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チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載①


チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載①
未発表の『かもめ』論を執筆日付けで二回に分けて発信する。

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チェーホフの戯曲『かもめ』を読む(清水正)連載①

ここから続き


チェーホフの戯曲『かもめ』を読む

2006年6月17日(土曜)
『かもめ』を読み終わったのは二〇〇六年四月三十日。『ワーニャ伯父さ
ん』も同年四月三十日。『三人姉妹』は同年五月二日。『桜の園』は同年
五月四日に読み終えた。今回初めてチェーホフの戯曲をまとめて読んで、
すぐに批評衝動に駆られ、『イワーノフ』に関してはすでに書き終えた。
次に『かもめ』を批評しようとして、面白いことに気づいた。単なるボケ
現象と言ってしまえばそれだけのことであるが、『かもめ』の内容を何一
つ思い出せない。読んでいる時は確かに、これは面白いと思ったはずなの
に、いざ批評しようとして何一つ思い出せないというのはどういうことだ
ろう。「かもめ」は鳥である。それしか想像できないというのは余りにも
面白い。ここに何か、チェーホフの戯曲の特質性が潜んでいるのではない
かと思えるほどだ。何も思い出せない状況の中で、批評を展開してしまお
う。
チェーホフの戯曲は〈夢〉と似ているのではないか。〈夢〉は、それを
見ている時には実によくその内容が分かっているのに、いざ眼がさめると
さっぱり思い出せないことがある。一度、記憶が失われた〈夢〉の内容を
思い起こすのは容易ではない。むかし、もう三十年近くにもなるが、赤ん
坊のように睡眠時間をとって〈夢〉を見、起きたらその〈夢〉を記述する
ことに情熱を傾けていた男がいた。彼は〈夢〉の記述に関して、その極意
を語ったことがある。すぐに起きてはいけない。ゆっくり、なだらかに、
〈夢〉の世界から、〈現実〉の世界へと移行しなければいけない。とつぜ
ん目覚めたりすると、〈夢〉の世界はたちまち消えてしまうというのであ
った。彼は一日十五時間以上寝て、大半の時間を〈夢〉の世界に遊んでい
た。おそらく彼にとっては現実の世界もまた夢の延長のような世界だった
のだろう。今、彼がどのように生きているのか、すでに死んでしまったの
か、さっぱり分からない。もし、生きているのだとすれば、彼は現実の世
界をしっかりと生きているはずである。六十近くなった男を、いつまでも
夢みさせておくほど現実は甘くない。もし死んでしまったのなら、彼は生
の世界から死の世界へとなだらかに移行したのかもしれない。
〈夢〉は奇妙に現実的であり、現実よりもはるかに先鋭的であったりす
る。チェーホフの戯曲は、読み終えてすぐに、その内容をしかと確認し、
その上で批評しなければ、アッという間に、忘却の彼方へと消え去ってし
まうのかもしれない。空を飛ぶ「かもめ」が、空の色に溶け込み、その姿
を消してしまうようにである。
思い出せない〈夢〉は、もう取り返しがつかないが、『かもめ』は戯曲
であるから、たとえきれいさっぱりその内容を忘れてしまっても、再び読
めば、その内容を知ることはできる。このまま放っておきたい気持もある
が、チェーホフの五大戯曲に関しては、徹底的に批評すると決めてしまっ
たので、これからはテキストに沿って『かもめ』の世界を検証することに
したい。
第一幕、教員のメドヴェーヂェンコと、ソーリン家の支配人シャムラー
エフの娘マーシャの対話を見てみよう。
2006年6月18日(日曜)
メドヴェーヂェンコ あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういうわ
けです?
マーシャ わが人生の喪服なの。あたし、不仕合せな女ですもの。
メドヴェーヂェンコ なぜです?(考えこんで)わからんですなあ。…
…あなたは健康だし、お父さんにしたって、金持じゃないまでも、暮しに
不自由はないし。僕なんか、あなたに比べたら、ずっと生活は辛いですよ。
月に二十三ルーブリしか貰ってないのに、そのなかから、退職積立金を天
引きされるんですからね。それだって僕は、喪服なんか着ませんぜ。(ふ
たり腰をおろす)
マーシャ お金のことじゃないの。貧乏人だって、仕合せにはなれるわ。
メドヴェーヂェンコ そりゃ、理論ではね。だが実際となると、そうは
行かない。僕に、おふくろ、妹がふたり、それに小さい弟・・それで月給
が只の二十三ルーブリ。まさか食わず飲まずでもいられない。お茶も砂糖
もいりますね。タバコもいる。そこでキリキリ舞いになる。
マーシャ (仮舞台の方を振り向いて)もうじき幕があくのね。
メドヴェーヂェンコ そう。出演はニーナ嬢で、脚本はトレーブレフ君
の書きおろし。ふたりは恋仲なんだから、今日はふたりの魂が融合して、
同じ一つの芸術的イメージを、ひたすら表現しようという寸法でさ。とこ
ろが僕とあなたの魂には、共通の接点がない。僕はあなたを想っています。
恋しさに家にじっとしていられず、毎日一里半の道を、てくてくやって来
ては、また一里半帰っていく。その反対給付といえば、あなたの素気ない
顔つきだけです。それも無理はない。僕には財産もなし、家族は大ぜいと
来ていますからね。……食うや食わずの男と、誰が好きこのんで結婚なん
かするものか?
マーシャ つまらないことを。(嗅ぎタバコをかぐ)お気持ちは有難い
と思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ。(タバコ入
れを差出して)いかが?
メドヴェーヂェンコ 欲しくないです。(間)
マーシャ 蒸し蒸しすること。晩くなって、ごろごろザーッと来そうね。
あなたはしょっちゅう、理屈をこねるか、お金の話か、そのどっちかなの
ね。あなたに言わせると、貧乏ほど不仕合せなものはないみたいだけれど、
あたしなんか、ボロを着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れ
やしないわ。……あなたには、わかってもらえそうもないけど……

