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学生の声【マンガ論】


【日野日出志『赤い花』をやる。作品を受講生に読ませたあと、感想を書かせる。以下、優秀なものを掲載する】 

(山内詩織・文芸学科1年) 
 
 最高の傑作には最高の狂気が不可欠である。それは絵画において、造形において、全ての芸術に言及できることだ。この話の主人公の作品が他者の心を魅了するのは何故か。それは、主人公の作品が、主人公の狂気を孕み、その狂気に他者がある種の共感を覚える為である。
 人間の根底には、狂気がある。『狂った人間』、『狂った精神』と言ってカテゴライズし、己を『常識人』だと名乗ることで安定を保とうとしている人間は多い。しかし、その『常識人』達が『狂った精神』に惹かれてしまうのは、根底に潜在している狂気が、『狂った精神』と共鳴し、心のどこかで『心地良い』と感じてしまう為なのだ。
 では、何故人間は『狂気の精神』を隠し、安定を求めるのか。それは、『狂気の精神』が人間を喰ってしまうという危険を伴っているからだと、私は考える。人間は、時として精神に喰われる瞬間が有る。つまり、精神をコントロールできなくなる、ということでもある。人間が普段安定を望んでいるのは、精神に喰われることを恐れている為だろう。

ここから続き

 精神に喰われた主人公を見て、大半は『こんなことするなんて気が狂っている』と感じるだろう。確かに、自分の最高傑作の為に人を殺すという行為は、常識で考えれば実に非常識且つ正気の沙汰とは思えない行為であろう。しかし、極論を述べればこれが『芸術家』の真の姿なのである。もっと端的に述べてしまえば、これが『人間』なのである。
 芸術を全うするということは、己の根底に眠る『狂気の精神』を解放することだ。そして、それに喰われてしまうか、それとも、完全に共生してしまうかは、『狂気の精神』と芸術家との戦いの末にわかることである。
 しかしながら、喰われてしまうことが悪かと言えば、私はそうは思えない。何故ならば、その喰われている姿そのものが、芸術と呼べる美しさなら、私はそれを完成と呼びたいからだ。

(横田理紗・音楽学科2年)

 題材が斬新すぎるあまり、始終ハラハラドキドキしていました。この男のもつ欲望があまりにも恐ろしいものなので、ゾっとしたと同時に、最近起こっている凶悪な事件の中にもこの男のようにエゴイズムな欲望を持った人がいるに違いない、と思ったらさらにゾっとしました。この漫画でも分かるように、人の欲は一度満たされればそれで消えてなくなるものではなく、常に心の中にあって、さらに次第に大きくなっていくものであると思います。なので、作品冒頭からいかにも気味悪い男でも、きっと以前はただきれいな花を咲かせたい、いい作品を作りたいと思うだけの青年だったに違いありません。何かがきっかけで彼の欲はエスカレートしていったのだと思います。その証拠に、378ページで出てくる部屋には女の形をしていない花がいけてあります。私はこのコマにとても違和感を感じました。
 もう一つ、私が注目したのは、音です。この作品の世界はとても静かなのか、ありとあらゆる音が表現されていました。中でも、男が女の体を切り刻む所あたりは、「ごりごり」「ごしごし」「どぼどぼ」「ざくっ」など、とてもリアルな表現ばかりで、より恐ろしく感じさせられました。また、美花園の隣を走る電車がとても気になりました。最初と最後、そして重要なシーンでは必ず電車が走っていたので、これは何かを表しているのかな、と思いました。
 日野日出志さんの作品は「蔵六の奇病」「赤い花」共に人間の深層心理がうかがえる作品でした。日野さんの違う作品もよんでみたいと思いました。

(林さとこ・文芸学科1年)

