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野沢尚氏の講演記録(2)


企画書というのはペラで五・六十枚のものなんですけれども、制作会社が「こういう趣旨の番組を作りたい、こういうストーリーのドラマを作りたい」ということを、日本テレビやフジテレビにプレゼンテーションするための企画書を作るわけです。本当はそういうものはプロデューサーが書くんですけれども、プロデューサーも忙しいし、文章書くのが苦手だっていう人もいるんで、若いライター志望の人間に下請けをさせるわけですよね。それを若いライターが書いていって、もちろん原作がある場合もあるし、こういうストーリー、こういう俳優を想定して、というふうに書く場合もあるし、とにかくそれを一本やると、僕がやっていた当時はそれで一本三万円くれたんですよね。まあ税金引かれて二万七千円になるんですけれども。いまは多分五万円くらいだと思うんですけれども、大体月に三本書けば、安いアパートに住んでいたし、それで生きられるっていう綱渡りの生活を、大学の四年から卒業して二・三年やっていました。それだけで就職せずに、多分変な自信があったんだと思うんですけれども、そうやって頑張って書いていれば何とかなるという思いこみがあったんでしょうね。

 それでやっていたんですが、当時何本くらい書いたかというと、ペラ五・六十枚のものを年に五十数本書いていたんですね。週に一本、月に四・五本書いていたと思うんですけれども、そうしたらそれだけのお金を貰えるかなと思って三船プロの経理に行くんですけれども、そうすると二本分しか入っていないとか、一体その金はどこに消えたんだとか、そういう不満もあるんですけれども、でもそういうことはプロデューサーには言えないし、仕事も欲しいですからそういうことを言って、「金にうるさい奴だ」と思われたくない……。そういう辛い経験をすると思うんですけれども、そういう二十代の前半だったんですね。
 ただ、プロットばっかり書いていたんではデビューできないっていう風にどこかで分かっていて、コンクールのための脚本を書きました。城戸賞に大学を卒業した年に応募して、それが佳作入選になったんですけれども、いま目の前にビデオソフトがあって、すごく恥ずかしいんですけれども、『Vマドンナ大戦争』っていう、『七人の侍』の学園版みたいな、これは別に観なくていいです(笑)。そういう映画をやって、まあその脚本が城戸賞に入ってからも、すぐにデビューできたわけではなくて、相変わらずプロット書きをやっていましたけれども、ただ城戸賞に入ったということで、周りの目が多少変わった。そういう感じはありました。

 で、その脚本が回り回って三船プロから松竹富士の奥山和由さんという人の手に渡って、即決で映画化されることになって、それが城戸賞を獲ってから二年後だったと思います。一九八五年の七月十三日に初日を迎えたんですが、大コケだったんですね。映画館に行ってですね、皆さんもよく知っていると思うんですけれども、舞台挨拶がある。で、舞台挨拶があるんで、お客さんはほとんど満員に近い状態なんですね。ところが挨拶が終わると第一回を見終わったお客さんが全部出ていって、五割か六割ぐらいになっちゃう。その時点で「ああ、これはコケたんだな」という暗い気分で、東銀座から駅まで歩いたっていう記憶がいまでもありますけれども。それでコケて二年か三年、映画の仕事はなかなか実を結ばなかった。まあテレビの仕事はやっていましたけれども。

 その後に『マリリンに会いたい』っていうファミリーピクチャーを書いたわけです。これはもうご存じのように、犬が三キロの海を自分の恋人の犬に会いたさで…という、まあ、スケベな犬の話なんですけれども、それを書きまして。新人がそういう厳しい制約の中で、つまりファミリーピクチャーでとか、泣かせなくちゃいけないとか、主演は安田成美と加藤雅也というこの二人でやってくれとか、とにかくそういう中で自分らしさというのをいかに出すかというのが出始めの作家の難しいところなんですね。その映画に関しては、そういう制約を消化した上で、人間ドラマに焦点を絞って、まあまあ評もそんなに悪くなかったし、興行的にはいちばん成功して、デビュー作の損を返した形になったんですけれども。

 それで『その男、凶暴につき』に行くわけなんですが、この映画は僕にとっては、たけしさんと仕事をしたというよりも、深作欣二監督との仕事だという風にいまでも思っているんですね。皆さんご存じのように、五日前に監督はお亡くなりになって、僕も昨日お葬式に行ってお別れをしてきたんですけれども、深作さんとの脚本づくりの思い出が強烈にあります。

 そもそもはまず深作さんと会って、紹介をされて、一番最初は記憶に間違いないと思うんですけれども、「蒲田行進曲パート2」という話があったんですね。つかさんの原作で「銀ちゃんが行く」っていう続編があって、その上でどう脚色できるかっていう話が最初にあったような気がします。ところが深作さんにはこれを映画化しても、第一作を越えられないなという気持ちがあって、まあ夕べ監督に対する追悼の意味も込めて、『蒲田行進曲』のDVDを観たんですけれども、やっぱりあのつかさんの毒とか、エネルギッシュな演出とか、一分一秒も停滞していないような激しさとか、まあ古くさいと思う部分もあるけれども、やっぱり傑作だと思うし、これを越えるものってなかなかできないんですよね。ちょっとこれじゃ無理じゃないかとなったときに、じゃあ改めて何をやろうかということになって、僕はとにかく深作さんのアクションが観たかった。それまでは文芸路線で『家宅の人』とか『華の乱』とかをやられているけれども、やっぱり『仁義なき戦い』とか、反骨精神に溢れた登場人物が出てくるアクション映画を僕はやりたい、と。シネマスコープのその横顔の画面が、手持ちの撮影で揺れるっていう、ああいう激しいものを撮ってほしい、ということを言った気がします。

2004年7月 1日

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