メドヴェーヂェンコはマーシャが好きで、できれば結婚したいと願って
いる。しかしマーシャにはその気はない。メドヴェーヂェンコの言葉を借
りれば「僕とあなたの魂には、共通の接点がない」ということになる。二
人の魂に共通の接点がないのに、なぜメドヴェーヂェンコはマーシャを好
きになってしまったのか。魂に何の共通点などなくても、男は女を、女は
男を好きになる場合がある。メドヴェーヂェンコの場合もそうだったのだ
ろう。ここに引用した場面に限れば、マーシャはメドヴェーヂェンコを愛
してはいないが、友達の一人としては心を許していたのであろう。
メドヴェーヂェンコはマーシャが結婚を承諾しない理由を、彼の貧しさ
にあると考えている。母と妹二人と小さい弟の生活は彼一人の稼ぎにかか
っている。月給二十三ルーブリで一家五人が暮らしていくのは容易ではな
い。マーシャは「貧乏人だって、仕合せにはなれるわ」と言うが、メドヴ
ェーヂェンコにはそれは恵まれた者の理屈としか思えない。金を優先させ
るメドヴェーヂェンコと、金よりも精神的なことを優先させるマーシャが、
お互いに深く理解しあえるはずはない。マーシャはメドヴェーヂェンコに
面と向かって「あなたはしょっちゅう、理窟をこねるか、お金の話か、そ
のどっちかなのね」と言う。
世の中には金がなくてもそのことをあまり気にもせずに、自分の〈仕
事〉に没頭するタイプの人間がいる。芸術家や文学者が、金を意識しだし
たらろくなものを創造できないだろう。昔から芸術・学問と貧乏はセット
であった。結果として金が入る場合もあろうが、芸術・学問が金目当てに
なってしまったら、自分で自分の首をしめるようなものである。メドヴェ
ーヂェンコは教師であるから、子供たちに対する教育に情熱を注がなけれ
ばならない。しかし、この場面における彼の発言は、マーシャの言うよう
に金にまつわるつまらない話ばかりである。まずこういう男は女に持てな
い。マーシャに恋い焦がれて毎日一里半の道を通ってきても、決してマー
シャの魂を虜にすることはできない。マーシャがメドヴェーヂェンコに魅
力を感じないのは、彼に財産がないからでも、大勢の家族がいるからでも
ない。理窟をこねるか金の話しかできない男は、暮らしに何不自由のない、
若くて健康な娘、にもかかわらず自分を〈不仕合せな女〉と見なしている
娘の魂を震わせることはできない。メドヴェーヂェンコは一口で言ってし
まえば詰まらない男なのである。
マーシャは自分との結婚を願っている男に対して「お気持ちは有難いと
思うけれど、それにお応えできないの。それだけのことよ」と言っている。
このセリフは穏やかな口調で発せられているが、それだけに拒否の意志は
決定的である。ここまで言われても、友達感覚で一里半の道のりを通って
くるメドヴェーヂェンコには、単なる詰まらない男を越えて、どこか押し
の強いずうずうしさを感じる。ソーニャに冤罪事件を仕掛けたルージンの
ような卑劣漢ではないにしても、メドヴェーヂェンコが俗物中の俗物、神
の口から吐きだされてしまう〈生温き〉教師であることは疑いない。
2006年6月19日(月曜)
さて、この『かもめ』の最初の場面からしてまったくわたしの記憶にと
どまっていないのはどういうことだろうか。これは単にボケ現象がはじま
ったというよりも、ここに書かれたようなこと、つまり余りにも日常的な、
おそらく世界のいたるところで交わされているようなありふれた会話に、
脳が敢えて記憶する必要を感じなかったのではないかと思う。『イワーノ
フ』でイワーノフとアンナは熱烈な恋愛の最中に〈永遠の愛〉を誓って結
婚した。しかしチェーホフは二人のその熱烈な場面をいっさい描かなかっ
た。描かなくても、若い男女の熱烈な愛の姿など似たり寄ったりであるか
ら、読者は十分にそのことを想像することができる。ここに描かれたメド
ヴェーヂェンコとマーシャの対話なども、別に新しいことは何一つない。
男は相手の女を想って通い詰めるが、当の女は男に友情以外の感情を抱い
ていない。こんな男女の関係など世界には吐き捨てるほどある。別にチェ
ーホフの戯曲を読まなくても、現実のいたるところに転がっている、実に
ありふれた関係である。
わたしは長いことドストエフスキーを読んできた。そこには主人公の発
狂やら人殺しやらが描かれている。まさにドストエフスキーの文学は非日
常的な出来事の宝庫で、読者は否応もなく、そのカオスの世界へと巻き込
まれていく。主人公の狂気や殺意は読者にも感染する強烈な毒を持ってい
て、油断も隙もない。ところがチェーホフの文学においては、舞台は日常
と地続きの所に設置されている。時代や民族、宗教は異なっていても、メ
ドヴェーヂェンコとマーシャは、時空を越えた〈お隣さん〉なのである。
それでは再び〈お隣さん〉の世界へと舞い戻ることにしよう。メドヴェ
ーヂェンコの悩みの種は大勢の家族と薄給、そのために愛するマーシャと
の結婚が阻まれていると考えていることにある。一方、マーシャは「ボロ
を着て乞食ぐらしをした方が、どんなに気楽だか知れやしない」と考えて
いる。ということは、マーシャは〈貧乏〉などは取るに足らない、彼女の
心を悩ます問題を抱えているということである。マーシャは〈……〉の後、
「あなたには、わかってもらえそうもないけど……」と続けて口を閉ざす。
メドヴェーヂェンコが想像力のある感性豊かな青年であったなら、マーシ
ャのこの言葉に込められた様々なメッセージを読むことができたろう。し
かし、メドヴェーヂェンコには決定的にこの想像力が欠けている。彼はマ
ーシャの内部世界に参入することができない。
メドヴェーヂェンコは最初に「あなたは、いつ見ても黒い服ですね。ど
ういうわけです?」とマーシャに訊いた。マーシャは「わが人生の喪服な
の。あたし、不仕合せな女ですもの」と答えていた。もしメドヴェーヂェ
ンコに豊かな想像力が備わっていたなら、すぐにマーシャの〈不仕合せ〉
の内実に肉薄し、その核心を掴むことができたであろう。しかしメドヴェ
ーヂェンコは人間の幸、不幸を外的条件で推し量ろうとし、精神世界に求
めようとしない。この時点でメドヴェーヂェンコはマーシャの女心をつか
むことはできない。メドヴェーヂェンコにできるのは薄給や退職積立金の
話などで、つまり彼が関心を持っているのは日々の辛い暮らし向きのこと
ばかりなのである。こんな話はマーシャにとっては退屈以外のなにもので
もない。ところがメドヴェーヂェンコには想像力が欠けているから、相手
が自分の話に飽き飽きしていることにも気づかない。こういう男は、いつ
も相手の柵の外側にいて、自分の不幸を嘆いているよりほかはない。
次の場面を見てみよう。