 私はこの著者の作品を授業で使った二つの作品しか知らないが、著者は自分の考える芸術、というものを伝えたいと強く思っているんだなぁ、と感じた。蔵六とこの男は本質的には同じである。蔵六は自分の体を傷つけ絵を描き、この男は他人を殺して花を作る。全く同じではないけれど、芸術の表側と裏側を表しているように感じた。ともかく、犠牲を出さなければ芸術は完成しない。
 この作品の中で、恐怖として描かれているのは、この男だと思う。しかし、私が一番怖かったのは、彼の作品をほめ札束を持ってやってくる人々だった。この男の心の中には、人を殺したという罪の意識が絶対にどこかにあるはずだ。そうでないなら、彼は人間として生きるために本当に大切なものを失くしてしまった、花に人の心を狂わされてしまった人間ということになる。どちらであっても、彼はまた同じことをくり返す未来が続いており、救われない。罪の意識は、自分で気づかないでも、心を病ませていくし、人間を殺して平気でいられる人間など、もはや人間ではないからだ。この男はそうやって、自分の背負う闇を作り続けながら花を作るのだ。それを、自分たちは安全な場所にいて、彼を変人と呼び線を引き、その外側から、人々は彼の花をほめる。更に恐ろしいことに、彼の花を、娯楽として商売の道具として消費しようとするのだ。こんなに怖いことってないと思う。(それなら、こんな人の目に触れる所へ作品を応募しなければいいのに、とも思うが、俺だけのもので誰の手にも触れさせない、と思う一方で、美しい物を他人に見せたい、自分の居場所-芸術家としての居場所を見つけたいという気持ちも、あったのかもしれない。あるいは、単純に有名になって客が増えれば美人が来る回数も多くなる位の考えだったのかもしれないが。)

(佐藤春菜・文芸学科1年)

 恐ろしく、気持ち悪く、そして不気味な印象でした。しかし、ホラー漫画としては、どこかで見たことのあるような・・そんな印象です。
 物語全体が薄気味悪くなんとも後味が悪い。しかしこのような印象を深く植えつけているこの技術もすごいと思います。ナレーションの口調は正にそうです。まるで人から聞いたかのように話すことで、この物語内で起きた出来事を、真実のように思わせます。また、最初の事件が起こる前に書いたナレーションを最後にもう一度書くことで、お花の先生と同様に女学生もまた花へと生まれ変わる運命を変えることはできないと誰もが感じることができます。その変わらぬ運命に、決定された彼女の死に人は後味の悪さを感じることだと思います。
 気味の悪さの原因としてもう一つ上げたいのは全体の暗さです。特に美花園の主である「男」の周りは常にベタと斜線で表現されています。花の先生を生まれ変わらせるシーンでは、背景を全てベタで表現することによって、「男」の暗さ、みにくさ、そして恐ろしさを表現しているように思えます。また、ほとんどの登場人物は一番簡単に感情を表現できる眉毛がなく、その変わりに、顔の影にはっきりと明暗をつけることで表現しています。
 このような表現の工夫によって、見たことがあるような内容でありながら、見たこともないような不気味さ、暗さが表現されてるのだと思います。
 少し参考になりました。でも、あまりの恐ろしさに、もう読みたくないという気持ちになってしまいました。

(西川博泰)

 読んでいて気分が悪くなった。この話がマンガで描かれているからかもしれない。小説のように文字だけではここまで気持ち悪いとは思わなかったと思う。それはやはり自分の中にどこか話を綺麗にしようとする力が働いてしまうからだろう。しかしマンガではその力を許さない絵がある。主人公の男の顔は気味が悪く、いびつなものに描かれている。男のゆがんだ花や女への愛情の根底には何があるのかを考えると、この男の顔はいくつもの想像を可能にする。例えば自分のみにくさゆえに美しいものへの執着が強くなった、相手にしてくれるものが口を持たない花だけであり自分を相手にもしない美しい女たちを花や自分に取り込むことで自分の物になったという感覚を得ていた、などだ。しかしいくら想像しても正解などはない、いや全て正解ともいえるかもしれない。
 深すぎる愛情はときに人を狂わせるという。主人公の男の愛は花に向けられていたものなのか、それとも女に向けられていたのだろうか。花に対して男がもっていた感情はそれほど強いものに描かれていなかったような気がする。そういった記述は確かにあるがそれは常人が持つ花への思いが少し強くなった程度であると思う。だとすれば男の愛情は花ではなくむしろ女に向けられていたのではないか。切りきざんだ女を自分の中に取り込むなんて狂っているとしか思えない。
 もし深い愛が人間をそうさせるのであればもしかしたら自分にもそういった狂人になりうる可能性があるのかもしれない。最初に気分が悪くなったと書いたが、自分の中にもあるかもしれない要素をみせられて怖くなり、そう思ったのかもしれない。

(朝賀真帆・文芸学科)

