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2004年6月 アーカイブ

2004年6月 1日

チェーホフ『退屈な話』を読む(1) ...【タイトルをめぐって】

チェーホフ『退屈な話』を読む(1)

この小説のタイトルは『Скучная история』である。邦訳に『退屈な話』『たいくつな話』『わびしい話』などがある。わたしとしては『退屈な話』がいいと思うが、引用テキストは『わびしい話』(池田健太郎訳 中中公論社版チェーホフ全集8 昭和四十三年十一月)に拠る。скучнаяはскучныйの女性形で「詰まらない」「面白くない」「退屈な」といった意味の形容詞である。

Скучнаяを「わびしい」と訳すのは、訳者の一つの解釈であるから、いいともわるいとも言えないが、わたしはこの小説を読んでわびしさを感じることはなかった。小説のサブタイトルは「ある老人の手記より」となっており、この老人の手記がある種のわびしさを漂わせていると言えないことはないが、そういった解釈はかなり日本人的な感性によってとらえられていると思う。しかしわたしは、チェーホフの描いた老人の手記は〈わびしさ〉の境地に達していなかったと思う。わたしは主人公と作者を短絡的に結びつけようとは思わないが、チェーホフが二十九歳の若さで描いた六十二歳の老教授の主人公は、やはり〈わびしさ〉よりは〈退屈〉を感じている人間のひとりだと思う。〈わびしさ〉と〈退屈〉では、その言葉から受け取る印象はだいぶ違う。〈わびしさ〉は生きてあることの根源的な寂しさで、その寂しさを孤独のうちに静かに受け入れている心的様態を指している。〈退屈〉は、何か確かなことを求めているが、その確かなことがはっきりと掴めない宙吊り状態にあって、表面的には何もかも諦めているようなポーズをとり続けている心的様態を示している。

チェーホフ『退屈な話』を読む(1) ...【タイトルをめぐって】

チェーホフ『退屈な話』を読む(1)

この小説のタイトルは『Скучная история』である。邦訳に『退屈な話』『たいくつな話』『わびしい話』などがある。わたしとしては『退屈な話』がいいと思うが、引用テキストは『わびしい話』(池田健太郎訳 中中公論社版チェーホフ全集8 昭和四十三年十一月)に拠る。скучнаяはскучныйの女性形で「詰まらない」「面白くない」「退屈な」といった意味の形容詞である。

Скучнаяを「わびしい」と訳すのは、訳者の一つの解釈であるから、いいともわるいとも言えないが、わたしはこの小説を読んでわびしさを感じることはなかった。小説のサブタイトルは「ある老人の手記より」となっており、この老人の手記がある種のわびしさを漂わせていると言えないことはないが、そういった解釈はかなり日本人的な感性によってとらえられていると思う。しかしわたしは、チェーホフの描いた老人の手記は〈わびしさ〉の境地に達していなかったと思う。わたしは主人公と作者を短絡的に結びつけようとは思わないが、チェーホフが二十九歳の若さで描いた六十二歳の老教授の主人公は、やはり〈わびしさ〉よりは〈退屈〉を感じている人間のひとりだと思う。〈わびしさ〉と〈退屈〉では、その言葉から受け取る印象はだいぶ違う。〈わびしさ〉は生きてあることの根源的な寂しさで、その寂しさを孤独のうちに静かに受け入れている心的様態を指している。〈退屈〉は、何か確かなことを求めているが、その確かなことがはっきりと掴めない宙吊り状態にあって、表面的には何もかも諦めているようなポーズをとり続けている心的様態を示している。

2004年6月 2日

チェーホフ『退屈な話』を読む(2)... 【老教授の名前はニコライ・ステパーノヴィチ】

チェーホフ『退屈な話』を読む(2)

『悪霊』との関連において

『退屈な話』は「ロシアにニコライ・ステパーノヴィチ某という三等官で帯勲者の名誉教授がいる」ではじまる。『退屈な話』はこの老教授の手記という体裁をとっている。彼は「このわが輩の名前たるや、なかなかポピュラアである。ロシアではおよそ読み書きの心得のあるすべての人にあまねく知れわたっているのは勿論、外国では多くの教壇で、かの高名なる、かの尊敬すべきという形容詞づきで引合いに出されている」と書いている。


さて、ニコライ・ステパーノヴィチという名前がポピュラアであるのかどうかについては詳らかにしないが、わたしなどはこの名前からすぐにドストエフスキーの『悪霊』を思い出した。『悪霊』の登場人物の中にステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーなる元大学助教授がいる。彼はヨーロッパに留学し、学問を収めてロシアに帰国し、しばらく大学に勤務しているが、さる論文が問題になって大学を辞めなければならなくなる。このステパンを自分の息子の家庭教師として迎え入れたのが広大な領地を有する女地主ヴァルヴァーラである。息子の名前はニコライである。十歳のニコライ少年はステパンによってホモセクシュアルな関係を結ばれ、それ以来〈人類永遠のかの聖なる憂愁〉を感ずるようになる。やがてニコライはペテルブルクの大学に入り、卒業後は軍隊に所属する。親元を離れたニコライは決闘沙汰をおこしたり、情婦を何人も抱えるような淫蕩三昧な生活を送り、虚無のただなかに沈んでいる。ニコライは弟子筋にあたる青年たちに思想的な影響を与える。キリーロフには人神思想(神が存在するのであればすべては神の意志によって成立している、もし神が存在しないのであればすべては自分の意志によって決定する)を、シャートフには国民神信仰(神が存在するかどうかは分からないが、ロシアの神は信ずる)を、そしてステパンの子供として設定されたピョートルには革命思想をといった具合にである。ところが当のニコライはすでに何ものをも信じてはいない。彼は自分が何も信じていないということすら信じていない虚無に陥っている。彼は沈黙し続ける全能の神に成り代わるという実験を自らに課し、マトリョーナという十二歳の少女を凌辱して自殺に追い込んだりする。この虚無の権化のような男の名前が、『退屈な話』の老教授と同じニコライであるということは興味深い。しかも老教授の父称がステパーノヴィチであるということは、彼の父の名前がステパンということになる。つまり老教授ニコライ・ステパーノヴィチの〈父親〉は『悪霊』のステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーであったという可能性もなきにしもあらずということになる。

チェーホフはドストエフスキーの作品をどのように読んでいたのか。チェーホフに纏まったドストエフスキー論はない。が、『六号室』や『黒衣の僧』などを読むと、チェーホフがドストエフスキーの影響を受けていた可能性は高い。この『退屈な話』も、ドストエフスキーとは違ったやり方で、知識人の〈空虚〉と〈退屈〉を真っ正面からとりあげている。

『悪霊』のステパン氏はヨーロッバ最新の学問を学んでロシアに帰還したにもかかわらず、弟子たちに生きるべき指針を示すことができなかった。また彼は自分が進むべき途も分からなかった。彼に指示を与えたのはロシアの無知な百姓である。否、正確に言えば作者が百姓に託して彼に進むべき途を示している。ここで詳しく語ることはしないが、それは〈キリストのいるところ〉(スパーソフ)である。作者はステパン氏を古代異教徒的、汎神論的な神の信奉者からキリスト者への途を示していた。が、彼は〈キリスト〉の一歩手前の場所(ウスチェヴォ村)で息を引き取り、再びヴァルヴァーラの手によって彼女の領地スクヴァレーシニキと連れ戻されることになった。

ステパン氏は学問の庇護者であるヴァルヴァーラの厚い援助のもとに、スクヴァレーシニキに二十年ものあいだとどまって、当地の若者を集めては夜な夜なアテナイの饗宴を主催し、ソクラテスばりの弁舌を振るっていた。ロシア、ロシアの神、ロシアの検閲制度をめぐって、ステパン氏の熱弁はとどまるところを知らなかった。しかし彼はロシア語すら満足に話すことも書くこともできず、弟子たちに伝えるべき確固たる理念を持っていたわけでもなかった。彼の内面は実は空虚である。彼の饒舌はそのことを証明している。彼の〈息子〉ピョートルの内面も〈空虚〉、弟子のニコライ・スタヴローギンの内面も〈空虚〉である。〈空虚〉のステパン氏が、〈空虚〉の息子や〈空虚〉の弟子を産み落としたのだと言っても過言ではない。

チェーホフ『退屈な話』を読む(2)... 【老教授の名前はニコライ・ステパーノヴィチ】

チェーホフ『退屈な話』を読む(2)

『悪霊』との関連において

『退屈な話』は「ロシアにニコライ・ステパーノヴィチ某という三等官で帯勲者の名誉教授がいる」ではじまる。『退屈な話』はこの老教授の手記という体裁をとっている。彼は「このわが輩の名前たるや、なかなかポピュラアである。ロシアではおよそ読み書きの心得のあるすべての人にあまねく知れわたっているのは勿論、外国では多くの教壇で、かの高名なる、かの尊敬すべきという形容詞づきで引合いに出されている」と書いている。


さて、ニコライ・ステパーノヴィチという名前がポピュラアであるのかどうかについては詳らかにしないが、わたしなどはこの名前からすぐにドストエフスキーの『悪霊』を思い出した。『悪霊』の登場人物の中にステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーなる元大学助教授がいる。彼はヨーロッパに留学し、学問を収めてロシアに帰国し、しばらく大学に勤務しているが、さる論文が問題になって大学を辞めなければならなくなる。このステパンを自分の息子の家庭教師として迎え入れたのが広大な領地を有する女地主ヴァルヴァーラである。息子の名前はニコライである。十歳のニコライ少年はステパンによってホモセクシュアルな関係を結ばれ、それ以来〈人類永遠のかの聖なる憂愁〉を感ずるようになる。やがてニコライはペテルブルクの大学に入り、卒業後は軍隊に所属する。親元を離れたニコライは決闘沙汰をおこしたり、情婦を何人も抱えるような淫蕩三昧な生活を送り、虚無のただなかに沈んでいる。ニコライは弟子筋にあたる青年たちに思想的な影響を与える。キリーロフには人神思想(神が存在するのであればすべては神の意志によって成立している、もし神が存在しないのであればすべては自分の意志によって決定する)を、シャートフには国民神信仰(神が存在するかどうかは分からないが、ロシアの神は信ずる)を、そしてステパンの子供として設定されたピョートルには革命思想をといった具合にである。ところが当のニコライはすでに何ものをも信じてはいない。彼は自分が何も信じていないということすら信じていない虚無に陥っている。彼は沈黙し続ける全能の神に成り代わるという実験を自らに課し、マトリョーナという十二歳の少女を凌辱して自殺に追い込んだりする。この虚無の権化のような男の名前が、『退屈な話』の老教授と同じニコライであるということは興味深い。しかも老教授の父称がステパーノヴィチであるということは、彼の父の名前がステパンということになる。つまり老教授ニコライ・ステパーノヴィチの〈父親〉は『悪霊』のステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーであったという可能性もなきにしもあらずということになる。

チェーホフはドストエフスキーの作品をどのように読んでいたのか。チェーホフに纏まったドストエフスキー論はない。が、『六号室』や『黒衣の僧』などを読むと、チェーホフがドストエフスキーの影響を受けていた可能性は高い。この『退屈な話』も、ドストエフスキーとは違ったやり方で、知識人の〈空虚〉と〈退屈〉を真っ正面からとりあげている。

『悪霊』のステパン氏はヨーロッバ最新の学問を学んでロシアに帰還したにもかかわらず、弟子たちに生きるべき指針を示すことができなかった。また彼は自分が進むべき途も分からなかった。彼に指示を与えたのはロシアの無知な百姓である。否、正確に言えば作者が百姓に託して彼に進むべき途を示している。ここで詳しく語ることはしないが、それは〈キリストのいるところ〉(スパーソフ)である。作者はステパン氏を古代異教徒的、汎神論的な神の信奉者からキリスト者への途を示していた。が、彼は〈キリスト〉の一歩手前の場所(ウスチェヴォ村)で息を引き取り、再びヴァルヴァーラの手によって彼女の領地スクヴァレーシニキと連れ戻されることになった。

ステパン氏は学問の庇護者であるヴァルヴァーラの厚い援助のもとに、スクヴァレーシニキに二十年ものあいだとどまって、当地の若者を集めては夜な夜なアテナイの饗宴を主催し、ソクラテスばりの弁舌を振るっていた。ロシア、ロシアの神、ロシアの検閲制度をめぐって、ステパン氏の熱弁はとどまるところを知らなかった。しかし彼はロシア語すら満足に話すことも書くこともできず、弟子たちに伝えるべき確固たる理念を持っていたわけでもなかった。彼の内面は実は空虚である。彼の饒舌はそのことを証明している。彼の〈息子〉ピョートルの内面も〈空虚〉、弟子のニコライ・スタヴローギンの内面も〈空虚〉である。〈空虚〉のステパン氏が、〈空虚〉の息子や〈空虚〉の弟子を産み落としたのだと言っても過言ではない。

2004年6月 3日

【学生の声】 5月31日「マンガ論」

5月31日の授業「マンガ論」(所沢キャンパスにて)に寄せられた学生からの声130件中から12件(原文のまま)を以下に紹介します。
_____________

「ねじ式」話は読まず絵だけ最後まで、とばして見ました。(時間がなかったので)キツネの面をかぶった者や、やたら多い目医者の看板など奇妙な反面ユーモラスな絵が沢山あって気に入ってしまいました。いつものつげ氏の作品とは異なった雰囲気を感じました。(大島直文・文芸学科1年)

やはり「ねじ式」を解読するのは難しい!たしかとても短期間で書かれた作品ですよね?映画版「ねじ式」も難解な作品ですし…。でもこの授業で清水先生の独特な解釈がとても好きです。(小谷不允穂・映画学科2年)

批評する前に読んだ時の、ボンヤリとしたイメージも良いけど批評後もまた良いと思う。(ヤングポール・映画学科1年)

主人公の男は赤子、もしくは水子である。それは再生復活の儀式の失敗した姿ではないだろうか。切られた静脈はへその緒を表していると考えた。(牛嶋健・文芸学科1年)

「イシャはどこだ」のあたりは何故か笑えました。「ねじ式」はある意味コメディではないでしょうか。シュールなギャグというか。(村澤明日香・映画学科1年)

ねじ式もやはり性的なものなんですね。ストレートじゃなく伝わるものがあるのはすごいと思います。続きの解釈が気になります!!(金子幸江・演劇学科2年)

作品から受ける印象は、八ツ墓村とか江戸川乱歩のような陰うつな感じをうける。またこの少年は社会からそ外され、安住の地(母胎なるもの)を求めているようにもみうけられる。また、まったく関係ないがP246の男は本田総一郎にみえる。つげ氏は以前、工場で働き、そこでなじめなかった経験があるのかもしれない。(平田実沙・文芸学科1年)

1度読んでみた時は、何を作者が言いたいのか、わからなかったけれど、批評を聞きながら解明されていくのが、おもしろいと思いました。このねじ式の深さがわかるのが楽しみです。(中西沙織・放送学科2年)

私は1ページ目の飛行機のシルエットを見て“空襲”を想起した。意識してこのコマを描いたとしたら、批評しようがないだろう。意識が全てではない。無意識の行動が作者自身の内面や、過去や思想などを克明に表すこともある。だからマンガは楽しんで読めればいいという意見に対しては反対だ。マンガを描く人がいて、批評する人がいるのは面白いことだと思った。(原彩子・文芸学科1年)


つげ義春さんの作品は、以前この「ねじ式」だけ読んだことがありました。なので前回までの「チーコ」や「海辺の叙景」が同じくつげさんの作品であったことにとても驚きました。(竹添麻衣子・文芸学科1年)

「チーコ」との違いにまず驚いた。今の漫画は楽しむ感じが強いが、評論に耐えうるようなこういう作品も読んでいて面白い。1コマ1コマに色々な考え方のできる暗示的な絵や文字があったり読みとれることで、マンガに対する考えも変わってきた。ねじ式の最終的な解釈がたのしみです。(木村愛・文芸学科2年)

つげ先生の写真を見ることができて良かった。ここ何年か調布を離れていないと聞いて、つげ先生だけにさもありなんと思った。あと、「ねじ式」のP245の2コマ目の老人は志ん生ではないだろうか?(稲本登史彦・文芸学科1年)

玄月の「おしゃべりな犬」

現代〈在日韓国〉版の『罪と罰』

今、在日韓国人の小説家が注目されている。柳美里の「命」「魂」「生」「声」の四部作はベストセラーになっており、とくに「命」は映画化の効果もあって多くの人に読まれている。この時評では梁石日の「終りなき始まり」、李良枝の「由熙」をとりあげたが、今回は玄月の「おしゃべりな犬」(「文學界」九月号)について書く。この作品が発表されてから二ヵ月たつが、どの文芸雑誌もとりたてて注目した様子はない。が、わたしはかなり興奮して読んだ。すぐに時評でとりあげようとしたが、書きはじめた批評は百枚を越えてしまった。

 この五百枚の問題小説の中にはさまざまな問題がごった煮のように投げ込まれている。劇画風の場面に抵抗を覚える読者もいるかと思うが、わたしはそこに作者の果敢な実験精神をくみとった。随所にドストエフスキーの影響も感じたが、作者はそれを自分なりに消化している。作品の完成度という点に関しては芥川賞を受賞した「蔭の棲みか」(「文學界」平成十一年十一月号)が上であるが、構成の破綻を覚悟してまでさらに新たな世界を切り開いていこうとする作者の挑戦する姿勢を高く評価したい。

 主人公の〈おれ〉は在日韓国人、名前は姜信男(カンシンナム)、日本名は永山信男、仲間からはシンと呼ばれている。大阪の朝鮮人集落チンゴロ村に生まれ育つ。父親はチンゴロ村を支配する実業家(靴工場を経営)で、後に市会議員に立候補するが落選し続ける。シンは高校を卒業するとチンゴロ村を出て茜と同棲、茜を五人の男にレイプさせ、子どもを設ける。茜と結婚したシンは再びチンゴロ村に戻り、父親の事業を手伝う。チンゴロ村ではさまざまな事件がおこるが、ここではシンの妻となった茜と契約愛人にした風俗嬢ドールの関係をめぐって言及するにとどめる。

茜はシンを性的に満足させてくれない。シンもまた茜を性的に満足させられない。ドールの前でもシンは依然として不能だが、尻の穴に舌を入れられる事で射精はできる。シンがドールに求めているのは根源的な癒しであろうが、彼はそれを認めない。シンは自分の行為を分析されたり論理化されたりするのを嫌っている。なぜなら、そんなことで自分が抱えた混沌をどうすることもできないのを、彼自身がよく知っているからだ。茜はシンの混沌の前に無力である。シンは自分が茜から見放されたという孤絶感を抱いており、無意識のうちにドールに〈母性〉を求めている。ドールに「どこ行くん?」と聞かれて「海」
と答えているのは暗示的である。シンが必死に求めているのは「海」(大いなる母)である。根源的な存在根拠と言ってもいい。シンには実際の母親がいるのに、彼はその母親に「海」を感じることはできなかった。シンが本当に求めているものを、母親は感じ取ることができない。シンは苛立つ。そして暴力を振るう。

 シンはチンゴロ村を離れ、母に替わるべき存在を求めた。それが茜であった。しかしシンは勃起しない。シンの不能は、彼が母親離れをしきっていない証でもある。茜は母親の代理でしかなく、シンはその代理の母を抱くことができない。つまりシンはチンゴロ村の支配者である父親を殺すことができない。オイディプス的野望の文脈で言えば、シンの内部には父親殺しの願望が渦巻いている。シンが父親を突き飛ばす場面があるが、それは単なる反抗の真似事に過ぎない。シンは再びチンゴロ村にとりこまれ、父親の支配下に落ちる。

 シンの意識下の願望を体現してくれたのが、インチキ牧師カラヴァンを信じ、父親に反逆した若者である。が、この若者は父親の鋭い籠手をくらい、井戸の石畳に後頭部を打ちつけて死んでしまった。この若者が父親に立ち向かったとき手にしていたのが〈小刀〉であったことは象徴的だ。〈小刀〉は〈ペニス〉であり、父親が籠手をきめて若者の手首を粉々に朽ち砕いてしまったのは、父親に反逆する息子の〈ペニス〉を去勢することを意味する。たまたまシンはこの現場を目撃するだけの傍観者にとどまっているが、この若者の運命こそ、シンの内部のオイディプス劇の本質を浮き彫りにしている。

 シンは、この若者のように直接的な〈反逆劇〉を展開することはできない。彼の場合はもっと込み入っている。彼は誰よりも母を求めながら、母を拒まずにはおれない。なぜこんな事態になってしまったのかと言えば、彼が自分の母親に欺瞞を感じ続けていたからである。母親は、自分が在日でありながら、チンゴロ村の女たちに韓国語で話しかけたこともない。彼は母親のみならず、出雲のスニ伯母や彼女の一人娘京子に対しても同じような欺瞞を感じている。彼は自分の存在根拠を大真面目に問おうとすればするほど、深い闇を覗くことになる。掴み所のない深い闇、それは自分がどんなに努力して意志的になっても、自分の無力をさらけ出すことしかできない、解決不能の闇なのだ。

 シンがいつの間にか抱え込んでしまったニヒリズムは、ニヒリズムと名付けられる前の混沌であり、彼はこの混沌とともに生きるほかはない。彼はこの混沌をもちろん論理化できない。だからこそ彼は、数彦が言うような「目をそむけたくなるような滑稽」を演じてしまう。

 〈論理〉を代表するような意志的な人物である茜から見放されたと感じたシンは、糸を切られた凧のように暴走する。彼はドールとともに「海」へと向かう。その途中で彼は、ドール殺しという〈滑稽〉を演じてしまった。彼の頭に刻印されたのはチンゴロ村の広場で父親に反逆した若者が死んだとき、インチキ牧師カラヴァンが口にした「神はそれを望んだのか?」である。

 神を信じていないシンがドール殺しをカルヴァンに告白する。彼は〈殺し〉を隠して穏便に生きる欺瞞に堪えられない。神の正体を暴くためには、まずは自らの犯罪を暴いてみせなければならない。シンは、二人の女の頭上に斧をふり下ろしたラスコーリニコフと同様、ドール殺しに〈罪〉を感じることはできなかった。否、ラスコーリニコフは〈罪〉の意識に襲撃されないことに苦しんだが、シンはそんなことに苦しむことはなかった。

 では、なぜシンは〈告白〉の衝動を押さえることができなかったのか。彼はカラヴァンを相手にしているのではない。カラヴァンを代理の相手として〈神〉を問題にしているのだ。神の存在は認めないが、〈神の手〉を信ずるというシンの告白の仕方にはニコライ・スタヴローギンの匂いがつきまとっている。詳しく語ることはできないが、玄月がこの小説でドストエフスキー的な問題(神の問題)を追究していることは確かである。「神はそれを望んだのか?」。まさに神はシン(ノブオ=信男=信ずる男)の信仰を望んだのだ。この小説は現代〈在日韓国〉版『罪と罰』と言ってもいい問題作である。

(「図書新聞」2002年11月9日)

梁石日の「終りなき始まり」

地上を水平に移動するタクシードライバー


 梁石日の『終りなき始まり』(朝日新聞社)に登場するヒロイン淳花は自分の気持ちに正直で、感情を抑えることができない。主人公の文忠明はタクシー運転手で暮らしをたてている。妻もおり、子供も二人いるが、淳花と深い関係にあることをべつに疚しいこととは思っていない。忠明は自分を無頼漢とでも思っていたのだろうか。描かれた限りでみれば、彼は生活力のない中途半端な男にみえる。なにしろ彼は気儘に運転手をしているので、まとまった金を稼ぐことができず、満足に生活費を入れられない。そのくせ淳花とはしょっちゅう会って飲んだりセックスしたりしている。二十年連れ添った妻はこんな忠明に愛想をつかして口もきかない。お互いに息が詰まるような生活を強いられているが、忠明も妻も、ほかに出ていくあてがないので我慢している。忠明はまだ淳花がいるからいいようなものの、妻にとって愛想をつかした男との生活は地獄であったにちがいない。両親が不仲な子供は、もうそれだけで十分に不幸である。が、子供たちを誰よりも愛しているという忠明は、どういうわけか彼らの内部に眼差しを向けることはなかった。彼の心をとらえているのは、実は何もないのかもしれない。彼は在日朝鮮人、淳花は在日韓国人で、新宿のスナック「ファティ」で知り合い、その後急速に親しくなった。それにしても、忠明が淳花に魅かれるのは分かるが、なぜ淳花がこんな中途半端なろくでなしの男に魅かれたのか理解に苦しむ。忠明は男としての性的魅力に溢れていたのだろうか。彼は淳花といるとすぐに勃起する男で、かなり激しいセックスをする。男と女が深い仲になる一つの要因としてセックスを欠かすことはできない。もし忠明がインポであったなら、淳花との関係ははじめから成立しなかったようにも思う。

 この小説には光州事件を初めとして様々な政治的事件がとりあげられ、登場人物のあいだで烈しく議論されてはいるが、忠明に限って言えば、すでに人間の問題を政治的次元で解決できるとは思っていないことが分かる。彼は政治の問題に関しては意外と覚めた眼差しを注いでいる。否、政治や文学や芸術、それに女に関しても、特別な期待など抱いていない。忠明は淳花との関係をも、もう一つの冷静なカメラで見つめている。彼は淳花のように、生きてある〈今〉そのものに全身を没することはできない、そういったタイプの男である。彼がタクシードライバーであったということは単なる偶然ではない。在日朝鮮人である彼が不可避的にこういった職業に就かざるを得なかったというのでもない。彼は運転手としてこの地上の世界を水平的にどこまでも移動することができる。垂直的な諸問題、たとえば「人間はどう生きるべきか」「在日のアイディンティはどこに求めるべきか」などといったことの本質的な追求を断念してしまった者にとって、世界を水平的に移動し続けることはひとつの快楽なのである。ハイデガーの言葉で換言すれば、世界へと頽落する快感とでも言えようか。忠明にとって〈今〉を激しく生きる淳花の愛を受動的に受け入れることも、この〈快楽〉と同じような性格を持っている。読者は忠明と淳花の烈しいセックスの場面に騙され、二人の間に純粋な愛が培われていたなどと思ってはなるまい。忠明は淳花のからだを受け入れ、快楽を貪っているが、淳花の内なる願いに関しては何ひとつ応えていない。淳花は在日韓国人であることを自覚したときから、真剣に自己のアイディンティティを求めた。彼女は朝鮮の伝統的な伽耶琴(カヤグム)を習い、その習得によって韓国人の本源を掴もうとする。彼女の願いは愛する忠明と共に韓国に渡り、本格的に伽耶琴に打ち込むことであった。しかし忠明には淳花のその願いを叶えてやろうとする気持ちはなかった。彼は在日朝鮮人であるが、母国語を知らなかったし、敢えてその勉強をしようという気もなかった。淳花の内的な願望を叶えてやることのできない忠明は、いずれ淳花との関係にも破綻が訪れるであろうことをはっきりと予感していた。淳花は〈今〉を熱情的に生きるが、忠明は〈今〉を流れているだけである。二人はセックスで〈今〉を共有しても、心は別々の時空を生きている。ここに二人の孤独がある。どんなに烈しく求め合い、時と場所もわきまえずセックスをしても、二人は各々の〈孤独〉を噛みしめるほかはない。

 文忠明は作者梁石日(ヤンソギル)自身をモデルにしているが、梁は忠明をいっさいカッコイイ男としては描いていない。忠明は生活能力のない、妻も愛人も幸福にはできなかった中途半端なろくでなしである。ただ一つ、この男の取り柄は〈文学〉を捨てなかったことにある。忠明は〈小説〉を書くことで、自らの生きてある姿に真摯に立ち向かっている。傍から見て、どんなにぶざまに見えようが、彼が〈文学〉と共にあるかぎりは、少なくとも彼は自分の生に誠実であるとは言える。絵に描いたようなすばらしい愛や幸福があるわけではない。生きて〈ある〉ということのうちには、悲しい、苦しい、どうしようもないことが含まれている。淳花と同棲した忠明の所に、妻の無言電話がかかってくる場面は卑劣、卑怯を超えて辛い思いが立ち上がってくる。愛想をつかしてさえ、自分を捨てた男の所に電話をかけてしまう女の指の震えにこめられた〈何か〉を感じるとき、それは悲しい、せつないなどという形容をはるかに超えてしまう。

 忠明の最後の女として登場した田代圭子は、感情の起伏の烈しい淳花とは対極的なおとなしい女である。この女は〈文学〉に賭けている忠明を最もよく理解している。淳花には忠明を自分の意のままに支配しようとするわがままな気持ちがあったが、圭子にはそういった支配欲はない。忠明に淳花の死を知らせる圭子の、静かだが確固たる愛には心を撃たれる。圭子は忠明と淳花の関係を知った上で、それを許容する優しさがある。

 八月に入ってすぐに韓国へ行ってきた。ソウルに着いたその日、教え子の李恩珠に案内された古本屋に李良枝(イヤンジ)の『由熙(ユヒ)』(講談社)を発見した時には、その偶然に驚いた。李良枝は淳花のモデルになった女性である。今、李良枝は日本よりも韓国で読まれているのかもしれない(ソウル市内の大書店の日本作家のコーナーに李良枝の韓国語訳の著作が五冊ほど置いてあった)。朝鮮の伝統的な伽耶琴や舞踊を習うことで、母国の本源に迫ろうとした李良枝は、やがて小説を書くようになる。「群像」(一九八八年十一月号)に発表された「由熙(ユヒ)」は第百回芥川賞を受賞する。小説家としての未来が期待されたが、李良枝は三十七歳という若さで病死してしまった。はたして李良枝は『由熙』という小説で何を追求したかったのであろうか。(この小説については次回でとりあげたい。なお、今月最も注目した小説は「文學界」に発表された玄月の「おしゃべりな犬」であった。今、わたしは在日の作家に注目している)。
(「図書新聞」2002年9月7日)

綿矢りさの「蹴りたい背中」を語る。

2004年5月28日(金曜)

 去る2004年5月14日、我孫子にある白樺文学館の面白倶楽部で綿矢りさの「蹴りたい背中」の座談会をやるというので、文芸学科助手の山下聖美さん、大学院生の栗原隆浩君、芸術学部の学生6人(福永恵妙子、石川彩乃、小沼章子、渡辺陵平、浅野茜子、福岡尚志)ばかりに声をかけて行ってきた。我孫子高校の生徒たちも来るということだったので、現役の高校生がこの小説をどのように読んでいるのか、そういった事も興味があって行ったのだが、どういうわけか地元の高校生はおろか、若い人は司会をつとめた二人の女子学生しかいなかった。

 わたしがこの「蹴りたい背中」を読んだのは前日の13日で、一気に読んだ。十九才で芥川賞を受賞したということで、いやでもこういったニュースは耳に入ってくるし、いずれ読もうかとは思っていても、ほかに読む本はたくさんあるし、書かなければならない原稿はあるやで、なかなか読むことができなかった。それに、十九才の二人の女の子が芥川賞を同時受賞したという事は、何か文芸ジャーナリズムの商業戦略のような気もして、それに安易に乗るようで嫌だな、という感じもあった。しかし、白樺文学館には学生を何人か連れて参加する事を約束していた手前、とにかく読み終えなければならなかった。

 最初の一行に「さびしさは鳴る」とあって、おやこれはあんがいいけるかもしれないと直観した。一昨年、遠藤周作の「沈黙」を批評していて思ったのは、彼が実に耳のいい小説家という事だった。この地上の世界は不条理に満ちている。にもかかわらずなぜ神は沈黙し続けるのか。これが主人公ロドリゴの最大の疑問である。もちろんこの疑問は作者遠藤周作の疑問でもある。主人公も作者も神の〈沈黙〉の声を聞こうとしている。そのためには限りなく耳をすましていなければならない。こういった人間は孤独である。

