【学生の声】 6月14日「マンガ論」

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【今回、マンガ論の講義では、つげ義春「ねじ式」と、文芸作品・宮沢賢治「銀河鉄道の夜」をとりあげた。次回は新たな試みとして、受講生が実際にマンガを描く予定・・】

6月14日の授業「マンガ論」(所沢キャンパスにて)に寄せられた学生からの声139件中から10件(原文のまま)を以下に紹介します。

名称があるからこそ、其の物を認識できるというのは面白い。物の本質というのは、案外名前にあるのかもしれません。名前というものは・・「解釈」を具現化したものでしょうか?難しい・・分かりません。僕が思うに、世の中多種多様であるということですかね・・それをプラスにとるかマイナスにとるかで、世界はさらに広がっていく・・キリがありませんね。  45分・・しご(死後)ってことでしょうか?(村瀬一路・放送学科1年)

『解釈の快楽は空虚と紙一重である』―清水正 
最近、僕は心から楽しいと思う事が少なく、日々ある種の虚無感に悩まされていました。何をしても虚無であると感じていて、溜め息でカレンダーを繰るような毎日。しかし、今日、一つの解釈を、答えを、上記の言葉から学んだような気がします。ありがとうございました。(佐藤裕太・文芸学科1年)


黒板消しを例にとって「角度によって見え方が違う」と言ったのはわかりやすくてよかったです。正解や絶対というものはなく、ひとつひとつどこかを見て何かを言っているというのは私もそう思います。(油原陽子・文芸学科1年)

僕はマンガ家になりたかったので来週の授業が楽しみだ♪(深友利・演劇学科2年)

「ネジ式」を読んで。この作品に、生命はない。ただそこには魂だけが存在する。先生の仕事とは、そんな孤独な魂を救い出すことにあるような気がした。(瀬古真史・放送学科4年)

1つ解釈の入口を作ると、次々と一本の解釈の道が完成するのが楽しい。その道は入口によって異なると思う。(蔵内彩季子・文芸学科1年)

カムパネルラが列車の中から見ていた世界は死後の世界ではないか、カムパネルラは死後の世界へ続く列車へ乗ってしまったジョバンニを助ける為、川へ飛び込み、ジョバンニの分身と言えるザネリを救出し、自らは死んだ(=列車を降りた)。ぎりぎりのところでジョバンニ(=ザネリ)は助かったが、45分(蘇生可能時間か?)を過ぎたカムパネルラは死んだ、と僕はそう考える。列車つながりだが銀河鉄道999はどうだろう。鉄郎は代理母メ―テルとの合体を自らが乗っている列車に妨まれ、機械の体を手に入れる(再生する)ことをも邪魔されたのではないか?(武田英樹・映画学科1年)

テキストに種類があるというのをマンガ論を受けていて初めて知った。作品は一つしかないと思っていたが、出版社や編集によってこれほどの差異があらわれるものかとおどろいった。それによって批評もかわるのなら論評は無数にあることになるのかと思った。(木村愛・文芸学科2年)

ねじ式のラストはすっきりしたものかと思ったら根本的解決をせずに終わっているんですね。主人公の精一杯の開き直りというのが何だか痛々しく感じました。(田中沙紀・演劇学科2年)

「銀河鉄道の夜」は小学生の時に少し読んだぐらいであったけれど、難しいという印象しかなかったのであまり覚えていなかったけれど、もう一度、じっくり読みたいと思いました。また、「ねじ式」の最後は主人公の求め続けてきた母であるものが、結局は違う形で、今まで気味悪がっていた印象が少し消えました。(中西沙織・放送学科2年)

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