 何故、花園のすぐ側に線路なんだろう。
 作品の最初から最後まで、何度も目について異様な存在感を持つ線路、電車、爆音。植物はああ見えて音には敏感なので、線路わきで育てては、ねじくれて成長してしまいそうなものなのに。
 だが、花造りに異様なこだわりを見せる男だ。電車の騒音を気にするのなら、すぐに花園を別の場所へ移すだろう。男にとって花園の側の線路は、とても大きな意味を持っているはずだ。
 花にいたずらをしたこどもを殺すための道具として、庭に誘い込んだ女を殺すその音や声を隠蔽するものとして、そして、電車から花園を見て思わず花を買いにくる、新たな女の獲得手段として。私が思いつくのはこれだけだが、この程度の理由ではないように思う。今はまだわからない。
 そして最後に花園に花を買いに現れた女の子。表情が普通じゃない。たくさん汗をかいて、男に、花園に恐怖を抱いているように見える。彼女は何かに気がついている。話はあのまま終わりそうにない。

(加藤まみ・放送学科2年)

 この作品のメインとして登場する、花屋の主人が女を殺してその体を切り刻むシーンが、それほど気持ちの悪い印象を受けないのは何故だろう。それは作中の随所に登場する、様々な種類の花の描写のせいであると私は思う。冒頭の、花壇を荒らした少年の犬が主人に殴り殺される場面、そして少年が電車にひかれる場面でも、その背後には見事に咲き揃った桜の大木が描かれている。首がちぎれても目玉が飛び出ても、風に舞う桜の花びらがグロテスクさを半減させている。だから、割とショッキングな描写が多いこの作品を、ためらうことなく最後まで一気に読み進めることができた。女の体を切り刻み、それを材料に花を作る場面に、私は美しささえ感じた。花を作り始める前に、まず女の体を自分の体内にとり込むという行為に、花屋の主人である男の執念を感じた。美しい花を開花させることへの執念。その執念によって完成した「夏の女」を、私は迷いもなく「美しい」と思った。ひとつ残念だったことは、課題として配られたこのテキストがカラーでなかったこと。作品のイメージカラーはタイトルの通り、まぎれもなく「赤」である。花の色だけでなく、女の口紅やマニキュアの色、踏み切りの信号や通り過ぎる電車の色、そして血の色。もしもテキストがカラーコピーであったなら、ページをめくる度に様々な「赤」を見ることができただろう。ベタ塗りされたそのベタの色さえ、カラーでは黒ではなく赤だったのではないかと思えるほどだ。女の体に咲き誇る真っ赤なバラ-「夏の女」も、私はぜひカラーで見たかった。

(福田貴行)

 この赤い花は今から30年も換えの作品なので表現が古いと思った。古いと言うと語弊があるが、ようはシンプルな表現が多い感じる。
 いくつか例を上げると、まず花というのはあからさまに女性の象徴である。もっと言えば女性器の象徴だ。そして赤、もちろん血の色としてもそうだが、一般的に警告色である。も¥それは信号などのシグナルに用いられている事からもわかる。タイトル「赤い花」をとっても、性的なものを用いた、警告性の強い、サスペンスタッチの作品である事がわかる。この手の作品は、若者、それもいささか芸術かぶれの自意識過剰な者たちに人気がある。それはいつの時代でも同じ事で。この作品と同年代の、スタンリーキューブリックの「時計じかけのオレンジ」や、最近だとエヴァンゲリオンなど、いかにも、その手の人間、いわゆるアングラな人々に好かれる作品群である。これらの作品は、研究してみればいくらでも作れる。ある法則を見つければいいのだ。それをねらえばヒット作を生み出すのはたやすい。とはいえ30年前にやるのはすばらしい。
 さて話の中を見てみると「ゆがんだ愛」の形がテーマになっている。ちんぷだ。話の要所で出てくる。電車のふみきり音、それらは効果的に使われている。警告としての電車、花、それによるチョウ(女)それを見つめる狂気、狂気は邪魔な無視(少年、犬)そとりのぞく、電車(エスカレートする狂気)。花によるチョウ(女)→フミキリ音(狂気)。さらに花の品評会においてのコマは霞がかかっている。これは狂った社会へのアイロニーだ。女を犯す所ではあざとい。クモ(男)の糸にチョウ(女)がつかまり電車、(性欲を狂気)そして青虫(男性器)が花(女性器)へ、ハチ(男)も花(女)へ。電車の音(狂気)。といった展開だ。最後にはスカトロ、カニバリズムと若者のハートを鷲づかみ。終わりに出てくる少女の汗も、性を象徴している。あざとすぎるようにうまくまとめた作品として売れて当然だ。プロというのはこういう事と思う。

(伊藤茜・放送学科1年)