 「蹴りたい背中」の女主人公ハツもまた孤独だ。ハツは決して他者や世界に対して心を閉ざしているのではない。極端な言い方をすれば、全開している。心を他者や世界に対して全開しているにもかかわらず、ハツは一人きりなのだ。

 高校に入学してからまだ二ヵ月しかたっていない時点から小説は動き始める。ハツは中学時代の絹代からも見捨てられ、クラスの中で疎外された位置にある。しかし、一読してハツがその疎外に苦しんでいるようには思えない。ハツが望んでいるのは、まさかクラスの仲間とうまくやっていこう、などという事ではないだろう。

 ハツはにな川という、もう一人の〈余り者〉と仲良しになる。にな川は「脱け殻状態」の猫背で雑誌を見ていたり、「魂も一緒に抜け出ていきそうな、深いため息をついた」り、「がらんどうの瞳」でハツを見たりする。このにな川がハツを自分の部屋に招待する。ハツはなぜ招待されたのか分からない。絹代は「ほれられたのかもね」と呑気に笑ったが、ハツはそんな事を真面目に信じてはいない。

 にな川はオリチャンというファッションモデルの大ファンで、「死ぬほど好き」とハツに打ち明ける。ハツは「にな川にとって、私は“オリチャンに会ったこと”だけに価値のある女の子なんだ」と思う。ハツはにな川にだけは「気楽に声をかける」事ができる。二度目ににな川の〈離れ部屋〉を訪れた時、ハツは「ここは時間を忘れさせるタイムカプセルのような部屋だ」と思う。にな川はオリチャンのラジオが始まるとCDラジカセの前に座ってイヤホンをつける。ハツはにな川の背中を見ながら「彼の社交は幼稚園時代くらいで止まっているのかもしれない」と思う。

  この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ。
  瞬間、足の裏に、背骨の確かな感触があった。(60)

 蹴りたいと思った瞬間に蹴っている。これがハツだ。にな川はオリチャンのラジオに夢中で、ハツには何の配慮もない。ハツとにな川は同じ部屋にいても一人と一人で、心と心が繋がっていない。が、今、ハツがにな川の背中を蹴り、足の裏に背骨の確かな感触をおぼえ、にな川が背中に痣がつくほどの痛みを感じた事で、二人は繋がったのだ。

 夏休み前の授業中、ハツは頬杖をついて「背中を蹴った時のあの足裏の感触を反芻しながら」教壇のすぐ前の席に座っているにな川を見つめる。ハツは目だけは冷静ににな川を観察しているが、身体は熱くなってくる。この“冷えのぼせ”状態でにな川を見つめる事にハツはなんとなく罪悪感を感じる。
 にな川が四日ほど学校に来ない。ハツは「お見舞い」ににな川の部屋を訪ねる。登校拒否の噂もあったが、単なる風邪だった。にな川は相変わらずオリチャンに夢中だ。ハツは「心がかすかすになっていくような急激なむなしさ」におそわれる。ハツはにな川から盗んだオリチャンの〈つぎはぎ写真〉を畳の上に置く。にな川は、ぱっと顔を輝かせる。

  ちぐはぐな反応。こんな物を見られて恥ずかしがりもしない、盗った私を怒りもしない。ファンシーケースまで這っていき、洟をすすりながらつぎはぎ写真を慎重にスクラップブックに挟む彼を見て、ぞっとした。まるで私なんか存在しないみたいに、夢中になって写真を眺めて、もうこっちの世界からいなくなっている。こんなことを繰り返していたら、いつかこっちに戻ってこられなくなるんじゃないか。思わず彼の腕を掴んだ。(98)

 〈おたく〉と言われている人種がいる。何か一つの事に夢中になっていて、他の事には目もくれないような人達の事だ。自分に関心のある事に関しては異様に詳しいし、金にも糸目もつけない。こういった青年を前にすると蹴っ飛ばしてやりたいと言った参加者(石川彩乃=文芸学科三年)もいた。わたしは冗談半分に、日芸の文芸学科に入ってくるような男子学生の背中はみんな「蹴りたい背中」を持っているし、女子学生はみんなハツのようにこういった背中を蹴りたい衝動に駆られるんじゃないかと言った。

 なぜ、ハツはにな川の背中を蹴ったのか、なんて聞いたって、ハツはそれを論理的に答える事はできないだろう。言葉ではよく説明できない感覚をハツは生きている。それは高校一年生ぐらいの女の子なら、だれでも体験するふだん抑制されている性的な衝動の発露と言っていいかもしれない。

 小さい桃のかけらを口に含むと、舌を包み込むような甘さが口に広がった。
 「痛。」桃を食べたにな川が、顔をしかめた。
 「どうしたの。」
 「桃の汁が唇に染みる。乾燥している唇の皮を剥いたんだった。」
  鼻がつまって口呼吸をしているせいか、にな川の唇は乾燥してひび割れていた。さぞかし、染みるんだろう。唇に親指をあてて眉をしかめている彼を見ていたら、反射的に口から言葉がこぼれた。
 「うそ、やった。さわりたいなめたい、」ひとりでに身体が動き、半開きの彼の唇のかさついている所を、てろっと舐めた。血の味がする。
  にな川がさっと顔を引いた。
 「痛い。何? 今の。」
  怪訝な表情をして、親指で唇を拭く。さらにパジャマの袖でも拭いている。その動作を見ているうちに、やっと自分のしたことが飲み込めてきた。顔は強張り、全身の血がさーっと下がっていく。どんな言い訳も思いつかない。(101 )

 「さわりたい」「なめたい」なんて実に露骨な言葉だが、句読点を付けずに書くことで、その露骨さが消えている。それにしても、ハツは思った時には行動を起こしている、衝動性のかった女の子である。
 面白いのはにな川の反応である。彼は「長谷川さんの考えてることって全然分からないけど、時々おれを見る目つきがおかしくなるな。今もそうだったけど。」おれのことケイベツしてる目になる。おれがオリチャンのラジオ聴いてた時とか、体育館で靴履いてた時とか、ちょっと触れられるのもイヤっていう感じの、冷たいケイベツの目つきでこっち見てる。」と言う。ハツは「違う、ケイベツじゃない、もっと熱いかたまりが胸につかえて息苦しくなって、私はそういう目になるんだ」と胸のうちで呟く。思春期の男と女の生理感覚の違いと言おうか。ハツの中に生まれた〈熱いかたまり〉をにな川はきちんと受け止める事ができない。生理感覚の次元でのすれ違い。男と女はいつもこのすれ違いによって悩み傷つき、出会いと別れを繰り返す。

 にな川はオリチャンのライヴに一緒に行かないかとハツを誘う。ハツは絹代を誘ってライヴに行く事を承知する。ライヴ当日、にな川は今まで見せた事のない情熱で舞台に近づこうと人ごみを押し退けて進む。観客が舞台上を見ているなか、ハツは息を呑んでにな川を見つめている。にな川は自分が消えてしまいそうになるくらいにオリチャンを見つめている。ハツはにな川の耳もとで「あんたのことなんか、オリチャンはちっとも見てないよ」と囁きたくなる。絹代は明るい声で「にな川ばっかり見てないで、ちょっとはステージも見たら?」「ハツは、にな川のことが本当に好きなんだねっ。」と言う。ハツは、絹代が口にした〈好き〉という言葉と、〈にな川に対して抱いている感情〉との落差にゾッとする。

 ライヴが終わって外に出ると、すっかり夜になっている。オリチャンを出待ちするファンが楽屋口に走る。にな川も彼女達を追って全力で駆けだす。にな川の目は血走り、ひたすらオリチャンを待つ。ついにオリチャンが出てきた。熱狂的な歓声が上がる。にな川は彼の前に立ちふさがっている女の子を強い力で押しのけながら前に進む。ハツは「自分の膜を初めて破ろうとしている」にな川を遠くに感じ、足がすくむ。にな川はスタッフに人だかりからひっぱり出され、厳重な注意を受ける。にな川は〈がらんどうの目〉をして放心している。ハツは「もっと叱られればいい、もっとみじめになればいい」と思う。

 電車には間に合ったが、もうバスはない。ハツと絹代はにな川の部屋に泊まる。にな川は「ベランダに寝る」と言って外に出る。絹代は風呂に入り、ハツもシャワーを浴びる。絹代は冷蔵庫を開けてヨーグルトを食べる。蒸し暑いのでクーラーをオンにする。絹代は「にな川がオリチャンのところに走っていった時のハツ、ものすごく哀しそうだったよ。」と言う。ハツは「私の表情は私の知らないうちに、私の知らない気持ちを映し出しているのかもしれない」と思う。午前三時半、ハツは眠いのに眠れない。にな川はまだベランダから戻ってこない。クーラーがきき過ぎて、足の裏が冷たい。ハツはリモコンを探してオフのスイッチを押す。稼動音が止まり、絹代の寝息だけがかすかに聞こえる。裸足でペランダに下りると、にな川は「何かから逃れるように身体を小さく丸めて、ぐったり」している。クーラーの室外機の羽根がまだくるくると回っている。ハツは「夜から今までの間、ずっとここから強烈な熱風がにな川に吹きつけていたんだ」と気づく。ハツはにな川の隣に座り、黙って外を眺める。ハツは「同じ景色を見ながらも、きっと、私と彼は全く別のことを考えている。こんなにきれいに、空が、空気を青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていないんだ」と思う。

 にな川は「オリチャンに近づいていったあの時に、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた。彼女のかけらを拾い集めて、ケースの中にためこんでた時より、ずっと。」と言い、ハツに背を向けて寝ころぶ。ハツの内部に「いためつけたい。蹴りたい」という、愛しさよりも強い“あの気持ち”が立ち上がってくる。足をそっと伸ばして爪先を背中に押しつける。親指の骨がぽきっと鳴る。背中をゆるやかに反らしながら、「痛い、なんか固いものが背中に当たってる」。「ベランダの窓枠じゃない?」。

  にな川は振り返って、自分の背中の後ろにあった、うすく埃の積もっている細く黒い窓枠を不思議そうに指でなぞり、それから、その段の上に置かれている私の足を、少し見た。親指から小指へとなだらかに短くなっていく足指の、小さな爪を見ている。気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、吐く息が震えた。(140 )

にな川はオタクで、石川彩乃さんはこんな男は殴ってやりたいと言って場を笑わせた。確かににな川は煮え切らない男で、こんな男をはなから相手にしないしない女の子も案外多いだろう。しかしオタクとはいったい何なのだろう。かつて革命幻想に酔って内ゲバを繰り返した革命戦士も、何かに夢中になっていたという点では同じであろう。否、決定的に違うのはにな川に見られるオタクは革命戦士などよりはるかに覚めた〈視点〉を内に抱えこんでしまっている事である。

 にな川は机の下にオリチャンの雑誌や写真をため込んでいたし、ライヴでは人の群れをかき分けて乱暴に前に進み、スタッフから手厳しく注意された。にもかかわらず、わたしの目には彼はオリチャンに熱中している〈ふり〉をしているように見える。そればかりではない。にな川はハツが自分の背中を蹴った事も知っていて、知らない〈ふり〉をしているように見える。にな川は一見、自分の意志がないように見えるが、オリチャンに熱中して見せる〈意志〉はあるし、知らんぷりをして見せる〈意志〉もある。クーラーの室外機からもれる熱風に一言も文句を言わない〈意志〉も持ち合わせている。にな川の性格は、我慢強いとか、男らしくない、とかいう言い方では括れない。何か、生まれた時から途方もない〈虚無〉を抱え込んでしまっているようにさえ思える。

 ほんの少しばかりものを考える力や想像力があれば、現代に起きている様々な事象(世界各地で起きている紛争、戦争を含めて)に虚無的な眼差ししかおくれないのは余りにも当然である。現代においては、何が〈正義〉であり、何が〈悪〉なのか、さっぱり分からなくなっている。小学校の教師が弱ったウサギを穴に埋めるのは〈悪〉であり、製薬会社が目薬の開発にウサギを実験用に殺すのは〈正義〉なのだ、などと説明される事ぐらいバカバカしい事はない。

 第二次世界大戦後に生まれたわたしですら、ベトナム戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争を経験している。もちろんこの〈経験〉は生の経験ではなく、様々なメディアを通しての間接的経験であるが、しかしそれにしても人間は絶え間なく〈殺し合い〉を続けながら、同時に〈愛と平和〉を声高く唱える存在でもある。まったく飽き飽きするしうんざりだ。

 ハツもにな川も、今さら革命幻想に酔う事はできないし、サリン事件の後では新興宗教に没入する事もできない。そんな白けきった時代の中で、精一杯夢中になれるのが、オリチャンであったりするというのが、実に泣けるところである。にな川はハツに背中を蹴られても、その押された力でどこか新しい世界へと踏み出していけるわけでもない。ハツもまた初めからにな川にそんな〈建設的な事〉を期待しているわけではない。二人はかろうじて、相手の背中を蹴る足の指と、蹴られる背中を持ち合わせていたに過ぎない。彼ら二人が、かろうじて信じられるのは蹴った足の指が感ずる背中の骨の感触であり、蹴られた背中が感じる相手の親指の感触だけである。

 ハツは自分の蹴りたい衝動を誰にもうまく説明する事はできないだろう。うまく説明された感情などいつも信用がおけない。ハツはにな川に説明しないし、にな川はハツに説明を求めないだろう。そんな事を求めたりするのは〈詩〉の何たるかを解さない愚か者だけである。

 にな川の背中を蹴るハツの気持ちがまったく分からない、という年配の人がいる。今の若い者の考えている事は分からない、という次元の話はいつの時代でも繰り返されてきた。しかし、若いとか年寄りとか、男であるとか女であるとか、そういう事を超えたところに文学や芸術作品はある。三才の女の子が泣いている。この子供の悲しみを五十才の男性が理解できないというのであれば、文学や芸術の存在価値はないだろう。ハツのような女子高校生を嫌いだというのならまだ分かる。しかし理解できないというのは問題である。

 世の中には、歳をとるに従って感性が鈍くなり、ひとの気持ちが分からなくなってくる者がある。わたしはそういった人達を〈魂の肝硬変〉にかかった者と言っている。尤も、歳に関係なく、もともと感性の鈍いひとはいる。「戦艦ポチョムキン」を観て感動のあまり大声を発する者もあれば、寝入ってしまう者もある。感性の違いはどうしようもない。

 「がらんどうの瞳」で「何もない所をじっと見つめている猫のように無表情」なにな川と、そんなにな川になんとなく惹かれていくハツ、二人は並んで同じ世界を見ていても、本当には分かり合えない。お互いに向き合って黙って強く抱き合えば、「世界はふたりのために」なんて幻想に酔えた時代はとっくに過ぎた。「気づいていないふりをして何食わぬ顔でそっぽを向いたら、はく息が震えた」・・その震えたハツの〈はく息〉を、にな川が〈気づいていないふり〉をして、蹴った足指の、小さな爪を見つめている。

 「蹴りたい背中」は一篇の詩である。強く抱きしめ、溶け合いたい、そんな気持ちをストレートに行動に移せない。にな川を強く抱きしめたからって、彼の〈がらんどうの瞳〉に光が射すわけではない。にな川とハツは少女漫画の世界を生きているわけじゃない。にな川とハツの間にある、蹴っても、蹴っても、決して縮まらない絶対距離、読者もまたこの絶対距離を縮める事はできない。

 白樺文学館での座談会を終え、わたしたち日芸一行は夜道を我孫子駅へと向かった。散歩気分で賑やかに話をしながら歩いたが、わたしはにな川とハツの間にある〈距離〉を彼ら学生諸君のうちにも感じた。「ひとり ひとりで ひとり」・・この孤独の直中からひとの魂を震わす作品は生まれてくる。

稲葉真弓、岩阪恵子そして南木佳士の作品

静かに耳をすますほかない、稲葉真弓、岩阪恵子の作品
末期の目を備えた南木佳士の短編

現代小説の可能性はどこにあるのだろうか

現代小説の可能性はどこにあるのだろうか。「新潮」2月号に一挙掲載された小田真の長編「深い音」を読みながらつくづく思った。わたしはこの〈小説〉を小説としては読めなかった。小説の概念を巡ってここで議論を展開するつもりはない。ここに書かれているのは〈おしゃべり〉、それも繰り返しの多い〈おしゃべり〉である。〈主張〉はあるが表現はない。読者の心にしみ入るように伝わってくる小説としての表現になっていない。くどい、しつこい、うるさい、まるでオバサンの井戸端会議を二時間も三時間も聞いているようでうんざりする。すでに破綻しきっている〈主張〉、してもらわなくてもいい解説、ついに最後までタイトルになっている「深い音」が聞こえてくることはなかった。

 

〈深い音〉が聞こえてくるのは、むしろ同じ「新潮」に載っている稲葉真弓の短編「どんぶらこ」である。露天風呂で足を滑らせ、意識障害のまま病院に運ばれた老女八木トクの内心のドラマを淡々と描写している。トクは七十八歳、岡山生、アメリカに渡った姉が一人いるが所在は不明、結婚歴はなく、子供もいない。解体作業現場の手伝いや賄い婦をして生きてきた。銭湯が唯一の楽しみで、他にこれといった趣味もない老女が、死に直面して自らの人生の断片を思い起こす。母親のこと、父親のこと、姉のこと、戦後土建屋の社長の愛人になったこと、土建屋に勤めていた若い男と駆け落ちしたこと、その男とも別れて阪神から東京に流れてきたこと、小さな建設会社や解体業者を渡り歩き、いきあたりばったりに男と寝たこと。作者は「根なしに生まれてきたとトクは思った。根をはやし、生きることと縁のない場ばかりにいた。それでもトクは何かを待ち続けていた」と書く。トクは切り倒され川に流された一本の大木を追って川に飛び込んだ昔話の村の娘のように、人生という川を「どんぶら どんぶら どんぶらこ」と流れてきた。いったい〈どんぶらこのおトク〉は何を追って生きてきたのだろう。いったい何を待ち続けていたのだろう。「トク、トク、と自分を呼ぶ声と一緒に、ざあざあと体の中を水が流れる音がした。もうずいぶん前から、体の中を流れる音に耳を澄ますようになっていた」。いったいトクを呼んでいるのは誰なのだろうか。作者は解答など記さない。ましてやいっさいの解釈や説明もしない。七十八年の人生を生きてきた老女が耳にするその〈音〉に、読者もまた静かに耳を澄ますほかはない。哀しさ、せつなさ、どうしようもない孤独……どんな言葉も七十八年のどんぶらこを生きてきた老女を語ったことにはならない。そのことをよく自覚した上で作者はこの小説を書いている。おそらくこの小説は何度読み返しても、読者の胸に深く響くものを持っている。トクという一老女の存在の姿は小説という表現をとらなければ浮上してこない。稲葉真弓はまがいものではない本物の小説家である。

 「新潮」新年号に掲載された十六編の短編小説の中で、一見地味ではあるが注目した作品に岩阪恵子の「掘るひと」があった。一読、これはただものではないぞ、と思った。派手な身振り手振りはまったくないが、この作家は的確に相手の急所を突いてくる一流のボクサーのような作家である。否、ボクサーというよりは、剣を捨てた名剣士のような静謐な気配を漂わせた作家と言えようか。庭に穴を掘る嫁の心理や感情をいっさい説明しないで、姑との確執を見事に浮上させるその洗練された技と研ぎ澄まされた感性はただごとではない。こういった珠玉の一編に出会うことは時評家にとってはなによりも嬉しい。「群像」二月号に岩阪の「マーマレード作り」を発見した時は、まさにとっておきの極上のおやつを出された子供のような喜びを感じた。独り暮らしをしている四十歳を過ぎようとしているひな子の所に、二十年一緒に暮らして別れた康平から電話がかかってくる。実家にみのった夏みかんを送るからマーマレードを作ってくれないかという依頼である。ひな子は「いいわよ、少しなら」と引き受ける。もと夫のあつかましい依頼を受けてしまったひな子は、康平との過去の断片を思い返しながら、マーマレード作りに励む。ただそれだけの、たわいもない話であるが、この作品は読者の想像力を無限に解き放つ。それは、真夜中「耳の奥から低く地鳴りのような音が聞こえてくる」ひな子が抱えている途方もない〈孤独〉と〈不安〉の力による。「掘るひと」も「マーマレード作り」も大げさな表現ではなく、淡々とした日常の描写そのもののうちに、人間が生きてある孤独の姿をさりげなく浮上させている。稲葉真弓も岩阪恵子も、人間存在の深部に響いてくるかすかな〈音〉に耳をすましている作家と言えよう。

 男性作家の作品で最も注目したのは「文學界」に発表された南木佳士の「底石を探す」である。この小説は語りの主体が表記されないまま幕を閉じる。主人公でもある語り手は病院に勤める医者で、アユ釣りが趣味である。彼はいつも同じ場所の同じ石の上に立って釣りをする。ある日、彼はその石に鑿で〈17〉の数字を彫る。一週間後、彼は強烈なパニックに襲われ、うつ病になる。十数年後の暑い土曜日の夕方、彼は発作的にアユ釣りに出かけ、〈17〉と彫った底石を探しまわる。「釣れたかやあ」と車椅子の老人が声をかけてくる。昔の釣り仲間である。老人は家からカンテラ付きの本格的な水面を持ってきて彼に渡す。ついに彼は底石を発見し、その上にあがる。筋だけ追えば、これまたたわいのない話であるが、この小説が描きだしている世界は不気味なほど透明で、人間が生きてあることのはかなさが切々と伝わってくる。また、この小説がわたしの胸に響いてくるのは、作者が言葉の重さをしっかりと意識して使っているからである。南木の眼差しはかぎりなく優しく、きびしい。この小説が末期の目を備えた作家によって書かれた作品であることは確かだ。〈底石〉という〈墓石〉の上に立って堤防の老人にカンテラを大きく回す彼は、「白い影がわずかに揺れながら闇に溶けてゆく」のを見る。
 現代日本の小説の可能性は、今回とりあげたような短編小説にあるのではないかと思った。中途半端な青臭い議論や、小説の形式を借りなくてもいいような主張はもううんざりである。小説家は読者の感性と想像力を信用して、無駄な表現はしない方がいい。(「図書新聞」2002年2月2日)

井村恭一の「睡眠プール」

今やすべての人間が睡眠中

 読んですぐに批評したくなる作品と、味わっていたいだけの作品がある。後者の一つにつげ義春の「ほんやら洞のべんさん」があった。「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」などはどんなにしつこく解読しても許されるが、「峠の犬」や「紅い花」などはそっと味わって読んだ方がいいと長いこと思っていた。そんなわたしがつげ義春のマンガ批評の本を四冊も出してしまった。それだけでも足りず、今秋刊行のマンガ論集に何編かのつげ論も収録する予定である。その中に「ほんやら洞のべんさん」論もある。実はこの作品に関しては、何度か批評を試みたのだが、そのつど断念した。読む行為が〈批評〉を退けてしまうのだ。今回、一コマ絵ごとに解読をすすめたことで、このマンガに隠されていた重要なことを発見した。読んで味わっていればいいと思うその作品が、実は批評を深く要請しているということもある。

 町はずれにある鄙びた商人宿の主人であるべんさんは、半年近くも客が来ず、やけになって酒を呑んでいる。べんさんは客が訪れたその日、一度も目を開けない。読者が見るのは、両目を瞑ったまま客と話し、酒を呑みつづけるべんさんである。「酒を飲め、こう悲しみの多い人生は/眠るか酔うかして過ごしたがよかろう」と歌ったのはペルシヤの詩人オマル・ハイヤームであるが、まさにべんさんはその通りに生きている。このマンガの最終コマで「お前さまはべらべらとよくしゃべるね」と言ったきり、背を向けて寝てしまったべんさんが翌日立ち上がってくる保証はどこにもない。東北越後の鳥追い祭の日に展開された叙情性溢れるマンガ世界が実は主人公の再生不可能な絶望を深く抱え込んでいる。つげ義春はコマ絵の細部にこだわり、分かる者だけに分かるように、この作品を解く重要な鍵をさりげなく描いている。

 井村恭一の「睡眠プール」(「文學界」8月号)は二回読んだが、はっきりとした像を結ばない。テーマは題名に端的に表れているように〈睡眠〉(母胎回帰)であるが、このテーマに付随する〈父殺し〉を曖昧にするために敢えて肝心の場面をぼかしたのかも知れない。養殖のトッカリ(体長二十センチ、高温の水域に生息。弱った豚や犬を食べることもあるので「温水の貪食者」とも呼ばれる)に〈父〉を食べさせる儀式、そのトッカリを〈眠り協会〉の連中が食べるシーンなど、鮮明に描かれているにもかかわらず、今一つはっきりとしたイメージに凝集されないのはどうしたことか。本文中に「父も母も、温室のトッカリもはっきりとした像をもっていなかった。眠り協会もそうだった。記憶のなかで、わたしはひどい近眼状態だった」という記述がある。そう、この小説は〈近眼状態〉の〈わたし〉が小説を書いている、そのために作品の光景に靄がかかってしまうのだ。ただ一つはっきりしているのは「弱い、歯ごたえのない宗教」である〈眠り協会〉のメンバーたちが、老若男女を問わず「なにもかも捨ててさっぱりと消え去りたい」「眠ったまま、きれいさっぱりと消え去りたい」と願っていること、この願いが〈眠り協会〉会員のみならず大半の現代人の願いでもあるということである。ほんやら洞のべんさんの眠りは、今再びの覚醒など望んではいない。しかし、この心的状態を〈ニヒリズム〉や〈絶望〉という言葉に置き換えることもできない。作者に言わせれば、今やすべての人間が意識するしないにかかわらず、実は〈睡眠プール〉につかっているということになろうか。

 同じく文學界に発表された松野大介の「非常階段」は読む者の胸にせつなくも涼風を吹き込んでくる。〈私〉こと高原は、上司である宮下の口利きで化粧品会社に勤めている。若き日の高原はサラリーマンになることを鼻で笑い飛ばし、音楽活動に集中するために大学を中退する。が、バンドブームは瞬く間に消滅、高原はゲームセンター、牛丼屋などでアルバイト、三十を過ぎて粗大ゴミ処理工場に、その後居酒屋で働いている時に宮下と再会する。現在の上司宮下は大学時代の友人で、高原の恋人であった恭子と結婚する。高原は宮下を校舎の屋上に呼び出し血が大量に流れるまで殴り続けた。高原はそんなこともあり、宮下は自分を部下にして復讐しているのではないかと疑っている。宮下は浮気がばれて、恭子とは別居状態にある。彼は中学生の娘里美が自分をどう思っているのか、その様子をさぐらせるため高原を恭子のアパートに行かせる。高原は恭子に里美のホームページ作りを指導する仕事を頼まれ、週に一回、里美と会うことになる。三十七歳の高原は、やがて〈非常階段〉という非難場所で一人、高速道路に向かってサックスの練習をする里美に特別な感情を抱くようになる。彼は里美の無防備な後ろ姿に、なぜか十代の頃の自分が蘇るような気がし「私は少女を擦り抜けて吹き込む風の中に埋もれたくなった」と記す。彼はいつの間にか、夕暮れ迫る非常階段でサックスを吹く里美を思い浮かべて心の安らぎを感じるようになる。若い頃の夢に挫折し、最も軽蔑していたサラリーマンとなった中年男が、中学生の里美に寄せる初恋のようなうぶな感情は読む者に苦く切ない風を送ってくる。この小説は〈青春の終焉〉を自らに刻印しなければならなかった者が、夢を追う〈青春〉の直中にある者の〈純粋〉に魅了されていく、その心の微妙な抑制された甘苦い感情を見事に描き出した傑作である。作品の中で吐露されなかった里美の透明感溢れる悲しい抑制された内面の声も、読者の胸にせつなく響いてくる。里美という多感な女の子は、浮気して別居中の〈あの人〉(父親)や、非常階段で接吻した高原の〈悲しみ〉を受入れ、知らんぷりできるほどに〈成熟〉している。里美は言わば精一杯背伸びした菩薩(母性)であり、この菩薩によって厳しい現実世界を生きる宮下も高原も救われたと言えようか。

 一気に読ませたのは原田宗典の「劇場の神様」(「新潮」8月号)である。盗癖のある須賀一郎は二十一歳、「近藤幸夫ショー」の舞台に出演している。大部屋で最年長の役者角南源八は礼儀やしきたりに煩いので皆から嫌われている。部屋頭の城之内オサムは座長の近藤からもらった贋のローレックスをそれとも知らずに仲間に自慢している。一郎は劇場の神棚に毎日「どうか盗みませんように」と祈願していたが、「ようやっと初日が出そう」なある日、城之内のローレックスを盗み、それを角南のせいにしようと謀る。作者は「公演中最高の舞台」が繰り広げられる場面を息もつかせぬ達者な筆捌きで描きだしている。初日が出た日の役者たちの喜び、その感動がリアルタイムでひしひしと伝わってくる。それだけでも十分に読み応えがあるが、そこに一郎の〈盗み〉を絡ませることで、作品世界に緊迫感を漲らせることに成功している。〈盗み〉を目撃していた角南は、芝居が終わった後、一郎に「おふくろは何度でも許すけどな、仏の顔も三度まで。劇場の神様の顔は一度きりだ。よく覚えとけ」と言い残して去っていく。この小説そのものが、〈劇場の神様〉が降りてきたような密度の濃い、テンポのある〈芝居〉になっていた。最後の場面ではホロリとさせられた。読みごたえのある、読後さわやかな気分になる、エンターテインメントとしてもすばらしい作品であった。

(「図書新聞」2002年8月10日)

車谷長吉の「贋世捨人」

人間の生きてある現実を容赦なく暴く

先日、二十年振りに友人と会った。彼は高校時代の一年後輩であるが、今は四国のさる大学に教授として奉職している。久しぶりに会った彼の口からとつぜん奥さんの死が告げられた。三年前、検査の結果、脳の中央部に癌が発見された。担当の医師は、彼と奥さんに、手術の成功率は60~70%、もし手術しなければ一年半の命と宣告した。帰り、二人はコンビニに寄って食材を買い求めた。奥さんは小学生の娘と息子に食事を与え、子供たちが寝静まった後、一晩中ずっと泣いていた。熟考の末、手術を決意。手術は失敗、植物人間になった後、息を引き取った。彼はそれから朝五時に起き食事の支度をした。洗濯、掃除、今まで奥さんがしていた仕事を彼は全部背負い込んだ。夜は夜で、講義の準備に追われた。ある日、奥さんの死を知らされたドイツの友人が飛行機でかけつけた。彼女は子供たちに向かって「このままではお父さんが病気になってしまう。あなたたちも自分でやれることはやりなさい」と諭した。その日から子供たちは自分のことはぜんぶ自分でやるようになった。彼は涙を流し、とつとつと語った。わたしもまた泣いた。池袋の居酒屋で、二十年振りに会った二人は、泣き虫のオジサンになっていた。わたしは上田榮子の「海鳥のコロニー」(「文學界」6月号)を取り上げた図書新聞のコピーを彼に差し出し、帰りの飛行機の中ででも読んでくれと言った。彼の語りは現実に基づいていることもあり、わたしの心を震わせずにはおかなかった。彼の語りと同様の魂の震えがなければ文学とは言えまい。上田榮子の作品を取り上げたその月に、彼の辛い話を聞くことになったその因縁を感じたりもした。

