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日野日出志「蔵六の奇病」を読み解く(4)...【蔵六という〈1人の農夫〉は自由人】
――共同体(秩序)と個人(自由)の相反――
3頁1コマ絵のコメントは「そのねむり沼の近くの村に蔵六という1人の農夫が住んでいた」とある。画面右に木が描かれているが、この木の太い枝はのこぎりで切られており、葉はまばらに生えているだけで、わずかに残った枝は枯れている。画面左上部に桜の花が咲き乱れ、下部に藁拭き百姓家の一部が描かれている。画面中央下部に山へと続く一本道、その両脇に野原と畑が描かれ、その遠景にこんもりとした藁拭き屋根と三つの山が描かれている。
全体の印象としては山村地帯の牧歌的な風景と見えるが、この画面を詳細に見るとまったく違った光景が浮上してくる。まず、左部に描かれた百姓家であるが、季節は春だというのに戸は閉められたままであり、何か閉塞的な息詰まりをおぼえる。家の上部に満開の桜が描かれているので、読者の目をあざむくが、余りにも華やかな桜の花の下に、実は〈悲劇〉が隠されていのだという暗示がある。
中央の一本道は、はるか彼方へと続く希望と憧憬の隠喩であるが、その道の傍らに生えている、太い枝を断ち切られた、半分枯れかかった木は、主人公の希望の挫折と、息絶え絶えの衰弱した実存を暗示している。遠くに描かれた三つの藁拭き屋根は、牧歌的な光景の一部として描かれながら、同時に農村の閉塞的な人間関係そのものを暗示している。
主人公が自らの夢を実現するためには〈三つの藁拭き屋根〉に象徴される村人の頑固な偏見と、〈三つの山〉に象徴される大きな壁(困難)を越えて行かなければならない。はたして主人公の夢は実現されるのか。一本道が山の麓に消える地点が白く描かれているので、あたかも主人公の未来は明るいもののようにも思える。しかし、ここには作者の作画上の詐術が働いていたと見た方がいい。もし、この部分を真っ黒にベタ塗りしたら、余りにもこの物語の暗い結末が予め読者に覚られてしまう。露骨な暗示を避けるのがプロの常套である。当時の日野日出志がどこまで意識的であったかは脇に置くとして、結果としてこの部分を白く描いた事は、主人公の未来をぼかす上でも、また両義的な解釈の余地を与える上でも効果的であったと言えよう。
2コマ目にようやく主人公の蔵六が登場する。2、3、4コマ目のコメントに「蔵六の顔一面に……毒キノコのような七色のできものがふきだしたのは…村の桜も満開のころであった」とある。まずは蔵六の顔の特徴を見ておこう。鼻は横に広く大きな団子鼻、両は極端に離れ、その丸く描かれた白目に小さな黒い瞳が付いている。口は横に一本線で描かれ、顎は安物の皿のようである。この顔は誰が見ても美男子ではない。しかもこの不細工な顔一面に毒キノコのような七色のできものが吹き出してきたというのであるから、なんとも醜い顔となっている。ただし、蔵六の目だけは、掛け値なしに純朴と無垢を感じさせる。
桜の満開の春の季節に、蔵六は顔一面に七色のできものを作っている。これはどういうことであろうか。4コマ絵に描かれた蔵六は縁側にしょんぼりと坐っている。両膝を抱えて、ぼんやりと庭を眺めているその姿はいかにも寂しそうである。傍らには紙と、墨をいれたお碗と、筆がある。庭には二匹の蝶が戯れ飛んでいるというのに、蔵六の心は少しも晴れない。何かを思い詰めたような目は、おそらく自分自身の内部に向けられているのであろう。
5コマ目、画面左に長男の太郎が現れ「このばかが、しごともせんと、また、絵なんぞ描きくさりおって……」と怒鳴る。彼の被っている烏帽子は大小の丸模様で、この帽子自体が何か毒キノコのような感じを受ける。両股を開き、握り拳をつくり、口を大きく開いて前歯を剥き出し、両目をつり上げたその顔は、まさに鬼のような形相である。
画面右の蔵六は依然として両膝を抱えたまま、怒鳴る兄の顔を横目で見ながら黙っている。そのとぼけた様な顔は、兄の怒りに怯えているようには見えない。どこかしら我関せずと言った顔つきにも見える。こういった顔は、自分の喜怒哀楽の感情を押し殺すことに慣れた顔と言っていい。この顔は、すでに何か自分にとって最も重要な事を断念した顔でもあるのだ。
ここでもう一度、1コマ絵の〈太い枝〉(希望、夢)を断ち切られた木を思い出せばいいだろう。蔵六の夢は〈絵〉を描く事にある。しかしその夢は理不尽にも断ち切られる。誰が蔵六の〈太い枝〉(大きな夢)を断ち切ったのか。それはここで発せられた太郎の言葉にすべて圧縮されていよう。百姓の仕事は米や野菜をつくる野良仕事であって、家に閉じこもって絵を描くことではない。家を継ぐ長兄の太郎は、おそらく百姓仕事に毎日精を出していたであろう。ところが、蔵六は「しごともせんと」絵ばかり描いている。太郎にとって蔵六は〈ばか〉であり、無能な怠け者でしかない。同じ時に種を蒔き、同じ時に刈り入れをし、同じ時に祭りをする。農業は村人がお互いに助け合って作業しなければならないことが多くある。そこに自然と村の掟が出来上がり、それに反する者は軽蔑され相手にされない。酷い場合は村八分にされる。太郎はそういった農村共同体の規律や倫理を代表する者として発言している。蔵六の夢は絵を描くことであるから、もしその夢を貫こうとすれば、やがて彼は村の掟に背く者として排除される運命にある。
