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チェーホフ『退屈な話』を読む(10)... 【退屈を感じない話】


老教授ニコライとカーチャの演技論

『退屈な話』の中で退屈を感じない話がある。老教授が故同僚から引き取って育てたカーチャに纏わる話である。十八年前、七歳になるカーチャの後見人になったと書かれているから、この手記が老教授〈六十二歳〉の現在において書かれているとすれば、カーチャは現在二十五歳ということになる。カーチャは好奇心が強く、十四、五歳になった時に芝居に熱中し、自分は女優になるために生まれてきたと宣言する。まずは老教授の演劇論に耳を傾けてみよう。


わが輩は一度もカーチャの演劇熱に釣り込まれたことはなかった。わが輩の思うに、脚本さえよければ、なにも俳優をわずらわすまでもなく然るべき感銘をもたらすはずであり、従って脚本を読みさえすればことたりるわけだ。またもし脚本が悪ければ、どんな名演技も脚本を引きたてはしないだろう。

想像力・創造力の豊かな者は日常のなにげない光景の一こまから一編の小説世界を構築するこ
とができる。ましてや脚本ひとつあれば、自分の頭の中にすばらしい舞台を構築することができる。こういった者にとっては、確かに脚本がありさえすればいいのであって俳優など不必要ということになる。すばらしい脚本に対するすばらしい解釈、それが可能であれば、なまじ舞台などを観て演出家の無能や俳優のぶざまな演技に腹をたてることもないというわけである。

小説とその映画化に対しても同じようなことが言える。すばらしい小説を映画化して成功した作品はない。「小説よりも映画の方がいい」と言われて満足を覚える小説家はいないだろう。小説以外では表現できないからこそ小説家は小説を書いている。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』など、どのように映画化しようと不可能だろう。ただし、かつてエイゼンシュタインが『カラマーゾフの兄弟』の映画化を計画していたという話を聞いた時だけは心の底からその映画を観たいと思った。小説の天才ドストエフスキーの最高傑作を映画の天才エイゼンシュタインがどのように映像化するか、考えただけでゾクゾクしたものである。

チェーホフは脚本家でもあったわけで、ここにニコライ・ステパーノヴィチのペンを借りてしたためた演劇論というか脚本論は説得力を持っている。

わが輩の意見によると、演劇は三十年・・四十年前に比べて一向に進歩しておらぬ。(略)頭のてっぺんから爪先まで演劇的な因襲や偏見にこり固まった俳優が、例えば《存うべきか存わざるべきか》という簡単なありふれた独白ひとつ言うのに、あっさりと言わずになぜかきまって押し殺した口調で、全身をけいれんさせながら言おうとする時、あるいはまた、馬鹿者あいてに長々と渡りあい、ばか娘に血道をあげるチャーッキイこそは世にも賢い男だの、『知恵の悲しみ』は決して退屈な戯曲ではないなどと、かさにかかってわが輩に納得させようとする時、四十年前に古典主義的な雄叫びや胸をたたく大げさな演技が幅をきかせていた頃わが輩を退屈させたのとそっくり同じ因襲墨守の息吹が、わが輩めがけて舞台から吹きつけるのである。そして劇場から出るたびに、わが輩は入る時より一そう保守的になる。

たしかに演劇は一向に進歩していないだろう。この手記が書かれてから百年以上たった今日においても、演劇は本質的に何も変わっていない。そこに《退屈》を感じるか、熱中するかはまさに個人的な次元の問題となる。ニコライ・ステパーノヴィチは退屈し、カーチャは熱狂する。ただそれだけのことである。演劇に夢中になって一生を棒に振る者もあれば、それで名をなす者もある。演劇で新しい何かを表現するといっても、その何かがはっきり見えたためしはない。チェーホフの時代も百年後の現代も、舞台や装置が変わっただけのことで脚本家、演出家、役者が、ゴリラが人間に変わるほど変わったわけではない。つまり、シェイクスピアの時代から何一つ変わっていないのだと断言してもそう間違ったことにはならない。われわれはシェイクスピアの脚本を読めばことたりるのであって、わざわざその舞台を観に行く必要もないということだ。これははたして暴論なのか、それとも余りに的をついた真理なので、こんなことを面と向かって言われた演劇関係者は無関心を装うしかないのだろうか。