 今回はまず「新潮」7月号に発表された車谷長吉の「贋世捨人」を取り上げたい。この生島嘉一を主人公とする〈私〉小説は四二0枚だが一気に読んだ。作者は読者の襟首を掴み、自分の方に引きつけ、俺の顔を見ろ、目をそらすとぶん殴るぞ、これぞ文学魂の宿った顔だ、分かったか、と言わんばかりの迫力で書きすすめている。この小説を二度、三度読み返して感慨にふけることはないだろうが、この小説には作者の情念(怨恨)がたっぷり込められており、読みはじめたら途中で放棄できない力を備えている。

 この小説には多くの人物が登場する。田中角栄、児玉誉士夫、小佐野賢治ら大物の政治家や黒幕から「現代の眼」の鬼頭院社長や編集部員、作家の大江健三郎、文芸評論家の川村二郎や小林秀雄、高校時代の同級生や大学時代の親友、関係した女たち、父母や弟妹、板場の親方や仲間たちなど、それらすべての人々がきちんと名前と簡単な略歴、性格まで記されている。まるで作者は自分と係わったすべての人間ひとりひとりを歴史に刻印したいかのようだ。意外とくどいという印象がないのは、作者が人物に対し、きちんと一定の距離を保っているからであろう。

 生島は先天性蓄膿症で、手術は中途半端に失敗、その頃から人を殺したい欲望を抱く。小説でも書かなければ人の二人や三人は殺していても不思議ではない。それが文学というものだ。彼は〈こけた人〉〈狂言回しの猿〉〈世の中の落伍者〉〈人から馬鹿な奴と後ろ指指される奴〉〈いったん死んだ男〉〈くすぼり〉(世の中の底辺を這いずり廻り、いつも燻っている奴)〈その場その時の虚栄心だけで生きて来た人非人〉〈業を背負った人間〉である。彼は〈はみ出し者の怨念〉を抱きながら小説を書きつづける。「新潮」編集者土方寧男との偏執狂的関係は圧巻である。「桁外れな運命的な才能がある」と褒め殺した土方は、生島の原稿を連続十三回もボツにする。生島は「美しい女に性的に思いッ切りいじめて欲しいという欲望がある」と告白しているが、このマゾ的傾向は〈美しい女〉に限っていなかったのではないか。いずれにしてもマゾ的執念、血なまぐさい怨念が彼の深部にマグマのように息づいていることだけは確かだ。

 生島が初めて女郎屋で買った女は出島泰子、小学時代の貧しい同級生であった。以来、彼は「女に対する恥辱と恐れと罪悪感が、真っ赤に焼けた烙印を捺されるように、心に刻印され」二度と女は買うまいと思う。彼は美人の雑誌編集者笹田悦子や飲み屋の手伝いをしていた大上晶子などに惚れるが失恋する。一見、無頼に生きているように思える生島だが、この小説で抱いた女は泰子だけである。彼はこと女に関してはストイックであり、ロマンチストである。「泰子は私の魂の原罪である」と書く生島は、世捨人・西行や破壊僧・一休の生き方に憧れつつも、世を捨てきれず、破壊者に徹しきれない。が、彼は紛れもなく求道者である。自分を〈贋世捨人〉と厳しく規定した生島は、〈世捨人〉として名を残した者たちの欺瞞を嗅ぎつけている。彼は小説を書きつづけることで、人間の生きてある現実(その深い闇)を容赦無く、厳しく暴いていくことであろう。

 作家は〈血腥い怨念〉が、〈宿縁〉が、〈業〉がなければ勤まらない。小説を書くとは「風呂桶の中に釣糸を垂れて、魚を釣り上げようとすること」「瓢箪で鯰を捕らえようとすること」である。生島は、小説を書くことは「広告と同様、騙しである。併し広告の騙しは商品を売り付ける手段であるのに対し、小説の場合は、嘘を書くこと、つまり騙しそのものが目的である。その意味で、小説を書くという悪事には救いがない」とも書いている。生島にとって救いようのない〈悪事〉とは、泰子との関係、つまり〈私の魂の原罪〉を描くことだろう。「女の存在理由は、一つしかない。男に押し倒されて、股を開くことである。ほかに何があろう」と言い切ってしまう生島が、はたして〈魂の原罪〉に届く釣糸をどのように垂らすのであろうか。

 同じ「新潮」に発表された岩阪恵子の「雨通夜」は味わい深い短編である。夫昌男の育て親である伯母の通夜での出来事を妻史子の視点からスケッチした小品であるが、岩阪らしい繊細な神経が怪しく行き届いている。史子は夫の身内とはうまくいっていないらしい。通夜の場で史子は孤立している。遺体の伯母と体面し、白布を元通りにしようとしたとき〈黒褐色のなにか小さなもの〉が目の隅をよぎった気がする。史子は夫の頭の向こうの壁を、また〈なにか黒っぽいもの〉が動いた気がする。食卓の上のスーパーの袋を持ち上げようとしたとき、とつぜん〈黒褐色の大きなゴキブリ〉が現れる。史子はさらに、夫の頭のすぐ上の天井にじっと貼りついている〈ゴキブリ〉を目にして「さっき伯母の遺体のある部屋で見かけた小さな黒い影は、伯母の侘しい魂なんぞではなく、ゴキブリだったのかもしれない」と思う。しかし、この叙述の直後には死んだ伯母の言葉が挿入されている。作者は史子が見る〈小さな黒い影〉を死んだ伯母の〈魂〉、〈ゴキブリ〉、そして史子の内部に根深く潜んだ〈悪意〉〈憎悪〉〈狂気〉の隠喩としても描いている。通夜の席では、ふだん現れない親族間の確執が浮上する。史子は日常の中で精一杯正気を装っているうちに、いつの間にか治癒不可能な狂気を招き寄せてしまったかにも見える。岩阪はこの作品においても日常に潜む狂気を、さりげなく、静かな筆致で見事に描きだしたと言える。

(「図書新聞」2002年7月6日)

上田榮子の「海鳥のコロニー」

魂のミットに剛速球を投げ込んだ小説

〈純文学〉雑誌に発表されている大半の小説を読んで感じるのは、読者の魂にまで届く剛速球を投げられる投手がきわめて稀ということだ。たいていの球がキャッチャーのミットまで届かぬやわな球ばかりだ。これじゃ、球を打とうにも打てない。バッターボックスに立っているのがアホらしく感じるほどだ。が、それだけにミットに届く球が投げられたときの感動は大きい。

 わたしは自分の眼で小説を読んでいるから、それが巻頭に置かれようと、小さな活字で組んであろうと、そういったことはいっさい考慮しない。大家だろうが新人だろうがまったく関係ない。わたしが佐藤洋二郎や南木佳士を日常深淵派の作家として高く評価するのは、彼らが人間の生きてあるその姿を厳しく直視し、そこから言語表現を模索し格闘しているからに他ならない。どんなに技術を磨き、文章がうまくなっても、その作品に魂がこもっていなければ読者を感動させることはできない。今回、わたしの魂のミットに球を投げ込んだ作家は上田榮子、その作品は「海鳥のコロニー」(「文學界」六月)である。

 

語り手は外資系大手広告代理店を定年退職したばかりの鍵谷協子、五十八歳、独身。協子は上司の男と同棲した経験はあるが結婚はしなかった。いつの間にかペンギン体型になってしまった協子は「羽が痕跡器官になってよちよち歩きの飛べないペンギン、波打ち際には泡が立ち、果てしもなく海が広がっている。そう、ペンギンは絶滅危惧動物のレッドリストに入っている。若い女性たちは伸びやかにしたたかにやっているのに、生殖にも子育てにも励まず子宮を痕跡器官にしてしまったわたしのようなひと昔前の独身女は、レッドリスク入りなのだろうか」と思う。協子は〈独り者の後始末を引き受ける女性の互助団体〉を創ろうと、友人の丹羽容子に相談する。容子は協子より五歳下のフランス料理の研究家で、息子(潤)が一人いる未婚の母である。相談の結果、会長には著名人の三枝女史を担ぎだすことにする。協子は会の名前を「飛ぶペンギンの会」はどうかと思うが、結局、女史の提案したドイツ語の「ゲヴォーント」に決まる。これはゲーテの詩「ゲヴォーント・ゲタァーン」(女史の説明によれば「慣れ親しんできたことを新しい気持ちでやり直して行こう!」という意味)から採ったもので、〈新生〉という意味合いで使うことになる。彼女たちがわざわざドイツ語から採ったのは、容子の「会の名前はあまり露骨でない方がいい」、女史の「あからさまでない方がいい」という考えに基づいている。会の内容は「葬送に関する一切の相談と代行、遺したいこと一切の相談、法律相談の手伝い、いざという時の金銭管理、法的相続人への伝言、新しい仲間づくりのための行事、勉強会、シンポジウム」等である。第一回目の出席者は二十一名。協子は出席者の不安を隠した表情を見ているうちに、彼女たちの姿がコロニーに取り残された〈換羽期に空腹に耐えているペンギン〉のように見えてくる。協子は「こんな会に参加するのは行き詰まった自分を抱え、独りの時間に耐えている人たちに違いない。おしゃれで社会性も備えた女性、こんな人たちこそが自立の果ての行きつく場、自分の落ち着き場所を学びたがっているのだ」と思い、自分の想いは外れていなかったと確信する。

 しばらくして容子が入院、胃の手術をする。協子は担当医から容子が末期の癌であること、余命は三、四ヵ月、よくて半年と告げられる。女史は「余命告知は、せめて半年か一年の人よ。それくらい間がないと告知の意味はない」と言い、協子もまた「死は頭で知るよりも自らの身体が緩やかに教えて暮れる方がいい」と考え、容子には末期癌を告げず、抗ガン剤もホスピスも拒んで在宅治療を選ぶ。容子は息子の潤に父親のことについては何も話していない。潤は容子と喧嘩して家を出てしまったが、容子はその事情を誰にも話さない。協子も女史も、友人とは言え、容子の内部に踏み込むことはしない。彼女たちは「飲み喰いをし、喋りあって多くの時間を過ごし、あけすけに冗談を言いあってはいるが本心を言うことはない」そういった関係を保持してきた。なぜなら「本心を言えば、お互い困惑してしまうばかりか、関係も壊してしまうのをよく知っている」からである。

 協子は潤の所在を知っているかも知れないと、喫茶店のマスターのギッちゃんに電話する。協子は、潤は同棲していた女と別れ、アメリカ旅行に発ったまま連絡はないことを知る。ある日、協子は退院してきた容子を訪ねるとそこに衣類の山がある。拾い上げて見ると、「むちゃくちゃな鋏の跡があるものや引き裂かれたもの」がある。協子は陽気に「ああ、勿体ない」と言いながら、「彼女は自分の過去を切り刻みたいのだ」と思う。この場面は背筋がゾッとするほど戦慄的だ。身近な人、愛する人の余命告知を受けた者なら、この場面に言葉を失うだろう。〈自立の果ての行きつく場〉・・一人息子の潤から何の音沙汰もない容子はその孤独に耐えている。協子もまた自分の人生を振り返り、「怠けはしなかったけれど、いま残っているものはなにもない」現実に耐えている。

 再入院した容子。容子を車椅子にのせて散歩。陽を浴びた顔を眩しげにして、容子は協子を見上げる。「飛べ、ペンギンよ」容子は手を差し出す。「飛ぼう、飛ぼう。元気を出そう」協子は容子の肩掛けを直し、芝生の囲みを回る。「小首を傾げ両手を膝に置いた容子さんの姿勢に、氷山の一角に立ち尽くしていたペンギンが一気に飛ぶ清々とした情景が重なった。涙が溢れてきて辺りが霞んでしまう」。再入院から四週目に入ろうとした日、容子は息を引き取る。

 「死はいつでも不意打ちをかけてくる」・・親友を失った協子の苦い思いだ。この小説は協子、容子、三枝女史、三人それぞれの〈孤独〉を大袈裟ではなく、静かにしみ入るように描き出している。死は死で完結するのではなく、再生(新生)を孕んでいる。その大きなテーマを〈あからさま〉でなく、分かる者にだけ分かるように、抑制された筆致で描いている。潤を最後まで登場させなかったのもいい。ひとは自分にしか分からない秘密を抱いて死んでいく。友人といえども、その秘密に踏み込むことは許されないのだ。そういった距離感覚をしっかりと保った自立した大人の女たちのドラマである。わたしは読みながら、自分の体験を重ね合わせ、涙の流れるままにまかせた。ひとはみな〈孤独〉で、〈死〉に対して無力であるが、そんな孤独な人間が死んでいく、その傍らにそっと寄り添うことはできる。「ゲヴォートの会」は確かに〈独り者の後始末を引き受ける女性の互助団体〉(ペンキンの会)を超えた。容子を密かに愛していたギッちゃんも、一人息子の潤もまた、この会に参加できるのだ。作者は自立した女たちの行き着く場をしっかりと見据えることで、女や男といった性別を超えた人間の孤独と死を微塵の感傷もまじえず描き出した。生を見つめることは死をみつめることであり、愛する者の死に立ち会うことは〈新生〉を切に願うことである。
(「図書新聞」2002年6月8日)

チェーホフ『退屈な話』を読む(3) ...【老教授ニコライの肖像】

チェーホフ『退屈な話』を読む(3)

老教授ニコライ・ステパーノヴィチは自身の肖像を次のように描いている。

わが輩は、六十二歳になる老人で、頭はつるりとはげ、歯は総入れ歯、不治のtic 〔顔面神経痛〕を病んでいる。名前が輝かしく美しいだけ、それだけわが輩じしんはくすんで醜い。頭と手は衰弱のためにぶるぶるふるえ、首はツルゲーネフのある女主人公のようにコントラバスの柄ににて、棟はぺしゃんこで、背幅は狭い。話をしたり講義をしたりすると、口が横っちょへひんまがり、微笑を浮かべれば・・顔じゅうに老人じみた生気のないしわが走る。わが輩のみじめな顔つきにはおよそ印象ぶかいところはないが、tic を起した時ばかりは何かこう一種特別の表情があらわれ、それがわが輩の顔を見るすべての人に俊列な、どきりとする思いを呼び起すに違いない。・・曰く、『この先生、どうやら長かないな。』


ニコライ・ステパーノヴィチの肖像画は〈老教授〉のパロディではないかと思えるほどに、その醜さが誇張して描かれている。この肖像は、六十二歳の老教授が鏡に映った自分自身の顔や身体をそのまま報告しているというよりは、やはり老教授よりははるかに歳の若い作者チェーホフの残酷な眼差しがとらえた肖像と言った方がいいかもしれない。医学部で学んだチェーホフは、ニコライ・ステパーノヴィチのような老教授の一人や二人には日常的にお目にかかっていたのではなかろうか。わたしも、どちらかと言えば、学生の年齢よりははるかに老教授の方に近づいており、長生きすれば間違いなく彼のような身体的醜悪さを晒すことになるだろう。いや、今だってそう彼と変わりないかもしれない。
大学などに勤めていると、ここに描かれた老教授のような存在は確かに存在するように思えるが、しかしよく振り返ってみると、ニコライ・ステパーノヴィチのように見事に〈老教授〉になった存在はそうそう見当たるものではない。彼は自分を「六十二歳になる老人」と書いて、自分の老いぶりをいくぶんか誇張して表現しているが、今日の日本の〈六十二歳の大学教授〉で心の底から自分を〈老人〉と思っている者は稀であろう。まだまだ若い者には負けないぞ、などと思って年寄りの冷や水を自覚なしに垂れ流している者の方がはるかに多い。が、そうは言っても、十九世紀ロシアの老教授ニコライ・ステパーノヴィチは、百年の時代を超えて今日の老教授の姿をも的確に映し出していると言えよう。

講義のしぶりはあい変らず堂に入ったもので、昔と同様に二時間ぶっ通しで聞き手の注意を引きつけることができる。わが輩の熱のこもった態度、文学的な叙述の妙、ユーモアが、わが輩の音声の欠陥をけっこう隠してあまりあるが、その実、わが輩の声たるや、ひからびて妙にきんきんし、偽善者そっくりの歌うような節まわしである。一方、文筆のほうはだいの苦手で、わが輩の脳髄の文才をつかさどる部分が、がんとして働きを拒否してしまった。記憶力は衰える、思考は一貫性を欠くで、せっかくの思考を紙に書きつけるたびに、思考の有機的な結合に対する感覚を失ってしまったのではないか、構文も単調なら語句も貧弱でおずおずしているのではないかという気がする。多くの場合、わが輩が書くのは真に書きたいこととは違い、終りを書く時は冒頭の部分をきれいさっぱり忘れている。しばしばわが輩はありふれた単語を忘れ、かと思うと余計な文句やあらずもがなの挿入句を使うまいとして、いつも猛烈な精力をついやす、・・つまるところ、いずれも知的活動力の減退をありありと証拠だてているわけである。

さて、この文章を書いているのは「文章のほうはだいの苦手」という老教授ニコライ・ステパーノヴィチである。彼の手記という設定で書かれた『退屈な話』はチェーホフの代表的な作品の一つである。ということは老教授の書いた手記は〈作品〉として十分に価値のあるものということになる。読者としては、彼の「知的活動力の減退」をどこまで信じたらいいのか、なかなか微妙なところである。もしこの作品を老教授の手記ではなく、あくまでも語り手なり作者なりが老教授に成り代わって彼の内的外的生活を描写するという設定ならば、彼の「文章のほうはだいの苦手」も「知的活動力の減退」もそのまま信じられる。が、これほど説得力のある〈手記〉を書き記すことのできる老教授は文章力も達者、知的活動力もかなり旺盛ということになる。

2004年6月 4日

魂を揺さぶる言葉、黒井千次と松浦寿輝の作品

哲学的問題や神学上の議論と等価な〈日常〉


作家は百年に一人出ればいい、十九世紀にトルストイとドストエフスキーの巨大な作家が二人出たので二十世紀は一人の作家も出なくていい、などと普段授業で言っていた者が、どういう巡り合わせか文芸時評をすることになった。小林秀雄は若い頃に文芸時評をやり、その後はもっぱら好きな作家を対象にして批評を展開した。わたしの二十代、三十代は専らドストエフスキー、四十代の十年間は宮沢賢治の童話を批評をしてきたから、言わば小林秀雄とは逆のことをすることになったわけだ。若い頃はドストエフスキー以外の小説など全く読めなかった。トルストイは三十歳を越えて漸く読めるようになった。日本人の書いた小説と言えば、二、三の作家を除けば大学で教えている学生の卒論制作ぐらいであったといっても過言ではない。そんなわたしが、まずは「新潮」に掲載された新年短編小説特集の十六編の小説を読んで、おや、日本の現代小説もあんがい面白いではないか、と思った。中にはじっくり時間をかけて批評してもいいなと思う作品もあった。

 

これから文芸時評を展開する上で、わたしが心掛けたいと思ったことをいくつか書き留めておきたい。取り上げる小説は、まずわたしの心(魂)に訴えかけるものがあること、評者の心をざわつかせ何か言葉に出してひとに読むことを促したくなるようなものとしたい。つまらない作品を一刀両断する批評の面白さもあるだろうが、原則的には魅力のある、色々な意味で興味深い作品を取り上げていきたい。限られた枚数の中で的確に筋を紹介し批評することは難しいが、なるべく平易な言葉を使って作品の魅力を浮上させたいと思っている。

 現代小説家のモチーフの一つに〈日常〉がある。世界貿易センタービルが自爆テロで崩壊した、その意味をさぐることよりも、どうやら自分が生きている狭い狭い日常的空間を舞台として、そこに生きる平凡な人間の心理や感情をさりげなく描くことの方に価値を置いているようだ。そこには壮大な哲学的問題や神学上の議論もない。換言すれば、そういった問題と等価なこととして〈日常〉が据え置かれているということだ。黒井千次の「隣家」に「アフガニスタンの戦火を巡る記事を読みながら、一向に内容が頭にはいらない。演説するブッシュ大統領の写真を眺めるうちに、ホワイトハウスにも隣家はあるのだろうか、と唐突な思いが頭を掠めた」という文章がある。黒井は十分に九月十一日の歴史的テロ事件を意識しながらも、あくまでも〈日常〉にこだわっている。隣家の老夫婦が外出して深夜帰宅するまでの一週間を、主人公の男は様々な妄想をして過ごす。テロ事件も様々な解きがたい謎を孕んでいるが、この主人公にとっては長年隣に住んでいる老夫婦の存在こそが、未知のもの、不気味なものとして浮上してくる。短い小説の中で、普通に生きている人間の、その〈普通〉の謎を浮上させる手際は見事と言える。老夫婦は本当に帰ってきたのか、小説の中ではっきりと記された〈帰宅の事実〉が、実は主人公の妄想ではなかったのかと、読み終えてまで、ふと読者に思わせるその工夫も手慣れた名手の技と見た。

 今回、わたしが最も面白く読んだのは松浦寿輝の「虻」である。〈わたし〉の饒舌な語りに載せて、松浦はかなり深く文学の深部に降下している。俯せに、腹這いにならないと眠れない主人公が、ある朝、一匹の虻が仰向けに引っ繰り返って死んでいるのを発見して、その姿は「まるで、何ものかに捧げられた慎ましい贄のようだった」と語る。主人公は河原枇杷男の「死ぬや虻死のよろこびは仰向きに」の俳句を引用し、「観察眼っていうけど、見てる人はちゃんと見ているもんだ。それにちょっと触れると、世界の全体が気味悪く振動するっていうような、小さな小さな細部をね、一点をね。ちゃーんと見ている奴がいる。怖いねえ」と語る。この言葉は文学の本質をさりげなく突いている。ものごとの細部に宿る神秘を凝視する眼差しのないものに小説を書くことはできない。さらに主人公は「虻みたいなつまらない虫けらだって、仰向けに死んで、恍惚として、悦びとともに、何かに自分を捧げているいるんじゃないですかね。何かにね、自分自身をね……」とも語る。このように語る主人公は語りの終わり近くで、自分が必ず「俯せになってくたばるだろう」と予言している。この短編小説の中には引用して紹介したい魂を揺さぶる言葉が溢れている。主人公が仰向けに死んでいる〈一匹の虻〉から、マンテーニャの「死せるキリスト」にまで連想を働かすその想像力には、作者松浦の類稀な才能を感じる。いずれにせよこの短編小説には〈俯せの死〉〈仰向けの死〉〈虻の死〉〈キリストの死〉〈わたしのキリスト観〉など、改めて時間をかけて検証したい問題がぎっしり詰まっている。

 松浦は「文学界」に「半島」、「群像」に「あやめ」も発表している。後者はトラックに轢かれて死んだ木原という男の語りによって構成されている。生を仮初の幻燈劇と見る自意識の堂々めぐりが、ドストエフスキーの地下生活者ばりの饒舌体で語られていて興味深かった。(「図書新聞」2002・1 ・19)

チェーホフ『退屈な話』を読む(4)

不眠症と志ん生落語の効用


さて、小説創作上の小難しい論議に深入りすることは避けて、この老教授の記す日常のいくつかを見てみることにしよう。


目下の生活様式にかんして語れば、何はさておき、まず最近なやみつづけている不眠症に言及せねばならぬ。もしわが輩に向って、現在きみの生存の主要にして基礎的な特徴を構成するものは何かと問う人があれば、わが輩はそくざに不眠症と答えるであろう。昔ながらの習慣で、わが輩は午前零時を期して服を脱ぎ、寝台に横たわる。寝つくのはすぐだが、午前一時を回るころにはふっと目ざめ、しかもまるで寝たおぼえがないような気持ちである。やむなく寝床を出てランプをともす。一時間ないし二時間、わが輩は部屋を隅から隅へ歩き回り、とうに見慣れた絵や写真をとっくりと鑑賞する。歩きあきると机に向って腰をおろす。それなりわが輩は、考えるでもなく何の意欲を感ずるでもなく、身じろぎもせずに坐りつづける。

老教授の不眠症の描写を読んでいると、まるでわたしのことを書かれているような気分になってくる。わたしが批評文を本格的に書きはじめたのは十九歳、ドストエフスキーの『白痴』について七十枚書いたのが最初である。その頃から十年間は夜型の生活が続いた。とにかく夜に寝るなどということを考えたことすらない。夜はひたすら本を読み、執筆していた。もっぱらドストエフスキー論を書いていたが、ドストエフスキーについて昼間原稿を書くなどということは思いもしなかった。わたしにとってドストエフスキーは紛うことなき〈夜〉の作家であり、夜にならなければドストエフスキーについて書く気などおきはしなかった。

老教授が不眠症で夜寝れないということに嘘偽りはないだろう。が、ただ一つ、彼は嘘をついている。つまり、彼は夜に執筆していたということである。確かに執筆の間に無為の時を過ごすことはある。とりたてて読みたいとも思わない本を手にとって、ぱらぱらと頁をめくってみる、そんなことを繰り返しながら一時間や二時間はすぐに過ぎていく。夜中の時間の進み方というものはあんがい早いもので、集中して本を読んだり、執筆したりしていると、すぐに朝が来る。

近頃、わたしは夜中に原稿を書くことはない。原稿を書くのは通勤の電車の中と喫茶店のみで、家に帰ったらいっさい仕事らしいことはしない。漠然とテレビを見たりするだけで、新聞すら読まない。とにかく眼が悪くなったせいで新聞を読むのがおっくうになった。習慣でいちおう手にはとるのだが、だいたい大きな活字の見出ししか読まない。老教授の時代にはラジオもテレビもなかったのだから、ここに書かれているようなことで時間を潰すほかはなかったのであろう。わたしが床につくのは夜中の二時か三時だが、その間、いっさい仕事はしない。かなり怠け者のようにきこえるだろうが、何もしないことにはそれなりの理由もある。ものを書くという仕事は妙に神経を興奮させるもので、執筆活動で生活をたてている人はそれでいいだろうが、勤めに出なければならない者にとって、夜中じゅう起きて仕事をし、昼間寝ているわけにはいかない。そこでわたしは敢えて家ではいっさいものを書かないことにしたのである。家で何も書かないということが、電車の中での集中的な執筆を可能とした。書き続けたい時は山手線をぐるぐる回っていればいいということになる。

さて、老教授の不眠症はよく書けている。書いているのは小説の設定上はニコライ・ステパーノヴィチであるが、実際にはチェーホフが書いている。チェーホフはおそらく若い頃から不眠症だったのだろう。だいたい物書きになるような人で、夜中にぐっすり眠れるような人は稀であろう。想像力が存分に発揮できるのは、どうも夜中のような気がするのだが、まあこれも個人差があるので確かなことは言えない。
二年ほど前、不眠症がひどくなったことがあった。とにかく眠ろうとすればするほど意識がはっきりしてくるのだから始末におえない。勤め人にとって不眠症というのはまったく厄介である。わたしはたまたま大学に勤めているので、午前中に授業を組まないかぎりは、時間的にかなり余裕があるようなものの、どうしても朝早く出勤しなければならない時がある。例えば入試の時がそうである。年に数回、朝早く出勤するだけのことで体調をこわすことがある。そこでいろいろと工夫することになる。前日まったく眠らず、身体をへとへとに疲れさせ、とにかく当日は眠ることにする。が、習慣というのは恐ろしいもので、そんな付け焼き刃の戦略に身体が素直に従うわけもない。結局二日間寝不足で出校する羽目になったりする。

ある夜、古今亭志ん生のテープをかけて床についたときがあった。なんと、その日はぐっすり眠れて、目覚めのときに久しぶりに爽快感を味わった。志ん生落語に不眠症を治癒する効果があることを知ったその日以来、今夜はぐっすり寝たいと思う時には必ず志ん生落語のテープをかけることにしている。老教授にもぜひすすめたかったものである。

志ん生落語がなぜ不眠症に効果的なのか。大袈裟な言い方と思うひとがいるかもしれないが、落語は全世界の肯定、人間のあらゆる側面(悪も欲もすべて含めて)の肯定であり、そこには深い断念、諦念が潜んでいる。落語は絶望をも快楽に変換できる全肯定精神に満ちている。それを理屈や議論ではなく小さな落とし話にまとめあげてさらっと処理しているところが、言わば日本文化の粋なところと言えようか。わたしなどは、ドストエフスキーの小説などは十分に〈落語〉になりえると思っている。否、ドストエフスキーばかりではない、それを〈落語〉として読める、聞けるひとにとってはすべての小説が、哲学が落語になりえるのである。話は逸れたが、要するに落語はその肯定精神によってストレスを揉みほぐす効果を発揮する。わたしは志ん生落語が特に好きなので、効果抜群なのである。

2004年6月 5日

チェーホフ『退屈な話』を読む(5)...【「どうでもいい」(Всё равно)と執筆行為】

チェーホフ『退屈な話』を読む(5)

『六号室』のラーギン医師は「どうでもいい」が口癖の男であったが、わたしの根源的な気分もまた「とうでもいい」(Всё равно)である。この言葉は人生経験を長く積み上げた者のそれではない。わたしは二十歳前からよくこの言葉を発していた。絶対不動、唯一絶対の真理を求めていた少年に襲いかかった〈時間は繰り返す〉の観念は、今まで培ってきた多くのものを微塵に打ち砕いてしまった。それからわたしの心に「どうでもいい」が住みついた。こういった少年にたとえば太宰治の『トカトントン』はよく響く。が、わたしは「どうでもいい」で怠惰な生活に落ちることはなかった。「どうでもいい」「どうでもいい」と思い、感じながら、せっせせっせとものを書くことだけはやめなかった。


太宰は〈トカトントン〉の虚無の音に悩まされはしたろうが、しかし決して書くことをやめはしなかった。ドストエフスキーの『地下生活者の手記』の男は、自分のやることなすことすべてが演技であり軽業でしかないと思いながら、しかし手記を書くことをやめはしなかった。書くことは虚無をも超えて、何か仕事らしい仕事をしているかのような気分にさせてくれるのだ。老教授ニコライ・ステパーノヴィチにしても、知的活動力が弱ったのだの、記憶力が減退しただの、文章を書くことが苦手だなどと言いながらも、やはりせっせせっせと手記だけは書き続けている。やはりものを書くということは健康にいいし、気晴らしになるのだ。

「どうでもいい」・・書いてもいいし、書かなくてももちろんいい。書かなければいけない理由はないし、書いてはいけない理由もない。「どうでもいい」が鬱病的な様相を呈して生きる気力が失せるというのでは困るが、そうでなければ要するに「どうでもいい」のである。ニコライ・ステパーノヴィチは謙遜して文章が苦手だなどと書いているが、この手記を読むかぎりなかなか達者な文章家である。彼は別に文学上の野心があってこの手記をしたためていたわけではなかろうが、作者の野心は十分に伝わってくる。

2004年6月 6日

【老教授と老妻の日常】...チェーホフ『退屈な話』を読む(6)

チェーホフ『退屈な話』を読む(6)

チェーホフの時間意識

老教授がこの手記で書いているのは、主に彼の日常である。ドストエフスキーの文学世界は、その日常にある日突然、予期せぬ出来事が勃発し、登場人物たち全員が大騒ぎをするという運びになるが、チェーホフの場合、日常はあくまでも日常であり、そこにどんな突拍子もない事件が起きようと、それは日常の一こまとして処理される。どちらが日常の孕む非日常を浮き彫りにしているかは意見の別れるところだろうが、いずれにしても五十年以上もこの地上の世界で呼吸してくれば、〈日常〉の重さはひしひしと感じる。平凡な日々の体積がもつうざったさや、やりきれなさがあり、そこからの逃亡願望があり、あきらめがある。喜怒哀楽の積み重ねの上に、さらなる喜怒哀楽が積もっていく。どんなに平凡に見える人生でも、それを真っ二つに断ち割ってみれば、どんなに奇妙でグロテスクなものが滲み出てくるかわかりゃあしない。六十二年の生を生きて老教授になったニコライ・ステパーノヴィチが描く〈日常〉とはどんなものなのか、次にその一こまをのぞいてみることにしよう。