6コマ目、太郎は怒りにまかせて「だからそんな気味の悪いできものなんぞこさえるんじゃい!」と言い放つ。5、6コマ目とも、太郎の背後(家の中)は黒くベタ塗りにされており、家の内部が闇に覆われていることを暗示している。7コマ目、蔵六の顔のアップ。皿のような下顎を突き出し、上目遣いで太郎の方を見ている。蔵六は依然として黙ったままで、兄に一言も口答えしない。が、もちろんだからと言って、蔵六は太郎の小言に納得しているわけではない。障子には目立たない程度に蔵六の黒い影が描かれている。この影が、蔵六の不満、反抗、怒り、憎悪の隠喩となっている。
蔵六は〈農村共同体の論理〉を体現している兄の太郎から〈ばか〉と怒鳴れてはいるが、彼自身は自分を〈ばか〉などとは思っていない。蔵六には蔵六の夢があり、希望があり、大きな志があるのだ。しかし、蔵六は自分の夢をそのまま延ばしきることきできなかった。すでに〈太い枝〉は断ち切られているのだ。蔵六は、1コマ目に描かれた山の彼方へと続くまっすぐな一本道に飛び出て行くことはできなかったのだ。この道を毎日毎日、冬も、秋も、春も、夏も、ずっと眺め続けてきたのが蔵六である。しかし、にもかかわらず蔵六は、自分の家から抜け出していくことができなかった。蔵六の顔には長年にわたってため込んできた、鬱積した負の感情も見える。
蔵六の顔に吹き出してきた〈毒キノコのような七色のできもの〉は、兄の太郎にとって〈気味の悪いできもの〉としてとらえられている。太郎は、多くの人間の声を代表している。蔵六の顔一面に吹き出した〈できもの〉を美しいと思う者はいない。やがて蔵六は太郎のみではなく、村のすべての者から、その〈できもの〉によって疎んじられることになるだろう。
はたしてこの〈できもの〉はどのような意味を担っているのだろうか。〈できもの〉は〈毒キノコ〉としてやがて蔵六の身体を確実に蝕んでいくであろう。しかしこの〈できもの〉は同時に〈七色のできもの〉でもある、つまり彼の夢そのものを体現してもいるのだ。蔵六は現実の世界において、すなわち困難な三つの山を越えて自分の夢を実現することはできなかった。しかし蔵六は自分の夢を諦めることはできなかった。彼は捨て身の方法で夢を実現しようとはかる。つまり、自分自身の身体全体を絵の具製造所に変え、自分が目指す美を体現してしまおうとする非現実的な妄想的な試みである。言わば病者の試みであるが、この妄想患者風の試みを通して、美に賭けた一人の男を表現しつくそうとしたのが、とりもなおさず作者・日野日出志の悲願である。
(中略)
さいごに
日野日出志氏の特別講義の後、航空公園駅近くの居酒屋「むらやま」で、四時間近く学生達を交えて話す機会があった。そこでわたしは「蔵六の奇病」に感じられる内蔵感覚の発露、原初的なドロドロしたもの、腐れゆくものに対する審美的な眼差しなどを指摘した。さらに酒がすすむにつれ、かなり打ち解けたなごやかな雰囲気の中で、この作品がつげ義春や今村昌平の影響を受けている事や、一筋縄では括れない母胎回帰願望の表出、さらに実は母と父は不在であったなどという発言をした。
日野氏はつげ義春という漫画家の存在がなければ「蔵六の奇病」や「地獄編」などの作品は生まれなかった事、今村昌平という映画監督のファンであった事などを率直に話された。また「蔵六の奇病」を解読する上で重要なヒントとなる、男だけの四人兄弟の長男である事、母親の乳房を二歳になる前に弟に奪われ、自分はおばあさんのしなびた〈おっぱい〉をくわえていた事、父親が板金の仕事をしていて家に〈硫酸〉の瓶が置いてあった事……などを話された。
日野氏は「蔵六の奇病」を自分の作品の中の最高傑作と位置づけ、この作品の中に自分の総てが含まれていると何度も強調された。この席で、わたしは日野氏の漫画に特徴なの図柄は〈丸〉と指摘し、それは母胎であり、母と子の合一の至福の徴であるなどとも指摘した。日野氏は、「蔵六の奇病」が読者や批評家に解読されるわけがない、この作品は自分にしか分からない、自分の体験に基づく心象なのだと強調した。わたしは批評は作者の意図をも超えて創造的な仕事であり、作品はいかなる批評によっても自立した確固たる世界を構築していなければならないと語った。わたしは「蔵六の奇病」論を書く事を約束し、批評は愛であり祈りである、批評は作者を感動させる力を持っていなければいけない、などと語った。この論が多少とも作者の共感を呼ぶものとなっていれば幸いである。
この「蔵六の奇病」論は日野氏と出会った翌日の二〇〇四年四月二十七日から書きはじめ、五月三日に書きおえた。久しぶりに漫画批評で興奮した一週間であった。
2004年5月13日
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