あいてが感傷的な信じやすい大衆なら、今日の形態の演劇は一種の学校であると思い込ませることもできよう。しかし学校ほんらいの意義に詳しい者は、そんなわなにはおいそれと掛らない。五十年・・百年後のことはいざ知らず、現状の演劇はせいぜい娯楽がいいところだ。そのくせ娯楽としての演劇は、たえず楽しむためには金がかかりすぎる。この娯楽はまず国家から、もし演劇に身を捧げなければ立派な医者に、農夫に、女教師に、将校になったはずの若い、健康な、才能ある数千人の男女を奪い取る。次にそれは大衆から夕の数時間を、・・知的労働と友だち同士の歓談に最適な時間を・・奪い取る。金銭的な損失や、常軌を逸した殺人や姦通や中傷が舞台に繰り広げられる時に観客のこうむる精神的な損害については言うまでもない。

こういったニコライ・ステパーノヴィチの意見は、チェーホフの考えの一端を伝えているのであろう。新しい表現形態としての役割をすでに終えた演劇は、〈娯楽としての演劇〉として生き延びる。が、そのためには金が掛かりすぎる。そんなことで将来有能な若者たちを犠牲にすることは芳しくない。彼の意見を聞いていると、〈娯楽としての演劇〉は今や〈テレビ〉が代行しているのではないかとさえ思う。現代の若者がテレビを観ることを放棄すれば、どれだけ本を読み、考え、勉強に時間を費やせるだろうか。しかし、もちろんこんな理由でテレビ文化を否定するわけにはいかない。テレビは今や、〈演劇〉〈映画〉〈音楽〉〈スポーツ〉〈ニュース〉〈バラエティ〉と何でもありの無尽蔵の宝箱と化している。しかも今後、テレビはコンピューターと連携することで、単に見るだけではなく、双方向性を獲得し、創造性を発揮できる道具ともなりえる。言わばテレビは進化の過程にあり、その意味では演劇と同一視することはできない。

ニコライ・ステパーノヴィチの意見に対してカーチャはどうだったのか。次に見てみよう。

カーチャの意見はまったく違っていた。彼女はわが輩に向って、演劇は今日のままの形態でも大学の講堂や書物よりも高尚であり、それのみかこの世の一切よりも高尚であると言い張った。演劇こそは一切の芸術を自らの中に凝集する力であり、俳優は伝導者である。どんな芸術もどんな科学も、単独では人類の精神に対して舞台ほど強く確実に作用しえず、それゆえにこそ二流どころの俳優でさえ、国民のあいだで最高級の学者や芸術家の遠く及ばない人気を博するのである。それにどんな公共活動も、舞台活動ほどの楽しみや喜びをもたらしえない。

カーチャの演劇至上主義的な考えが、彼女一人のものだったのか、それとも或る誰かの影響下にあったものなのかは知らない。カーチャの〈俳優は伝導者〉という考えは、俳優にとっては最高の賛辞であり、最高の使命ということになろう。問題は何を〈伝導〉するのかということである。舞台の原作者である脚本家の思想なのか、それとも舞台を演出構成する舞台監督の思想なのか、それとも自分が演ずる人物の思想なのか。カーチャとニコライ・ステパーノヴィチはそういった細かい点に関してなんら議論しなかったのであろうか。老教授は自分の意見を言い、カーチャもまた自分の意見を言う。お互いに各々の意見を言うだけのことで、一つのテーマを巡って対話的な展開をしようという意思はないらしい。否、二人の間で対話はあったかもしれないが、この手記を書いているニコライ・ステパーノヴィチ(ないしはチェーホフ)に対話的叙述をする意思がなかったと言うべきであろうか。

老教授はカーチャがある日とつぜん劇団に身を投じ、ウラル山脈の南の町へ旅立ったことを記している。カーチャは手紙で、恋をしたこと、ヴォルガ河畔のどこかに大きな劇場を設立すること、俳優たちは組合組織で出演することなどを書いて来る。老教授はカーチャの手紙に男の影響を強く感じる。彼は次のように続ける。