わが輩の一日はまず老妻の訪れをもってはじまる。妻はスカートをはき、寝みだれ髪でわが
輩の部屋へ現われるがねはやばやと洗面をすませていて、花の香のオデコロンを匂わせながら、
さも何気なく入って来たようなしなを作り、毎朝ひとつことをくり返す。・・「すみません、あ
たしちょっと……またお休みになりませんのね?」
それから妻はランプを吹き消し、机のそばに腰をすえて話しはじめる。わが輩は、予言者な
らずとも、何の話かあらかじめ承知している。それは毎朝おなじ話で、ふつうまずわが輩の健康
について不安げな訊問を幾つか放ったのち、やぶから棒にワルシャワで将校になっているわが家
の令息のことを思いだす。毎月二十日すぎに五十ルーブリあて仕送りしているのだが、それがも
っぱら朝あけの会話のテエマである。

わが輩は耳を傾け、機械的にあいづちを打ちながら、おそらくゆうべ寝なかったせいであろ
う、珍無類な、およそ場ちがいな考えに捕らえられる。わが老妻を見つめて幼な児のように驚く
のである。はてなとばかりわが輩は心に問いただす。・・この老け込んでぶてぶてと太った醜い
女が、ひと切れのパンを前につまらぬ気苦労や恐怖の鈍い表情を浮かべ、たえず借金や貧乏のこ
とを考えて今は眼の輝きさえ鈍ったこの女が、今はもう物入りのことしか話さず値下りの時だけ
ほほ笑むこの老婆が、・・はたしてこの女が、かつては世にも細っそりとしたあのワーリャだっ
たのか。その優れた明晰な知性、その清らかな心、美しさのゆえに、オセロがデズデモーナを愛
したごとく、わが輩の学問に対する《同情》のゆえに、このわが輩が熱烈に恋したあのワーリャ
だったのか。はたしてこれがその昔、わが輩に息子を生んでくれたわが愛しの妻ワーリャなのか。
わが輩はこのぶよぶよした醜い老婆の顔を眺め、いとしいワーリャの面影を探すが、昔のま
まに残っているのは、わが輩の健康を気づかうあまりの恐怖と、も一つ、わが輩の俸給を私たち
の俸給と呼び、わが輩の帽子を私たちの帽子と呼ぶ話しぶりだけである。わが輩は妻を見るのが
痛々しくて、せめて多少とも慰めたいとしゃべるにまかせ、妻がひとのことで間違った判断を下
したり、わが輩が開業もせず教科書も出さぬと責めたてたりしても、黙して語らぬことにしてい
る。

チェーホフにあっては老教授と老妻との相も変わらぬ日常の会話が小説(手記)の題材となる。
こういった夫婦のやりとりは多少中身がちがってもどこの家庭でも見られる。しかし日常を生き
ることと、日常を表現することはまったく違うことである。誰もが経験している日常を、読者の
欲求を満たすかたちで提供するということはたいへん技術のいることである。それを二十九歳の
チェーホフが六十二歳の老教授に仮託して表現しているのだから、その技量たるやただ事ではな
いということになる。
日常の世界を創造したのは〈神〉である。人間は小説家になることはできるが世界の創造主に
なることはできない。人間は被造物の一種でしかない。小説家が神の創造した日常の世界を的確
に写せば、それがリアリティを獲得できるのは当然である。わたしは畢竟、芸術家ができうるの
は〈写生〉のほかはないと考えている。〈写生〉行為に想像力や創造力が限りなく発揮されなけ
ればならないが、所詮、人間には無からの創造は不可能と思っている。シェストフはチェーホフ
の文学を〈虚無からの創造〉と名付けたが、それはわたしの言う〈無からの創造〉でないことは
断るまでもなかろう。
チェーホフの描く〈日常〉が説得力があるのは、彼が日常のこまごましたことを端的にスケッ
チしているからではない。もちろん日常の光景を的確に描写するデッサン力がなければお話にな
らないが、その的確なデッサンを支えているのは彼の冷徹なまでの時間意識である。老教授ニコ
ライ・ステパーノヴィチが見ているのは眼前の〈老け込んででぶでぶと太った醜い女〉だけでは
ない。彼は同時に老妻ワーリャの若かりし頃の美しい姿をも重ねて見ている。つまり老教授が見
聞きしているのは現象としての妻の身体や言葉ではなく、それらをすべて乗せて走る〈時間〉と
いう得体の知れない〈船〉なのである。彼の意識はこの〈船〉に乗って或る時点の過去に遡った
り、また反対に或る時点の〈未来〉へと行き着くのである。
時のたつのは恐ろしいもので、熱烈に恋した若き乙女も眼前の醜い老婆へと変貌する。ニコラ
イ・ステパーノヴィチは別にだからと言って、昔に戻りたいなどと思っているわけではない。彼
は素直に時の経過を受けいれている。彼は時間という〈船〉から逃れられないことをよく自覚し
ており、時そのものに不満を持つことはない。人間はわけも分からずこの世に誕生し、そして必
ず死ななければならない。自分の意志によって生まれたわけでもなく、また自分の意志にかかわ
らず死ななければならない・・これは不条理である。しかもいくら不条理とは思っても何ら解決
するすべはない。神を信仰して〈永遠の命〉を獲得できる者は別として、たいていのひとは与え
られた己の運命を甘受するほかはない。多くのことを断念し、諦めるよりほかはないのだ。美し
かったワーリャが醜い老婆になることを誰も阻止することはできない。老妻ワーリャが毎日同じ
ことを繰り返し話すことも受け入れなければならない。今更、それをうるさがっていらいらして
も自分の健康を損なうばかりである。運命に逆らってどうにかなるものではない。老教授ニコラ
イ・ステパーノヴィチの諦念は深く、それだけにその深さが見事に隠されている。

2004年6月 7日

【老教授ニコライの講義論】...チェーホフ『退屈な話』を読む(7)

学者・教育者・雄弁家の三位一体
十時十五分前になると、講義をしにわが愛すべき小僧たちのところへ行かねばならない。着がえをして、通りを歩いて行く。この通りはもう三十年らいなじみの道で、わが輩にとっては積る話がある。まず薬局のある大きな灰色の建物。ここには昔、こじんまりした家が立っていて、その一隅に居酒屋があった。この居酒屋でわが輩は学位論文の想をねり、ワーリャに最初の恋文を書いたものだ。(略)そうこうするうちに、陰気くさい、ながねん修繕したことのない大学の校門がみえる。


わたしは今、五十半ばの教授であるが、大学に勤めて三十年になる。従ってここに書かれたような通りの光景や老教授の感慨にはかなり親密感を持つ。わたしとて老教授に負けない〈積る話〉はあるし、感慨もある。しかし今、わたしはそういった〈手記〉を書く気は毛頭ない。老教授の〈手記〉に触発されて、自分が生きてきたそのディティールを披露するわけにはいかない。

老教授は守衛のニコライがもたらす様々な学内ニュースや、解剖学助手ピョートルについて的確に報告している。大学における〈人事〉に纏わる話や、「学者づらしたとんま」な助手の存在は、まさに今現在のさる大学がモデルになっているのではないかと思えるほどにリアリティがある。老教授の助手は三十五歳で、腹がだぶつき、頭は禿げあがっている。老教授は彼を「勤勉で謙虚だが無能な男」と決めつけている。こういった専門バカのとんまな研究者を抱えていない大学は稀であろう。否、解剖学助手ピョートルは「朝から晩まで仕事に精を出し、万巻の書を読み、読んだことを全部まる覚えに覚えている点」においては、まだましな方かもしれない。

さて、学内ニュースやとんまな助手に関してはあまり深入りせず、老教授の講義についての報告に注目しよう。

わが輩はその日の講義の題目は知っているが、どんなふうに講義を進めるか、何から始めてどこで終えるかは知らない。頭の中には何ひとつ言葉の用意がないのだ。しかし講堂をぐるりと見回して(わが輩の講堂は階段教室だ)、印で押したように「前回の講義の終りにわれわれは……」と言いさえすれば、たちどころにわが輩の心の中からさまざまな文句が長い列を作って飛び出してきて、・・さあそのあとが大変! わが輩は猛烈な早口で情熱的に話しはじめ、どんな力をもってしてもわが輩の言葉の流れをせき止めることはできないように思われる。立派な、というのは退屈でなく聞き手に有益な講義をするためには、才能いがいに熟練や経験が物を言い、同時に自分の力倆や、講義のあいてや、講義の内容について明らかな観念を持ち合わさなければならない。その他、あたりを厳しく監視し、一秒たりとも自分の視界を見失わぬ抜け目のない人間である必要がある。

立派な指揮者は、作曲家の思想を再現しながらいち時に二十もの仕事をやってのける。・・総譜を読む、指揮棒を振る、歌手に眼を注ぐ、ドラムにホルンにとそれぞれ合図をするのである。講義中のわが輩も全く同じである。わが輩の前には百五十のそれぞれ違った顔があり、わが輩の顔をまっすぐに見つめている三百の眼がある。わが輩の目的は、この多頭の怪蛇を征服することにある。もし講義中に一瞬々々その注意の度合や理解力について明確な観念を持ちつづけていれば、化け物はわが輩の手中にあるわけだ。もう一つのわが輩の敵はわが輩じしんの内部にひそむ。
それは、形式や現象や法則の無限の多様性と、それらの支配を受ける自分の思想、ひとの思想の
豊富さである。一瞬々々わが輩は、このぼうだいな材料の中から一ばん重要で必要なものをつか
み出し、わが輩の言葉の流れと同じ速度で、化け物の理解力に合うような、化け物の注意を喚起
するような形式を自分の思想に付与せねばならぬ。しかもその際そうした思想を、思想自体の展
開の順序に従ってではなく、自分の描こうと思う図面の正しい構成に必要な一定の順序に従って
伝えねばならないのである。さらにわが輩は、言葉を文学的にし、定義を簡潔正確にし、文句を
できるだけ簡単で美しくしようと心がける。一瞬々々わが輩ははやる心をおさえ、自分の持ち時
間が一時間四十分しかないことを思い出さねばならない。ひと言で言えば、仕事は山ほどあるの
だ。全く同時に学者、教育者、雄弁家と、ひとり三役を兼ねねばならず、しかもそのうち雄弁家
が教育者や学者を圧倒したり、その逆になったりしては落第である。

ここに書かれたニコライ・ステパーノヴィチの講義方法は第一級のものと言っていいだろう。
大学で長年教壇に立った者ならだれでも、この講義方法がずば抜けて優れていることを納得する
に違いない。小学、中学の教師なら他人の作った教科書をもとに授業をすすめればいいようなも
のの、大学となればそうはいかない。大学教師にとって講義内容は自分の手腕にかかっている。
専門の領域において権威でなければならないし、その学問は独創的でなければならない。他人の
書いた本を適当に解説してお茶を濁しているような教授が学生たちを真に満足させられないのは
言うまでもない。学者として独創的な論文執筆や著作活動に精を出し、その成果を教室において
情熱的に披露する、そのような方法をとらなければ百人二百人の学生の耳を傾けさせることはで
きない。
人前で言葉巧みに話すことの苦手な学者はいるだろう。しかし、医学であれ文学であれ、独創
的な研究、自分独自の研究を展開している学者の話は、情熱的に早口で語ろうが、朴訥にゆっく
り話そうが、やはり聞く者の心をとらえ、感動を与える。老教授が紹介した〈学者づらしたとん
ま〉な助手ピョートルが、学生を感動させる講義の名手になるとは思わないが、若い頃から独創
的な研究を続けている者はやがて、ここに引用したような老教授並みの名講義者になる可能性を
ひとしく持っている。老教授が名講義者を〈立派な指揮者〉に見立てて説明しているあたりはか
なり説得力がある。
わたしが教育に本格的に興味を抱いたのは中学に入ってからである。当時わたしは、斎藤喜博
という群馬県島小学校の校長をしていた教育学者の『私の教師論』『教育の演出』などを読んで
いた。斎藤喜博の教育実戦は全国の教師たちの注目を集め、島小には多くの参観者が連日のよう
に詰めかけていた。島小の子供たちを写した写真は、まさにそこですばらしい教育実践が展開さ
れていることを証明していた。わたしの脳裏にはほっぺを真っ赤にし、黒い瞳を輝かせた島小の
子供たちの生き生きとした顔が鮮明に焼き付けられている。
当時、わたしの尊敬していた中学の教師たちが理不尽な理由で転勤させられたことがある。国
語と体育を担当していた教師は、教育委員会の連中に呼びつけられ「君も若いのだから……」云
々と言われたが、僕は君達が卒業するまではこの学校は辞めない、最後まで断固戦うぞ、と言っ
ていた。もう一人、生徒たちに日記を付けることを義務づけた社会科担当の教師は「どこへ行っ
ても、そこには生徒たちが待っている」と言って転勤命令に従った。彼がいよいよ我孫子を去る
とき、どこからその情報がもれたか、プラットホームは多くの卒業生や生徒たちで溢れかえり、
みんながみんな眼に涙をためていた。なかにはひと目も憚らず大泣きする生徒もいた。まるで青
春ドラマの一こまを見るような光景であったが、わたしはこの場面を忘れることはできない。
転勤してきた理科の教師に端正な顔をした青年がいた。まだ結婚したばかりの教師で初々しさ
が残っていた。彼の担当は四時間目であったが、授業が終わるとわたしは質問攻めにした。時間
は繰り返すのではないかなどと持ち出して、彼の昼食の時間を潰してしまうこともあった。わた
しは彼に「私が望む教師論」を書いて手渡した。彼は、わたしが高校入試の前に交通事故で亡く
なった。
教育に多大な関心はあったが、自分が教師になろうと思ったことはない。ドストエフスキーの
作品を批評し続けることで結果として大学に残ったが、大学教授の多くは自分を教育者というよ
りは研究者(もしくは創作者)と思っているだろう。しかし、大学教師は自分の研究だけしてい
ればいいということにはならない。講義もしなければならないし、学部・学科運営のさまざまな
仕事や会議や、その他試験問題を作成したり、レポートや卒業論文を読んで採点しなければなら
ない。学生の就職や大学院進学の相談にのったり、場合によっては指導教授を引き受けなければ
ならなくなったりする。大学はけっこう雑務が多いし、人間関係も煩わしい。まさに老教授ニコ
ライ・ステパーノヴィチが書いているように「ひと言で言えば、仕事は山ほどある」のだ。しか
し、そんなことで愚痴をこぼしていてもはじまらない。大学教授たる者は「学者、教育者、雄弁
家」の三位一体を講義において実現しなければならない。それにしてもニコライ・ステパーノヴ
ィチが「しかもそのうち雄弁家が教育者や学者を圧倒したり、その逆になったりしては落第であ
る」という言葉は名講義の真髄をまさに的確に語っている。このようなことを老教授の言葉に託
して書いたチェーホフは、小説家としては誰よりも〈大学教育〉に関心を抱いていたと言えよう
か。
大学で講義したことのなかったチェーホフが、これほど講義の真髄について語れるということ
は驚異的なことである。おそらくチェーホフは医学生時代に教授たちのつまらぬ講義やすばらし
い講義に接して、自分なりの講義観を確立していたのかもしれない。一つ確かに言えることは、
小説家としての冷徹な眼差しを持っていたチェーホフは、授業に出て教授たちの講義を聞くだけ
で理想的な教授法を頭の中に作り上げたということである。おそらくどこの大学でも似たり寄っ
たりと思うが、退屈を超えてどうしようもない授業をしている教授は必ず何人かは存在する。ど
うしてまた、こういった不適切な者が教授になったのか、真夏に雪が降る現象よりも驚くべきこ
とがままあるものである。専門領域でもだめ、教育もだめ、しゃべりもだめという三拍子揃って
だめな者が、その時の政治的な駆け引きで大学の教員になり、その後は護送船団方式やら年功序
列やらで昇進し、ついには教授にまでのぼりつめたというわけである。今後、こういったやり方
がどこまで通用するかは知らないが、しかし人間が何人か集まって決めることに〈公平〉などあ
り得ないのであるから、依然として不適切な教授というものは生産されてくるのであろう。
さて、もう少しニコライ・ステパーノヴィチの講義法を拝聴することにしよう。

十五分、三十分と講義をしているうちに、学生たちが、天井やピョートル・イグナーチエヴ
ィチのほうを見たり、ハンカチを探したり、坐りぐあいを直したり、自分かってな考えにふけっ
てにやりとしたりするのに気がつく。……これは注意力が散漫になった証拠である。早速、対策
を講じねばならない。わが輩は最初の好機を捕えて、何か洒落を飛ばす。百五十の顔が一せいに
ほころび、眼が生き生きと輝き、しばし海鳴りが聞える。……わが輩も笑う。注意力はよみがえ
り、わが輩は講義をつづけることができる。
どんな論争も、どんな娯楽や遊びも、講義ほどの楽しみをわが輩に与えたことはない。わが
輩は講義のあいだだけ全身を情熱にゆだねることができ、霊感が詩人の単なる思いつきではなく
実際に存在するのを知った。思うに、快心の手柄を立てた直後のヘラクレスといえども、わが輩
が講義を終えるたびに味わったほどの甘美な虚脱感は感じなかったであろう。

真打ちの落語家に三流もいれば名人もいるように、ニコライ・ステパーノヴィチのような名講
義をできる教授は稀であろう。彼は実によく学生たちの心理に精通している。教室は舞台であり、
学生は観客である。観客を飽きさせる芸人はもうそれだけで失格である。教授は一度学生の前に
立てば、芸人と同じで彼らを決して退屈させてはならない。しかしそうは言っても、一講座で年
に二十数回もある講義を七コマも八コマも担当して、毎回学生たちを感動させるような授業を展
開するなどというのは言わば神業に近い。毎年、受講する学生の興味、教養、情熱、性格が異な
っており、従ってニコライ・ステパーノヴィチの言うように有益な講義をするためには才能以外
に熟練や経験が物を言うことになる。
受講生たちの性格を一瞬のうちに読み取り、教室の空気を敏感に察し、臨機応変に対応しなけ
ればならない。洒落、説教、雑談までをも取り入れながら、講義の内容の核心から決して逸れず、
持ち時間を十分に活用し、学生たちを満足させなければならない。まさに講義は学者、教育者の
みならず、情熱的な雄弁家をも兼ね備えていなければならない。教室でこの三位一体を実現する
ためには、教授は不断に研究を積み重ねていなければならない。付け焼き刃の講義準備で感動的
な授業を展開することはできない。わたしは一回の講義には少なくとも百枚ぐらいの原稿を書い
ていなければならないと思っている。ニコライ・ステパーノヴィチは書くことが苦手だと謙遜し
ていたが、本当の雄弁家は必ず、自分の考えを一度書いてまとめておくものである。彼は「わが
輩は、言葉を文学的にし、定義を簡潔正確にし、文句をできるだけ簡単で美しくしようと心がけ
る」と書いているが、まさにこれは文章家の言葉である。
さて、ニコライ・ステパーノヴィチは講義の間だけ全身を情熱にゆだねることができる、とま
で書いている。これは別に大袈裟な物言いではない。学者と教育者と雄弁家の三位一体を実現す
る者にとって講義は晴れ舞台である。ここまで言い切る老教授の講義を一度でいいから聞きたか
った思う。それにしても、先に彼は「歯は総入れ歯」で「頭と手は衰弱のためにぶるぶるとふる
え」・・と書いてあったはずである。そんな老教授にこんな情熱的な講義がはたして可能なので
あろうか。と思っていたら、何とこういった熱い講義をしていたのは昔のことであったとことわ
っている。いつの間にか叙述が〈現在〉から〈過去〉へと滑りこんでいたらしい(いや、確かに
先に「講義のしぶりはあい変らず堂に言ったもので、昔と同様に二時間ぶっ通しで聞き手の注意
を引きつけることができる」と書いており、叙述に混乱が見られることは指摘しておかなければ
なるまい)。

今では講義の最中に苦痛しか感じない。三十分とたたないうちに、わが輩は足と肩にたまらな
いだるさを感じはじめる。椅子に腰を下ろしてみるが、坐りながらの講義に慣れないのですぐに
立ちあがり、立ったままつづけてやがてまた腰を下ろす。口の中がからからに乾き、声がかすれ、
頭がくらくらする。……こうした状態を聞き手に気どられまいとして、わが輩はたえず水を飲み、
咳をし、鼻かぜでもひいたように何度も鼻をかみ、時ならぬ時に洒落を飛ばし、あげくのはてに
時間より早く講義を打ち切る。とは言え、何と言っても恥かしいことではある。
良心と理性はわが輩にこう言う。・・この際わが輩のなしうる最上の処置は、小僧どもに別
れの講義をし、彼らに最後の言葉を言い、彼らを祝福し、若くて丈夫な後進に地位を譲ることだ
と。しかし神の裁きもなんのその、わが輩は良心の命ずるままに振舞う勇気が足りないのである。

情熱的に講義していた者も老いには勝てない。ニコライ・ステパーノヴィチは正直に自分の情
けなさを披露している。さて、ここで描かれたような老教授や老講師は少しも珍しくない。老い
て満足に歩くこともできないし、口をきくこともできないのに、決して自分から辞表を出すよう
な者がいない。大学という所は本当におかしなところである。脳溢血で倒れ、半年も入院して、
誰がみても授業などできない状態になっても、若い学生に接することだけが生き甲斐になってい
るなどという自分勝手な理由で辞めようとしない。退職した専任教授が、その後非常勤講師にな
り、ボケがかなりすすんで授業に行くことをすっかり忘れて長椅子に寝ていたのを目撃したこと
もある。わたしが知るかぎり、停年を待たずに勇退した教授はただ一人存在しない。逆に停年後
も停年延長を当たり前の如く考えている教授は百パーセントを占める。要するに大学は居心地が
いいのであろう。犯罪でも犯さなければ職を奪われることもないし、教授になってしまえば業績
など何一つ残さなくてもいいのである。少なくとも講義中は学生(このテキストの訳者は小僧と
言っているが)相手に、お殿様気分でいられるのだから、この職業、三日やったらやめられない
のである。大学の数も、大学や教授の権威も、停年の年齢も、十九世紀ロシアと今日の日本では
だいぶ違っているだろうが、ニコライ・ステパーノヴィチの手記を読むと、停年を間近に控えた
老教授の心境に関してはそう変わりはないようである。だいたい学問を志すような者はわがまま
でエゴイストと相場が決まっている。老いて、後進に道を譲る者などめったにお目にかかれない
ことになっている。老教授ニコライ・ステパーノヴィチもまたそういったエゴイストの一人だと
思っていれば間違いはない。

2004年6月 8日

【余命半年の老教授】...チェーホフ『退屈な話』を読む(8)

不幸にしてわが輩は哲学者でも神学者でもない。わが輩は自分があと半年たらずしか生きられないのをはっきりと知っている。それゆえ今こそ、何はさておいても、あの世の闇やわが輩の死後の夢を訪れる亡霊などの問題と、取り組むべきかもしれない。ところが理性はその重要さを認めていながら、わが輩の心はそうした問題を知りたがらないのである。二十年・・三十年前と同様に、死を目前にひかえた今も、わが輩の興味の対象はただ一つ科学である。最後の息を引き取る瞬間も、やはりわが輩は、科学こそ人間生活の最も重要な、最もうるわしく必要なものであり、今までもこれからも科学こそ最も高度な愛のあらわれであり、人類はただ科学によってのみ自然と自分じしんに打ち勝つと信じるであろう。こうした信念はあるいは素朴に過ぎ、その根底において誤謬を宿しているかも知れぬ。しかしそうしか信じられないにせよ、それはわが輩の罪ではない。心の奥でこの信念に打ち勝つことは、わが輩にはできない。

しかし目下の問題はこうしたことではない。わが輩はただわが輩の弱さに寛容の二字を乞い、次の比喩を理解してもらいたいだけである。宇宙の究極の目的よりも骨髄の運命に興味を抱いている人間を教壇や学生たちからもぎはなすのは、彼が死ぬのを待たずにひっ捕えて、棺桶の中へぶち込むのと同じである。

ここで読者は老教授ニコライ・ステパーノヴィチが余命半年であることを知る。ということは、彼は自分の死を目前にして自らの人生を振り返るためにこの手記を書きはじめたということになるのであろうか。彼は〈あの世の闇〉や〈わが輩の死後の夢を訪れる亡霊〉などの問題と取り組むべきかもしれないが、心はそうした問題を知りたがらないと書いている。

ところで〈あの世の闇〉という言葉で彼は何を言っているのだろうか。〈あの世〉は〈闇〉ということは、いちおう彼は〈あの世〉の存在は認めているのだろうか。〈あの世〉は存在するが、その世界は〈闇〉であるとすれば、彼は死後の世界に何の希望も救いも求めていないことになる。彼は医学者(科学者)として死後の魂の存在を認めることができなかったのであろうか。〈あの世の闇〉という言葉には、死ねば死にっきりという虚無の思想がこめられているように感じる。よく分からないのは次の〈わが輩の死後の夢を訪れる亡霊〉という言葉である。まず〈死後の夢〉が分からない。従ってその夢に訪れる〈亡霊〉(видение)も分からない。

人間は死んだらどうなるのか。肉体の破滅は即、魂の死を意味するのか。それとも死んでも魂は生き続けるのか。こういった問題に関して、ニコライ・ステパーノヴィチはその重要性を認めるのは〈理性〉であると断言している。彼の〈心〉はそういった問題を知りたがらないとも書いている。不思議なことだ。魂の永世を願うのは〈心〉であって、ふつう〈理性〉はそういった問題に関して無力を自覚し、自分の立ち入れない領域と認識しているのではなかろうか。

余命半年のニコライ・ステパーノヴィチが、最大の興味の対象は〈科学〉だと言っている。しかしこの〈科学〉は誕生と死の神秘に関して何の解明も与えることができない。「科学こそ最も高度な愛のあらわれ」などと言われると、鉄腕アトムの生みの親よりも能天気な楽観主義者に見えてしまう。今日、科学の発展が人類の未来の幸福を約束しているなどと考える者はほとんどいないだろう。十九世紀という時代の制約はあるにせよ、それにしてもニコライ・ステパーノヴィチの科学信奉は彼の言うように「素朴に過ぎ」るし、「その根底において誤謬を宿して」いるのである。科学の発展は人類の寿命を延ばし、生活をたいそう便利にした。しかし同時に地球自体を破滅しかねない核兵器をも作りだした。幸福だけを約束する科学などはないのである。

余命二週間のイッポリート少年が問題にしたのはキリストの〈永遠の命〉であり、〈奇跡〉である。なぜ老教授ニコライ・ステパーノヴィチは〈信仰〉ではなく〈科学〉にこだわるのか。彼は自分を〈宇宙の究極の目的〉よりも〈骨髄の運命〉に興味を抱いている人間と規定している。が、しかし結局、人間には〈宇宙の究極の目的〉も〈骨髄の運命〉も知ることはできないのではないか。〈哲学者〉も〈神学者〉も、そして〈科学者〉も、結局はこの世界の様々な事象の〈神秘〉の前に自らの無力をさらけ出すよりほかはないのではないか。

2004年6月 9日

【老教授宅への訪問者】...チェーホフ『退屈な話』を読む(9)

同僚、学生、博士候補者  (チェーホフ『退屈な話』を読む)

講義が終わって家に帰ると老教授は書斎に坐って仕事をする。彼は次のように書いている。

雑誌や学位論文に目を通したり次の講義の準備をしたり、時には何か書き物をする。

この記述も先の記述と矛盾している。老教授は先に「わが輩はその日の講義を題目は知っているが、どんなふうに講義を進めるか、何から始めてどこで終えるかは知らない。頭の中には何ひとつ言葉の用意がないのだ」と書いていた。どうもこの〈手記〉は細かく見ていくと首尾一貫しているようには思えないが、今、そういった事を詳しく検証するつもりはない。老教授が記す、或る一日の日常を見ておくにとどめる。


ベルが鳴る。これは同僚が仕事の打合せに来たのだ。彼は帽子とステッキを手に入って来て、
それを順ぐりわが輩に差し出しながら言う。
「いやちょっと、ほんのちょっとお邪魔するだけです! お坐りになって下さい、collega !
ほんのふた言!」

まず手はじめにわれわれは、ふたりが世にもいんぎんで、こうして会うのがどんなにか嬉しいとお互い相手にわからせようと努める。まずわが輩が彼を肘椅子に坐らせると、彼もわが輩を坐らせる。その際われわれは注意ぶかくお互いの腰をなで、相手のボタンにさわる。その様子たるや、お互いなであいながら火傷しまいかとびくびくしているみたいだ。ふたりは何ひとつ滑稽なことも言わないのに笑いあう。ようやく腰を落着けると、今度はお互い頭を寄せあって、ひそひそ声で話しはじめる。どんなに好意を寄せあう仲でも、『お説の通りです』だの、『すでにお耳に入れましたように』だのといったあらゆるシナ風の勿体ぶった言回しで言葉を飾りたてねばならず、われわれのどっちかがうまくもない洒落を飛ばした時には破顔一笑せねばならぬ。打ち合せが終ると、同僚ははじかれたように立ちあがって、わが輩の仕事のほうへ帽子を振り振り別れのあいさつを言いはじめる。再びふたりはさわりあって笑う。わが輩は玄関まで見送りに出て、そこで同僚が毛皮外套を着るのに手をかす。相手はこの至上の光栄を何のかんのと言って辞退する。それからエゴールが扉をあけると、同僚はわが輩にお風邪を召しますよと抗議をし、わが輩はわが輩で通りまで送って行きそうなふりをする。そしてようやく書斎へ引きあげて来る時も、
あい変らずわが輩の顔は微笑を浮かべている。惰性にちがいない。

大学で三十年も勤務していれば同僚同士がどのように話をし、どのように振る舞うか、言わば舞台裏を毎日見ているようなものだから、ニコライ・ステパーノヴィチとその同僚の過度に慇懃なやりとりもしごく自然なものとして受け取れる。教授同士がたまに烈しくやりあうことはあっても、そんな喧嘩がながく続いたためしはない。意見の対立、確執はお互いの心の奥底へと密かにしまわれ、表向きは〈仲のいい〉者同士であるかのように振る舞う。ひと言で言えば、欺瞞のやりとりが臆面もなく展開されることになる。組織の中で、公然と対立関係が判明することは喧嘩をしている者同士にとって有利な事は何一つない。そういった対立・確執は大学内の政治屋たちによってうまく利用されるのがおちである。人間は三人集まれば二対一の派閥をつくり、なんだかんだと厄介なことをつくりだす。どうも人間というのは最初からそのようにつくられているらしい。こういった人間本来の性格を無視して、〈公平〉とか〈平等〉を大声で口にする者に限って、陰でこそこそひとの悪口を言ったりする。「これはここだけの話だよ」とか「これは内緒ですよ」・・とか、今まで何十回耳にしたことだろう。

老教授ニコライ・ステパーノヴィチとその同僚のやりとりから伺えるのは、彼ら二人は真の友情で結ばれた仲ではないということである。〈仕事〉で結びついた仲であるから、ビジネス上のつきあいはしても、それ以上にお互いの内部に踏み込んでいくことはしない。彼らはお互いに自分の領域に踏みこまれる事を予め拒んでおり、「私は私、あなたはあなた」というお互いの距離をきちんと守っている。彼らの慇懃な対応は、この相互不可侵条約を遵守するための外交上必須の気遣いと言えよう。こうやって大学の教授たちは自分の立場と地位を守るのだ。何しろ、大学を出て研究者として独り立ちするために学位を取得するほどの者たちは学生時代からこの自己保身的な処世の術を自然に身につけていく。指導教授に逆らったり、有力教授に睨まれなどすれば、どんなに優れた研究業績を残しても大学に残ることはできない。正規の研究過程を経ず、横滑りのかたちで教授になった者に、自己過信的な場違いの振る舞いをする者がまま見られるが、そういった言わば〈世間知らず〉のわがまま者もやがては組織の論理に組み込まれ、牙を抜かれた〈先生〉となっていく。教授会を見回せば、いたる所で「お互い顔を寄せあって、ひそひそ声で話」している場面を見ることができるし、そこではたいてい「シナ風の勿体ぶった言回し」を聞くことができるだろう。