ソーリン (ステッキにもたれながら)わたしはどうも、田舎が苦手で
な、この分じゃてっきり、一生この土地には馴染めまいよ。ゆうべは十時
に床へはいって、けさ九時に目がさめたが、あんまり寐すぎたもんで、脳
味噌が頭蓋骨に、べったり喰っついたような気がした・・とまあいった次
第でな。(笑う)ところが昼めしのあとで、ついまた寐込んじまって、今
じゃ全身へとへと、夢にうなされてるみたいな気持さ、早い話がね……
トレープレフ そりゃ勿論、伯父さんは都会に住む人ですよ。(マーシ
ャとメドヴェーヂェンコを見て)皆さん、始まる時には呼びますよ。今こ
こにいられちゃ困るな。暫時ご退場を願います。
ソーリン (マーシャに)ちょいとマーシャさん、あの犬の鎖を解いて
やるように、ひとつパパにお願いしてみては下さらんか。やけに吠えるで
なあ。おかげで妹は、夜っぴてまた寐られなかった。
マーシャ 御自分で父に仰しゃって下さいまし、あたしは御免こうむり
ます。あしからず。(メドヴェーヂェンコに)さ、行きましょう!
メドヴェーヂェンコ (トレープレフに)じゃ、始まる前に、知らせに
よこして下さい。(94~95)

ソーリンは主人公アルカージナの兄、トレープレフはアルカージナの息
子である。舞台はソーリン家の田舎屋敷に設定されている。ソーリンは田
舎が苦手と嘆き、甥のトレープレフは「伯父さんは都会に住むひと」だと
言う。今のところ、なぜソーリンが田舎にとどまっているのかその理由は
分からない。分かっているのは、ソーリンが自分の望むこととは裏腹な生
活を強いられているということである。マーシャは健康で金に不自由のな
い生活の中にあって〈不仕合せ〉であり、メドヴェーヂェンコは愛するマ
ーシャに拒まれていることで不仕合せである。どうやら、この戯曲の登場
人物たちは、少なくともメドヴェーヂェンコ、マーシャ、そしてソーリン
の三人は自分を〈不仕合せ〉と思っているらしい。
次の場面を見てみよう。

ソーリン すると、夜どおしまた、吠えられるのか。さあ、事だぞ。わ
たしは田舎へ来て、思う通りの暮しのできた例しがない。前にゃよく、二
十八日の休暇を取っちゃ、ここへやって来たもんだ。骨休めや何やら・・
とまあいった次第でな。ところが、くだらんことに責め立てられて、着い
たその日から、逃げだしたくなったよ。(笑う)引揚げる時にゃ、やれや
れと思ったもんだ。……だが今じゃ、役を退いてしまって、ほかに居場所
がない・・早い話がね。いやでも、ここに釘づけだ……(95)

ソーリンがマーシャに犬の鎖を解いてくれるようパパに頼んでくれ、と
言ったそのパパとはマーシャの父親シャムラーエフでソーリン家の支配人
である。マーシャは直接、父に頼んでくれと言ってにべもなく断る。ソー
リンは自分の領地に住んでいて、なぜ支配人に遠慮しなければならないの
であろうか。マーシャは、なぜソーリンの要望を無下に拒否できるのであ
ろうか。領主と支配人が、すでに主従の関係を保てなくなっていたのであ
ろうか。いずれにせよ、ソーリンは犬の吠え声に悩まされなければならな
い。ソーリンは、かつては骨休みのために二十八日の休暇をとって田舎の
屋敷に来たこと、しかしすぐに逃げ出したくなったと語る。おそらく都会
で何らかの役職に就いていたのであろう。田舎に飽きれば、すぐに都会へ
と舞い戻ることができたソーリンも、今や役を退いて、この田舎屋敷の他
には〈居場所〉がない。唯一の〈居場所〉が居心地のいい所であれば何ら
問題はない。ソーリンは決して馴染むことのできない田舎の領地にとどま
って、様々な不満を抱えて生きていく他はない。夜通し犬の吠え声に悩ま
されるのは、一種の刑罰であり地獄である。ふつうなら、どう考えても領
主を慮って犬の鎖を解くなり、他に移すなりするだろう。支配人のシャム
ラーエフの無配慮と、その娘マーシャの拒絶は、まさに領主を領主とも思
わぬ輩のすることと同じである。ソーリンは領地の者に対する支配力をま
ったく失った名ばかりの領主であったのだろうか。

