいるのか、それとも吊るされているのか。この半球体は観客す
べての眼差しを釘付けにする圧倒的な存在感をもっている。劇場入口で渡さ
れたバンフレットを読まなければ、謎は深まり、様々な解釈をほどこすこと
になったであろう。

   舞台全体が〈銅と真鍮でできた複雑なアストロラーベ(天体観測儀)〉で
あり、中央の球体が〈地球儀〉であると解説されると、その途端に、不安と
謎に満ちた劇場が、科学的に計算され構築されたものになる。どんなに〈複
雑な天体観測儀〉も、数学と物理を基にした秩序ある構築物であり、そこに
は観客を不安に陥れる〈謎〉は消失する。この解説家は、壮大で複雑な舞台
装置を秘密にしておくことはなかった。むしろ、その真実の姿をさらすこと
で、この人工物の世界が謎に満ちた世界へと変容することを願っているかの
ようだ。

  舞台を観終わって、その舞台裏を案内された時、まさに科学技術の粋を集
めて構築された〈銅と真鍮でできた複雑なアストロラーベ(天体観測儀)〉
そのものが異様な存在に映ったことも事実である。この〈天体観測儀〉は物
体であり、この存在そのものが生命を持っているわけではないのに、しかし
どう見ても、何か巨大な生き物の骨格をさらしているようにも見える。この
〈骨格〉自体が〈生〉と〈死〉を孕んだ一種の近代的な生き物にも見えるの
である。

  わたしの席から見たこの人工的な天体観測儀は、半球体の〈地球儀〉を腹
と見、長い八本の柱を脚と見ると、異様に大きな蜘蛛の姿に重なる。宇宙を
住処に、流浪に流浪をかさねた〈巨大な蜘蛛〉が、今、ここ「シルク・ドゥ
・ソレイユ シアター東京」に現れて、その腹から、女神や天使を生み出す
大いなる〈母体・母胎〉となっている。
 
 わたしたち観客は、この〈蜘蛛〉の腹から誕生する美しいものに立ち会う
だけだが、ゼッドという〈愚者〉が聖性と魔性を備えた両義的存在であった
ように、この〈巨大な蜘蛛〉もまた、わたしたちに隠した〈魔物〉をも生み出す
両義的な存在を感じさせる。

  銅と真鍮で構築された複雑な天体観測儀の骨格構造が〈巨大な蜘蛛〉とも
見えるところに、この劇場自体が無機と有機の両義性を抱えこんでいると言
える。〈巨大な蜘蛛〉の腹(地球儀)から、とつぜん青い衣装の女神が舞い
降りた瞬間の衝撃は忘れがたい。

 〈巨大な蜘蛛〉はその内に全宇宙を内包しているというイメージを湧かせる。
その腹の中には青の女神と天使、青と赤の天使たちに混じって、黒の魔物
も存在するはずだが、彼らは観客の眼前に現れることはなかった。
顕れた表舞台の裏に、もう一つの隠れ舞台が存在するように感じたのは
決してわたしだけではあるまい。

  二つの世界を結びつけて大いなる一つの世界を現出させることが、ゼッド
のこの舞台で果たす役割(使命)であるが、二を一に結合できる力を備えた
ものは、その一を再び破壊する力をも備えている。二が一に結合したまま世
界が凍結してしまえば、世界そのものが破綻をきたすことになる。ゼッドは
世界の終末と創世をも司る双神の神であり、結合された大いなる一を爆破す
ることで再び生成流動する世界を〈風〉となって流浪する。

  「ZED」の案内者は「想像上の宇宙に埋もれ、さまざまな声と影とが棲
むその世界で、孤独な主人公Zed(ゼッド)は、成長と発見の旅に出る」
と語った。
 
 注目すべきは〈想像上の宇宙〉という言葉だ。ゼッドは実在する
人物でもなければ霊的存在でもない。ゼッドは〈想像上の宇宙〉に放たれた
〈人物〉なのである。「ZED」の制作者、脚本家、構成演出家、そしてこ
の作品を理解するすべてのスタッフたちとアスリートたちの〈想像上の宇
宙〉にゼッドは存在するのでなければならない。一観客であり批評家である
わたしの〈想像上の宇宙〉にもゼッドは自在に出入りする。


2009年8月 9日

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.shimi-masa.com/mt/mt-tb.cgi/1640

コメント

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)