さて、〈立派な指揮者〉の如く、名講義を展開できた老教授ニコライ・ステパーノヴィチですら、同僚に対してまるでパロディ小説に出てくるような過度に慇懃な対応をしているということは一種の驚きでもある。どんなに独創的な学者も、組織の中で長年生き続けていると、このようになってしまうということであろうか。六十二歳になるまでニコライ・ステパーノヴィチは、同僚の誰とも対立したり、憎しみあったりしたことはなかったのであろうか。

二番目の客は、老教授が不可をつけた学生である。老教授の試験をすでに五回受け、そのすべ
てに落ちた学生である。老教授は次のように書いている。

怠け者の学生が自分に有利なように持ち出す論法はいつも同じである。・・ほかの課目には全部りっぱに合格したのにわが輩の課目だけ落ちた、しかもわが輩の課目はふだんから一生けんめい勉強して、十分に知っているだけに意外だ、自分が落ちたのは何か不可解な誤解のせいではあるまいかというのである。
「気の毒だが君」とわが輩は言う。「君に及第点をあげるわけにはいかないね。帰ってもう一度ノートを読んでから、出直して来たまえ。そのうえで考えよう。」
間。わが輩は、学問よりもビールやオペラを愛するこの学生を少しとっちめてやれという気
になる。わが輩はため息をついて言う。
「わしはこう思うのだが、このさい君のとりうる最善の道は、医学部とさっぱり手を切ることだね。君ほどの能力があってどうしても試験に通らないとすると、つまり君には医者になる意欲も使命もないことになる。」

学生とのやりとりはまだまだ続くがもう十分である。この場面を読んでわたしは思わず苦笑いをしてしまった。まったく学生は昔も今も変わらないということだ。何度わたしは自分の学生から、この学生と同じようなことを言われただろうか。教授が学生に対してニコライ・ステパーノヴィチのように厳しく接したら、おそらく今の日本の大学では正規に卒業できる者が半数にも満たないのではなかろうか。たまたまわたしの所属している学部は芸術系であるから、多少甘くしてもそれほど他人に迷惑がかかるわけではないが、ニコライ・ステパーノヴィチの場合は医学部であるから、やはり厳しく対処する必要はあろう。しかしそれにしても同僚に対しては慇懃に対応、学生に対してはぶっきらぼうという所にこの老教授の性格がよく出てはいよう。

三番目の客は「新調の黒服に金ぶち眼鏡をかけた若い医師」である。

若き科学の使徒は、今年、博士試験をパスしてあと論文だけが残っているむねを、幾ぶん興奮
した面持で語りはじめる。わが輩の教室で、わが輩の指導で研究がしたい、論文のテーマを与え
てもらえるならまことにありがたいというのである。
「お役に立てれば嬉しいのだが、同僚」とわが輩は言う。「まず最初に学位論文とは何かとい
う点について、意見を調整しておこうじゃないですか。がんらい学位論文とは、自主的な産物を
まとめあげる論文である。そうじゃないですか? 従って他人のテーマと他人の指導で書き上げ
た論文は、学位論文とは呼ばない……」
博士候補者はだまり込む。わが輩はかっとなっていきなり立ちあがる。
「なぜ君たちは誰も彼もわしのところへ押しかけて来るんです?」わが輩はぷりぷりしてわめ
き散らす。「ここは店屋じゃないですぞ! わしはテーマを売ったりしません! 何百何千回、
君たちみんなにわしを静かにしておいてくれと頼んだか知れない! 乱暴な言い方で申し訳ない
が、わしはもうこりごりだ!」
(中略)
わが輩はここを先途とまくしたてるが、相手はがんとして口を開かない。とどのつまり、わ
が輩はだんだん静まって、当然のことながら降参をする。博士候補者はわが輩から三文の値打ち
もないテーマをもらい、わが輩の指導の下に誰にも必要のない学位論文を書き、退屈な公開討論
に堂々とパスし、不必要な学位を取得する。

学位論文を取得しなければ、研究者は大学においてしかるべき地位を得ることができない。制度的にそうなっている以上は、博士候補者は学位を取らなければならない。老教授は「学位論文とは、自主的な創造の産物をまとめあげる論文」という正論をはいている。もちろん老教授を来訪した博士候補者はそんなことは百も承知している。だから老教授が声を荒らげて説教しても無駄である。大学において博士論文を短期間に取得するためには有力な指導教授の指導下にあって、与えられたテーマについて書くのが最も手っとり早いのである。もし自主的な創造の産物に手をつけたら、それこそ一生かかってもまとめあげられるかどうかおぼつかないであろう。博士候補者はあくまでも、博士号を取得するために、名声と学識を有する老教授を来訪し、彼に指導を頼んでいるのである。ニコライ・ステパーノヴィチとて、同じようなプロセスを経て教授の地位を得たのであろうから、博士候補者の依頼を引き受けるのもいたしかたのないところである。

さて、ここでも叙述場面の〈時期〉が問題となる。六十二歳で余命半年と迫った老教授の〈現在〉が書かれているとすれば、この場面にリアリティはない。余命半年ばかりの老教授が学位論文の指導を引き受けることはあまりに無責任で不自然である。従って、この場面はニコライ・ステパーノヴィチの〈現在〉ではなく、彼の過去の或る時期の家での出来事を記したと見た方が納得がいくが、それならそれでそのように予めひと言断ってもらいたいという不満も起こる。

2004年6月10日

チェーホフ『退屈な話』を読む(10)... 【退屈を感じない話】

老教授ニコライとカーチャの演技論

『退屈な話』の中で退屈を感じない話がある。老教授が故同僚から引き取って育てたカーチャに纏わる話である。十八年前、七歳になるカーチャの後見人になったと書かれているから、この手記が老教授〈六十二歳〉の現在において書かれているとすれば、カーチャは現在二十五歳ということになる。カーチャは好奇心が強く、十四、五歳になった時に芝居に熱中し、自分は女優になるために生まれてきたと宣言する。まずは老教授の演劇論に耳を傾けてみよう。


わが輩は一度もカーチャの演劇熱に釣り込まれたことはなかった。わが輩の思うに、脚本さえよければ、なにも俳優をわずらわすまでもなく然るべき感銘をもたらすはずであり、従って脚本を読みさえすればことたりるわけだ。またもし脚本が悪ければ、どんな名演技も脚本を引きたてはしないだろう。

想像力・創造力の豊かな者は日常のなにげない光景の一こまから一編の小説世界を構築するこ
とができる。ましてや脚本ひとつあれば、自分の頭の中にすばらしい舞台を構築することができる。こういった者にとっては、確かに脚本がありさえすればいいのであって俳優など不必要ということになる。すばらしい脚本に対するすばらしい解釈、それが可能であれば、なまじ舞台などを観て演出家の無能や俳優のぶざまな演技に腹をたてることもないというわけである。

小説とその映画化に対しても同じようなことが言える。すばらしい小説を映画化して成功した作品はない。「小説よりも映画の方がいい」と言われて満足を覚える小説家はいないだろう。小説以外では表現できないからこそ小説家は小説を書いている。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』など、どのように映画化しようと不可能だろう。ただし、かつてエイゼンシュタインが『カラマーゾフの兄弟』の映画化を計画していたという話を聞いた時だけは心の底からその映画を観たいと思った。小説の天才ドストエフスキーの最高傑作を映画の天才エイゼンシュタインがどのように映像化するか、考えただけでゾクゾクしたものである。

チェーホフは脚本家でもあったわけで、ここにニコライ・ステパーノヴィチのペンを借りてしたためた演劇論というか脚本論は説得力を持っている。

わが輩の意見によると、演劇は三十年・・四十年前に比べて一向に進歩しておらぬ。(略)頭のてっぺんから爪先まで演劇的な因襲や偏見にこり固まった俳優が、例えば《存うべきか存わざるべきか》という簡単なありふれた独白ひとつ言うのに、あっさりと言わずになぜかきまって押し殺した口調で、全身をけいれんさせながら言おうとする時、あるいはまた、馬鹿者あいてに長々と渡りあい、ばか娘に血道をあげるチャーッキイこそは世にも賢い男だの、『知恵の悲しみ』は決して退屈な戯曲ではないなどと、かさにかかってわが輩に納得させようとする時、四十年前に古典主義的な雄叫びや胸をたたく大げさな演技が幅をきかせていた頃わが輩を退屈させたのとそっくり同じ因襲墨守の息吹が、わが輩めがけて舞台から吹きつけるのである。そして劇場から出るたびに、わが輩は入る時より一そう保守的になる。

たしかに演劇は一向に進歩していないだろう。この手記が書かれてから百年以上たった今日においても、演劇は本質的に何も変わっていない。そこに《退屈》を感じるか、熱中するかはまさに個人的な次元の問題となる。ニコライ・ステパーノヴィチは退屈し、カーチャは熱狂する。ただそれだけのことである。演劇に夢中になって一生を棒に振る者もあれば、それで名をなす者もある。演劇で新しい何かを表現するといっても、その何かがはっきり見えたためしはない。チェーホフの時代も百年後の現代も、舞台や装置が変わっただけのことで脚本家、演出家、役者が、ゴリラが人間に変わるほど変わったわけではない。つまり、シェイクスピアの時代から何一つ変わっていないのだと断言してもそう間違ったことにはならない。われわれはシェイクスピアの脚本を読めばことたりるのであって、わざわざその舞台を観に行く必要もないということだ。これははたして暴論なのか、それとも余りに的をついた真理なので、こんなことを面と向かって言われた演劇関係者は無関心を装うしかないのだろうか。

あいてが感傷的な信じやすい大衆なら、今日の形態の演劇は一種の学校であると思い込ませることもできよう。しかし学校ほんらいの意義に詳しい者は、そんなわなにはおいそれと掛らない。五十年・・百年後のことはいざ知らず、現状の演劇はせいぜい娯楽がいいところだ。そのくせ娯楽としての演劇は、たえず楽しむためには金がかかりすぎる。この娯楽はまず国家から、もし演劇に身を捧げなければ立派な医者に、農夫に、女教師に、将校になったはずの若い、健康な、才能ある数千人の男女を奪い取る。次にそれは大衆から夕の数時間を、・・知的労働と友だち同士の歓談に最適な時間を・・奪い取る。金銭的な損失や、常軌を逸した殺人や姦通や中傷が舞台に繰り広げられる時に観客のこうむる精神的な損害については言うまでもない。

こういったニコライ・ステパーノヴィチの意見は、チェーホフの考えの一端を伝えているのであろう。新しい表現形態としての役割をすでに終えた演劇は、〈娯楽としての演劇〉として生き延びる。が、そのためには金が掛かりすぎる。そんなことで将来有能な若者たちを犠牲にすることは芳しくない。彼の意見を聞いていると、〈娯楽としての演劇〉は今や〈テレビ〉が代行しているのではないかとさえ思う。現代の若者がテレビを観ることを放棄すれば、どれだけ本を読み、考え、勉強に時間を費やせるだろうか。しかし、もちろんこんな理由でテレビ文化を否定するわけにはいかない。テレビは今や、〈演劇〉〈映画〉〈音楽〉〈スポーツ〉〈ニュース〉〈バラエティ〉と何でもありの無尽蔵の宝箱と化している。しかも今後、テレビはコンピューターと連携することで、単に見るだけではなく、双方向性を獲得し、創造性を発揮できる道具ともなりえる。言わばテレビは進化の過程にあり、その意味では演劇と同一視することはできない。

ニコライ・ステパーノヴィチの意見に対してカーチャはどうだったのか。次に見てみよう。

カーチャの意見はまったく違っていた。彼女はわが輩に向って、演劇は今日のままの形態でも大学の講堂や書物よりも高尚であり、それのみかこの世の一切よりも高尚であると言い張った。演劇こそは一切の芸術を自らの中に凝集する力であり、俳優は伝導者である。どんな芸術もどんな科学も、単独では人類の精神に対して舞台ほど強く確実に作用しえず、それゆえにこそ二流どころの俳優でさえ、国民のあいだで最高級の学者や芸術家の遠く及ばない人気を博するのである。それにどんな公共活動も、舞台活動ほどの楽しみや喜びをもたらしえない。

カーチャの演劇至上主義的な考えが、彼女一人のものだったのか、それとも或る誰かの影響下にあったものなのかは知らない。カーチャの〈俳優は伝導者〉という考えは、俳優にとっては最高の賛辞であり、最高の使命ということになろう。問題は何を〈伝導〉するのかということである。舞台の原作者である脚本家の思想なのか、それとも舞台を演出構成する舞台監督の思想なのか、それとも自分が演ずる人物の思想なのか。カーチャとニコライ・ステパーノヴィチはそういった細かい点に関してなんら議論しなかったのであろうか。老教授は自分の意見を言い、カーチャもまた自分の意見を言う。お互いに各々の意見を言うだけのことで、一つのテーマを巡って対話的な展開をしようという意思はないらしい。否、二人の間で対話はあったかもしれないが、この手記を書いているニコライ・ステパーノヴィチ(ないしはチェーホフ)に対話的叙述をする意思がなかったと言うべきであろうか。

老教授はカーチャがある日とつぜん劇団に身を投じ、ウラル山脈の南の町へ旅立ったことを記している。カーチャは手紙で、恋をしたこと、ヴォルガ河畔のどこかに大きな劇場を設立すること、俳優たちは組合組織で出演することなどを書いて来る。老教授はカーチャの手紙に男の影響を強く感じる。彼は次のように続ける。

いずれにせよ一年半か二年のあいだは、万事順調だったらしい。カーチャは恋をし、自分の仕事を信じ切って仕合せだったのである。ところがその後の手紙の中で、わが輩はあらわな気落ちの徴候に気づきはじめた。事の起りはまず、カーチャがわが輩に向って仲間の苦情を訴えてきたことである。・・これは最初の最も不吉な徴候である。若き学者あるいは文学者が、他の学者あるいは文学者について痛ましい苦情を訴えるのを自分の仕事にしはじめると、つまりそれは彼が力を出しつくし、仕事に向かなくなった証拠である。カーチャはわが輩に向って、仲間の連中が稽古にも出なければ役を覚えもしないのだの、出し物の愚劣さといい舞台での態度といい、ひとりひとりに観客を頭から馬鹿にし切った様子がありありと見えるのだの、寄付金を集めるために、・・目下その話でもち切りなのだが、・・演劇女優があさましく歌謡曲を歌ったり、悲劇俳優が小歌を歌ったりする、しかもその小歌たるや、女房を寝取られた亭主や不実の妻の妊娠をあざわらう卑しいものだなどと書いて寄越した。実際こうした地方劇団が今もってあとをたたず、細々と腐り切った余命を保っていられるのは、ただただあきれ返るの他はない。

ここに書かれた叙述を読んでいると、カーチャはある面、実に『可愛い女』のオーレニカに似ているなという印象を持つ。カーチャに大きな影響を与えた男は、オーレニカの最初の夫になったクーキンを想起させるし、それよりなによりカーチャの〈信じやすさ〉がオーレニカの性格とだぶって見える。オーレニカは眼前の愛する人の言うことをそのまま無批判に受入れ、その言葉をコピーし続けた。カーチャもそのような女に思える。演劇至上主義も劇場設立計画も、それはすべてカーチャが愛した男の考えであり企画であり、カーチャはそれをただ同じ言葉で繰り返していただけのような気もする。カーチャが仲間の苦情を訴えたのも、それは彼女自身の苦情ではなく愛する同伴者の苦情であったのではなかろうか。何しろニコライ・ステパーノヴィチの手記には彼女の恋する男の肖像がまったく紹介されないので、カーチャと恋人の関係を具体的に知ることはできないが、カーチャが恋人の強い影響下にあったことだけは確かであろう。

もしカーチャの恋人が劇場経営者であり、同時に舞台監督でもあったのであれば、〈仲間の苦情〉を最初に漏らしたのはこの恋人であり、老教授の言葉を借りて言えば、恋人はすでに自分の力を出しつくしてしまったということになる。確かに老教授の推察は当たっているだろう。文学を含め芸術的創作に従事する者が仲間の悪口や陰口をたたき始めたりしたら、それは正に彼自身の仕事の行き詰まり、ないしは仕事の終焉を証明している。芸術は一生の仕事である。が、〈仕事〉よりも生き長らえてしまう悲惨な場合もある。スポーツ選手の場合、体力の限界によって現役を退き、後進の指導にあたるという道が残されている。芸術家の場合もそのようなことが可能なのであろうか。現役をしりぞいた芸術家が、教育者となって後進の指導にあたるということは、一見すばらしいことのようにも見える。が、芸術家は現役で芸術活動を遂行する者のみが教育の現場に立つことができるのだ、という厳しさを失ってはならないだろう。

いずれにしてもカーチャには演劇に対する高尚な理念が息づいている。カーチャには出し物が愚劣であったり、演劇女優が歌謡曲を歌ったりすることが我慢がならないのである。ニコライ・ステパーノヴィチが「悪の根源は俳優自体に求めるべきではなく、むしろもっと奥深いところ、すなわち芸術それ自体に、社会全体の芸術に対する態度にこそ求めるべきである」という手紙を書き送ると、カーチャからは「私がお手紙に書いたのは(略)およそ立派さとは縁遠い狡猾な連中の集まりのことなのです。他の場所では使ってもらえないという、ただそれだけの理由で舞台でまぎれ込んだ野蛮人の群、厚顔無恥というただそれだけの理由で芸術家と自称している連中なのです。天分のある人はひとりもおらず、能なし、酔払い、悪党、陰口屋ばかりなのです。私がこれほど愛している芸術がいやらしい連中の手に落ちてしまったのがどんなにつらいか、とうてい言葉では言い表わせません」と書いてくる。その後しばらくしてニコライ・ステパーノヴィチはカーチャから「私は手ひどく欺かれました。もう生きていられません」という手紙を受け取る。

老教授はカーチャの彼もまた〈野蛮人の群〉に属していたのではないかと推測する。手記は、カーチャの自殺未遂、カーチャの子供の葬式などを伝え、現在のカーチャは老教授の家から半キロほどのところに住んでいると伝える。

われわれは老教授の手記によってカーチャの波瀾万丈の半生に思いをいたすほかはない。カーチャの彼はついにその姿を老教授の前に現さなかった。カーチャと彼との関係、カーチャの子供……カーチャの人生を考える上で重要な二人の人間に関して老教授はほとんど何も伝えない。

2004年6月11日

【老教授ニコライの手記の特徴】...チェーホフ『退屈な話』を読む(11)

嫌われているカーチャ、余計者ニコライ

老教授が伝えるのは妻のワーリャと娘のリーザがカーチャを嫌っていることである。二人の身内の女性がなぜカーチャを嫌うのか。その点に関して老教授は次のような見解を述べている。

わが輩はなぜ嫌うのかわからないが、それがわかるには女にならねばならないらしい。首を賭けてもいいが、わが輩がほとんど毎日講堂で顔をあわす百五十人の若き男性や、毎週きまって出会う百人ほどの年配の男性のうちで、カーチャの過去、すなわち不義の妊娠や私生児に対する憎悪や嫌悪を理解できる者はまずひとりもいまい。と同時に、知合いの女性や娘のうちで、意識的にせよ本能的にせよそうした感情を抱かないですむような女性を、わが輩はどうしても思い起こすことができない。しかもそれは、女性が男性に比べて美徳に敏感で純粋だからではない。美徳にせよ純粋さにせよ、悪意の感情を断ち切っていない限り、要するに悪徳と五十歩百歩ではないか。わが輩はつねづねそうした男女の違いを、女性につきものの後進性で説明している。今日の男性が不幸を見た時に経験する物悲しい同情の気持や良心の痛みのほうが、いたずらな憎悪や嫌悪よりも遙かに文化や道徳的な成長について雄弁に語っているように思う。今日の女性は、中世の女性と同じように涙もろくて情操に欠けている。わが輩に言わせれば、だから、女性に男性と同じ教育を受けさせようと勧告する人びとは、全く道理にかなった振舞いをしているわけである。

妻がカーチャを嫌うのには、その他にもわけがあった。カーチャが女優になったこと、恩知らずなこと、傲慢なこと、風変りなこと、それからまだ、ひとりの女性がもう一人の女性にいつも見出す数かぎりのない欠点のためである。

ニコライ・ステパーノヴィチの手記には一つの特徴がある。先にわたしは叙述の混乱と指摘しておいたが、さらにもう一つ、明らかに見解の異動が見られる。彼はなぜ妻と娘がワーリャを嫌うのか分からないと書いておきながら、すぐに自分の見解を述べている。要するに彼の見解によれば、妻と娘はワーリャに悪意の感情を持っているということになる。彼はその悪意の源泉が、ワーリャが〈女優〉になったこと、および〈恩知らず〉〈傲慢〉〈風変り〉にあったというように分析している。これだけ明晰にワーリャが嫌われる理由を書いているのに、最初に「わが輩はなぜ嫌うのかわからない」と断っているのだから、まさにその理由がわからない。

考えられるのは、手記の主体であるニコライ・ステパーノヴィチが六十二歳の惚けはじめた老教授という設定の枠から飛びだして、二十九歳の気鋭の小説家チェーホフの明晰な見解を獲得してしまうということにある。他のチェーホフの作品論でも指摘したが、彼の小説には語り手の明晰な分析や批評が入り込んでいるので、読者や批評家の〈批評〉を受け付けないようなところがある。チェーホフの叙述は、批評は読者に任せるといったものではない。語り手は一級の〈批評家〉としても自らの作品に参加しているので、批評家はさらなる批評家であることを要請されることになる。

さて、わたしはどこまで丁寧に老教授の〈手記〉につきあうべきなのか、今そのことが頭の隅に浮かんで消えていった。彼は娘リーザの男友達グネッケルが家にやってきて一緒に食事することに退屈といらだたしさを覚える。なるほど老教授もまた年頃の娘を持った父親のやりきれない気持から逃れることはできなかったということか。彼は苛立ち、腹立たしい気分に襲われ、それから逃れないようになる。彼はカーチャの部屋を訪ね、次のような愚痴をこぼすまでになる。

「王さまの一ばん立派な、一ばん神聖な権利は、・・慈悲をたれる権利だ。わたしはその権利を無制限に行使してきた以上、いつも王さまのような気持でいられた。わたしは一度も人を裁いたことはないし、いつも寛大で、誰かれなしに喜んで許した。他の人びとが抗議をしたり憤慨したりするところを、わたしはただ忠告したり説いて聞かせたりしたものだ。生涯わたしは、自分の存在が家族や学生や同僚や、使用人にさえも、重荷にならないように、ただそれだけを努力してきた。そしてこうした人に対する態度が、わたしに接したすべての人びとによい感化を及ぼしたものだ。ところが今では、わたしは王さまではない。わたしの内部に、奴隷にしかふさわしくないようなある種の気持が起って、昼も夜も頭の中に邪悪な考えがさまよい、心の中には今まで知らなかったようないろいろな気持が巣くってしまった。悩みもする、軽蔑もする、叱り飛ばしもする、憤慨もする、恐れもする。度はずれに厳格な、やかましい、怒りっぽい、無愛想な、疑い深い男になったのだ。以前にはせいぜい余計な洒落の一つも飛ばし、おおらかに笑ってすませた瑣細な事柄が、今はわたしの内部に重苦しい感情を生みつける」

老教授は王さまの慈悲と寛大な精神から奴隷のような憎悪、憤慨、猜疑の虜になってしまったと嘆く。この変貌はいったいどこから生じたのであろうか。彼の手記を追ってきた者にとって自然に考えられるのは、一人娘リーザに恋人ができたということだろう。老教授はリーザの恋人の存在を認められないのだ。妻に説得させられて、いちおうリーザの結婚に同意の返事をしたものの、本心はまったく違うのだ。それにしても彼は、なぜ余命半年の自分の運命を妻や娘に語らないのだろう。彼は今や、一人ぼっちであり、妻も娘も信頼できないのであろうか。否、彼には愚痴を聞いてくれるカーチャがいるではないか。そのカーチャはきっぱりと「おじさまはご家族ときっぱり縁を切って、どこかへ行っておしまいになることが一ばん必要ね」「何もかも放り出して、どこかへ行っておしまいなさいな。外国へいらっしゃい。早ければ早いほどいいわ」と言い切る。カーチャによれば、ニコライ・ステパーノヴィチは〈余計者〉ということになる。

さて、問題は何ひとつ解決しない。妻と娘がカーチャを嫌っていること、それに劣らずカーチャもまた彼女たちを嫌っていること・・この確執の問題はなんら解決の方向へと向かうことはない。ニコライ・ステパーノヴィチがリーザの結婚に賛成していないこと、この問題も何ら解決していない。老教授は解決すること、決断することを回避しているように見える。問題がそれ以上深みにはまらない前に、老教授は場所を変える。あるいは必ずそこへ誰かが入ってきて、問題は宙づりにされる。例えば、カーチャが老教授に向かって〈余計者〉呼ばわりしたときがそうだ。老教授のどこが、どのように〈余計者〉なのか。これからどんな議論が展開されるのか、そう思っていると突然そこへ〈小間使〉が現れて、話は中断する。まさにとってつけたようなタイミングで第三者が登場し、問題は曖昧なままに処理されてしまう。話は〈余計者〉から、老教授の〈思い出ばなし〉へと変換されてしまう。老教授は次のように語る。

わたしは夢に描いた以上のものを手に入れた。三十年間、わたしは教授として愛され、すばらしい同僚に恵まれ、名声を一身にあつめた。恋もした、熱烈な恋愛結婚をして子供をもうけもした。要するに振り返って見ると、わたしの一生は美しい、天才の手で書きあげられた一篇の楽曲だったわけさ。今はただフィナーレを損なわないようにしさえすればいい。そのためには人間らしい死に方をする必要がある。もし死が真実さけえぬ禍いであるなら、教師として、学者として、キリスト教国家の市民として恥かしからぬように、朗らかに、安らかな心で死を迎えねばならない。ところがわたしはフィナーレを台なしにしている。溺れかけて、お前のところへ駈けつけて、救いを求めている。それなのにお前は、溺れちまえ、そうするのが一ばんいいと言う。

ニコライ・ステパーノヴィチは自分の人生を振り返って「わたしの一生は美しい、天才の手で書きあげられた一篇の楽曲だった」と言う。『黒衣の僧』のコヴリンが狂気に落ちずに長生きすれば、まさにこの老教授になったのではないかと思わせるセリフである。さて、この若き日の夢を実現し名声を博して、今や余命半年に迫った老教授の最大の問題が〈死〉であることは明白である。彼は人生のフィナーレを台なしにしていると嘆く。カーチャに救いを求めているのだと告白する。ここに引用した老教授のセリフの中には重要な問題が幾つもこめられている。老教授は〈死〉をどのように捕らえているのか。彼は死後の世界を信じているのか。彼はカーチャにどのような救いを求めているのか。

ニコライ・ステパーノヴィチは〈一〉章で、余命半年足らずの身にとって〈あの世の闇〉や〈わが輩の死後の夢を訪れる亡霊〉の問題について取り組むべきかもしれないが……云々と書いていた。この時も彼はこの問題に真剣に取り組むことはしなかった。わたしは〈死後の夢を訪れる亡霊〉が何を意味しているのか分からないと表明しておいた。原典に則して分かりやすく言いなおせば、死んで墓場に眠っている〈彼〉(ニコライ・ステパーノヴィチ)のところへ〈亡霊〉が現れるということであるが、〈亡霊〉と訳されたвидение(幻、幻像)が何を指しているかが問題である。が、老教授はこういった問題を掘り下げることはなかった。ここでも彼は〈人間らしい死に方〉やフィナーレを台なしにしていることについては触れているが、死後の問題についてはまったく触れようとしない。

それよりなにより、ここでも二人の会話はとつぜんの来訪者によって断ち切られる。これはニコライ・ステパーノヴィチの問題というより、作者チェーホフの問題に帰した方がいいのではなかろうかとも思う。チェーホフは死後の問題、ドストエフスキーがその文学の世界において徹底的に問題にした〈魂の永世〉の問題、〈信仰〉の問題を妙に回避しているように思える。

【学生の声】 6月7日「マンガ論」

ネジ式は不条理の魂だと思った。不条理、それは死、線路や、金太郎アメの様に終りがある様でない永遠であると思った。又、僕は本は買う派です。賢治にはまだ出会ってないけど、今読んでる「カラマーゾフの兄弟」が読み終わったら(そうとう先だと思うけど)ぜひ出会いたい。「銀河鉄道の夜」の死んだ母を生きていると思いこむジョバンニ説は、ヒッチコックの「サイコ」の様だ。僕はヒッチコックと今村昌平が大好きです。「今村昌平を読む」も買いました。いつか今昌の話もおねがいします。(武田英樹・映画学科1年)

”銀河鉄道の夜”の考察を聞いた時一瞬「表面的な理解だけの方が幸せだったかも・・」と思いましたが、ザネリがジョバンニの心の闇を知っているというくだりを聞いてその考えは消えました。素直におもしろかったです。 私も本は自分のものにしてこその本だと思います。私も本は買う派です。(油原陽子・文芸学科1年)

だんだん作者よりも批評家さんの方がすげぇな、と思い始めました。ちょっとこわさもあるけれど・・。(塚本直毅・文芸学科1年)


想像力とは力ですね。素晴らしく熱い授業です。(瀧腰教寛・演劇学科2年)

批評家は作者を感動させ、自分の作品を読み返させるぐらいでないといけない、という言葉が印象的でした。(佐藤裕恵・演劇学科2年)

銀河鉄道の夜のジョバンニに陰の部分が存在しているなんて思っていなかった。母が死んでいたという考えもなかったので聞いていて楽しかった。(鳥本江美・デザイン学科2年)

銀河鉄道の夜の話おもしろかったです。ジョバンニの暗い部分の分身がザネリというのは考えたことありませんでした。カンパネルラがジョバンニの分身だと思っていました。(入谷有・放送学科1年)

批評は作者を感動させるものであるという意見は最高だと思います。批評家が皆この意見だったらいいと思うのですが。(津田優也・文芸学科1年)

いやぁ~熱いよ、アンタ熱いよ!!(望月祐介・映画学科2年)

ねじ式の眼科が眠科になっているのに初めて気づきました。つげさんは字をまちがえただけで意味はなかったっぽいけど、この眠科で話がおもしろくなっていくのに感動しました。(笠原直美・演劇学科2年)

目医者を「眠科と書いてある所にハッとした。「千と千尋の神かくし」の「生あります」の看板をふと思い出した。(五十嵐綾野・文芸学科1年)

2004年6月12日

チェーホフ『退屈な話』を読む(12)... 【希望のない人があろうか】

ニコライ・ステパーノヴィチは次のように書いている。

希望のない人があろうか? 自分で診断を下し自分で治療をしている今でも、わが輩はふと、自分が無知ゆえに思い違いをしているのではないか、体内から検出された蛋白や糖分にしても、心臓にしても、朝二回みられた浮腫にしても、あれはみんな自分の誤診ではないかとひとすじの希望を抱くのである。ヒステリイ患者特有の熱心さで治療学の教科書を読みあさり、まいにち医薬を取り替えながら、たえず何か慰めになる徴候にぶつかるだろうと、そんな気がするのである。