ヤーコフ (トレープレフに)若旦那、〔わっしら〕ちょいと一浴びし
て来ます。
トレープレフ いいとも。だが十分したら、みんな持場にいてくれよ。
(時計を見て)もうじき始まりだからな。
ヤーコフ 承知しやした。(退場)
トレープレフ (仮舞台を見やりながら)さあ、これが僕の劇場だ。カ
ーテン、袖が一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなんか、一つもな
い。いきなりパッと、湖と地平線の眺めが開けるんだ。幕あきは、きっか
り八時半。ちょうど月の出を目がけてやる。
ソーリン 結構だな。
トレープレフ 万一ニーナさんが遅刻しようもんなら、舞台効果は吹っ
飛んじまう。もう来る時分だがなあ。あのひとは、お父さんやまま母の見
張りがきびしいもんで、家を抜け出すのは、牢破りも同様、むずかしいん
ですよ。(伯父のネクタイを直してやる)伯父さんは、頭も髯ももじゃも
じゃだなあ。ひとつ、刈らせるんですね。……
ソーリン (髯をしごきながら)これで一生、たたられたよ。わたしは
若い時分から、飲んだくれそっくりの風采・・とまあいった次第でな。つ
いぞ女にもてた例しがない。(腰かけながら)妹のやつ、なぜああ、お冠
りなんだろう?
トレープレフ なぜかって? 淋しいんですよ。(ならんで腰をおろし
ながら)妬けるんでさ。おっ母さんはてんからもう、この僕にも、今日の
芝居にも、僕の脚本にも、反感を持ってるんだ。というのも、演るのが自
分じゃなくて、あのニーナさんだからなんです。僕の脚本も見ない先から、
眼の敵にしてるんだ。
ソーリン (笑う)まさか、そう気を廻さんでも……
トレープレフ おっ母さんはね、この小っぽけな舞台で喝采を浴びるの
が、あのニーナさんで、自分じゃないのが、癪のたねなんですよ。(時計
を見て)ちょいと心理的な変り種でね・・おっ母さんは。そりゃ才能もあ
る、頭もいい、小説本を読みながら、めそめそ泣くのも得意だし、ネクラ
ーソフの詩だって、即座に残らず暗唱できるし、病人の世話をさせたら・
・エンジェルもはだしですよ。ところが、例しにあの人の前で、エレオノ
ラ・ドゥーゼでも褒めて御覧なさい。事ですぜ! 褒めるなら、あの人の
ことだけでなくてはならん。劇評も、あの人のことだけ書けばいい。『椿
姫』だの『人生の毒気』〔ロシヤ十九世紀の傾向的作家マルケーヴィチの
戯曲〕だのをやる時のあの人の名演技を、わいわい騒ぎ立てたり、感激し
たりしなくてはならん。ところが、この田舎にゃ、そういう麻酔剤がない。
そこで、淋しいもんだから苛々する。われわれみんな悪者で、親のカタキ
だということになる。おまけに、あの人は御幣かつぎで、三本蝋燭〔死人
のほとりを照らす習慣〕をこわがる、十三日と聞くと顔いろを変える。し
かも、けちんぼと来ている。オデッサの銀行に、七万も預けてあることは
・・僕ちゃんと知ってるんだ。だのに、ちょいと貸してとでも言おうもん
なら、めそめそ泣き出す始末だ。
ソーリン お前さんは、自分の脚本がおっ母さんの気に入らんものと、
頭から決めこんで、しきりにむしゃくしゃ・・とまあいった次第だがな。
案じることはないさ・・おっ母さんは、君を崇拝しているよ。
トレープレフ (小さな花の弁をむしりながら)好き・・嫌い、・・好
き・・嫌い、好き・・嫌い。(笑う)そうらね、お母さんは僕が嫌いだ。
あたり前さ! あの人は生きたい、恋がしたい、派手な着物が期待。とこ
ろがこの僕が、もう二十五にもなるもんだから、おっ母さんは厭でも、自
分の年を思い出さざるを得ない。僕がいなけりゃ、あの人は三十二でいら
れるが、僕がいると、とたんに四十三になっちまう。だから僕が苦手なん
ですよ。それにあの人は、僕が劇場否定論者だということも知っている。
あの人は劇場が大好きで、あっぱれ自分が、人類だの神聖な芸術だのに、
奉仕しているつもりなんだ。ところが僕に言わせると、当世の劇場という
やつは、型にはまった因習にすぎない。こう幕があがると、晩がたの照明
に照らされた三方壁の部屋のなかで、神聖な芸術の申し子みたいな名優た
ちが、人間の食ったり飲んだり、惚れたり歩いたり、背広を着たりする有
様を、演じて見せる。ところで見物は、そんな俗悪な場面やセリフから、
なんとかしてモラルをつかみ出そうと血まなこだ。モラルと言っても、ち
っぽけな、手っとり早い、御家庭にあって調法・・といった代物ばかりさ。
そいつが手を変え品を変えて、百ぺん千べん、いつ見ても種は一つことの
繰り返しだ。そいつを見ると僕は、モーパッサンみたいに、ワッと逃げ出
すんです。エッフェル塔の俗悪さがやり切れなくなって、命からがら逃げ
出したモーパッサン〔その小説『さすらい』参照〕みたいにね。(全集95
~98)

