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日野日出志「蔵六の奇病」を読み解く(3)...【烏のいる風景】
――見開き二頁を読み解く――
タイトル頁をめくると、そこには見開き二頁を費やして、不気味な暗い沼が描かれている。中央部に「むかし さる国のあるところに 死期のせまった動物があつまる ふしぎな沼があった 人々は その沼を ねむり沼とよんで だれ一人近づく者はなかった」と書かれている。場所は〈さる国〉の〈あるところ〉ということである。〈さる国〉とは言っても、主人公の名前が蔵六というのであるから〈日本国〉のどこかであることに間違いはないだろう。ただ、〈さる国〉と書いて、国を特定しないことで幻想性(現実的な時空を超越した世界)を強調する効果を発揮している。
この不気味な黒い沼は〈死期のせまった動物〉の墓場のような場所として設定されている。朽ち果てた木の幹が沼に倒れ込み、その先にはまだ死んだばかりの動物(鹿のように見える)が烏に肉を啄まれている。肋骨が見え、目は溶けて飛びだしている。岸には数多くの動物の死骸(骨)が積み重なるようにして描かれている。木は年数を経た大木であるが、それはすでに枯れ果てているように見える。太い幹の根元には無数の茸が生え、この不気味な沼に生きているのは、死肉をあさる烏のみである。
画面右上部に描かれた大木の枝には何十疋もの烏が羽根を休め、上空にも無数の烏が飛び交っている。画面左の枯れた大木には太い蔓が絡んでいる。この蔓はどう見ても植物の蔓ではなく、動物の腸のような長さと柔かみを持っている。この沼は〈ねむり沼〉と呼ばれ、誰一人近づく者はなかったと書かれている。
さて、ここでまずは枯れ枝にとまっている烏、死肉を啄んでいる烏の目の表情に注目してみよう。目の黒い瞳が上部に描かれていることで、表情がなんともとぼけた感じを与える。烏は死を予告する動物であり、烏が群れをなして木にとまり、大声で泣くときは、その家に死者が出るとも伝えられている。雑食で、死肉も漁る烏は、その羽根の色が真っ黒ということもあって日本では不幸、不吉、不気味、死といった負のイメージが強い。が、日野日出志の描く烏は、その目の描き方によってどことなくユーモアが漂っている。絵から受ける印象は、ひとそれぞれで、一概には言えないことを承知の上で言えば、この絵からわたしは〈臭い〉(腐臭)を感じない。死期を間近に控えた動物たちが集まってくる沼であるから、画面全体から腐臭が漂ってきても当然なのだが、どういうわけか臭いがまったくしない。その沼は水というよりは、肉を溶かす硫酸のような液体だったのではないかと思えるほどである。
もし、この沼が〈水〉(羊水)であったのなら、まさに〈ねむり沼〉という名にふさわしかったであろう。この世に誕生してきたすべての動物はいずれは死ななければならない。その〈死〉の世界が、自分の命を宿した所(子宮=母胎)であるなら、まさにそこは永遠の至福を約束するユートピアということになろう。しかし、ここに描かれた〈ねむり沼〉は、人を、動物を快適な眠りへといざなう〈母胎〉というよりは、やはり殺伐とした墓場という印象が強い。
さらに気になるのは、烏の数の多さである。なぜこれほど多くの烏を描かなければならなかったのか。烏は群れをつくって生きる鳥である。寝床とする森や林に、多くの烏が集まってくるのは不思議ではない。しかし、作者はここで烏の習性を画面に反映させているわけではない。ここには作者の心理的な作為が働いている。烏は作者の〈注察妄想〉(監視カメラ)の隠喩として登場していたのではないだろうか。作者(および主人公)は、自分が不断に誰かから監視され見張られているという妄想に駆られていた可能性がある。ということは、作者は誰にも看破されてはならない秘密を持っていたことを意味する。〈看破されてはならない秘密〉を、無数の烏があばこうとしている。しかし、烏は、そんなことには我関せずといったとぼけた目をしている。もし、ここに描かれた無数の烏がいっせいに、作者の〈秘密〉に視線を合わせたら、こんな恐ろしいことはなかったであろう。おそらく作者は、自分が描いた烏の象徴的な意味を的確に把握してはいない。烏のおとぼけは意図的に、意識的になされたとは思えない。
無数の烏は、作者の〈秘密〉を隙あらばすぐに告発し、糾弾する〈社会〉であり〈世間〉の隠喩ともなっている。作者にとって〈ねむり沼〉の秘密は暴かれてはならない。しかし作者は同時に、その秘密が余すところなく暴かれ、真実を晒されたいという願いも潜めている。このアンビヴァレントな心理的葛藤と緊張の直中においてこの画面は作成されている。
自分の才能を信じ、自分の仕事に邁進する青年期において、将来の不安を全く感じない者は稀であろう。日野日出志とて例外ではなかったはずである。この画面には、死に対する不安と恐怖、そして同時に死に対する凝視と憧れがある。人間は生まれて来た以上は死ななければならない。誰も近づかないといった〈ねむり沼〉(墓場)であるが、結局人間は誰一人の例外もなく墓場へとつかなければならない。この画面に、人の骨はなく、人間のみは死が免れているような錯覚に陥るが、そんな錯覚はすぐに醒めざるを得ない。
2004年5月13日
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