いずれにせよ一年半か二年のあいだは、万事順調だったらしい。カーチャは恋をし、自分の仕事を信じ切って仕合せだったのである。ところがその後の手紙の中で、わが輩はあらわな気落ちの徴候に気づきはじめた。事の起りはまず、カーチャがわが輩に向って仲間の苦情を訴えてきたことである。・・これは最初の最も不吉な徴候である。若き学者あるいは文学者が、他の学者あるいは文学者について痛ましい苦情を訴えるのを自分の仕事にしはじめると、つまりそれは彼が力を出しつくし、仕事に向かなくなった証拠である。カーチャはわが輩に向って、仲間の連中が稽古にも出なければ役を覚えもしないのだの、出し物の愚劣さといい舞台での態度といい、ひとりひとりに観客を頭から馬鹿にし切った様子がありありと見えるのだの、寄付金を集めるために、・・目下その話でもち切りなのだが、・・演劇女優があさましく歌謡曲を歌ったり、悲劇俳優が小歌を歌ったりする、しかもその小歌たるや、女房を寝取られた亭主や不実の妻の妊娠をあざわらう卑しいものだなどと書いて寄越した。実際こうした地方劇団が今もってあとをたたず、細々と腐り切った余命を保っていられるのは、ただただあきれ返るの他はない。

ここに書かれた叙述を読んでいると、カーチャはある面、実に『可愛い女』のオーレニカに似ているなという印象を持つ。カーチャに大きな影響を与えた男は、オーレニカの最初の夫になったクーキンを想起させるし、それよりなによりカーチャの〈信じやすさ〉がオーレニカの性格とだぶって見える。オーレニカは眼前の愛する人の言うことをそのまま無批判に受入れ、その言葉をコピーし続けた。カーチャもそのような女に思える。演劇至上主義も劇場設立計画も、それはすべてカーチャが愛した男の考えであり企画であり、カーチャはそれをただ同じ言葉で繰り返していただけのような気もする。カーチャが仲間の苦情を訴えたのも、それは彼女自身の苦情ではなく愛する同伴者の苦情であったのではなかろうか。何しろニコライ・ステパーノヴィチの手記には彼女の恋する男の肖像がまったく紹介されないので、カーチャと恋人の関係を具体的に知ることはできないが、カーチャが恋人の強い影響下にあったことだけは確かであろう。

もしカーチャの恋人が劇場経営者であり、同時に舞台監督でもあったのであれば、〈仲間の苦情〉を最初に漏らしたのはこの恋人であり、老教授の言葉を借りて言えば、恋人はすでに自分の力を出しつくしてしまったということになる。確かに老教授の推察は当たっているだろう。文学を含め芸術的創作に従事する者が仲間の悪口や陰口をたたき始めたりしたら、それは正に彼自身の仕事の行き詰まり、ないしは仕事の終焉を証明している。芸術は一生の仕事である。が、〈仕事〉よりも生き長らえてしまう悲惨な場合もある。スポーツ選手の場合、体力の限界によって現役を退き、後進の指導にあたるという道が残されている。芸術家の場合もそのようなことが可能なのであろうか。現役をしりぞいた芸術家が、教育者となって後進の指導にあたるということは、一見すばらしいことのようにも見える。が、芸術家は現役で芸術活動を遂行する者のみが教育の現場に立つことができるのだ、という厳しさを失ってはならないだろう。

いずれにしてもカーチャには演劇に対する高尚な理念が息づいている。カーチャには出し物が愚劣であったり、演劇女優が歌謡曲を歌ったりすることが我慢がならないのである。ニコライ・ステパーノヴィチが「悪の根源は俳優自体に求めるべきではなく、むしろもっと奥深いところ、すなわち芸術それ自体に、社会全体の芸術に対する態度にこそ求めるべきである」という手紙を書き送ると、カーチャからは「私がお手紙に書いたのは(略)およそ立派さとは縁遠い狡猾な連中の集まりのことなのです。他の場所では使ってもらえないという、ただそれだけの理由で舞台でまぎれ込んだ野蛮人の群、厚顔無恥というただそれだけの理由で芸術家と自称している連中なのです。天分のある人はひとりもおらず、能なし、酔払い、悪党、陰口屋ばかりなのです。私がこれほど愛している芸術がいやらしい連中の手に落ちてしまったのがどんなにつらいか、とうてい言葉では言い表わせません」と書いてくる。その後しばらくしてニコライ・ステパーノヴィチはカーチャから「私は手ひどく欺かれました。もう生きていられません」という手紙を受け取る。

老教授はカーチャの彼もまた〈野蛮人の群〉に属していたのではないかと推測する。手記は、カーチャの自殺未遂、カーチャの子供の葬式などを伝え、現在のカーチャは老教授の家から半キロほどのところに住んでいると伝える。

われわれは老教授の手記によってカーチャの波瀾万丈の半生に思いをいたすほかはない。カーチャの彼はついにその姿を老教授の前に現さなかった。カーチャと彼との関係、カーチャの子供……カーチャの人生を考える上で重要な二人の人間に関して老教授はほとんど何も伝えない。

2004年06月10日

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