第一幕が始まる前に次のような舞台説明の文章があった・・「ソーリン
家の領地内の庭園の一部。広い並木道が、観客席から庭の方へ走って、湖
に通じているのだが、家庭劇のため急設された仮舞台にふさがれて。湖は
まったく見えない。仮舞台の左右に灌木の茂み。椅子が数脚、小テーブル
が一つ」。この舞台構成は、この戯曲の本質的なテーマを端的に表してい
ると言えよう。湖へと続く並木道をふさいでいるのは家庭劇を演ずるため
の仮舞台である。〈湖〉を平和、和解、明るい未来などの隠喩と見れば、
そこへと続く長い一本道が仮舞台によってふさがれているということは意
味深である。
2006年6月20日(火曜)
いったいこの仮舞台においてどのような家庭劇が演じられることになるの
か。演じられる前にすでに、トレープレフとその母アルカージナの確執が
露になっている。トレープレフは仮舞台を見て「これが僕の劇場だ」と言
っているから、舞台演出家なのであろうか。母親アルカージナはいつも自
分が讃美と喝采を浴びていなければ満足できないような女優である。とこ
ろが息子のトレープレフが主役に抜擢したのは裕福な地主の娘ニーナであ
る。読者・観客はこのニーナという〈女優〉の姿をまだ見ることはできな
い。読者・観客の言葉によれば、開幕はきっかり八場半ということである
から、それまでには必ず登場するであろう。ニーナが登場するまでに、ト
レープレフは母親について多弁を弄し、彼女の自己中心的な性格、ケチ、
劇場否定論者の彼に対する反感などを読者・観客にしっかりと植えつける。
どうやらトレープレフと母親との間にも修復不能の亀裂が走っているらし
い。まったくこの戯曲には、愛し愛される関係にある人物は一人も登場し
てこないのであろうか。否、メドヴェーヂェンコのセリフによれば、脚本
を書いたトレープレフと主演のニーナは〈恋仲〉で、今日は二人の魂が融
合するということであった。はたしてこの〈魂の融合〉はどこまで永遠性
を獲得できるのであろうか。何しろ『イワーノフ』においてはイワーノフ
とアンナの〈永遠の愛〉はわずか四年しかもたなかたのであるから。
劇場否定論者のトレープレフと、劇場大好き女優のアルカージナとの対
立・確執は、演劇における保守勢力と改革派の対立・確執のミニチュア版
といったところであろうか。トレープレフは仮舞台を見やりながら「カー
テン、袖が一つ、袖がもう一つ・・その先は、がらんどうだ。書割りなん
か、一つもない。いきなりパッと、湖と地平線が開けるんだ」と言ってい
る。トレープレフの演劇にはたいそうな建築物としての劇場などいっこう
に必要としないらしい。彼は自然(ここでは湖まで続くまっすぐな並木道
や、月など)を巧みに利用すれば、舞台に大金をかけることはないと考え
ている。彼は「当世の劇場というやつは、型にはまった因襲にすぎない」
と言い、観客は「俗悪な場面やセリフから、なんとかしてモラルをつかみ
出そうと血まなこだ」と批判する。彼は、新しい演劇の形式と、新しい観
客を求めて格闘しているらしい。劇場派の母親アルカージナは、トレープ
レフが戦わなければならない保守的陣営のシンボルでもある。従ってニー
ナが望む望まないにかかわらず、彼女もまたトレープレフの新思想のもと
にアルカージナと対立・葛藤しなければならないことになろう。未だ、ニ
ーナは登場していないが、はたしてどのように演技を展開するのか読者・
観客の興味は募る。

ソーリン 劇場がないじゃ、話になるまい。
トレープレフ だから、新らしい形式が必要なんですよ。新形式がいる
んで、もしそれがないんなら、いっそ何にもない方がいい。(時計を見
る)僕は、おっ母さんが好きです、とても好きです。だが、あの人の生活
は、なんぼなんでも酷すぎる。しょっちゅう、あの小説家のやつとべたべ
たしちゃ、のべつ新聞に浮名をながしている。これにゃまったく閉口です
よ。時によると、人間の悲しさで、僕だって人なみのエゴイズムが、むら
むらっと起きることもある。つまり、うちのおっ母さんが有名な女優なの
が、くやしくなるんです。もし普通の女でいてくれたら、僕もちっとは幸
福だったろうにな、ってね。ね伯父さん、これほど情ない、馬鹿げた境遇
があるもんでしょうか。おっ母さんの客間には、よく天下のお歴々がずら
り顔をならべたもんです・・役者とか、文士とかね。そのなかで僕一人だ
けが、名も何もない雑魚なんだ。同席を許してもらえるのも、僕があの人
の息子だからというだけのことに過ぎん。僕は一体だれだ?
2006年6月22日(木曜)
どこの何者だ? 大学を三年で飛び出した。理由は、新聞や雑誌の社告に
よくある、例の「さる外部事情のため」〔当時の雑誌などが、思想の弾圧
のため発禁になった時に使う慣用句〕って奴でさ。しかも、これっぱかり
の才能もなし、一文だって金はなし、おまけに旅券にゃ・・キーエフの町
人と書いてある。なるほどうちの親父は、有名な役者じゃあったが、元を
ただせばキーエフの町人に違いない。といったわけで、おっ母さんの客間
で、天下の名優や大作家れんが、仁慈の眼を僕にそそいでくれるごとに、
僕はまるで、相手の視線でこっちの小っぽけさ加減を、計られてるみたい
な気がした、・・向うの気持を推量して、肩身の狭い思いをしたもんです
よ……
ソーリン 事のついでに、ちょっと聞かしてもらうが、あの小説家は全
体に何者かね? どうも得体の知れん男だ。むっつり黙りこんでてな。
トレープレフ あれは、頭のいい、さばさばした、それにちょいとその、
メランコリックな男ですよ。なかなか立派な人物でさ。まだ四十には間が
あるのに、その名は天下にとどろいて、何から何まで結構ずくめの御身分
だ。……書くものはどうかと言うと……さあ、なんと言ったらいいかな
あ? 人好きのする才筆じゃあるけれど……が、しかし……トルストイや
ゾラが出たあと、トリゴーリンを読む気にゃどうもね。
ソーリン ところでわたしは、文士というものが好きでな。むかしはこ
れでも、あこがれの的が二つあった。女房をもらうことと、文士になるこ
となんだが、どっちも結局だめだったな。そう。小っちゃな文士だっても、
なれりゃ面白かろうて、早い話がな。
トレープレフ(耳を澄ます)足音がきこえる。……(伯父を抱いて)僕
は、あの人なしじゃ生きられない。……あの足音までが素晴らしい。……
めちゃめちゃに幸福だ!(足早に、ニーナを迎えに行く。彼女登場)さあ、
可愛い魔女が来た、僕の夢が……(98~99)

