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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載③)


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五十嵐綾野さんの寺山修司論(連載③)

寺山修司と路地裏

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 寺山修司と路地裏
                                 五十嵐 綾野


 今から三十年近く前のことである。寺山修司が、路地をテーマにした作品を書くために路地裏をさまよっていたところ、覗き魔と間違われて逮捕される事件が起きた。その時支払った罰金は八千円。この事件は、新聞や雑誌で取り上げられ大きく報道された。
当時の新聞を見てみよう。「渋谷区内の他人のアパートの敷地内をうろついて、付近の住民に捕まった」「これといった動機はなく、のぞきが目的」など。寺山の事件当時の服装についても各紙違ったことを書いている。「紺のズボンにポロシャツ姿でサンダル履き」「ポロシャツにサンダル履き、下半身はパンツのみ」「全裸で近所をウロウロ」など最後の方はあきらかにおかしい。完全に性的変質者扱いである。
実際は、敷地内に無断で立ち入った「住居侵入」である。それが新聞から週刊誌に受け継がれる間に様々な情報が入り混じり、だんだんとエスカレートして勝手に発展していった。関係のない下着泥棒の疑いまでかけられている。笑ってしまうほどくだらないのだが、寺山本人からすればとんでもなく迷惑な騒動だ。これでは「世界のテラヤマ」どころかただの変態である。どの記事も、一方的に住民の談話から成り立っている。密に絡まる情報網と噂の恐ろしさ。覗かれた側も被害者だが、寺山も被害者でないだろうか。
 昭和歌謡が聞こえてくるような、路地や袋小路は姿を消しつつある。その代わりに増えてきたのは「私道」である。「通り抜け禁止」の立て看板や、夜道でいきなり点灯する防犯灯が目立つ。現在の路地裏はみんなで共有する場所ではなく、他人が近寄ることすら許さない私有物になってしまった。
 私が今住んでいるところは、都内とはいえまだ下町の風景が広がっている。それでも、十年前に引っ越してきた時より、大きなマンションが増えたのは事実である。車が行き交う大通りから離れ一本裏の通りに入れば、人一人やっと通れるくらいの細い道が入り組んでいる。野良猫がのんびり寝そべったり、夕方になるとおいしそうな香りが漂う。カメラを片手にふらふらと散策するのは楽しい。万が一、誰かの私有地に入り込んでしまったとしても、寺山のように通報されたらどうしようという心配はあまりない。それよりも、私自身が怪しげな人に出会ったらという不安の方が大きい。昼間でも人通りの無い路地は怖いことがある。これはとても悲しいことである。見知らぬ人同士が挨拶するということもなくなった。近所に(多少は知り合いがいたとしても)どんな人が住んでるのかわからない。同じマンションの他の階の住人を知らない。
 寺山に覗きの趣味があるかどうかはどうでもいいことだ。それを、いちいち子供時代の環境までさかのぼって寺山の性癖を割り出そうとする行動も無駄だと思う。そんなことをしてどうするのだろうか。時代の寵児で、男性からも女性からも放っておかれない存在だっただろう。アパートの女子大生をわざわざ覗くまでもない。
 おそらく、寺山は東京の真ん中に故郷の原風景を見つけたのだ。いくら泥臭いものを排除してコンクリートで無機質に町を作り上げて、カラフルなネオンサインで彩っても、路地裏には生活臭が漂っている。カーテンを開ければ、目の前にあるのは故郷で見たものと同じ荒野だった。それでも生身の光景を見たくて、肝硬変の病を抱えながらサンダルをつっかけて探し回っていたとすればどうだろう。寺山はもう自分にはそう時間がないことに気がついていただろう。体調も優れなかったと思われる。ついに荒野だと思っていたところに、生身の光景を見つけた。それは、寺山にとって羨むほどの光景だった。憧れていた光景といってもよい。だから、我を忘れて凝視してしまったのだ。目は鋭い光を放っていただろう。それを、変態だの覗き魔だのと犯罪者に仕立て上げられてどん底に落とされてしまったのだ。寺山が息を引き取ったのは、この事件の三年後である。寺山自身、最大の恥辱であったと、死の直前まで気にしていたという。
 路地裏を散策するのは楽しい。ノスタルジックな気分になる。しかし、路地裏が単なる私有地になってしまった今では、様々な危険が伴うようである。堂々と歩ける野良猫が羨ましい。

2009年5月27日

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