李良枝(イヤンジ)の「由熙(ユヒ)」

清水正の文芸時評

韓国(語)と日本(語)を超えて〈ことば〉の本源へ迫っていた
今回は約束通り、第百回芥川賞受賞者で三十七歳で夭折した李良枝(イヤンジ)の「由熙(ユヒ)」(「群像」一九八八年十一月号)をとりあげる。主人公の由熙は在日韓国人、ソウルのS大学に留学して言語学を専攻している。由熙は日本でウリマル(母国語)を独習しただけであり、韓国語を流暢に話すことはできない。由熙は韓国人の生活に慣れようと下宿を転々と変える。由熙は同じ血の、同じ民族の、自分のありかを求め、韓国人になろうとあがく。が同時に由熙は、現在の韓国人にどうしようもない違和感を覚えていらつく。由熙はその違和感を韓国語をさらに勉強することによって乗り越えようとはせず、それとは逆に日本語の方に戻ろうとした。この小説の語り手である〈私〉は、こんな由熙を「日本語を書くことで自分を晒し、自分を安心させ、慰めもし、そして何よりも、自分の思いや昂ぶりを日本語で考えようとしていたのだった」と分析している。

 由熙は現代の横書きのハングルを母国語と認めることができない。由熙は〈私〉に向かって言う「学校でも、町でも、みんなが話している韓国語が、私には催涙弾と同じように聞こえてならない。からくて、苦くて、昂ぶっていて、聞いているだけで息苦しい」と。由熙はウリナラ(母国)と書くことができない。にもかかわらず試験に通るために、「誰かに媚びているような感じを覚えながら」韓国語でウリナラと書いてしまう。由熙はハングル文字の創始者世宗大王を信じ、尊敬している。しかし「この今の、この韓国で使われているハングル」には嫌悪感を抱いている。由熙は韓国人になろうとして〈母国〉にやっ
てきたのに、韓国を〈母国〉と思うことができない。由熙はジレンマに陥り、結局、大学を中退して日本に帰ってしまう。

 由熙が帰ってしまった後、〈私〉は叔母(由熙をわが子のように可愛がっていた下宿先の女性)に由熙の思い出を語る「笛は一番素朴で、正直な楽器だと思うって、由熙は言った。口を閉ざすからだって、口を閉ざすから声が音として現われる、とも言っていたわ。こういう音を持って、こういう音に現われた声を、言葉にしてきたのがウリキョレ(我が民族)だと、ウリマルの響きはこの音の響きなんだと、由熙は言ったわ」と。

 さらに〈私〉は由熙と一緒にソウルの岩山に行ったとき、彼女の口から出た〈ことばの杖〉を想い出す「・・ことばの杖を、目醒めた瞬間に掴めるかどうか、試されているような気がする。・・○なのか、それとも、あ、なのか。○であれば、ア・ヤ・オ・ヨ、と続いていく杖を掴むの。でも、あ、であれば、あ、い、う、え、お、と続いていく杖。けれども、○、なのか、あ、なのか、すっきりとわかった日がない。ずっとそう。ますますわからなくなっていく。杖が、掴めない」。在日韓国人である由熙は韓国に来て、〈韓国語〉と〈日本語〉のどちらを〈ことばの杖〉にするのかわからなくなってしまった。〈私〉もまた由熙の苦悩が分かるにつれ、〈ことばの杖〉が掴めなくなる。

 在日韓国人の由熙が韓国語の〈○〉か、日本語の〈あ〉かでジレンマに陥るのは分かる。しかし韓国人の〈私〉までもが、〈○〉に続く音が出てこない。〈音〉を捜し、〈音〉を〈声〉にしようとしている喉が、うごめく針の束に突つかれて燃え上がってしまう。〈私〉は由熙が苦しんでいたように、とつぜん〈ことばの杖〉を奪われてしまう。ことばの秘密に迫ろうとする者は、ことばを狂わせられてしまう。

 深い淵の上にかけられた薄い板の上を軽やかに渡っていた者たちは知っていたのだ、立ち止まると自分の重みでたちまちのうちに板が割れ、谷底に落ちてしまうということを。確かヴァレリーは『テスト氏』のなかで〈思考の空間を軽々と渡っている者たち〉に関してこのようなことを記していたはずだ。由熙が〈ことばの杖〉を掴めないのは、彼女が在日韓国人であったからというよりも、彼女が自らの存在根拠をどこまでも追い求め、自分が自分であることの究極のアイディンティティを得ようとしたことにある。韓国語であれ日本語であれ、ことばの秘密に肉薄しようと思う者は、かならずことばの側からの手痛い
しっぺ返しを受けることになる。

 日本人でもない、韓国人でもない、由熙は日本語を話す在日韓国人として成長してきた。由熙は韓国語をひとりで学び、韓国のS大学国文科に留学し、言語学を専攻した。しかし、韓国語の学習に必死で取り組むことはなかった。由熙はハングルに嫌悪すら覚え、迷えば迷うほど日本語の方へと帰っていった。が、由熙は韓国語を〈母語〉と言えなかったように、日本語をも素直に〈母語〉として受け入れることはできなかった。由熙は日本語と韓国語の〈深い淵〉にかけられた薄い板の上に立ち止まってしまったと言えようか。

 〈私〉も〈由熙〉も、おそらく作者李良枝の分身的存在であったろう。李良枝は日本語で小説を書いている。にもかかわらず李良枝が、たとえば梁石日が『終りなき始まり』(朝日新聞社)で描いた淳花(李良枝がモデル)のように、母国韓国に自らのアイディンティティを求めていたとするなら、彼女の〈韓国〉と〈日本〉への分裂は由熙以上のものであったと言えよう。

 いずれにせよ『由熙』において李良枝は、〈ことばの杖〉を掴めないという、韓国(語)、日本(語)の分裂を超えて〈ことば〉の本源へと迫っていったことに間違いはない。その意味でこの小説は時代を超えて問題作であり続ける。

(「図書新聞」2002年10月5日)

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