アルカージナは大女優、息子のトレープレフは大学を三年で飛びだした
〈名も何もない雑魚〉である。トレープレフは母親に嫉妬し、母親の前で
自分が一匹の〈雑魚〉であることを不断に思い知らされている。トレープ
レフは息子として母親を誰よりも愛しているが、同時に「のべつ新聞に浮
名をながしている」母親に反感を抱いている。アルカージナは世間体など
気にせずにマイペースで生きている〈有名な女優〉で、彼女の客間には
〈天下のお歴々〉が顔を並べている。トレープレフはいつも肩身の狭い思
いで小さくなっている。トレープレフはソーリンに自分の母親に対する思
いを正直に話している。
トレープレフが新しい形式の演劇を模索し、将来、演劇界で活躍する野
望を抱いていたのであれば、アルカージナという女優は打倒しなければな
らない敵側の一人ということになる。おそらくトレープレフは素人娘のニ
ーナを抜擢することで保守的な大女優アルカージナに反抗し、新しい演劇
の夜明けを目指したのであろう。今後、その試みがどのような展開を見せ
るのか、観客の注目を集めるだけ集めたところで、いよいよトレープレフ
の〈夢〉である、〈可愛い魔女〉ニーナの登場とあいなる。

ニーナ (興奮のていで)あたし、遅れなかったわね。……ね、遅れや
しないでしょう。……
トレープレフ (女の両手にキスしながら)ええ、大丈夫、大丈夫……
ニーナ 一日じゅう心配だった、どきどきするくらい! 父が出してく
れまいと、気が気じゃなかったわ。……でも父は、今しがた継母と一緒に
出かけたの。空が赤くって、月がもう出そうでしょう。で、あたし、一生
けんめい馬を追い立てて来たの。(笑う)でも、嬉しいわ。(ソーリンの
手を握りしめる)
ソーリン (笑って)どうやらお目を、泣きはらしてござる。……ほら
ほら! 悪い子だ!
ニーナ ううん、ちょっと。……だって、ほら、こんなに息がはずんで
いるんですもの。三十分したら、あたし帰るわ、大急ぎなの。後生だから
引きとめないでね。ここへ来たこと、父には内緒なの。
トレープレフ ほんとに、もう始める時刻だ。みんなを呼んで来なくち
ゃ。
ソーリン では、わたしがちょっくら、とまあ言った次第でな。はいは
い、只今。(右手へ行きながら歌う)「フランスをさして帰る、兵士のふ
たりづれ。」〔ハイネの『ふたりの擲弾兵』より〕……(ふり返って)い
つぞや、まあこういった工合に歌いだしたらな、ある検事補のやつめが、
こう言いおった・・「いや閣下、なかなか大した喉ですな。」……そこで
先生、ちょいと考えて、こう附け足したよ・・「しかし……厭なお声で
。」(笑って退場)
ニーナ 父も継母も、あたしがここへ来るのは反対なの。ここはボヘミ
アンの巣窟だって……あたしが女優ににでもなりゃしまいかと、心配なの
ね。でもあたしは、ここの湖に惹きつけられるの、かもめみたいにね。…
…胸のなかは、あなたのことで一ぱい。(あたりを見まわす)
2006年6月26日(月曜)
トレープレフ 僕たちきりですよ。
ニーナ 誰かいるみたいだわ……
トレープレフ いやしない。(接吻)
ニーナ これ、なんの木?
トレープレフ ニレの木。
ニーナ どうして、あんなに黒いのかしら?
トレープレフ もう晩だから、物がみんな黒く見えるのです。そう急い
で帰らないで下さい。後生だから。
ニーナ だめよ。
トレープレフ じゃ、僕のほうから行ったらどう、ニーナ? 僕は夜ど
おし庭に立って、あなたの部屋の窓を見てるんだ。
ニーナ だめ、万人に見つかるわ。それにトレゾールは、まだお馴染じ
ゃないから、きっと吠えてよ。
トレープレフ 僕は君が好きだ。
ニーナ シーッ。
トレープレフ (足音を耳にして)だれだ? ヤーコフ、お前か?
トレープレフ みんな持場についてくれ。時刻だ。月は出たかい?
ヤーコフ (仮舞台のかげで)へえ、さようで。
トレープレフ アルコールの用意はいいね? 硫黄もあるね? 紅い目
玉が出たら、硫黄の臭いをさせるんだ。(ニーナに)さ、いらっしゃい、
支度はすっかり出来ています。……興奮ってますね?……
ニーナ ええ、とても。あなたのママは・・平気ですわ、こわくなんか
ない。でも、トリゴーリンが来てるでしょう。……あの人の前で芝居をす
るのは、あたしこわいの、恥かしいの。……有名な作家ですもの。……若
いかた?
戸 ええ。
ニーナ あの人の小説、すばらしいわ!
トレープレフ (冷やかに)知らないな、読んでないから。
ニーナ あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人間がいないん
だもの。
トレープレフ 生きた人間か! 人生を描くには、あるがままでもいけ
ない、かくあるべき姿でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくち
ゃ。
ニーナ あなたの戯曲は、動きが少くて、読むだけなんですもの。戯曲
というものは、やっぱり恋愛がなくちゃいけないと、あたしは思うわ……
(ふたり、仮舞台のかげへ去る)(全集12・99~101 )