空に雲が広がっている時も、月や星が輝いている時も、わが輩は毎度かえり道で夜空をふり仰ぎ、遠からず自分を死がさらうだろうと考える。そんな時のわが輩の思考は、大空のように深く、明るく、驚嘆すべきものに思われよう。……だが、違う! わが輩は自分じしんのことを思い、妻やリーザや、グネッケルや、学生たちや、総じて人間たちのことを考える。よからぬことをいじいじと思いめぐらし、われとわが心をあざむくのである。その時のわが輩の人生観は、かの有名なアラクチェーエフ〔一七六九-一八三四。十九世紀はじめの横暴な寵臣で悪名高い反動家〕がある私信にもらした言葉で言い表わせよう。・・『一切の善はこの世では悪なしにはありえず、しかもつねに悪は善よりも多い。』つまり一切は醜悪であり、生きる目的もなく、六十二年のこれまでの生涯も徒労にすぎぬというわけである。

ニコライ・ステパーノヴィチは「希望のない人があろうか?」と自らに問い返す。問題は彼の言う〈希望〉である。彼は余命半年という医学者としての診断が誤診である可能性を持ち出してくる。すると彼の〈希望〉は〈誤診〉の可能性ということになってしまう。彼は、人間が逃れぬことのできない〈死〉を先延ばしすることを〈希望〉と言っているのだろうか。彼は先に指摘したように〈死後〉の世界について思いをいたすことはない。彼は科学を信じている。この信じ方は『六号室』のラーギン医師と同じである。彼らは理性及び科学の信奉者であり、理性や科学で解き得ぬ神秘の前に敬虔な気持になることはない。彼らは神の前に伏すことはできない。それは彼らが何よりも信ずる理性や科学に対する裏切りとなり、また今現在の彼らの生活を欺瞞のものとしてしまうからである。

ニコライ・ステパーノヴィチは「遠からず自分を死がさらうだろう」ということを自覚しても、なお現世の喜怒哀楽のドラマに執着している。彼は妻や娘、そして娘の恋人グネッケルが、自分の死後もまた元気に暮らし続けるであろうことをいまいましく思っているに違いない。科学を信じるということは、現世における自らの力に全幅の信頼を置いているということを証している。が、これは明らかに矛盾である。彼は科学によってこの世に誕生したのではないし、しかもその科学によって自分の命を永遠にコントロールすることもできない。科学(医学)は彼の余命半年を診断することはできるが、死そのものに対しては無力である。彼は、こういった点に対するさらに一歩突っ込んだ思索をすることはない。肝心要の問題に関して、彼はすぐに横滑りして他の問題へと巧みに乗り換えてしまう。

ラーギン医師はグローモフの狂気に興味を持って彼に近づき、彼と近づくことで彼が信奉していた理性を突き破る〈感情の爆発〉に襲われた。しかし、ラーギン医師もまたとつぜんの〈死〉によって、さらなる問題の追究を回避する。これは勿論ラーギン医師の問題ではない。そのようにラーギン医師の運命を閉じた作者チェーホフの問題である。

ニコライ・ステパーノヴィチは〈死後〉の問題に言及せず、現世(この地上世界)の事実に留意する。彼はアラクチェーエフの「一切の善はこの世では悪なしにはありえず」を想起する。それならさらにドストエフスキーの人物たちの叫びをも想起すべきだったろう。ドストエフスキーの人神論者たち、特にイヴァン・カラマーゾフの神に対する抗議(地上の世界を不条理なものとして創造した神に対する抗議)をも視野に入れてこそ、チェーホフはドストエフスキー以後の小説家となったのではないか。ニコライ・ステパーノヴィチ(およびチェーホフ)は〈神〉を持ち出されると、どういうわけか〈うんざり〉するのである。彼はまさか科学の全能を信じてはいなかっただろうが、それ以上に神を全能と認めることはできなかった。否、彼は神の問題を真っ正面に据えることに何かしら忌避の感情を抱いていて、そういった領域にさらなる一歩を踏み込んでいこうとはしなかった。

2004年6月13日

日野啓三の『落葉 神の小さな庭で』

懐疑の果てに〈神の庭〉と和解した小説家

日野啓三が亡くなった。日野氏とは生前一度もお会いしたことがなかったが、氏のドストエフスキー論などは読んでいた。私はかつて「ドストエフスキー狂想曲」(一九七五~一九七九年)という雑誌を主宰していた。・号を氏に送ったところお礼の葉書(一九七七年十月一日)が届いた。そこに「貴兄が『弱い心』を論じた作品の末尾の、夕景色についての指摘、不思議な戦慄を覚えました」とある。主人公のワーシャはとつぜん訪れた婚約という幸福に堪えきれず発狂してしまう。友人のアルカージイはワーシャの発狂の謎を抱え込んだままネヴァ河の夕景色を凝視する。私は書いた「論理や言葉では手のとどかぬ世界をアルカージイはただ見詰めるだけである。そこには社会に対する抗議も批難も全く入り込む余地はない。眼の前に開示された世界はまるごと夢幻的な様相を呈しており、そこでは一人の人間の発狂という痛ましいドラマばかりではなく、金殿玉楼から掘立て小屋にいたる全世界が〈青黒い空に煙となって雲散霧消〉してしまうのである。この透明で静謐な風景描写を読むとき、我々は人間存在の不可思議さを超えて、世界そのもの、存在そのものの神秘をこそかいま見せられる。そのとき、人はまぎれもなくアルカージイと同様な〈奇怪な想念〉にうたれるのである」と。

 日野啓三の最後の本となった短編集『落葉 神の小さな庭で』(二00二年五月、集英社)のあとがきに「本当に大切なのは、この私ではなくて世界の方なのだ」「私たちは男も女も人間も動物も、実は同じ神の庭で生かされているのだ。必ずしもキリスト教の神ではなくても」とある。また「もともと〈現実〉か〈錯乱〉かという区別が本質的なのではなく、たとえば薄青く震える秋の光とともにおのずから姿を現わす〈現実的な幻想〉ないし〈幻想的な現実〉のイメージこそが、実在の真相なのであろう。〈幻想的でしかない幻想〉も〈現実的でしかない現実〉も浅薄な思い込みに過ぎないのではないか」(「薄青く震える秋の光の中で」)とも書いている。ドストエフスキーはストラーホフ宛の手紙(一八六九年二月二十六日)に「大多数の人がほとんど幻想的なもの、例外的なものと見なしているものが、私にとっては時として現実の真の本質をなすのです」と記している。日野敬三はドストエフスキーのこの独自なリアリズム観を引き継ぎ、初期短編『弱い心』に描かれたペテルブルクの夕景色の神秘と謎を凝視し続けてきた小説家である。

 ちっぽけな人間の悲しさや苦しさに寄り添う優しい眼差しを獲得した日野の作品は深く静かに読者の魂を震わす。風の多様な哭く声を聞き、病院の窓の外に怪しい異形のものの幻覚を目にし、世界の真相が恐るべきものであるなら認識者自身が多少とも怪物的にならねばならないと考え、落葉小高木(えごのき)の葉並が抱えこんでいる闇にブラックホールの入口を思わせる神秘の気配を感じ、「そう、この世界のすぐ上、すぐ奥、すぐの深みには古来、聖霊が統べる領域があって、われわれの魂が純粋に張りつめ、視線が力を秘めていれば、聖霊の力をじかに感じとることができるはずなのだ」と書く日野は、確かにドストエフスキー文学の或る側面を20世紀の日本で受け継ぎ花開かせた作家であり、懐疑の果てに世界(神の庭)と和解した作家とも見える。

 一年間の時評で、私が取り上げた作品は第一回黒井千次「隣家」、松浦寿輝「虻」、第二回稲葉真弓「どんぶらこ」、岩阪恵子「掘るひと」、南木佳士「底石を探す」、第三回南木佳士「山中静夫氏の尊厳死」「阿弥陀堂だより」「神かくし」「濃霧」、佐藤洋二郎「蟻の生活」、和田ゆりえ「ダフネー」、緒方圭子「ヴァージン・ロード」、第四回南木佳士『ダイヤモンドダスト』、佐藤洋二郎「箱根心中」、湯本香樹実「西日の町」、早坂類「ルピナス」、第五回早坂類「ルピナス」、第六回上田榮子「海鳥のコロニー」、第七回車谷長吉「贋世捨人」、岩阪恵子「雨通夜」、第八回つげ義春「ほんやら洞のべんさん」、井村恭一「睡眠プール」、松野大介「非常階段」、原田宗典「劇場の神様」、第九回梁石日『終りなき始まり』、第十回李良枝「由熙」、第十一回玄月「おしゃべりな犬」である。

 私がまず関心を抱いたのは、佐藤洋二郎、南木佳士、岩阪恵子、稲葉真弓など、日常に材を採りながら、人間が生きてあるその姿に潜む怪異さや深淵をかいま見せる作品を書き継いでいる昭和二十年代生まれの作家たちである(私は彼らを〈日常深淵派の作家〉と名付けた)。「ルピナス」の早坂類には或る何ものかに書かされているという痛ましいほど鋭利な天才性を感じ、「ダフネー」、「鏡の森」(「文學界」12月号)の和田ゆりえには作品世界全体に濃密な汎神論的エロスを醸しだす類稀な才能を感じた。将来が楽しみな作家であり、両氏の作品に対してはいずれ本格的な批評を書かねばなるまいという気持ちにさせられた。在日の作家たち、特に玄月の作品にはこれから何が出てくるかわからない豊穣の混沌を感じる。ドストエフスキーを読みつづけている者にとって、玄月は魅力的な作家の一人であり、さらなる実験、冒険に果敢に挑戦してもらいたいと思う。

 第一回目の時評で黒井千次の短編「隣家」をとりあげたが、この最終回では岡松和夫の「チョコレート・パン」(「群像」十二月号)をとりあげたい。主人公の軽部は大学院に籍を置く女子高校の教師。教え子のひとり真知子の母は心を病んでいる。家庭訪問した軽部は真知子の母と、食事を拒み続けて病院で死んだ自分の母親とがオーバーラップする。

ある日軽部は、道に迷ったあげく交番に入る真知子の母を目撃する。彼女は警官に事情を説明する軽部の顔をじっと見つめ「チョコレート・パン」と呟く・・。この短編を読んで私はホッとした。日本の小説の良さは短編にあると思い続けてきたが、この作品はそれをさりげなく証明している。作家が静かに構えているその姿勢に、相手を打ち込む殺気はなく、相手に打ち込まれる微塵の隙もない。かと言って不同の姿勢を保持しているのでもない。剣を握る両掌のうちにピクッと動くかすかな気配はある。作品の窓枠は小さいが、覗き込むと意外に奥が深い。その奥が果てしなく深く、脅えを感ずるというのではない。奥が深淵の闇ではなく、水彩画の淡さをもって深いのである。また、泣きわめいたり、狂気を誘う悲しさではなく、胸懐に深くしっかりと抱きしめられた悲しみが静かに伝わってくる。母の狂を受け止める、その思いのうちに込められた悲しみが〈時〉の層を幾重にも重ねているだけに、それは読者の胸にしみる。題名のさりげなさもよい。時評の最終回にこのような傑作短編に出会えたことに感謝している。
(「図書新聞」2002年12月7日)

【〈学者づらしたとんま〉な助手ピートルに対する憤懣】...チェーホフ『退屈な話』を読む(13)

余命半年に迫った男が、現世にのみこだわれば「つねに悪は善よりも多い」ことを自らの生において実証することになろう。彼は妻や娘に不満であり、娘の恋人グネッケルに対してはそれに倍して我慢がならない。同僚に対しても、助手に対しても、要するに彼は自分を取り巻くすべてのものに対して我慢がならない。ここでは休日ごとに老教授を訪ねてくる彼の助手、先に〈学者づらしたとんま〉と紹介されたピョートル・イグナーチェヴィチに関する叙述を見ておこう。


彼はたいていわが輩の机のそばに腰をおろすが、控え目な、きちんとした、考え深そうな態度を守って、足を組んだり机に肘をついたりそんな真似はそぶりにも見せない。そしてたえず静かな、平板な声で、雑誌や書物で読んださまざまな、彼の思うに興味しんしんたる、刺激的なニュースを滑らかに、本を読むように物語る。(略)わが輩を笑わせようと思う場合でさえ、こまごまと出典をあげ、日付や雑誌の号数や人名を間違えまいと努めながら、長々と、まるで学位論文の説明のように物語る。従って、ただプティですむところを必ずジャン=ジャック・プティと言うのである。たまたま食事に残るようなことがあると、食事の間じゅう同じ刺激的な話を語りつづけて一同をうんざりさせる。グネッケルとリーザが居合わせて、フーガだの体位法だの、ブラームスだのバッハだのについて話しはじめると、彼はつつましく眼を伏せて当惑する。わが輩と彼のような真面目な人間の面前でこんな低俗な話が出たのが、恥かしくてならないのである。

現在のわが輩の気分では、ものの五分もたつかたたぬかに、もう永遠の昔から彼の姿を見、彼の話を聞いているようにげんなりする。わが輩は哀れむべきこの男を憎んでいる。彼の物静かな平板な声と朗読調の言葉のために、わが輩はやつれはて、その物語のためにぼけてしまう。……彼じしんはわが輩に心から好意を寄せ、ひたすらわが輩を喜ばせんがために話すのだが、わが輩はその返礼に、あいてを催眠術にかけようとするようにはたと睨みすえ、『帰れ、帰れ、帰れ……』と考えている。しかし彼は、そうした心ひそかな暗示にかからばこそ、坐って、坐って、坐り通すのである。……

彼が坐っているあいだ、わが輩は、『自分の死んだあときっとこの男があとがまに坐るのだ』という考えからどうしても離れることができない。すると、わが輩の可哀そうな講堂が小川の涸れあがったオアシスのように思われ、そうした考えの浮ぶのがわが輩じしんの責任ではなく彼の責任ででもあるかのように、わが輩はピョートル・イグナーチェヴィチに対して無愛想になり、口数も少く、陰鬱になるのである。
老教授ニコライ・ステパーノヴィチの助手ピョートル・イグナーチェヴィチに対する眼差しは王さまの寛容と慈悲からほど遠い。すでに彼は邪悪な感情に取りつかれており、助手の言動のすべてがいまいましくてならない。が、彼はこの助手に対して自分の思っていることを何一つ口にだして言う事ができない。こういった内攻した憤懣は、時にひとを病気にする。『弱い心』のワーシャ・シュムコフがアルカージイに抱いた烈しい憎悪はワーシャを発狂へと追いやったし、ラーギン医師が郵便局長ミハイルに抱いた憤懣はついに〈感情の爆発〉を起こさざるを得なかった。ワーシャは憎悪と憤懣を相手に爆発させることができずに自分自身を爆破してしまったわけだが、老教授の助手に対する憤懣と憎悪は、一歩出口を間違えればワーシャと同じ結果を導くことになっただろう。

ワーシャの〈弱い心〉はアルカージイに過度の感謝の気持を表出することはできたが、同じように憎悪や憤怒を表出することはできなかった。ここにワーシャの最大の不幸があった。なぜワーシャは自分の狂気を代償にしてまでアルカージイの友情に応えようとしたのか。それは彼が、人間は人間と愛によって結びつくことができるという一種のユートピア思想を信奉していたからである。ワーシャは結婚したら、アルカージイも含めた三人で幸福な共同生活をしようと考えていた。ワーシャは、人間の中には嫉妬や憎悪がどうしようもなく潜んでいるのだという現実を見る眼差しがなかった。それはアルカージイもまた同様である。アルカージイはワーシャの発狂に立ち会ってはじめて、人間の心に潜む深奥の闇に気づいたのだ。陽気で元気であったアルカージイは、ワーシャが精神病院に送られてから陰鬱な青年へと変貌する。

老教授ニコライ・ステパーノヴィチは功名を遂げた学者であるが、しかし彼は孤独である。彼の手記を読む限り、彼はただ一人の他者とも真に結びつくことはできていない。彼は現世において、かつて烈しく愛し合った妻、一人娘、娘の恋人グネッケル、養女カーチャ、同僚たち、そして助手のピョートル・イグナーチェヴィチ……らの誰とも心の底から結びつくことはできない。彼は誰に対しても不満であり、いつもいらいらしている。彼が助手に対して抱いた『帰れ、帰れ、帰れ……』は、さらに極端に言いなおせば『おまえなんぞ死んでしまえ!』ということになろう。素晴らしい感動的な講義のできる、天才的な学者は余命半年でこの世から消えなければならない。その後釜を継ぐのが〈学者づらしたとんま〉なおまえなのだ。そんなバカなことがあっていいものだろうか。老教授の内心をさらに露骨に晒せばこのようになるのだ。

ニコライ・ステパーノヴィチは始めから負け勝負に出ている。彼が本来、戦うべき相手は姿を見せない〈時間〉である。しかし、彼はこの〈敵〉を正面に据えて戦おうとはしていない。〈時間〉と戦って勝利を収めた者はいない。少なくとも現世の時間しか認めない者にとって、〈死〉に勝利することはできない。彼は〈死の勝利〉を認めざるを得ない。彼は〈死への勝利〉を約束したキリストを回避し、理性と科学の側に立とうとする。健康で精力的に仕事ができる日々において、理性と科学は彼の人生を不断に励ましてやまなかったことであろう。彼のその日々の努力が、彼を一流の学者として世間に認知させたのであるから、今さら〈科学〉から〈信仰〉へと鞍替えするわけにもいかないだろう。

『~お笑い芸人で読み解く~ドストエフスキー「罪と罰」』

フジテレビ系列の教養エンターテイメント番組「お厚いのがお好き?」 に清水正監修の『~お笑い芸人で読み解く~ドストエフスキー「罪と罰」』 が2003年6月12日 24:35~25:05にオン・エアされました。

「お厚いのがお好き?」 #10 「罪と罰」

①オープニングタイトル

         タイトル IN 「お厚いのがお好き?」

②BAR
   女 「…この間の、お笑いライブ、とっても面白かったです」
   男 「(クールに決めて)ありがとう。
      …それから、誤解しないで欲しいんだけれど」
   女 「…?」
   男 「ファンの子を誘ったのは、君が、はじめてさ…!」

      と、男、指でピストルの形を作って見せる。


   女 「嬉しい…!私、夢だったんです。
      夜景の見えるホテルで…」
   男 「(興奮して)や、夜景の見えるホテルで…!?」
   女 「あなたに激しく…」
   男 「(さらに興奮)は、はげ、はげ、はげ…!?」
   女 「突っ込んでもらいたいの」
   男 「(喜びに震え)い、いいんですか…!」
   
   女 「(ふいに)アツはナツいね~」
   男 「(条件反射で)いや。それ、夏でしょ!」
   
   女 「(感動し)素敵~!」
   男 「(冷めて)そっちのつっこみね。ウンウン。だよね、だよね~」
   女 「そして、その後、2人でシャワーを浴びながら…」
   男「(復活し)シャ、シャワーを浴びながら…!?」

        女、突然、本を取り出し…

   女 「『罪と罰』について、熱~く語り合いたいの」
   男 「…え?つ、罪と罰…?」
   女 「もしかして、知らないの?ドストエフスキーの罪と罰」
   
   男 「い、いや、ははは。も、もちろん知ってるよ。
      あの、定食屋によく置いてある野球マンガだろ」
   女 「それは、バツ&テリー」
   男 「あ。あの、昔やってた猫とネズミの…」
   女 「それは、トムとジェリー」
      (冷たく)…もしかしてあなたって…」
   男 「(ハッと気づき)…ボケ担当です」

       2人の間に、寒い空気が漂う。


③研究室


 博士  やあ。またお会いしましたね。
      今晩、みなさんにご紹介するとっておきの一冊は、
      ドストエフスキーの『罪と罰』です。

      名作中の名作として、あまりに有名な小説ですから、
      当然、みなさんも1度はお読みの事と思いますが…
      え?何?まだ読んでない…?
      ウッソ…!

      ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ事がないなんて…
  そんな人生はまるで…!

       (インサート・インコの写真)

博士   せっかくかわいいインコを飼っておきながら、
      あの、えもいわれぬ高頭部の香りを
      一度も嗅いだ事がないのと同じ!

       (と、匂いを嗅ぐフリをして…)

      あ~、インコの高頭部を嗅いだ事がないなんて…
      なんて寂しい人なんだ!

      あなたの人生、それでいいのですか?
      断じていけません!

      さぁ、恐れる事はありません…勇気を出して、
      私と一緒に「罪と罰」のページを開いてみようではありませんか!


④サブタイトル  

      10冊目 「お笑い芸人」で読み解く「罪と罰」


⑤「罪と罰」ってどんな本?(VTR1)

     
   N  文学史上、もっとも誤解を受けている小説、「罪と罰」。

   N  例えば、丸の内のOL。
  30人にこんな質問をしてみた所…

 テロップ 小説「罪と罰」のイメージは?

   N  なんと、30人中、○○人が、「なんか、むずかしそう~」
  …と、答えたのである。


   N  たしかに、この「罪と罰」
      岩波文庫版で、上中下巻あわせて1209ページ。
      新潮文庫版で、上下巻あわせて○○○ページ。
      …と、とてつもなく分厚いシロモノ!…しかし!
   
   N  そのあらすじは、たった5秒で説明できてしまうのだ。
      いいですか?いきますよ?

      (かけっこの時のピストルが鳴って)パーン!

   N  大学を中退した貧しい青年が、
      とってもけちな質屋のおばあさんを殺害してしまう。
      …おわり。

   N  ホントです。ウソじゃあ、ありません。
      え?そんな単純な話が、なんでそんなに分厚いのかって?
      それは…!

   N  この本には、手に汗握るスリルや、古畑任三郎もびっくりの   
      サスペンス、はたまた心ときめくロマンスや
      越後屋も顔負けの悪の陰謀などなど、
      ワクワク、ハラハラドキドキが、
      ふんだんに盛り込まれているからである!

   N  今からおよそ140年前、
      月刊「ロシア報知」に連載された「罪と罰」。
      それは、現代で言うならまさに…!
      月刊「オール読み物」に連載中の、西村京太郎の
      十津川警部シリーズ、最新作!…のようなもの。

   N  そう!「罪と罰」は、誰もが楽しめ、
      続きが読みたくなってしまうように書かれた、
      究極のエンタテイメント小説だったのである。


⑥提供


         女の手を必死に握っている男。

   男 「…誤解してた。すっかり誤解してました。
      そんな楽しそうな本なら、今から読むから!
      すぐ読んじゃうから!ちょっと待ってて!
      ね?ね?」

         と、慌てて本を読もうとする。

   女 「その前に、ひとつだけ教えて」
   男 「え?」
   女 「この番組って、どこの提供だったっけ?」
   男 「それはもちろん、日産自動車の提供に決まってるじゃないか」
   女 「……ふーん」
   男 「…あ。すぐ読むから、今すぐ読むから!ね!ね!」


          前CM


⑦研究室


          斧を手に、「罪と罰」の1節を演じる博士。

   博士 もう一瞬の猶予もならなかった。
       彼はすっかり斧を取りだし、なかば無意識のうちに
       両手でそれを振りかぶると、ほとんど力をこめず、
       ほとんど機械的に、頭をめがけて斧の峰をふりおろした。
       と、斧を振りかぶる博士。
       腰の骨が「グキッ」となり…

   博士 おうっ!!(以下、苦しみつつ…)
       「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフは、
       質屋の老婆を殺害してしまいます。

       しかし、一体なぜ彼は、そんな恐ろしい犯罪を
       犯してしまったのでしょう?
       
       老婆殺しの動機を読み解く鍵は、なんと、意外な所にありました。
       それは…なんでやね~ん!
       …と、お笑いには欠かせない、「つっこみ」。
       その「つっこみ」にこそ、事件の真相は隠されていたのです。
       

⑧ラスコーリニコフの殺人の動機(VTR2)


   N   ケチと評判の金貸しの老婆を殺害してしまった、
       貧しい青年、ラスコーリニコフ。

   N   実は、かれは、こんな考えにとりつかれていたのである。
   
   N   すべての人間は凡人と非凡人にわかれる。   
       凡人は服従を旨(むね)として生きなければならない。
       ところが非凡人は、あらゆる犯罪を行う権利を持っている。
 
   N   なんと恐ろしい考え!
       しかし…この非凡人とは、一体どんな人の事なのか?
       いうならばそれは…

   N   華麗なるツッコミが魅力の、ダウンタウン、浜ちゃん。

   N   そのツッコミは、たとえ相手がN尾彬、S原文太、N淵剛、
       といった超大物であろうと、ひるむことはない。

   N   しかし、それと同じ事を、凡人である我々、素人がやってしまうと…
   
         イラスト・K島三郎、N淵剛、S原文太にボコボコにされている素人
    
   N   当然、命の保障はない。

   N   はたまた、とんねるずの貴さんはどうだろう。

   N   Sニンに蹴りをいれるわ、Mニング娘。に抱きつくわ、
       かなり過激なツッコミぶり。

   N   しかし、これと同じ事を、凡人である我々、素人がやろうものなら…

         イラスト・警察官に取り押さえられている素人。

   N   確実に、人生を棒に振ってしまう。

   N   もうおわかりだろう。
       大物の頭をはたく、アイドルに抱きつくといった、
       一線を越えたツッコミは、素人(凡人)には決して許されない。
       しかし!
       芸人である彼らは、世の人々を笑わす為なら、
       その一線を踏み越える事が許されてしまうのだ!

   N   これこそ「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフの抱いた、
       殺人の動機に他ならない。

   N   自らを「非凡人」と信じた彼は、
       貧しい自分の為にその身を犠牲にしたかわいい妹を救う為なら、
       (彼の妹は、好きでもない金持ちと婚約していた・イラストで説明)
       そして、大学で学問を続け、いつの日か貧しい社会を救うためなら、
       ケチな金貸しの老婆から金を奪っても許される。
       殺人という一線を踏み越えても罪にはならない…
       そう考えたのである。

   N   しかし…
       犯行後のラスコーリニコフを襲ったのは、激しい心の動揺だった。
       それはまるで…

   N   「今日は無礼講で!」という、社長のスピーチを真に受け
       酔った勢いで、散々つっこんだはいいが、
       翌日からは、青ざめた人生を送る。そんな素人と瓜ふたつ。

   N   そう。ラスコーリニコフは決して、浜ちゃんや貴さんではなく、
       我々同様、ただの「凡人」だったのである。

⑨研究室

          机の上にトンカツが置かれている。

   博士 ところであなたは、
       とんかつをおいしく食べる方法をご存知ですか?
       え?知らない?

       (バカにした顔つきになって)
       
       それではお教えしましょう。
       それは…
       決して、端っこから食べない事!
       
       端っこの、この部分…お肉的には、ほぼ脂身!
       そんな脂身から口にしたら、口の中がギト…ギトギトになって
       折角のお肉の味がわからなくなってしまいます!

       したがって、とんかつを食べる時は、必ず!大胆に真ん中から…!

       (…と、食べて)

       ん~ん!○○○○!(ロシア語で美味しいという言葉)
       
       たったこれだけの事で、とんかつが何倍も美味しく感じられるように、
       なんと!
       小説「罪と罰」にも、知っているだけで、その面白さが何倍にもなる、
       ちょっとしたウラ技があったのです!

⑩『罪と罰』を楽しむウラ技(VTR3)

   N  主人公のラスコーリニコフを始め、
      ザハールイチ・マルメラードフ、プロコーフィチ・ラズミーヒン、
      ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン…などなど、
     「罪と罰」に登場する人物の名前は非常にややこしい!…しかし!

   N  彼らの名前には、ある秘密が隠されていたのだ!

   N  例えば、主人公をジリジリと追い詰める、古畑任三郎ばりの
      頭脳派検事、ポルフィーリィ。
      これは、国のお役人の制服を意味するロシア語、「ポルピレウス」
      をもじってつけられた名前。
      つまり、日本風に言うなら「国野役人(やくひと)」といったところ。

   N  さらに、神を深く信じ、主人公の心の支えとなるヒロイン、ソフィヤ。
      実は、ソフィヤとは「神の叡智」を表す言葉。
      つまり、日本風に言うなら、「神野知恵子」さん、となる。

   N  これと同じく、なんと、主人公、ラスコーリニコフも、
      「割り裂く」という意味の、「ラスコローチ」をもじってつけられた、
      いわば、「切崎割男」とでもいうべき名前だったのだ!
   
   N  もう、おわかりだろう!
      ドストエフスキーは、ロシア語さえ知っていれば、
      まるでおやじギャグと思えるほどの、わかりやす~い名前を
      登場人物たちにつけていたのだ!

   N  そこで、『罪と罰』を楽しむ為の、ちょっとしたウラ技、その1…
      “ロシア語講座を聴くべし”

   N  ちなみに、主人公、ラスコーリニコフのフルネームは、
      ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ、
      そのイニシャルはロシア語で「PPP(エル・エル・エル)」となる。

   N  ためしにちょっとひっくり返してみると…。
      な、なんと!恐ろしい事に、「666」という数字が現れたではないか!

      (PPPをひっくりかえすと666に見えるのです)

   N  実は、この数字。キリスト教において、悪魔を指す数とされ、
      人々に恐れ、嫌われてきた数字だったのだ!

   N  そう!ドストエフスキーは、主人公の名前に「666」の数字を
      忍ばせる事によって、殺人を犯す彼に、悪魔の刻印を押していた
      のである。

   N  このように、「罪と罰」の中には、キリスト教に詳しければ、
      より楽しめる仕掛けが、無数にしかけられている。

   N  そこで、『罪と罰』を楽しむ為の、ちょっとしたウラ技、その2…
      “教会に通うべし!”

   N  こんな簡単なウラ技で、「罪と罰」の面白さが何倍にもアップする 
      事まちがい無し!
      さっそくあなたも、試してみてはいかがだろうか?