 まず1ページ目を開くと、目に飛び込んでくるのは手足が気となり、バラのツルでがんじがらめにされ、血だらけになっている裸の女性の姿だ。とても痛々しく、それでいて美しい。この女性は一体何なんだろうか。そして、上に書かれた「人間の深層心理に~」という文章が何を意味するのか。表紙を見ただけで、次々と疑問がわいてきて、とても興味をそそられる。そんな表紙を描けるマンガ家はそんなにいないと、私は思う。
 さて、1コマ目で舞台となる“美花園”という、名前からして美しい花しか咲いていないようなところが出てくる。そこは路線の隣にあり、「ゴー」「カンカン」とうるさい音がひびいている。私の考えだと、きっと作者はうるさい線路を美花園の横におくことによって、日々うるさい社会の中で美しいはなを育てるためだけにひっそりと生きる主人公を浮き彫りにしようとしたのではないか。そうして浮き彫りになった主人公が、奇妙な歌を歌いながら、登場した。彼の顔はとても奇怪である。陰湿な感じが見て取れる。彼は花のためなら手段を選ばない。毛虫を素手でとったり、平気で犬を殺し、人が目の前で死んでも何とも思わない。はっきり言って異常者だ。そしてそんな男が見つめる1人の女性。男はその美しい女性を手にかけてしまった。私はそこまでは、女性への愛ゆえに男は女性を殺してしまったのだと思っていた。そんなに女性を愛していたのか、と。しかし読み進めて行くにつれて、男は女性をバラバラにして、断食までして女性の肉を食べ、女性の肉体を花の養分として、美しい花の作品を作ってしまった。男の部屋には、何人もの女性が犠牲となって作られた作品がたくさんあった。そこで私は気がついた。男は女性を愛していたのではない。男が愛しているのは唯一“美”だけだ、ということに。そんな犠牲の上で出来た作品は万人に愛される作品となった。人間は深層心理の中で犠牲の上での“美”を求めているのだ。人間というのは、とてもこわい生き物だ、と私は思った。

(野上萌子・デザイン学科)

 子供の頃、屋根ウラ部屋に親が趣味で買っていたガロがあった。それを盗み見た時の、性的な描写に対する興味、不条理さから感じる嫌悪感、「う、大人ってこんなものを……。」と感じた事などを日野日出志の「赤い花」を読んで思い出した。
「赤い花」も小学生の時に読んだことがあるのだがその時はただただ気持ち悪くて恐い、と感じ、あわてて「小さな恋のものがたり」(みつはしちかこ著)などを読み直していやされたものだった。
大学生になった今、読み返して思うことはやはり強い嫌悪感だ。グロい、恐い、暗い。どうしてこの時代の劇画はこんなに暗いんだろうか。読後感がスッキリしないものばかりである。
男の異常なまでの鼻への愛情。先生、この男は変態です。3ページ目の男が犬をたたき殺すシーンには不思議な静けさがある。本当なら犬と子供の悲鳴、狂った男の叫び声、棒をふりおろし、犬を殴りつける音など大音響になるシーンだがここでは無音だ。効果音の一つもない。それが映画でいえばスローシーンのような狂気の世界をより強く演出している。
男は女を殺し、バラバラにし、食べ、女を全て使って作品を作り上げる。その事に何の疑問も持たず、それをすばらしい事だと思っている。究極のエゴイストだ。
そしてこの物語はくり返される。22ページ目の2コマ目で冒頭と同じナレーションが入る。この狂気の行動は何度となく繰り返されてきた事でありマンガの初めと終わりでループしている。このことが私に車酔いにも似た気分の悪さを感じさせるのだろう。ああ、気持ち悪い。

(高井希・文芸学科1年)

 日野さんはよくこんな話を思いつくなぁと思った。
 この男の異常性はある意味日野さんに結びつくものなので、漫画家じゃなかったらちょっと危ないと思う。
 しかし現に日野さんは漫画家で、わたしはこの漫画をすごいと思うので、やはり日野さんがこういう思考をしていてこういう絵を描くのはすごい。男が一度体を空にして女の肉を食べ、「お前は俺の体の養分として永久に生き続けるのだ」と言うのは少しロマンチックだと思ったが、男はそれまでにもそうやって何人もの女を食べてきているので、日野さんの伝えたいことは男の一人の女に対する異常な愛ではない。結局何を一番強く表したいのか、わたしにはよくわからなかったが、今まで読んだ「蔵六の奇病」「はつかねずみ」はリアリティのない話で、日野さんの性格や思考まで考えはしなかったが、この作品で少し日野さんが怖くなった。

2005年12月05日



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コメント

あ、「喰う」って字は統一でお願いしまぁす♪(´ω`;)

投稿者 詩織 : 2005年12月06日 13:38

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