2006年6月27日(火曜)
トレープレフの〈可愛い魔女〉〈夢〉であるニーナが登場。読者・観客
はニーナの発する言葉によって彼女の置かれている状況を把握する。母親
は継母で、父親はニーナのしつけに厳しく、夜に娘が外に出ることなど絶
対に許さない、たまたま両親が揃って出掛けた隙に馬を追い立てて約束の
場所へと着いたことになる。つまりニーナは父親に内緒でトレープレフの
所へと駆けつけ、約束の芝居をしてすぐに戻らなければならない。ニーナ
の両親は娘がトレープレフと付き合うことに反対している。両親にとって
トレープレフの所は〈ボヘミアンの巣窟〉で、ニーナが〈女優〉になるこ
となど大反対なのである。
しかしトレープレフとニーナは愛し合っている。愛する男と逢うために
親の眼を盗み、嘘をつくことなどどこの娘もしていることだ。ニーナの情
熱を、トレープレフの愛情を誰も押さえ込むことはできない。しかし、す
でにわたしは『イワーノフ』を読んでいる。あの〈永遠の愛〉を誓ってお
きながら、その誓いに背いたイワーノフの運命を知っている。どのような
熱烈な愛も、それが男と女の間に通う愛なら、時の流れの中でその熱を失
い、冷えきってしまうこともある。男と女の間に〈永遠の愛〉など存在し
ないからこそ、二人は〈誓い〉をたてて、お互いの心を縛りあうと言って
もいい。しかし、熱烈な愛の直中にある時の〈誓い〉は重荷ではないが、
冷めきった後ではその〈誓い〉が己の首をしめることになる。イワーノフ
はアンナの顔を見るだけでもうざったく、とにかく彼女の前から逃亡をは
かり、あげくのはてにはピストル自殺してはてた。イワーノフの陥った憂
鬱は、新たな恋によっては解消せず、結局、自ら命を絶つことによって彼
自身はその虚無の淵からの脱出に成功したが、残された者には確実にその
〈憂鬱〉のウィルスをまき散らした。特にイワーノフの更生にかけていた
サーシャなどは、夫に裏切られた妻アンナ以上のショックを受けたに違い
ない。
チェーホフの読者・観客は、従ってトレープレフとニーナの愛に関して
も、冷やかな眼差しをぬぐい去ることはできない。いったいトレープレフ
の〈可愛い魔女〉が、いつまで彼の〈夢〉たり得るのか。それは文字通り
〈夢〉に終わってしまうのではないのか。トレープレフの母親、トレープ
レフが演劇上、いつかは徹底してぶちのめさなければならない大女優アル
カージナに、はたしてニーナはどこまで喰い入ってくれるのか。ニーナは
ただただトレープレフにお熱をあげているだけの小娘で、一時、トレープ
レフの影響に感染して演劇熱に浮かされているだけではないのか。
2006年6月29日(木曜)
ニーナは未来に暗い予感を感じている。それはトレープレフとの関係に
明るい未来を想定できないことを示している。ニーナはニレの木を見て
「どうして、あんなに黒いのかしら?」と訊ねる。トレープレフは「もう
晩だから、物がみんな黒く見えるのです」と答える。しかし、このトレー
プレフの返事はニーナの疑問に答えていない。ニーナは全く別のことを訊
いているのだ。〈ニレの木〉の黒さ、それはトレープレフが抱え込んでい
る闇の隠喩であり、愛し合っている二人の破滅的未来を暗示しているかも
知れないではないか。少なくとも、父親からトレープレフとの交際を禁じ
られているニーナにとって、未来は決して明るくはない。湖へと続く一本
道が仮舞台によって遮られていることが二人の未来を端的に暗示している
とも言える。ニーナは「あなたの戯曲、なんだか演りにくいわ。生きた人
間がいないんだもの」と言う。この言葉の中にすでに二人の破綻が予告さ
れている。トレープレフの〈可愛い魔女〉は、実は母親の大女優アルカー
ジナよりも、実は手ごわい相手であったのかも知れない。いちど自分の心
の内に入り込んだ〈魔女〉を排除することは容易ではない。ニーナの口に
するセリフは、誰にも妥協しない力強さがある。「あなたの戯曲は、動き
が少くて、読むだけなんですもの。戯曲というものは、やっぱり恋愛がな
くちゃいけないと、あたしは思うわ」・・ニーナの言葉には誰にでも分か
る具体性がある。一方、トレープレフのそれは抽象的である。彼は〈生き
た人間〉〈人生〉を描くには「あるがままでもいけない、かくあるべき姿
でもいけない。自由な空想にあらわれる形でなくちゃ」と言う。はたして
この言葉を正確に理解できる者が何人いるのだろうか。〈自由な空想にあ
らわれる形〉・・これは難解な言葉である。トレープレフが自らの演劇で
狙う〈生きた人間〉の姿をこのような言葉で表現されても、なかなかすぐ
には理解できないのである。はたして相手のニーナにどこまで正確に伝わ
ったであろうか。トレープレフの〈抽象〉とニーナの〈具象〉はやがて、
はっきりとした意見の相違となって二人の関係を破綻の方向へと押しやっ
ていくのではなかろうか。今はまだ余りにも小さい溝で、二人とも、その
溝の深さに気づいていないだけのような気がする。
2006年7月1日(土曜)
いよいよ幕があがって、湖の光景が開ける。月は地平線を離れ、水に反
映している。岩の上に白衣のニーナが座っている。ニーナの長い独白が続
く。