⑪BAR


        男、本を閉じつつ…

   男 「…ちなみに、キリストが十字架にはりつけにされた、前の日、
      最後の晩餐を13人で取った事から、キリスト教では、13って数字は
      とても不吉とされてるんだよねぇ。
      はっはっはっ…」

        と、女の肩を抱く。

   女 「(うっとりと)素敵…」
   男 「実は、ゴルゴ13の13も、そこから取られた数字なのさ」

        女、肩にかけられた男の手を叩き落として…

   男 「あっ!あたっ!(なんだよ!)」
   女 「13の話をするなら、
      実は「罪と罰」も、13日間の出来事を描いた物語なんだ。でしょ!
      なにがゴルゴよ!」

        と、そっぽを向く女。

   男 「い、いや、あの、まだそこまで読んでなかったから…」

        女、男をキッとにらむ。

   男 「読みます!今すぐ読みます!
 って、あと2冊もあんの!?
 やっぱ長いよドストエフスキー!!」


後CM


⑫研究室


博士  ドストエフスキーの「罪と罰」は、
     確かに、究極のエンタテイメント小説といえるでしょう。
     しかし、そのウラには深いテーマが隠されているのです。
     それに気づかなければ…

      (インサート・九官鳥の写真)

          せっかくかわいい九官鳥を飼っておきながら…
          オハヨー。オハヨー。キューチャン。キューチャン。
          …と、言葉の1つも覚えさせないのと同じ!
     博士  あなたの人生、それでいいのですか?
  さぁ、「罪と罰」の読破は、もう目の前です。


⑬『罪と罰』とドストエフスキー(VTR)


   N  貧困に苦しむ社会を救う人間になるため…
      そう信じ、罪の意識もなく、
      金貸しの老婆を殺害してしまったラスコーリニコフ。
      しかし、その直後、彼を襲ったのは、激しい心の動揺だった。

   N  そんなある日、彼が出会ったのは、
      貧しさゆえに町で体を売って働く少女、ソフィア。
      彼女の心の美しさにうたれた、ラスコーリニコフは、
      彼女に罪の告白をする。

     「ぼくだって、人びとに善をもたらそうとしたんだ。
      幾百、幾千という善行ができるはずだったんだ。
      ぼくにはまるっきりわからないんだ。
      なぜ爆弾や、包囲攻撃で人を殺すほうが、
      より高級な形式なんだい?」

   N  いったい何が善で、何が悪なのか…。
      多くの疑問を抱えたラスコーリニコフに、ソフィアが勧めたのは、
      警察に自首することだった。

    「そうしたら神様が、あなたにまた生命を授けてくださる」

   N  一部の貴族が財産を蓄え、庶民が貧困に苦しんでいた
150年前のロシア。

   N  ドストエフスキー(当時28)は、小説を執筆するかたわら、
      農民達を過酷な労働から解放するための、
      革命運動に加わっていた。

   N  しかし、政府の厳しい取締りによって、ドストエフスキーは
      逮捕されてしまう。

   N  懲役四年。送られたのは、極寒の地、シベリア。
      貧しい農民たちの為…そんな想いの果てに待っていたのは、
      地獄の重労働だった。
   
   N  いったい何が善で、何が悪なのか…。
      その想いは、「罪と罰」を書く15年前、シベリアの地で、
      ドストエフスキーが抱いた想いに他ならなかった。

   N  そう!「罪と罰」とは、
      多くの矛盾が渦巻く社会に、ドストエフスキーが投げかけた、
      「なんでやねん!」という、深く鋭い、ツッコミだったのである。


⑭BAR


   男 「(嬉しそうに)よし!読み終わった!」
   女 「わ~!すご~い!」
   男 「じゃあ、早速、ホテルに行って「罪と罰」について語りあおうか」
   女 「それは、ダ~メ!」
   男 「えっ?なんでなんで?どうしてどうしてどうして?」
   女 「あなた、ボケ担当でしょ?
      わたしは、ドストエフスキーみたいに、
      激しく、深~く、つっこんでくれる人が好きなの。
      じゃあね」
   
         と、去って行く女。
         男、慌てて追いかけ…

   男 「ちょ、ちょ!
      わかった!わかった!あしたから、ツッコミ担当にな
るから!
   相方と代わってもらうから、待って!」


⑮研究室

          博士、深いため息をつき…

   博士   貧困と混乱の時代を生きた作家、
         ドストエフスキーは、こんな言葉を残しています。

         「人間には幸福のほかに、それと同じだけの不幸が必要である」

         果して、主人公、ラスコーリニコフは自首するのでしょうか?
         そして、彼の魂は救われるのでしょうか?
         感動のラストシーンは、あなた自身の目で確かめて下さい。

それでは、今夜はこの辺で。
ダスビダーニャ。

⑯スタッフロール


⑰提供

         カウンターで電話をかけている男。

   男 「あ。お前?
      あのさ、お願いがあるんだけどさ。
      あしたから、コンビの立ち位置変えてみない?
      うんうん。
      お前がボケて俺がつっこむ、みたいな。
      え?何?
      この番組の提供はどこかって?
      そんなの、日産自動車にきまってるだろ~!
      それより、どうかな~。
      お前、ボケでもいけると思うよ~」

         と、延々しゃべってる男。。

2004年6月14日

【老教授の憤懣と癇癪】...チェーホフ『退屈な話』を読む(14)

わが輩の食事は冬よりも退屈である。今では嫌いなばかりか軽蔑してさえいる例のグネッケルが、ほとんど毎日わが家で食事をしていく。以前わが輩はだまって彼の同席を辛抱したが、今はもう妻やリーザが顔を赤らめるほどの皮肉を彼に向って浴せかける。邪悪な感情に溺れたわが輩は、しばしば暴言をはき、しかもなんのためにそうした暴言をはくのか我ながらわからない。ある時こんなことがあった。軽蔑の眼差で長いあいだグネッケルの顔を見つめているうちに、わが輩はふとこんなことを口に出したのである。

鷲は時として鶏より低く下りるけれど、鶏は決して雲まで昇らぬ。……〔クルィローフの寓話『鷲と鶏』の引用

ところで何よりも小癪なのは、鶏ふぜいのグネッケルが、鷲である大学教授よりも一だんと利口そうな顔をしていることである。彼は妻と娘が味方なのを知っているので、こういう戦法に出る。つまり、わが輩の皮肉に対して鷹揚な沈黙て答えるか(爺ィめ、気がふれたぞ、・・こんな奴と話す言葉はないと言わんばかりだ)、やんわりとわが輩をからかい返すかである。実際、驚嘆に値いするのだが、人間はよくよく下劣になり得るものである! わが輩は食事の間じゅう、このグネッケルが遠からず山師の尻尾をあらわすだろうと空想し、そのとき妻とリーザがあやまちを悟り、わが輩が彼女たちを嘲笑する様子を思い描く。・・しかもこうした馬鹿げた考えが、もう片足を墓穴に踏み込んでいながら心に浮ぶのである!


自分を鷲と思っていた家庭内の〈王さま〉が、余命半年の身になってみれば、もはや空高く飛翔することはできず、眼前の嫌悪すべきグネッケル以下の鶏と化している。本物の鷲は鶏などに眼もくれない。老教授は自分の力が衰え、才能が枯渇しつつあるのを自覚しているからこそ、眼前の鶏がいまいましくてならないのだ。鷲が鶏化して陰湿な皮肉を飛ばすようになったらもうおしまいである。それにしても不幸なのは妻のワーリャと娘のリーザである。リーザは自分の幸福を父親の鶏化によって奪いとられるかもしれないのだ。年頃の恋する娘が、恋人を捨てて父親をとるなどということは考えられない。父と恋人が仲違いすれば、リーザはとうぜん恋人と運命を共にする事を選ぶであろう。老教授は孤立する。孤立することで、自分だけの孤独をかみしめていたいかのようである。人間は一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない。今、現世で名声を得た老教授が自らの〈死〉を間近に控えて、醜悪なわがままを発揮する。彼はこの愚かしいわがままを自分の力で抑制することができない。

ワーリャが「ニコライ・ステパーノヴィチ、あたしたちの知合いやご近所の人たちが、あなたがしげしげとカーチャのところへお出かけになるのを噂しはじめておりますよ。そりゃあの娘は利口で教育があって、一緒に時を過すのが愉快なのはあたしも認めますけれど、あなたほどのお年と社会的な地位にある方が、あの娘をあいてに満足なさるのはどんなものでしょう」と切りだした時、老教授はとつぜん立ち上がり、両足を踏みならしながら異様な声で「構わんでくれ!構わんでくれ! 構わんで!」とわめき散らす。『六号室』のラーギン医師がミハイル局長に叫び、『可愛い女』のサーシャが夢の中で叫ぶのと同じような、〈癇癪〉〈感情の爆発〉が老教授を襲ったのである。彼らの〈感情の爆発〉に共通しているのは、自分の内部に立ち入られることの頑強な拒否である。チェーホフの人物たちは、私も貴方の内部になど立ち入らないから、どうか貴方も私の内部に必要以上に立ち入らないで下さい、という立て札を立てている。この立て札を無視して、一歩でも踏み込んでくれば、相手が妻だろうが娘だろうが容赦なく拒否の叫びをあげるのである。

結婚し、子供をもうけ、気のおけない同僚があり、多くの教え子があっても、老教授ニコライ・ステパーノヴィチの孤独は癒されない。彼は孤独を抱きしめるような形でしか自分自身の存在を確認できないようなところが見える。老教授の幼少年時代の記述が完璧に省略されているが、おそらくこういった彼に特有な孤独の保持の仕方は彼の幼少年時代と無関係ではないだろう。彼は他者と無条件に結びつく、そう、胎内において母親と胎児が結びついているような、そういった絶対的な信頼関係に基づく対他者関係を幼少年時代に破壊されていた可能性がある。彼と他者との間には絶対に通い合うことのない強靱な膜が存在している。彼はすでに、この両者間の膜を破り、他者と愛と赦しに基づく信頼関係を獲得するための力を喪失している。換言すれば、彼にとって他者は他者であって信頼に足る同胞ではない。彼はかつて烈しく愛したという妻ワーリャに対しても、一人娘リーザに対しても、彼らを他者と見る眼差しを崩してはいない。それが先鋭化された形で出てきたのがグネッケルに対する嫌悪である。もし彼が本当にリーザを愛しているのであれば、リーザが愛する恋人グネッケルを彼女以上に愛せたはずである。グネッケルのことで父親が不愉快を感じていることに、リーザがどれほど苦しみ悲しんだか。もし彼がリーザを愛していれば、どうしてリーザの苦しみと悲しみを増長させるような真似ができるだろうか。

2004年6月15日

【死の気配】...チェーホフ『退屈な話』を読む(15)

老教授は「雷鳴と稲妻と雨と風の入り乱れた、俗に雀夜と呼ばれる恐ろしい夜」に、ふと眼をさまし、いきなり床から飛び起き、今すぐ突然死ぬような気がする。

手早く明りをつけ、ガラス壜からじかに水を飲んで、開け放した窓辺へ急ぐ。戸外の天気はすばらしい。乾草の匂いと、もう一つ何かとてもいい匂いが鼻をつく。柵のぎざぎざと、窓のそばの眠そうなひょろ長い木々と、道と、黒ずんだ帯状の森がみえる。空には静かな、皎々たる月がかかり、雲ひときれない。木の葉一枚そよがぬ静けさである。万物がわが輩を眺め、わが輩の死に行く気配に耳傾けているような気がする。……


枕の下に頭をうずめ、眼を閉じて、今やおそしと待ち構える。……背中がぞくぞくする、まるで背中が体の中へ吸い込まれるようだ。わが輩は、死がてっきりうしろから、そっと忍び寄ってくるような感じに襲われる。……
「キヴィ・キヴィー!」突然、夜の静けさを破って、かぼそい声が聞える。その声がどこでするのか、わが輩にはわからない。わが輩の胸の中か、それとも通りのほうなのか。
「キヴィ・キヴィー!」
ああ、何という恐ろしさ! もう一度水を飲みたいのだが、今はもう眼をあけるのが恐ろしく、頭をあげるのがこわい。それはえたいの知れぬ、動物的な恐怖で、わが輩はなぜ恐ろしいのか見当がつかない。生きていたいためなのか、それとも新しい、未知の苦痛がわが身を待ち受けているためなのか。

「わたしが死んでも世界は依然として世界であり続けるのか」古くて新しい問いを人間は何回となく繰り返してきた。世界の中に人間は生まれ、そして世界の中へと死んでいく。一人の人間が生まれようと死のうと世界は無傷のままに存続する。しかし誰がそれを証明するのか。

子供の頃、素朴に時間はどこに居ようと同一であると思っていた。しかしその絶対的な時間概念はすぐに崩れた。ひと言で〈現在〉と言っても、その〈現在〉は誰にも同一の〈現在〉ではない。時間は時間意識と切り離して考えることはできない。たとえば意識不明で三十年間床に伏している者にとって、その物理的な〈三十年間〉は〈無〉に等しいだろう。楽しいときの一時間と苦しいときの一時間は、物理的に〈一時間〉ではあっても時間意識の次元では瞬時に感じられたり、長く感じられたりする。蝉の〈一週間〉と人間の〈一週間〉を同じ物理的時間の地平において考えることは愚かなことである。つまり様々な時間意識、感覚があるのだと考えたその時から、わたしのうちでは時間の絶対的同一性は崩れたのである。自分が死ねば同時に世界は消滅するという考えもある。しかしこれも自らに証明することはできない。

死んでも魂は存続し、その魂が生前と同じ意識と感覚を保持しているのならば、その魂が自らの死後の世界を認知するということもあり得るだろうが、未だ生きているわたしがそれを認めることもできない。ニコライ・ステパーノヴィチは死後の魂に関して何も確信的なことを述べていない。彼はそんな問題よりは科学の未来を信じており、そこに救いを見いだそうとさえした。しかしすでに、科学信奉が余命半年の老教授をなんら慰めないことは実証済みである。彼は日々いらだち、邪悪な感情に襲われ、孤独を深めるばかりである。そして、ここに書かれたように、ついに動物的な死の恐怖に捕らわれる。忍び寄る死の恐怖を逃れる術はない。彼はどうしたらいいのかわからない。ふと「家族の者を呼ぼうか」と思うが、すぐに「いや、その必要はない。部屋へ入って来た時、妻やリーザが何をするか知れたものではない」と考え、枕の下に頭をうずめ、眼を閉じて、今やおそしと待ち構える。

死の気配を感じながら、家族を呼ぶ必要がないと考えたのはどういうことだろうか。彼はこの時どのみち死ぬのであるなら、家族を呼んでも仕方がないと諦めていたのだろうか。否、死を前にしてそんなに冷静な判断などできるわけもないだろう。やはり彼は、妻や娘を本当には愛していなかったのであろうか。死の恐怖に戦きながら「妻やリーザが何をするか知れたものではない」という不安の方が強かったのは、彼がすでに妻子と信頼関係で結ばれていなかったことの何よりの証である。こんな恐ろしい孤独はない。家族と一緒に住んでいながら、その家族に死以上の不安を抱くというのは生きながらの地獄ではないのか。

それにしても老教授が耳にした「キヴィ・キヴィー!」という声はいったい何なのであろうか。彼はその声の正体が分からない。読者にも分からないように手記は書かれている。彼の内なる狂気の叫びなのか、それとも外部から発せられている正体不明の声なのか。やがて、その声は精神的に追い詰められたリーザのうめき声であることが判明する。

「助けてやって下さい、助けてやって!」と妻が哀願する。「なんとかしてやって下さい!」
わが輩にどうすることができよう? 何ひとつできはしない。娘の心に何か重苦しいものがあるのだが、わが輩は何もわからない。何も知らない。ただこう呟くより仕方がない。・・
「なんでもないさ、なんでもないさ。……すくに直るよ。……お休み、……お休み……」
わざとねらったように、庭先で突然、犬の遠吠えがはじまる。はじめは低く、はばかるように、それから高く、二匹声をあわせて。わが輩はこれまで、犬の遠吠えやふくろうの鳴声などに縁起をかついだことは一度もないが、この時ばかりは心臓がぎゅっと締めつけられ、急いでこの遠吠えを自分なりに説明する。
『くだらんことだ……』とわが輩はは思う。『あるオルガニズムの、他のオルガニズムに及ぼす影響だ。わしの強度の神経的な緊張が、妻やリーザや犬に伝染した、ただそれだけのことだ。……予感といい前兆というのも、こうした伝染で説明がつく。……』

娘が精神的に追い詰められ「キヴィ・キヴィー!」という訳の分からない声を発しているというのに、ニコライ・ステパーノヴィチの反応は余りにも冷静すぎはしないだろうか。「わが輩にどうすることができよう?」・・こんな客観的な反応を、最初に示す父親があるだろうか。苦悩の呻きに対し、心で対応するのではなく、かなり理性的な次元で反応している。「娘の心に何か重苦しいものがあるのだが、わが輩は何もわからない」この冷たい反応をどのように理解したらいいのだろうか。リーザが苦しんでいる、その理由を分からない読者は一人もいないだろう。ニコライ・ステパーノヴィチが、リーザの恋人をよく思わず、顔を合わせる度に苦虫をつぶしたような表情をしたり、皮肉を飛ばしたりすることがリーザの苦しみの最大の理由であって、それ以外のことなど考えられない。こんな単純なことが分からない父親がこの世に存在するわけもない。

しかし不思議なことに、感動的な講義を三十年にもわたって続けてきた老教授が、こと娘の苦悩
に関しては「わが輩は何もわからない」というような片づけ方をしている。

「何も知らない」・・どうして彼はこのような言い方でことを済ませようとするのだろうか。ここには先にも指摘したように、彼の文章の運び方のくせが見られる。「わが輩は何もわからない」と書いている彼は、文字通り何もわからないのではない。むしろ彼はよく知っている。知っていながら、まずは「何もわからない」と書いてしまうのだ。そして書いてしまった後で「あるオルガニズムの、他のオルガニズムに及ぼす影響だ」と説明するのである。彼の〈強度の神経的な緊張〉がリーザに伝染したのだという説明は、何よりもリーザの「キヴィ・キヴィー!」の奇矯な声を出す発作症状の的確な説明となっている。

これだけきちんと理由を説明できながら、「わが輩にどうすることができよう」「わが輩は何もわからないと書ききってしまうのはどういうことなのだろう。今までの彼の記述を読めば、彼が妻や娘に対して孤立していることは分かる。長年連れ添った、かつて烈しく愛した老妻はすっかりリーザとグネッケルの味方であり、彼の心を察してはくれない。今や彼の気持は妻や娘よりは養女のカーチャに傾いている。そのカーチャとて、彼の全面的な理解者ではないし、同伴者でもない。彼は孤独であり、孤立している。彼は自分の死は自分で引き受ようとしている。その分、妻や娘に対しても冷酷なところがある。ひとは自分のことで精一杯のときに、他人に対して寛容で優しい態度をとることができない。しかも彼は先刻まで自分が死ぬかもしれないと感じていたのだ。そういう切羽詰まった時に、たとえ娘とはいえ、親身になることができなかったということもあろう。換言すれば、彼は他者に対して微塵の幻想も抱いていないということである。

妻も娘も、そしてカーチャも、彼にとっては他者であり、彼の孤独の領域に一歩を踏み込むことを許されない存在なのである。彼は、たとえ死後における魂の永世を信じていたにしても、その魂が絶対帰依するような対象は認めないのである。彼が墓場での眠りに落ちたとき、その眠りの中に現れる〈幻像〉(видение)をすら彼は認めはしなかったであろう。それほどに彼の孤独の壁は頑強であり、自分だけの領域を頑に守っている。なぜ、彼はそれほどに自分の領域にこだわるのであろうか。何か自分以外のものを認め、彼固有の領域に招き入れることは、彼の自我を解体させるほどに脅威と感じられていたのであろうか。

ニコライ・ステパーノヴィチは学者として数々の学問的業績を積み上げ、社会的功名を遂げてすら、依然として子供のようなナイーヴさを持ち合わせている。彼が他者に冷たく接するのは、他者と或る一定の距離を保つ必要があったからかもしれない。彼は孤独を解消しようとはしない。孤独を解消しようとして他者を受け入れることは、自分が長年にわたって築き上げてきた自我の城を自ら壊すことになることを知っているからである。彼は孤独のただ中にあって、孤独の究極(死)を受け入れようとした。死後の世界に何の望みも抱くことのできない者にとって死は恐怖以外のなにものでもない。

さて、再び老教授が耳にした「キヴィ・キヴィー!」の声に注目しようではないか。この声は不気味であった。老教授の耳にこの声が得体のしれない恐るべき声として聞こえてきたとき、読者もまた同じような不安な感覚をもってこの声を耳にしていた。老教授が説明するように、彼の強度の神経的な緊張がリーザのオルガニズムに伝染したというのなら、リーザは父親が死の恐怖に戦いていたと同様な恐怖を父親と同時に味わっていたということになろう。とすれば、ニコライ・ステパーノヴィチが孤独に閉じこもれば閉じこもるほど、妻や娘もまた彼と同様の孤独感を味わうということになる。つまり彼らは孤独であるということにおいて結びつく家族であり、そんな家族は家族という名には値しないであろう。

2004年6月16日

【〈死の意識〉にとらわれる老教授と〈いけない女〉カーチャ】...チェーホフ『退屈な話』を読む(16)

カーチャと馬車で散歩に出掛けたときのことを、ニコライ・ステパーノヴィチは次のように書いている。

はじめわれわれは野原を走り、ついでわが輩の窓から見える針葉樹林を進む。自然はあい変らず美しくみえるが、悪魔がそっとわが輩の耳に、これらの松ももみの木も、小鳥も空に浮ぶ白い雲も、三、四ヵ月たってわが輩が死んだ時、わが輩のいなくなったことに気づいちゃくれまいとささやく。カーチャは馬を走らせるのが好きで、おまけに天気はいいしわが輩が横に坐っているから、嬉しくてたまらない。彼女は上機嫌で、毒舌を弄するのを忘れている。

「おじさまはほんとうにいい方ね、ニコライ・ステパーヌィチ。」と彼女が言う。「ほんとうに珍しい方ですもの、おじさまの役のできそうな俳優はいませんわ。あたしだとか、例えばミハイル・フョードルイチあたりですと、下手な俳優でも演れるけれど、おじさまになると、どんな俳優でもだめ。あたしおじさまが羨ましい、とても羨ましいわ! ねえ、あたしはどんな女に見えるかしら? どんな女に?」
彼女は一瞬、考えてから、わが輩にたずねる。・・
「ニコライ・ステパーヌィチ、あたしはいけない女ですわね? そうでしょう?」
「そうだよ」とわが輩。
「そう……どうすればいいの?」
何と答えたものか。《働け》だの、《貧者に財産を分配せよ》だの、あるいは《汝じしんを知れ》だのと言うのは容易である。そう言うのが容易なだけ、わが輩は何と答えるべきかわからない。

わたしはこの叙述場面を引用しながらつくづく思う。チェーホフが描く人物たちは本当に分かり合えることはなく、ニコライ・ステパーノヴィチとカーチャの間においてすら、彼らは全く別々の人生を生きているのだ、と。老教授が自分が死んだ後の、自然の無関心を思っているその時に、カーチャは彼が横に坐っているというだけで嬉しくてたまらないのだ。お互いの身体が触れ合うぐらい近くにいながら、彼ら二人は各々の内的世界を生きている。近くにいながらこんなに遠いところにいる二人も珍しい。

カーチャは自分が「どんな女に見えるか?」に興味があり、老教授に迫っている〈死〉を予感することもできない。これはどういうことだろうか。カーチャは無神経で鈍感な、感性の鈍い女なのであろうか。それとも老教授の辛い気持を察して、意図的に慎重に〈死〉の問題を回避していたのだろうか。こういった点に関して、チェーホフの文章は読者の詮索を許さない、というか巧妙にはぐらかす性格を持っている。

〈死〉に関して、〈神〉に関して、〈魂の永生〉に関して、〈演劇〉に関して……どんな問題に関してもニコライ・ステパーノヴィチ(およびチェーホフ)は徹底して掘り下げることはしない。彼の根本的な気分はラーギン医師の「どうでもいい」(Всё равно)なのである。確かに三、四ヵ月後に迫った自分自身の〈死〉が深刻な問題でないわけはない。彼は胸を両拳で叩き、大声で叫びたかったに違いない。にもかかわらず、その〈叫び〉は、たちまち「どうでもいい」という根本的な気分に呑まれてしまう。「どうでもいい」(Всё равно)気分にあって、そのことを決して口に出さなければ、彼はある種の女や男の眼差しにかなりダンディな男に映るかもしれない。もしかしたらカーチャは、父親代わりのニコライ・ステパーノヴィチをステキな男と見ていた可能性もある。社会的名声を博しているダンディな大学教授が、女優志望の情熱的な娘カーチャの憧れのひとであったとしても別に驚くべきことではないだろう。描かれた限りで見ても、ニコライ・ステパーノヴィチはどこかしら煮え切らぬ、曖昧な部分を抱えた男であるが、こういった性格の男を好きになる女はあんがい多いものである。

さて、カーチャはニコライ・ステパーノヴィチを〈いい方〉だの〈ほんとうに珍しい方〉だのと言っているが、読者にはさっぱりその良さも珍しさも分からない。ましてやなぜカーチャが彼を羨ましがるのかさっぱり分からない。勝手に尊敬し、珍しがり、羨ましがっていればいいだろう、そんな気がするほど、カーチャの言葉に関して手記の主体である老教授は説明を加えない。心理の奥底に照明をあてることを自ら禁じ手にしているかのような書き方を貫いている。曖昧なことは曖昧なままに、後は読者にまかせるといった、自分の文章理解を読者の読解力に委ねてしまったような、いさぎよいと言えばいさぎよい文章である。

カーチャは自分がどんな女に見られているかをニコライ・ステパーノヴィチに訊いている。女がこんなことを訊くのは、当の相手の気持が知りたいからにほかならない。「あたしはどんな女に見えるか?」とは、「あなたにとってわたしはどんな女なのか?」という問いにほかならず、ここでカーチャは相手の自分に対する真意を問うていると見てまちがいはない。が、そのカーチャの真意を知ってか知らずか、ニコライ・ステパーノヴィチの対応はどこかしら他人事であり、そっけない。

カーチャは「あたしはいけない女ですわね?」とも訊いている。が、この言葉も何を意味しているのかはっきりしない。父親の遺産を豪勢に消費していることを指しているのか、それともニコライ・ステパーノヴィチの同僚で文献学者のミハイル・フョードルヴィチを好きでもないのにそれとなく誘惑したようなことを指しているのか、とにかく〈いけない女〉の内実がさっぱりつかめない。

表層的なレベルではカーチャと五十年輩のミハイルは毒舌家として共通の話題にはことかかないし、一緒にいて退屈することはないだろう。かつて演劇に夢中になっていたカーチャの半生は結婚、離婚(正確に言えばカーチャが結婚したかどうかについては書かれていないので、同棲と別離ということもありえる)、自殺未遂、子供の死……など決して平凡ではないが、現在は独身の身であり、言わば誰とどのような関係を結ぼうと人からとやかく言われる筋合いはないだろう。老教授の妻や娘がカーチャの恩知らずや傲慢や風変わりを嫌ったからといって、そんなことを気にするカーチャとは思えない。

それではカーチャは何をもって自分を〈いけない女〉と見なしたのか。かつては芝居や劇場経営に情熱を傾けていたが、今の彼女は確固たる人生の目的を失い、親が残した財産を食いつぶすだけの無為の生活を送っている。だから彼女は〈いけない女〉なのか。しかしこういったこともカーチャの言う〈いけない女〉という言葉にしっくりとこない。

〈いけない女〉という言葉に関して、それをはっきりさせられるのはニコライ・ステパーノヴィチである。「きみはいったい何をもって自分をいけない女などと言うのかね」・・このように直に問いただせるのはカーチャの話相手だけである。が、この場面で唯一の話相手であるニコライ・ステパーノヴィチは「そうだよ」と同意するだけである。しかも彼はカーチャに「どうすればいいの?」と訊かれて、内心「何と答えるべきかわからない」のである。問題の焦点を曖昧にしたままで、とにかく「わからない」とくる。これが彼のやり口である。

もちろんわたしは、そのことを責めているのではない。ニコライ・ステパーノヴィチは言わば誠実である。必要以上に、過度に誠実である。何のたしにもならない誠実である。カーチャの「どうすればいいの?」に答えようとすれば何とでも答えることはできたろう。現に彼はそう書いている「《働け》だの、《貧者に財産を分配せよ》だの、あるいは《汝じしんを知れ》だのと言うのは容易である」と。つまり彼は〈容易〉な次元での対応をしたくないのである。が、ここにすでに彼のくせが出ている。わたしは敢えてくせと言おう。なぜなら彼は「何と答えるべきかわからない」と考えながら、にもかかわらず〈容易〉な途を選択することになるのであるから。ここに彼の〈誠実〉の性格がある。彼は〈誠実〉を貫き通す男ではなく、「わからない」という〈誠実〉を見据えながら、その〈誠実〉を裏切り続ける男なのである。彼は、カーチャの「あた
しはどんな女に見えるかしら?」という問いに答えず、カーチャの〈いけない女〉の内実にいっさい触れず、カーチャが今後どうすればいいのか何もわからないのに、しかし「何とか答えねばならない」と思って次のような会話を交わすことになるのだ・・。

「お前には、カーチャ、自由な時間がありすぎるのさ。何かに打ち込む必要があるんだよ。実
際、なぜお前はもう一度、女優として出直さないんだね、もしそれが天職だと言うのなら?」
「だめなの。」
「お前の口調や態度は、まるで犠牲者きどりだよ。私はそれが気に入らないのさ。悪いのはお前じしんだ。思い出してごらん、お前はまず最初に他人や秩序に腹を立てたが、さればと言って、そうしたものをよりよくするためには何一つやらなかった。悪と戦いもしないで疲れてしまった。それじゃお前は闘争の犠牲じゃなくて、お前じしんの無力の犠牲でしかない。そりゃ勿論、あの頃のお前は若くて世間知らずだったが、今なら別な道を取れるはずだ。そうとも、新規まき直しだ! 働いて、神聖な芸術のために奉仕をするのさ。……」

「何と答えるべきかわからない」男が、これだけのことを言うことができる。まさに三十年にわたって情熱的な、臨機応変の名講義を続けてきた大学教授にとってこんなことは容易であったろう。問題はしかし、彼がどのように饒舌に語っても、本当は「何と答えるべきかわからない」ままであるということである。なぜ「わからない」のか。人間の生をこの世のみに限定しているからであろうか。何もわからずこの地上の世界に産み落とされ、何もわからないままに死んでいかなければならない人間に、世界や人生の秘密がわかるはずもない。理性や知性は、人間はなぜ生きているのかという究極の問いについに十全な答えを用意することができない。ニコライ・ステパーノヴィチはそのことだけは明確に知っている。にもかかわらず、彼は理性と科学を信奉する立場から離れることができず、神や信仰の問題をかたくなに拒み続ける。わたしは、ドストエフスキーやトルストイが真剣に、饒舌に問題にした〈神〉に関して、チェーホフは意地でも触れないと決意したのではないかと思ったほどである。

2004年6月17日

【空虚な実存】...チェーホフ『退屈な話』を読む(17)

〈共通な理念〉の不在

ニコライ・ステパーノヴィチはハリコフに着く。老妻が望んだことだ。彼はホテルでハリコフ生まれのドア・ボーイにグネッケルについて訊くが、ボーイはグネッケルという名の家についても、その領地に関しても何も知らなかった。

この情報でチェーホフは何を言いたいのだろうか。老妻の話によればグネッケルは〈立派なお家の方〉で〈お金持〉で〈ハリコフに大きなお屋敷〉を持ち、ハリコフの近くに〈領地〉もあるということであった。老妻が夫に「あなたはどうしても一度ハリコフへお出かけにならなくてはなりませんわ」と促したのは、娘が結婚を望んでいる相手の身元をきちんと把握し、一刻も早く安心したかったからである。


グネッケルはリーザやワーリャに嘘をついていたのだろうか。例によってチェーホフは断定的な言い方を避け、読者の判断に任せる。まあ、チェーホフはそういう書き方をする小説家であるから、グネッケルがリーザやワーリャに嘘八百を並べて、或る目的を実現するために接近してきた可能性は高いだろう。それにしてもグネッケルが名うてのペテン師で、リーザ相手に結婚詐欺を企てていたのか、それとも財産も社会的地位も持たない虚栄心の強い青年でははあるが熱烈にリーザを愛していたのか・・まではなかなか判断がつかない。

夜中の一時、突然ノックの音が響く。ボーイが電報を持ってくる。

電報の封を切って、まず発信人の名前を見る。妻からだ。何の用だろう?
『キノウグネッケルリーザヒミツニキョシキ キタクマツ』
わが輩はこの電文を読んで、しばらく愕然とする。わが輩が愕然としたのは、リーザとグネッケルの行為のためではなく、ふたりの結婚の知らせを受け取った時の、わが輩じしんの無関心さのためである。哲学者や真の賢人は何事につけ無関心だという。それは嘘だ。無関心というのは、精神の麻痺であり、時ならぬ死である。

