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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載⑰)
寺山修司とフェデリコ・フェリーニ『8 1/2』
五十嵐 綾野
フェデリコ・フェリーニの映画『8 1/2』は、映画監督が映画製作に行き詰まり、苦悩するというストーリーである。これは無理やり説明するとこうなるのだが、実際には物語がない。ストーリーを追いかける必要はない。これはそのような作品ではない。どこまでが空想世界なのか、現実世界なのかわからない。映画を見ている私自身も、意識がどんどん混沌していくのを感じた。
主人公グイドはフェリーニの合わせ鏡である。愛人、妻、女優、脚本家、映画関係者達に挟まれ翻弄されながら、映画の構想を練ろうとする。すべてがごちゃごちゃしている。元々、グイドは妄想ばかりしているタイプの人間である。映画の構想は進まずに焦っている。そこに、妻との家庭の問題や契約上のトラブルなどですっかり疲れきっている。その現実から逃げ出したいという衝動を感じる。
寺山修司は日本のフェリーニと言われている。『8 1/2』の映画評論も書いている。確かに、初めてフェリーニの映画を見たときに、ストーリーの展開の仕方や視覚的なところに類似性を感じた。例えば、亡霊のような角巻きの女、サーカスや見世物に非常に興味を持っていること、豊満な肉体の女性のデフォルメとされる空気女などである。
私は、寺山の映画を見ていて、変な後味を感じることはない。ところが、フェリーニの作品を見ていると、居眠りで嫌な夢を見たような後味を感じる。その気持ち悪さがむしろ良い。フェリーニは好きな映画監督の一人である。見た後もしばらくは気持ち悪い余韻に浸ってしまう。寺山とフェリーニは、表面的には似ているかもしれないが全然違う。寺山の映画でも、グロテスクな場面が多く使われている。それらは、子供から見た悪夢のようなものだ。子供が大人の世界をこっそりのぞき見をした時の視線だ。フェリーニの気持ち悪さは、寺山の目線より高い所にある。一歩間違えたら、危ない。狂気と言ったら大げさかもしれないが、そんな印象を受ける。
共通しているところを挙げるとすれば、寺山の映画『田園に死す』『書を捨てよ、町へ出よう』が『8 1/2』と同じように、映画の中の映画を撮っているということだ。
『8 1/2』で、グイドは映画を完成させることは出来なかった。つまり、失敗に終わる。フェリーニはその未完である映画を撮ることによって、一つの作品として作り上げた。合わせ鏡の存在と言っても、グイドとフェリーニには隔たりがある。寺山の『田園に死す』は、『8 1/2』と同じく、映画が未完で終わり、映画のセットは破壊されたところで終了している。ただ、主人公と監督が寺山自身だというところが違っている。
寺山もフェリーニも「自分探し」をしているという点が根底にある。『8 1/2』では、グイドの亡くなった両親、子供時代の思い出、なぞなぞの呪文、サラギーナの呪術的な踊りなどが繰り返し出てくる。これらのイメージが悪夢のようにグイドに付きまとう。グイドはそれらを追い払おうとせずに、その世界に入り浸りたいとすら思っているようでもある。『人生は祭りだ。ともに生きよう。』このセリフと共にグイドは逃避していた夢の世界から、目を覚ます。どんなに絶望的でも、それを受け入れて希望を持った方が気持ちは楽になる。
寺山の映画『田園に死す』で主人公の少年がサーカスに出くわす場面がある。サーカスは子供にとって夢のある世界だ。ゴザを一枚隔てた裏側では男女が全裸で絡み合っている。こっそり覗いてそれを知った少年は『悪夢だ!』と叫んで一目散に逃げ出す。この少年は寺山自身だ。寺山は子供時代に見た「悪夢」に取りつかれたまま時間が止まってしまったのだ。大人のような子供。騙されたことに対して復讐をしているようである。寺山はその「悪夢」を受け入れることもできず、忘れることもできずに逃げ出したまま消えていってしまった。
2009年8月12日
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