ニーナ 人も、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、
蜘蛛も、水に棲む無言の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった
微生物も、・・つまりは一さいの生き物、生きとし生けるものは、悲しい
循環をおえて、消え失せた。……もう、なん千世紀というもの、地球は一
つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火をともして
いる。今は牧場に、寐ざめの鶴の啼く音も耐えた。菩提樹の林に、こがね
虫の音ずれもない。寒い、寒い。うつろだ、うつろだ。不気味だ、不気味
だ、不気味だ。(間)あらゆる生き物のからだは、灰となって消え失せた。
永遠の物質が、それを石に、水に、雲に、変えてしまったが、生き物の霊
魂だけは、溶け合わさって一つになった。世界に遍在する一つの霊魂・・
それがわたしだ……このわたしだ。……わたしの中には、アレクサンドル
大王の魂もある。シーザーのも、シェークスピアのも、ナポレオンのも、
最後に生き残った蛭のたましいも、のこらずあるのだ。わたしの中には、
人間の意識が、動物の本能と溶けあっている。で、わたしは、何もかも、
残らずみんな、覚えている。わたしは一つ一つの生活を、また新らしく生
き直している。

鬼火があらわれる。

アルカージナ (小声で)なんだかデカダンじみてるね。
トレープレフ (哀願に非難をまじえて)お母さん!
ニーナ わたしは孤独だ。百年に一度、わたしは口をあけて物を言う。
そしてわたしの声は、この空虚のなかに、わびしくひびくが、誰ひとり聞
く者はない。……お前たち、青い鬼火も、聞いてはくれない。……夜あけ
前、沼の毒気から生まれたお前たちは、朝日のさすまでさまよい歩くが、
思想もなければ意志もない、生命のそよぎもありはしない。お前のなかに、
命の目ざめるのを恐れて、永遠の物質の父なる悪魔は、分秒の休みもなし
に、石や水のなかと同じく、お前のなかにも、原子の入れ換えをしている。
だからお前は、絶えず流転をかさねている。宇宙のなかで、常住不変のも
のがあれば、それはただ霊魂だけだ。(間)うつろな深い井戸へ投げこま
れだ囚われびとのように、わたしは居場所も知らず、行く末のことも知ら
ない。わたしにわかっているのは、ただ、物質の力の本源たる悪魔を相手
の、たゆまぬ烈しい戦いで、結局わたしが勝つことになって、やがて物質
と霊魂とが美しい調和のなかに溶け合わさって、世界を統べる一つの意志
の王国が出現する、ということだけだ。しかもそれは、千年また千年と、
永い永い歳つきが次第に流れて、あの月も、きららかなシリウスも、この
地球も、すべて塵と化したあとのことだ。……(間。湖の奥に、紅い点が
二つあらわれる)そら、やって来た、わたしの強敵が、悪魔が。見るも怖
ろしい、あの火のような二つの目……
アルカージナ 硫黄の臭いがするわね。こんな必要があるの?
トレープレフ ええ。
アルカージナ (笑って)なるほどね、効果だね。
トレープレフ お母さん!
ニーナ 人間がいないので、退屈なのだ……
ポリーナ (ドールンに)まあまあ、帽子をぬいで! さあさ、おかぶ
りなさい、風邪を引きますよ。
アルカージナ それはね、ドクトルが、永遠の物質の父なる悪魔に、脱
帽なすったのさ。
トレープレフ (カッとなって、大声で)芝居はやめだ! 沢山だ!
幕をおろせ!
アルカージナ お前、何を怒るのさ?
トレープレフ 沢山です! 幕だ! 幕をおろせったら!(とんと足ぶ
みして)幕だ!(幕がおりる)失礼しました! 芝居を書いたり、上演し
たりするのは、少数の選ばれた人たちのすることだということを、つい忘
れていたもんで。僕はひとの畠を荒らしたんだ! 僕が……いや、僕なん
か……(まだ何か言いたいが、片手を振って、左手へ退場)(全集12・10
4 ~106 )

ニーナはトレープレフが書いた脚本をそのまま口にしているだけのこと、
このセリフにはたしてどれほどの演技力が必要とされたのか。もし、この
セリフ自体にトレープレフが意味をこめていたのだとすれば、何も劇仕立
てにしてくれずとも、脚本をそのまま読めばいいということになる。舞台
での長いセリフは観客の耳にそのまま正確に伝わるとは限らない。なのに
なぜトレープレフは、脚本を書いてそれを活字で発表することだけに満足
せず、さらに俳優を集め、演出し、観客動員に駆け回る、そんなこんなの
苦労を重ねてまで舞台作りに精をだすのだろうか。


2009年6月10日

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