わが輩は再び寝床に横たわり、何か夢中になれる考えはないものかと考えはじめる。何について考えたらいいのか。もう何もかも考えつくして、今さらわが輩の考えをよびさますようなものはなさそうに思われる。

グネッケルが結婚詐欺師かどうかという真実の探究の代わりに、グネッケルとリーザの秘密の結婚が告げられる。この〈ヒミツニキョシキ〉は何を意味するのか。しかし余命三、四ヵ月の老教授は娘の〈キョシキ〉より自分の〈無関心〉に愕然とする。〈無関心〉は〈精神の死〉であり〈時ならぬ死〉である。彼は〈肉体の死〉の前に精神上の死を現出させてしまったのか。それにしても彼の書き方は自分の〈死〉に関しても無関心のように見える。彼はもう「何もかも考えつくして」しまい、あらたに興味を抱くようなものはなくなってしまったのか。死を間近に控えて、今さら哲学者の真似事をしてもはじまらない。彼はすでに自分が何も分からないこと、人に言うべきことなど何もないことをよく知っている。

ニコライ・ステパーノヴィチは自分が今、何を欲しているかを考える。彼は自分を〈普通の人間〉として愛して欲しい、よい助手と後継者が欲しい、百年後の科学がどうなっているかを見たい、あと十年ばかり生き延びたいと思う。その外には? と思って長いこと考えをめぐらし、そして次のように書く。

が、何ひとつ考えつかない。いくら考えても、どう思いめぐらしても、それ以上わが輩の欲望には何ひとつ重要なものも大切なものもないのが、明らかになるばかりである。科学へのひたむきな愛にも、生きたいと思う意欲にも、こうして他人の寝台に坐っていることにも、自分じしんを知ろうという努力にも、あらゆる事柄についてわが輩の組み立てた一切の思想や感情や観念にも、それらすべてを一つの完全なものに結びあわせる共通なものが何ひとつないのである。一つ一つの感情、一つ一つの思想がわが輩の内部でばらばらに生きていて、科学や演劇や文学や学生についての一切のわが輩の批判、わが輩の想像が描きだす一切の画面の中には、いかなる巧妙な分析家といえども、およそ共通の理念とか生ける人間の神とか呼べるようなものを見出せないであろう。

もしそれがないとなると、つまりは何もないわけである。

ニコライ・ステパーノヴィチの欲望は慎ましやかである。彼は永遠に生きたいとか、科学の発展を限りなく見届けたいとかいう欲望に支配されることはない。死を間近に控えて、後十年も生き延びられればいいと願うのは余りにも慎ましやかである。ましてや〈普通の人間〉として愛して欲しいとか、よい助手と後継者が欲しいなどというのは……。問題は彼が自分の中に〈共通の理念〉とか〈生ける人間の神〉などを見いだせないことである。彼はその心的状態を「何もない」と言った。彼がどんなに大学の講義で熱弁を振るい若い学生たちを感動の渦に巻き込もうと、あるいは娘の恋人を嫌って不機嫌になり辛辣な皮肉を飛ばそうと、やはり彼の心的状態は〈空虚〉なのである。

この〈空虚〉は、『悪霊』のピョートル・ステパーノヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーを想起させる。ピョートルは空虚な饒舌家、空虚な革命運動の首魁、空虚な二重スパイである。彼の情熱は内的空っぽの中心から渦巻いて生ずる虚妄の情熱である。ピョートルはわたしの見るところニコライ・スタヴローギンの虚無などよりはるかに軽い虚無の直中に存在している。ピョートルはニヒリストではない。そんなレッテルの衣裳が重すぎるほどに彼の内的世界は空っぽである。

チェーホフの作りだしたニコライ・ステパーノヴィチは、ドストエフスキーの人物たちに比べはるかに〈普通の人〉であり、虚無の情熱家というほどの存在ではないが、しかし彼の内部が空っぽであり、いくら情熱的に熱弁を振るっても、その空っぽを埋めることはできない。〈共通の理念〉と〈生ける人間の神〉とを自己の内部に発見できないニコライ・ステパーノヴィチは日常的に孤独であり、この孤独と共にあるよりほかはない。彼の空虚は、ピョートル・ステパーノヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーのような政治的野心を持つこともなかったし、おしなべてドストエフスキーの自意識過剰な人物(特に『地下生活社の手記』の地下男)に見られる道化的軽業をなそうとするグロテスクな欲望に駆られることもなかった。

ドストエフスキーの描いた地下男はまさに地下の住人であったが、ニコライ・ステパーノヴィチは紛れもない地上生活者であり、のみならずその成功者である。彼は言わば地上の世界で功名を遂げた空虚な人である。地下男は自意識過剰の地下男であることに、自分の卑小卑劣な生存に、あらゆる価値が相対化されてしまったことに、あらゆることが必然の網の目のなかに組み込まれていることに……納得している存在ではない。彼は不満家であり、あらゆることに唾をはきつける毒舌家である。なぜなら地下男こそ〈共通の理念〉とか〈生ける人間の神〉を求めているからである。何か或る絶対的なものを求めていながら、それが叶わない、だから不満家になるのであって、はじめから何も求めていない者、たとえば〈無関心〉になりきれれば「すべてはどうでもいい」(Всё равно)のである。老教授ニコライ・ステパーノヴィチは読者の批評力や分析力を少しも信じていないから、・・「つまりは何もないわけである」という結論を自分で説明することになる。

人間の内部に、一切の外的な影響を上回るより高度なもの、より強力なものがなくなると、ただ鼻風邪ひとつひいても心の平衡を失って、あらゆる鳥をふくろうと見やまり、あらゆる物音を犬の遠吠えと聞きあやまる。そうなると、彼のペシミズムなりオプティミズムなりは、彼の大小さまざまの思想と共に、たんなる病気の徴候になりさがるのである。

老教授の説明に何も付け加えることはない。〈共通の理念〉と〈生ける人間の神〉を求めない彼は、自らの空虚に誠実に対応するほかはない。老教授には、それらを烈しく求めて嘆き、怒る、虚無の情熱的なドラマを演ずる過剰な道化(演戯)意識が不足している。〈無関心〉という虚無の壺の底に落ちてしまった老教授は、そこで静かに人生ドラマの終焉を迎えようとする・・「わが輩は敗軍の将である。とすると、これ以上考えつづけることもなく、語ることもないわけだ。いっそここに坐り込んで、黙ったまま来るべきものを待ち受けよう」と。ここで、この『退屈な話』と名付けられたニコライ・ステパーノヴィチの手記は終わっていてもよかっただろう。

が、どういうことか、老教授が滞在するハリコフのホテルにカーチャが訪ねてくる。

2004年6月18日

【死の孤独と死を超えた孤独】...チェーホフ『退屈な話』を読む(18)

〈わが宝〉カーチャとニコライ・ステパーノヴィチのただならぬ関係

「ニコライ・ステパーヌィチ! これ以上、こんなふうには生きていけませんの! もうだめなんです! お願いですから、早く、今この場で仰しゃって下さい、・・あたしはどうすればいいのです? どうすればいいか、仰しゃって下さい!」
「わしに何が言えよう?」わが輩は当惑する。「何も言えないんだよ。」
「お願いですから仰しゃって!」息を切らし全身をふるわせながら、彼女がつづける。「嘘じゃありません、あたしもう、こんなふうには生きていけません! へとへとなんです!」
彼女は椅子に倒れてわっと泣きはじめる。頭をのけぞらせ、両手をもみしぼり、足を踏み鳴らす。帽子が頭からすべり落ち、ゴム紐にぶらさがって揺れる。髪が乱れた。
「助けて下さい! 助けて下さい!」と彼女が哀願する。「もう生きていけないのです!」
彼女は旅行用の手提袋からハンカチを取り出す。その拍子に何通かの手紙がすべり出て、膝から床へ落ちる。それを床から拾ってやりながら、わが輩は中の一通にミハイル・フョードロヴィチの筆跡を認め、何気なく《熱愛す……》という言葉の切れはしに眼をとめる。
「お前には何も言えないんだよ、カーチャ」とわが輩は言う。
「助けて下さい!」わが輩の手を掴んで接吻しながら、彼女はむせび泣く。「おじさまはあたしのお父さま、ただひとりの親友じゃありませんか! おじさまは聡明で、教育があって、長いこと生きてらしたじゃありませんか! 前には先生だったじゃありませんか! 教えて下さい、あたしはどうしたらいいのす?」
「ほんとうに、カーチャ、わからないんだよ。……」
わが輩はめんくらい、嗚咽に心を打たれて途方に暮れ、立っているのさえやっとである。


なぜ又もやカーチャの登場となるのか。カーチャはいったい何をニコライ・ステパーヌィチに求めているのか。カーチャにとってニコライ・ステパーヌィチは養父以上に先生であり、人生の指針を示してくれなければならない存在であったのだろうか。先に老教授はカーチャに「どうすればいいの?」と問われて「わが輩は何と答えるべきかわからない」と率直に表明していたはずである。否、これは老教授の内心の言葉であり、読者には伝わってもカーチャには伝わっていなかった。カーチャがわざわざハリコフにまて老教授を訪ねてきて「どうすればいいか、仰しゃって下さい!」「助けて下さい!」と哀願しているのはただごとではない。ここに引用した場面を何回か繰り返し読んでいると、ニコライ・ステパーヌィチとカーチャのただならぬ関係が見え隠れしてくる。

『退屈な話』はもちろんチェーホフの書いた小説であるが、設定は老教授ニコライ・ステパーノヴィチの手記ということになっている。厳密に言えば「ある老人の手記より」というサブタイトルがついているから、〈手記〉そのものとは言えないかも知れないが、ここではあまり神経質にならずにニコライ・ステパーノヴィチの書いた〈手記〉と見なして批評をさらに展開していくことにしたい。

〈手記〉は〈告白〉の意味も兼ねている。この手記の中でニコライ・ステパーノヴィチはひと言も神への信仰については触れていない。キリスト教国に生きる者が〈手記〉(告白)をしたためるとなれば、とうぜん〈神〉を読み手として想定していることになる。彼はいったい誰に向かって〈手記〉をしたためていたのだろうか。彼は妻や、娘や、そしてカーチャをこの〈手記〉の読み手として想定していたのだろうか。この〈手記〉全編を何度読み通しても、彼が妻子やカーチャを読者に想定していたとは思えない。それ以上に、彼が神を意識していたとも思えない。まるで彼は、人格神を崇拝しない国の小説家のように、ごくふつうの一般読者を想定してこの〈手記〉をしたため続けたような感じである。

さて、話を元に戻そう。わたしの直観は、もう一度カーチャとニコライ・ステパーノヴィチの関係を洗いなおしてみろ、と囁く。この〈手記〉が六十二歳の〈現在〉において書かれていたのだとすれば、ニコライ・ステパーノヴィチが七歳のカーチャの後見人になったのは十八年前の五十四歳の時である。二人の歳の差は四十七歳、まさか男と女の関係に発展するなどとは、ふつうに考えればあり得ないことである。しかし男と女の関係を普通に考えてみても何の足しにもならないことも確かである。ニコライ・ステパーノヴィチは〈手記〉の主体であるから、何でも書こうと思えば書けるし、隠そうと思えば何でも隠せるわけである。ドストエフスキーの場合もそうであるが、十九世紀のロシアの小説家は男と女の〈濡れ場〉を具体的に描くことを禁じられていた。その代わり、彼らは直接的にではないあらゆる方法を駆使してその禁じられた〈濡れ場〉を描く努力を惜しまなかった。

『罪と罰』で言えば、ラスコーリニコフとソーニャ、ドゥーニャとスヴィドリガイロフ、ラズミーヒンとプラスコーヴィヤ(ラスコーリニコフの下宿の主婦)、プラスコーヴィヤとチェヴァーロフ(事件屋的存在でプラスコーヴィヤの情夫であった)、ソーニャとイヴァン・アファナーシェヴィチ閣下の肉体関係が、ただの一行も直接的には描かれていないにもかかわらず、熟読するとその〈描かれざる濡れ場〉が浮上してくる。
『悪霊』では、ニコライ・スタヴローギンとマリヤ・シャートヴァ(彼女は形式的にシャートフと結婚したが、ニコライの子供を身ごもって故郷スクヴァレーシニキへと帰ってきた)、マトリョーシャ(十二歳の少女。彼女は全能の神に化身したニコライの〈実験動物〉となった)、リーザ(貴族の令嬢で、暴漢に殴り殺される前夜、ニコライの別荘で不倫の関係を持った)、ステパン・トロフィーモヴィチとニコライ・スタヴローギン(ニコライが十歳の頃、家庭教師であったステパンと肉体的な関係を持つ)、アントン・Г(『悪霊』の語り手、国家から派遣されたスパイでステパン氏とホモセクシャルな関係を結んで〈個人秘書〉となり、絶対的な信頼関係を取り結んだ)・・などの肉体関係のすべてが一切描かれることはなかったが、読みを深化させ、想像力を働かせることによってこれらの〈濡れ場〉は鮮明に再構築されることになる。チェーホフもまたこの小説において、ニコライ・ステパーノヴィチとカーチャの秘密の関係を完璧に省略し
た可能性がある。

カーチャがニコライ・ステパーノヴィチに向かって「あたしはどうすればいいのです? どうすればいいか、仰しゃって下さい!」と迫るように懇願し、「助けて下さい! もう生きていけないのです!」と脅すかの如き哀願を繰り返したのは、二人の仲が養父と養女、先生と教え子以上の男女関係を取り結んでいた可能性を暗示している。カーチャがニコライ・ステパーノヴィチの同僚、五十年輩の文献学者ミハイル・フョードロヴィチに熱愛されプロポーズされていることは既に明白である。カーチャがニコライ・ステパーノヴィチに懇願しているのは、単なる人生の指針を自分に示せというようなことではない。歳の差や、養父・養女の関係を超えて結びついた相手ニコライ・ステパーノヴィチに、カーチャは自分が彼にとってどのような存在であったのかを真剣に問いただしている。そのように考えたほうが、ここでカーチャが発している言葉は理解しやすい。若い頃に演劇に熱中した烈しい性格の女カーチャは、死期が迫っている老教授、否、男としてのニコライ・ステパーノヴィチに彼と自分との関係が何であったのかを問うているのである。

ニコライ・ステパーノヴィチの答えは「わからない」である。まさに彼は『悪霊』のステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーを地で行っている感がある。ステパン氏が自分の教え子たちに何一つ明確な指示を出すことができなかったように、ニコライ・ステパーノヴィチもまた生涯の終わりにあたって養父としても、先生としても、また男としても、カーチャに何一つ確固たる指示を与えることができなかった。


「カーチャ、朝御飯でも食べないか。」むりに笑顔を作りながら、わが輩が言う。「泣くのは
沢山だよ!」
そしてすぐに声を落して言い足す。・・
「わしはもうすぐ死ぬよ、カーチャ。……」
「せめてひと言、ひと言でいいんです!」わが輩に手を差しのべながら、彼女は泣きじゃくる。
「あたしはどうしたらいいのです?」
「ほんとうに、おかしな娘だね。……」とわが輩はつぶやく。「わからないんだよ! お前の
ような利口な娘が、・・どうしたんだい! 突然、泣き出したりして……」

カーチャの「あたしはどうしたらいいのです?」の問いに、ニコライ・ステパーノヴィチはむりやり笑顔を作りながら「朝御飯でも食べないか」としか答えられない。ニコライ・ステパーノヴィチの「わしはもうすぐ死ぬよ」の決定的な告白に、カーチャは泣きじゃくりながら「あたしはどうしたらいいのです?」を繰り返すばかりである。不思議な会話である。まったく二人の間に一本の綱が張られていない。心と心で結びついた一本の綱が存在しない。二人は今、最も近い距離にありながら、心はばらばらである。カーチャの懇願は宙をさまよい、ニコライ・ステパーノヴィチの死の告白は実感を伴わない。カーチャはいったい何を望んでいたのだろうか。ミハイル・フョードロヴィチの熱愛以上の愛をニコライ・ステパーノヴィチに求めたのだろうか。つまり〈死〉の告白ではなく、〈愛〉の告白を・・。今、明白になったのは二人の心の行き違いだけである。

カーチャは別離を決意する。「沈黙が訪れる。彼女は髪を直して帽子をかぶり、それから手紙を丸めて手提袋へ突込む。・・これらの動作は、黙ったままゆっくりと行なわれる。顔も胸も手袋も涙でぬれているが、表情はもう乾いていて、きびしい」・・チェーホフは、否、ニコライ・ステパーノヴィチは女が別れを決意した、その表情と一連の動作を的確に端的に描写している。こうなったら、相手がどのような引き止めの言葉を発しても無駄である。ニコライ・ステパーノヴィチはカーチャが、もうすぐ死ぬであろう自分よりも不幸であることに羞恥をおぼえる。彼は「同僚の哲学者たちが共通の理念と呼んでいるものが自分に欠けていることを、わが輩は死のまぎわになって、生涯の日没になって気づいたが、この哀れな娘の魂はこれまでも、これからも一生涯、隠れ家を知らないで過すのであろう!」と書く。〈隠れ家〉を知らない魂は、永遠に彷徨っていなければならないのか。ニコライ・ステパーノヴィチはカーチャの魂の〈隠れ家〉となることはできなかった。なぜなら彼もまたその〈隠れ家〉を知らないからだ。

「カーチャ、朝御飯を食べよう」とわが輩は言う。
「いいの。ありがとう」と彼女は冷やかに答える。
また一分間、沈黙のうちに過ぎ去る。
「ハリコフは気に入らないよ」とわが輩は言う。「ひどく陰気だ。妙に陰気な町だね。」
「そうね、……汚い町。……あたしは長くここにはいませんの。……ほんの通りすがりに。今日、発ちますわ。」
「どこへ?」
「クリミアへ、……つまりコーカサスへ。」
「そう。長くいるのかね?」
「わかりませんわ。」
カーチャは立ちあがって冷たい微笑を浮かべ、わが輩の顔を見ずに手を差し出す。『すると、わしの葬式には来てくれないんだね?』・・わが輩はこうたずねたいと思う。しかし彼女はわが輩の顔を見ず、その手は他人の手のように冷たい。わが輩は黙って彼女をドアまで送って出る。……見るまに彼女はわが輩から離れ、振向きもせずに長い廊下を立ち去って行く。わが輩が見送っているのを知っているから、たぶん曲り角では振向いてくれるだろう。

いや、彼女は振向かなかった。黒い服がちらりとひらめいたのが見納めで、足音が遠のいて
いった。……さらば、わが宝よ!

ニコライ・ステパーノヴィチはカーチャとの別離を、自分の死以上のリアリティをもって伝える。カーチャは彼にとって〈わが宝〉だったのだ。どうして彼は〈わが宝〉をわが胸にしっかりと抱き締めることができなかったのか。人間はわけもわからずこの世に生まれ、わけもわからずひとり死んでいかなければならない。こんな孤独はない。しかし、今、ニコライ・ステパーノヴィチはその死の孤独以上の孤独を噛みしめている。〈愛〉は〈死の孤独〉を乗り越えさせる力を持っているのではないか。このことさえも「どうでもいい」(Всё равно)と言い切れるのか。

2004年6月19日

【すべてはかりそめの夢】...チェーホフ『退屈な話』を読む(19)

空虚な実存の孤独と倦怠

さて、『退屈な話』を最後まで読み終えて、ぞっとするような孤独の風が吹いてくる。この〈わが宝〉を失ったニコライ・ステパーノヴィチに襲う孤独の風を誰もとめることはできないだろう。彼には未だ妻もあり、娘もあり、その娘には夫もできた。しかしすでに彼のうちでは家族は崩壊している。彼は家庭の中にあっても一人であり、そして今、ハリコフでカーチャを喪失した孤独の直中に佇んでいる。彼は人間の誰にも、そして人間を超越した存在にも救いを求めることはしない。救いを求めることは、彼にとっては何か不誠実なことのように思えていたのだろうか。彼が唯一信じたのは科学である。しかし科学はこの世のすべての神秘を解きあかしてはくれない。が、にもかかわらず彼は神秘を前にして超越的な存在に跪拝することはできなかった。彼の誠実は結局「わからない」という言葉を発するしかなかったし、その次元にとどまることしかできなかった。彼は神を信仰することなど容易であり、そんなことで自分をたぶらかすことはできないと思っていたのかもしれない。


いずれにしても、彼は愛よりも孤独を選んだ男であり、愛を喪失した孤独とともに自らの死をたった一人ぼっちで受け入れようとしている。なぜ、彼はそんなにかたくなに〈愛〉を拒んだのだろうか。おそらく彼は、人間の愛のはかなさを、流れ去る時間の中ではどんなに強く烈しい愛もやがては色あせ消失していくことを不断に意識していたからであろう。彼は〈今〉を烈しく生きることはできない。彼は〈今〉を常に遠い未来から見る癖を持っている。その〈未来〉は死の時点であったり、千年後、一万年後、一億年後であったりする。すべては時の流れに呑み込まれ、徹底的に、容赦なく無化されてしまう。結局は完璧に無化されてしまう人生に何の意義を見いだすことができようか。彼の根本的気分にはこういった虚無と無常観がしみ込んでいる。

『ともしび』(『Огни』 「北方報知」一八八八年六月号に発表)で学生のミハイロ・シテンベルグは「かつてこの世には、フィリスチン人やアマレク人が生活し、戦いをまじえ、それぞれの役割をはたしていたんです、ところが今じゃ、彼らの跡さえも消えさってしまったんですからね。僕らだって同じことですよ。今でこそ僕らは鉄道を敷いたり、こうしてたたずんで、哲学をくりひろげたりしているけど、あと二千年もしたら、この土手だって、辛い労働のあとで今頃はぐっすり眠っている人たち全部だって、塵一つ残らなくなってしまうんだ。本当に、おそろしいことですよね!」と語り、技師アナニエフは「・・当時わたしは、まだ二十六にもなっていませんでしたが、それでももう、人生が無価値で何の意味ももっていないことや、すべてはかりそめの夢であり、幻であること、本質や結果から言って、サハリン島の流刑生活も、ニースの生活と何ら変るものではないこと、カントの脳髄と蠅の脳との差など、何ら本質的な意味をもって
いないこと、この世ではだれ一人正しくもなければ、わるくもないこと、すべてはとるにたらぬ、くだらぬものであり、どうなろうと一向かまわないのだということ、などをちゃんと承知していましたよ。わたしは、自分が便々と生きていながら、わたしを生きて行くように仕向けている何か眼に見えぬ力に、そのことで恩を着せているような気になっていたものです。おい、どうだ、俺は人生になんぞ何の値打ちもみとめていないんだが、こうして生きていてやっているんだぞ、と言わんばかりでしたよ!」と語る。

鉄道の施設工事に携わる技師アナニエフと助手ミハイロ・シテンベルグのこういった思いは、老教授ニコライ・ステパーノヴィチにもそのまま受け継がれている。人間を過ぎ去りゆく時間上で把握すると、どんなに情熱的に振る舞う瞬間があっても、やはり人生は虚しく無価値なもののように思えてしまう。チェーホフの人物たちは不断に時間を意識した存在であり、時を忘れて生そのものの饗宴にひたりきることはできないのである。〈今〉という〈生〉に没頭し熱狂するディオニュソス的生存は、チェーホフの人物にあってはほとんど無縁である。彼らは不断に未来の或る一点から現在の生を眺めており、生に対してクールな姿勢を崩しきることができない。

チェーホフはニーチェのように時間を永遠回帰的にとらえることはなかった。もし時間を永遠に繰り返す円環的なものとしてとらえていれば、〈今〉は単なる通りすぎてしまうものではなく、無限の過去と無限の未来を内包する永遠の今と感じられたはずである。否、チェーホフにあっては永遠回帰する〈今〉ですら、虚無と無常を払拭することはできなかったかもしれない。永遠回帰する時間など無限の退屈を感じさせるだけのものであるかもしれない。

『ともしび』の中でわたしが最も印象深く思った叙述場面は、技師アナニエフがものにしようとした女が遠くの海を無関心そうに眺める、その姿をとらえた時の場面である。

まるで、海も遠くに見える煙も、空も、とうの昔に見あきてしまって、眼が疲れるだけだ、と言うような様子や、表情なんですからね。どうやら彼女は、疲れはて、退屈しきって、何か気重なことを考えているらしく、近くに見知らぬ男性がいるのを感じると殆どすべての女がうかべる、あの、ことさら無関心をよそおった、用ありげな表情さえ、見せないんです。

小説を読み進んでいけばわかることだが、この女がことさら魅惑的な存在であったわけではない。ただ、この瞬間、アナニエフの眼差しがとらえた女が、アナニエフ自身の虚無と退屈を限りなく反映し、同時に作者チェーホフのそれを反映していることは確かであろう。世界の事象を見飽きてしまった、聞き飽きてしまった、考え飽きてしまった、というこの限りなく退屈な感覚が見事に一人の女を通して端的に描写されている。

チェーホフにとって人生とは孤独と倦怠(アンニュイ)であったのではないか。二十歳前後の頃、わたしの口癖は「どうでもいい」であった。このわたしの口ぐせを完璧に剽窃した高校時代の一年後輩の男は三十歳にならずしてこの世を去った。わたしは「どうでもいい」という虚無の卵を熱く抱いて書きまくる人生を生きている。虚無、退屈、倦怠、そんなものは当たり前のことだ。何もわからない・・当たり前のことだ。ラーギン医師の「どうでもいい」(Всё равно)は、ドストエフスキーの人神論者たちが口にした「すべてが許されている」にも通じている。何をしても許されているし、何もしなくてもいい。すべてがいいのだ。しかし、チェーホフの人物には、ドストエフスキーの人物たちに見られた熱狂はない。「どうでもいい」という気分はゆったりしているし、どこかしら気だるい感じをともなっている。わたしは映画『小犬をつれた貴婦人』のヤルタの海岸の、穏やかな波間に浮かぶ〈空き瓶〉が脳裏に焼きついて離れない。
中身が空っぽの、何もわからない人間の生存、それをわたしはアンニュイな気分の直中にただよう〈空き瓶の実存〉と名付けておきたい。

何が善であり、悪であるのか。善悪観念の磨滅のはてにニコライ・スタヴローギンの虚無の実存があった。しかしまだ彼はドストエフスキーの熱狂的な舞台の中でドラマチックに生きていた。彼は全能の、沈黙し続ける神に成り代わって十二歳のマトリョーシヤを実験の材料にするほどの幼稚さを発揮していた。彼の先生であったステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホヴェーンスキーはヨーロッパの最新の学問を身につけてロシアに帰国しながら、弟子たちに何ら生の指標を示すことができなかった。彼はソクラテス気取りでロシアを、ロシアの神を、ロシアの検閲制度を語った。しかし彼の饒舌は単なる暇つぶしの次元を超えることはなかった。結局、彼の饒舌はニコライ・ステパーノヴィチの「何もわからない」に帰着する。チェーホフの描く老教授はもはや小説の中で無意味な饒舌を展開することはない。彼は〈退屈〉という自分の気分と、〈何もわからない〉という自分の得た単純な結論に誠実であろうとして、何によっても癒されることのない孤独な荒野にひとり佇む途を選んだ。このニコライ・ステパーノヴィチの孤独な姿が、現代人の実相をあますところなく伝えているように見える。(2003・12・26~2004・1 ・12)

2004年6月21日

【学生の声】 6月21日「マンガ論」

【今回のマンガ論では、吉田戦車著「伝染るんです」第1巻1ページ1コマ目のコピーが配られ、それに続く展開を受講生が各自想像し、実際にマンガとして描いてみるという試みがなされた。参考として、前年度受講生の描いた作品をスライドで紹介した。】


6月21日の授業「マンガ論」(所沢キャンパスにて)に寄せられた学生からの声130件中から12件(原文のまま)を以下に紹介します。

絵を描くのはほんとに苦手だし、自分は面白くないので2コマとかむずかしい・きっと皆は想像力が豊かでたのしいのを描いているんだろうな!私も面白い人になりたい!(渋谷愛・演劇学科2年)

自分で描くのは難しいですね。(近藤南・文芸学科1年)

吉田戦車のマンガはオチが特に無い。あえて言うなら全部落ちてる。(森岡耕太・映画学科1年)

参考でみた、××クラゲのオチは素晴らしかった。過去みたギャグマンガのなかでもNO5に入ると思う。(平田実沙・文芸学科1年)

マンガのおちはむずかしいですね。マンガ家はスゴイと思いました。(八幡夏美・演劇学科2年)


自分の発想の貧弱さに打ちのめされました。(中村健人・文芸学科1年)

思ったよりすんなり案が出たので良かった。あんまり絵が得意じゃないけど、面白かった。(阿出川綾乃・演劇学科2年)

スライドで見せたメメクラゲのコマに爆笑した。(原彩子・文芸学科1年)

難しかったです。ネタのない自分の頭がうらめしい。今日、漫喫行ってこようと思います。(千田沙都・演劇学科2年)

オチって難しいですね。(田中沙紀・演劇学科2年)

今日は眠気に負けて笑いの神様降臨してくれませんでした。伝染るんですは大好きです。かわうそ君が。(笹本薫・文芸学科1年)

先生に会いに来ました 。絵描けないんです・・。(浅野茜子・文芸学科2年)

2004年6月28日

【学生の声】 6月28日「マンガ論」

【今回の講義では、吉田戦車著「伝染るんです。」に関する具体的な批評を展開した。また、先週の講義で受講生が描いたマンガを、1枚づつスライドで紹介。中には、授業風景や清水教授自体をパロディ化したものもあった】

6月28日の授業「マンガ論」(所沢キャンパスにて)に寄せられた学生からの声130件中から10件(原文のまま)を以下に紹介します。掲載した学生たちの作品はクリックすることで拡大してご覧になることができます。なお、掲載作品は上から神津一誠(文芸学科1年)、小谷不允穂(映画学科2年)、宮崎敦子(写真学科2年)になります。 

作品を見て、単に面白いとかつまらないだとか言うのは簡単なことですが、その具体的な理由、根拠を述べるとなると難しいというのをよく実感します。この学校に通うからには、少しくらいその見る目、技術を養えるようになりたいです。(大島直文・文芸学科1年)


ギャグマンガに対する印象を完全に変えてしまう先生の語りはすごいと思いました。(渡辺紀典・文芸学科1年)

4コマまんがは、いつも勢いで読んでいたので、まさか論じられるとは思いませんでした。おもしろければいい、ということではなく、4コマの中でいかにおもしろく、いかに多くのメッセージを表現できるか、ということが大切なんですね。(高橋由季・文芸学科1年)

吉田戦車のマンガで私が唯一評価するのは、頭にホータイをまいた少年が新しい文字を発明し、それをコマの中で“発音する”というもので、それ以外はあまりおもしろくなかった。「ナンセンス」「シュール」の名の基では何をやっても許されるという風潮の元凶は吉田戦車にあるのではないか。(稲本登史彦・文芸学科1年)

芸術学部だけあっていろんな発想があるんだと思い感心しました。おもしろかったです。(古川睦子・演劇学科2年)

今度はもっとドッとした笑いをとってみせる。(櫻井与子・演劇学科1年)


自分のマンガが出てちょっとうれしかったです。私が描いた清水先生はけっこう似てると思うんですがどーですか??(宮崎敦子・写真学科2年)

清水正ネタはおもしろい!みんな先生のことをよく見てるなぁと思った。またマンガを描いてみたいです。(石山大樹・文芸学科1年)

うつるんですを読んでみようと思った。ドキドキしました。おもしろかった。栗原さんの無愛想さが良いです。(藤井奈津美・文芸学科1年)

先週でれなかったのでマンガをかけなかったのが残念だった。皆のマンガの中での先生ネタがおもしろかった。(新川桜子・美術学科1年)

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